第53話 ドリーワン・レベル2 第22話

 真夜中、下剤の効き目がようやくおさまりかけた頃、妹はトイレの前で漫画を何冊か重ねて枕にして眠り、すやすやと寝息を立てていた。ぼくは妹を起こしてしまわないように宝物のように妹を抱いて、妹の部屋に運びベッドに寝かせた。


 お兄ちゃん、と妹は寝言でぼくを呼んだ。

 ぼくはその唇にキスをして、眠る妹のそばに腰を下ろした。


 妹の部屋はまだ少し血生臭いにおいがし、一ヶ月前のぼくの部屋のように、夢から持ち帰ったものであふれていた。


 ガードレール、信号、道路標識、横断歩道の白い線、切れた電線、車のナンバープレート、ぼくと妹と棗は、妹が誘拐される同じ夢を見続けている。夢の中でぼくたちの逃避行は続いている。だから妹が持ち帰るものはそんなものばかりだった。写真から切り取って別の写真に張り付けたかのような違和感とモザイクが、それらが夢遊病などではなくドリーワンによって夢から持ち帰られたと示している。ぼくはそれらを忌まわしくさえ思う。


 夢を見たとき、その夢から何かを持ち帰ることができる。その何かはアトランダムに決められ、夢の中で選択することはできない。捨てることも他人に譲ることもできない。壊すこともできない。例外はあるけれど。


 夢を見なければ、現実の大切なものをひとつずつ失う。同じものが複数ある場合、それらを一度に失うことになる。失ったものを取り戻すことはできない。


 妹にはぼくが体験して学んだルールを一通り教えてあった。もちろん妹が夢を見なければいつかぼくが消えてしまうということは伏せて。妹は黙ってぼくの話を聞いていた。


 ぼくは妹が失ったもの、夢から持ち帰ったものを頭の中で整理した。


 妹のドリーワンがいつはじまったのか、ドリーは妹が帰還したその日からだと答えた。それから何度妹が眠ったのか、ぼくは我ながら几帳面だなと思うけれどちゃんと数えていた。


 しかし、失ったものの数と持ち帰ったものの数の合計が、妹が眠った回数とあわない。


 失ったのか持ち帰ったのかはわからないが、ひとつだけ何かが足りなかった。


 持ち帰ったのだとすれば、この部屋に、妹の傍らにあるはずだ。しかし目につく場所にその何かはなかった。


 目については困るもの、たとえばぼくが持ち帰った拳銃や死体や核といったものが、この部屋のどこかにあるかもしれない。


 そしてぼくは妹が、そういったものをどこにしまいこむのか知っていた。


 妹の机の引き出しを開ける。


 そこには拳銃があった。





 ぼくは妹の拳銃を腰のベルトのバックルの後ろに挿し、家を出た。


 それはちょっとした実験のようなものだった。


 ぼくはドリーワンの契約者であったころ、そのことには無自覚に夢から持ち帰ったものをごみ捨て場に遺棄しようと何度か試みたことがあった。しかし何度捨てても、それはぼくの手元に帰ってきてしまった。


 ぼくは今、妹の拳銃を無断拝借している状態にある。しかし、それをぼくが手にすることも、弾は入っていなかったが安全装置をはずすことも引金を引くこともできた。つまり妹の拳銃はぼくにも使えるということだ。弾は机の引き出しに六発あった。


 ではこの拳銃は妹から一体何メートル離れれば、ぼくのベルトのバックルの裏から消え、妹の手元に戻るのか。戻るにはどれくらいの時間を要するのか。重要なことではないのかもしれないが、試して知っておきたかった。


 今夜は月がいつもより大きく見えた。


 そして、ぼくにはもうひとつしておきたいことがあった。


「おや、こんな時間におでかけですか?」


 こんな時間に出歩けば、彼がすぐに声をかけてくるだろうことはわかっていた。


「硲、とか言ったっけ、あんた」


 探偵兼フリーライターの、奇妙な縁取りとモザイクを持つ男。いつもミートパイを手掴みで食べて口のまわりをべたべたにしている。人だが、夢から妹が持ち帰った架空の存在だ。いつかドリーが始末した二人組の刑事と同じだ。


「覚えていただけて光栄です」


 硲はうやうやしく頭を垂れた。


 彼は宮沢渉の殺害とリカやその家族の失踪に、ぼくが深く関与していると、ぼくが犯人だと疑っている。


 自らがこの世界に存在させられた力と同じ宮沢渉のドリーワンによって、リカや家族が消えたということを話したところで彼は理解できないだろう。


 二人組の刑事を始末したとき、ドリーはぼくに言った。


 ぼくには夢から持ち帰った二人組の刑事は殺せない、と。そして、彼等と同じように夢から持ち帰られた存在であるドリーならば、彼等を殺せるのだと。


 つまり、妹にはぼくの目の前にいる探偵兼フリーライターを殺せない。

 だけど妹の拳銃を使えば、ぼくはこの男を殺すことができる。


 がちゃり、とぼくは素早い動作で妹の拳銃の銃口を硲の頭に当てた。弾は六発、入れてある。

 しかし、硲の顔色が変わることはなかった。

 ひょうひょうと笑みを浮かべている。ミートパイを手掴みで食べながら。


「なるほど。妹さんの夢から持ち帰られたぼくを妹さんは殺すことができないが、しかし学くんあなたなら妹さんの拳銃を使ってぼくを殺せると考えたわけですね」


 あの女の入れ知恵ですか、と硲は続けた。




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