第55話 ドリーワン・レベル2 第24話
ぼくは入院を余儀なくされた。
泣き崩れる榊先生のおえつを聞いて診察室のドアを開けた妹は、彼女のその様子からぼくの検査結果を悟ったらしい。
目に涙を浮かべながら、何ヵ月ですか? と言った。
「お兄ちゃんはあと何ヵ月生きられるの?」
榊先生は泣きじゃくるばかりで答えない。
妹はとても冷たい目で、
「何人も人を殺してきたくせに」
と先生に言った。
「半年……」
先生はうめくようにぼくの余命を告げた。
その後の様々な検査で、ぼくの癌はほとんど全身に転移していること、脳までも癌細胞に冒されていることがわかった。
覚悟はしていた。
ドリーワンで核を持ち帰り、歯茎から血を流して倒れたあのときから。
あのときぼくは全身を放射能に汚染されてしまっていたのだ。
しかし不思議なもので、余命半年と宣告されたそんなぼくの体には何の痛みもなかった。
入院を余儀なくされたとはいえ、病室のベッドに縛り付けられることもなく、毎日丸一日かけて点滴を受けてはいるけど、院内を自由に歩き回ることができた。
妹が棗に相談でもしたのか最初こそ六人部屋に通されたが、翌朝には個室に移された。
カレンダーは九月になっていた。二学期が始まっていた。
一度だけお見舞いにやってきたぼくの担任だという醜い肉の塊が富田紘子が自殺したことをぼくに告げた。
富田紘子の遺書には、図書委員であった彼女が作り続けた拳銃を隠す穴の空いた蔵書を一冊、ぼくに渡すように書かれていたという。
醜い肉の塊はぼくにソフィーの世界と書かれた本を差し出した。ぼくは妹に部屋の机の引き出しの中にある拳銃をその本に隠して持ち歩くように言った。
いつか必要になる日がくるはずだ。
誰を殺すことになるかはまだわからない。
引き金をひくのはたぶんぼくだろう。
妹は毎朝学校に行き、学校帰りにぼくの世話をしにやってきては、面会時間が終わるまで楽しそうにその日学校であったことを話した。
ぼくはといえば妹の学校が終わるまでの時間、毎日のように病室を抜け出して、そして精神科病棟へ向かった。
重く軋むドアを開けると、そこにはいつもドリーがいて、ぼくを優しい笑顔で出迎えてくれた。
そこは写真から切り取って別の写真に張り付けたかのような違和感とモザイクで溢れる場所だった。そこに存在する本来病院とは無関係のがらくたたちすべてがドリーワンによって持ち帰られたものだった。
ドリーワンによって一度失われた人間は、契約者が契機を満了後ドリーワンを破棄した場合帰還することができる。
帰還した人間は、その資質に関係なく妹と同様に、ドリーワンを「発症」する。
精神科病棟にはぼくのかつての友人たちが入院している。
ぼくが一度ドリーワンによってその存在をなくした、中学時代の生徒会のメンバーたちだ。
そこに宮沢リカの姿はなかったけれど。
彼らは皆、ドリーワンの契約者になっていた。
妹は軽度で済んだが、ドリーワンによって一度その存在を消され、暗闇に閉じ込められた彼らは、重度のPTSDの中にあり、一日のうち数時間しか意識を保つことができず、残りの時間をすべて夢の世界かあるいは無の世界で過ごす。
その場所で、ぼくは自分が犯した罪を知る。
古戦場跡病院の、写真から切り取って別の写真に張り付けたような違和感とモザイクが溢れる精神科病棟の真っ白な部屋で、ぼくはドリーが語る物語を黙って聞いていた。
案内人は14年周期に一度ずつ、人としてこの世界に存在するのだという。
人として生を受け、しかし14歳になるまでに必ず死が訪れるのだという。死が訪れたら再び案内人として、契約者に召喚されるのを待つさだめにあるのだという。
ドリーが語ったのは、彼女が加藤麻衣という妹と同じ名前の少女として最後に「生きた」ときの話だそうだ。
「そうか、きみも加藤麻衣だったんだね」
ぼくは七色の声色で淡々と物語をつむぐ彼女の言葉を聞いた。
「そうよ。だってこの物語はお兄ちゃんの物語じゃないもの。加藤麻衣と加藤麻衣だった者の物語なのよ」
そう言った。
14年に一度だけとはいえ、人として世界に生きることで、ドリーワンによって作られた存在である案内人は人という存在を知り、案内人として成長するのだという。
そしてドリーだけに「仕分け」の仕事が与えられた。
ドリーワンによってこの世界にもたらされたものにはこの世界に存在することが許されるものと許されぬものがある、あるいは契約者にとって不都合なものが存在する。それを仕分けるのが彼女の仕事だ。
ぼくが知る限りドリーはこれまでに三度仕分けをした。
一人目はぼくの母親だった。二人組の刑事、そして宮沢渉。
ドリーはそうやってこれまでに107回、輪廻転生を繰り返してきたのだという。
「藤原道長の娘だったこともあるわ」
そう言った。
「あと一回人として生を受けたら、わたしはこの輪廻の輪から外脱してしまう」
案内人としても存在することができなくなる。ドリーワンという大きな力の一部に取り込まれてしまう。その前にどうしてもやらなくちゃいけないことがあるの、とドリーは言った。
「わたしはこの世界を終わらせなきゃいけない」
棗さんを利用するつもりだった。契機を満了した彼がけっしてすべてを手にすることができる力を手に入れないように、わたしは彼を導いたつもりだった。でも彼はそんなわたしの思惑なんて見透かしていて、わたしの思い通りにはなってくれなかった。ドリーはそう続けた。
ぼくはいつだったか、棗とドリーがぼくが契機を無事満了したら、という仮定の話をしていたのを思い出した。
あのときドリーは、ぼくがきっと彼女と共に生きる道を選択するだろうと言った。
すべてを手に入れる力を手にすれば、棗のように案内人が不在になる。そしてぼくもまたあのときドリーワンとの契約を破棄し、失ったものをすべて取り戻すことでドリーと別れることを選択したつもりだった。
しかしドリーは再びぼくの前に現れた。
ぼくは大きな思い違いをしていたのだ。
ドリーがぼくの手をとる。
「お兄ちゃんだけがわたしを選んでくれた」
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