第18話「徹底的に調べませんか?」

 ひかりからの打診に首を横に振ったミズコはその根拠を語る。


「私が予定よりも早くひかりに体を返した理由。それはね、返せなくなると思ったから」

「どういうこと?」

「お母さんから話を聞いたり、水子供養のことを知ったりしてお父さんに興味を持ってたんだけど、ひかりの父親を見てきたから、当初実は不安もあったの」

「ごめん、なんかうちのニートが……」


 ひかりが恐縮そうにするので、ミズコはまた優しく首を横に振った。


「けど一緒に生活してたら、背中が広くて凄く包容力があって、自慢のお父さんだって思えた。それでキスをした日にずっと一緒にいたいって思っちゃったの」

「当然のことだと思うよ」

「ううん。私にとってそれは当然にしたらダメなの。もし四十九日以上ひかりの体を支配したら、ひかりがそのまま鏡の中で成仏しちゃうの。引き返せなくなる前にひかりに体を返した」

「そんな……」

「ひかりは最初に私と話をしてくれた現世の人で、私にたくさん現世の色々なものを見せてくれた人で、唯一でかけがえのない親友だから」

「ばか……」


 ひかりは声を震わせてその場に涙を落とした。それと同時に、それならばミズコはずっと鏡の中ではないかと絶望する。それは亮介も同じだった。


「だからひかりがまた家出の話をお父さん相手にまとめてきた時は本当に驚いた。ちょっと揺れた。けど私には手を伸ばすことはできなかった。すると今度は私の正体がバレるのも時間の問題だなって思った。まさか一日目でベッドインするとは予想外だったけど」


 何度赤面させれば気が済むのか。亮介もひかりも羞恥がぶり返す。一応、未遂だと心の中で言い訳をしておく。そんな中でも亮介が口を開く。


「けど、ここに来ればいつでもミズコと会えるんだろ?」

「そうだよ」


 鏡の中のミズコは優しく微笑んで答えた。亮介はそのままひかりを向いた。ひかりも亮介の目を見る。そんな二人を確認してからミズコは寂しそうな感情を瞳に宿した。


「何時なら家の人に気づかれずに来れる?」

「大体ですけど、ニートと居候が寝るのは夜中の三時から昼の一時くらいです。お婆ちゃんが寝るのは夜の八時から明け方五時です」

「三時から五時の間か……」

「お仕事と勉強に影響ありますよ?」

「娘に会いに来るためだから」


 そう言って亮介は腕時計を確認する。ひかりとミズコはそんな亮介を頼もしく思った。すると時刻を確認した亮介が焦る。


「げ……、もう四時五十二分」


 思いの外長居したようだ。無言の時間もそれなりにあったので、時間を忘れていた。


「お婆ちゃん起きちゃうね。今日はもう行こうか?」

「そうですね」

「お父さん」


 するとミズコが引き止めた。


「どうした?」

「一つだけ我儘」

「なんでも言って」

「毎日来て欲しい」

「もちろん」


 娘からの我儘がよほど嬉しいのか、亮介は満面の笑みで答えた。


 亮介はひかりの家から自分の部屋に帰って来ると泥のように眠った。部屋に上がって脇目も振らずベッドに直行した。ひかりもそんな亮介を目にしながら、リビングに敷きっ放しだった布団に潜り込んだ。そして彼女も眠った。


 二人が起きたのは昼前。これに亮介は焦ってしまう。


「ごめん! 昼ご飯いらない! 途中で買って移動中に車の中で食べる」

「わかりました! すいません。私も寝坊しちゃって」

「気にしないで。行ってきます」

「いってらっしゃい」


 玄関でそれだけ言葉を交わすと亮介は予備校に急いだ。ひかりは「ふぅ」と一息つく。


 色々あり過ぎた。色んなことに気づき過ぎた。そして多くのことをミズコと亮介から聞かされた。まだ腑に落ちないことはある。新たに生まれた疑問もある。しかし情報を処理しきれなくて、しばらくリビングに敷いたままの布団の上で呆けた。

 六歳から鏡とミズコを認識していたひかりだから、むしろこの夏から自分だけが知る不思議な世界に引き込まれた亮介こそ、情報処理は大変だろうと思いやる。そんな中、仕事にも行くし、勉強もする。夏休み中の自分とは大きく差があると思い、しかしそれが亮介の凄味だと感じた。


 一度落ち着くとひかりは軽く昼食を取り、部屋の掃除を始めた。それが終わってから勉強と宿題を進めた。


 あの鏡が、死者が四十九日留まる場所だとは知らなかった。自分がミズコの代わりに入った時は死者と遭遇なんてしなかったから、それを聞いて本当に驚いたものだ。そこでミズコは母と会った。それならば亮介の知らない真相を聞いたのではないだろうか。


 自分はこれまでと変わらず、ミズコの唯一の親友としてこれからも鏡の前に座る。ミズコと対話をする。

 しかし思う。今まで露ほども考えなかった。知らなかった。あの鏡のことを。ただミズコと話せることが嬉しかったから。自分の視聴覚を共有して同じものを見聞きしてきたミズコは最大の理解者だった。だからそんな存在がいてくれることに満足して、鏡のことなんて気にも留めなかった。


 それでひかりは考えた。そして亮介に相談する。それは亮介が予備校から帰って来て、夕食の席を共にしている時だ。


「亮介さん」

「なに?」


 亮介は箸を動かしながら答える。


「今日も夜中に蔵に行きますよね?」

「うん、もちろん」

「けどその時間だとやっぱり亮介さんのお仕事と勉強に影響があると思うんです」

「大丈夫だよ、僕は」


 亮介はおかずを口に放り込むと白米を掻き込んだ。ひかりは箸を宙に止めてジッと亮介を見るので、亮介は「ん?」と首を傾げた。そこで心配事が浮かんだので、嚥下してから問う。


「やっぱり本当は自宅に入られるのがマズい?」


 ひかりは一度首を横に振ってから答えた。


「それは大丈夫です。本当に気にしないでください。ただ、別に家族が起きてる時間でもいいんじゃないかと思って。そんなに干渉してくる家族じゃないから」

「さすがにそれは抵抗あるな。て言うか、夜中に忍び込むのも別の意味でマズいと本当は思ってるけど」

「まぁ、亮介さんならそう言いますよね」


 亮介はひかりが自分の睡眠時間を心配してくれていると感じている。それによる仕事や勉強への影響も。しかし他になにか言いたそうな様子も見て取れるので、ひかりが話すのを待った。

 ややしてひかりは言う。


「相談があるんです」

「なに?」

「鏡をこの部屋に運べませんか?」

「鏡を?」

「はい。そうすればミズコとはこの部屋にいる間ならいつでも話せるので」

「うーん……」


 しかし亮介は渋った反応を示す。


「あの鏡の本来の持ち主って誰だろう?」

「たぶん……お婆ちゃん?」

「たぶんじゃマズいかな。ちゃんと持ち主を割り出して、その人から譲ってもらわないと」

「そっか……」


 曖昧を含ませて祖母だと答えた理由は、誰の所有物かということよりも、誰にあの鏡の成り行きの決裁権があるのかということを重要視したからだ。もし父親だったら、そのための交渉を考えると通鬱になるのだ。


「とは言え、やっぱりその方がいいよね」


 すると亮介が肯定的なことを言うので、ひかりは目を輝かせた。


「お婆ちゃんに話してみますよ?」

「そうだね、そうしてもらおうかな」

「それで、その先の考えもあるんですけど……」

「なに?」

「手元に鏡が来たら、あの鏡を徹底的に調べませんか?」

「調べる? どういうこと?」

「ミズコはまだ鏡の中にいるんだから、ミズコを現世に連れ出せないか、を」

「え!」


 亮介は驚いて箸が止まった。


「ミズコは自分でも言ってたけど異端児です」

「言ってたっけ?」

「しぶとくも精神だけ生き残った中途半端な存在って言ってたじゃないですか?」

「あぁ、確かに」

「それで思うんです。そういう異端児ならまだ他にも奇跡が起こせるじゃないかって」

「うーん……」


 亮介が渋い顔をする。やはり乗ってはくれないのだろうか。今まで非現実的な話を信じてくれて、やがてミズコとも対面した。だから幻想論にも乗ってくれるとひかりは期待した。けどやっぱり亮介も現実主義の大人なんだろうか。


 程なくして表情を戻した亮介は答える。


「ひかりの気が済むまで徹底的にやりな? 協力は惜しまない」

「本当ですか!」

「うん。それで本当に奇跡が起きるなら、行動しなかった時に後悔するから」

「やった!」


 ひかりは声を弾ませた。しかしそれは苦難から始まる。

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