第52話 ドリーワン・レベル2 第21話

「正確な判断が得られるように、以下のことをお守り下さい。


 検査日 8月15日 朝は欠食で来院して下さい。

 来院時間 9時00分

 来院後、2000mlの腸洗剤を飲んでいただきます

 検査時間 14時00分


※ サンケンクリン食と紙パンツを売店で購入して下さい」


 検査前日、ぼくは朝六時半に起床し、妹を起こしてやった。


「検査前日 8月14日

 時間

 午前7時 サンケンクリン朝食

 午後12時 サンケンクリン昼食

 午後6時 サンケンクリン夕食」


 ぼくの手元にはサンケンクリンCAという聞き慣れない食事の入った箱があった。

 朝食、昼食、夕食、間食がセットになったレトルトの食事だ。


「サンケンクリンCAは味が良く、低残さ、低脂肪の食品です。検査の前日にお召し上がりになりますと、腸内がきれいになり、正確な検査が期待できます、だって」


 妹は箱に書かれた説明を読み上げた。


「朝食は白がゆ、おみそ汁、梅かつおのふりかけ、だって」


 白がゆ:①袋のまま熱湯に入れ、約10分間沸騰させてください。

     ②袋をあけ、中身をお椀に移してお召し上がりください。


 みそ汁:中身をお椀にあけ、熱湯を約160ml(お椀8分目)注いで下さい。


 梅かつおふりかけ:袋をあけ、白がゆにふりかけてお召し上がりください。


 妹は箱から取り出した朝食の召し上がり方を読みあげた。


「わっ、すごっ。間食も入れて一日のカロリー、たった819キロカロリーだよ。これ毎日続けてたらお兄ちゃんまた痩せちゃうね」


 楽しそうにそう言う。その笑顔を見ながら、人の気も知らないで、とぼくは思ったけれど、明るく振る舞ってくれているのだとすぐに気付いた。


 ぼくはゆうべの食事を思い出していた。


 ちゃんこ鍋をドリーと三人で囲った。


 検査でもしぼくに大腸癌が見付かれば、ゆうべの食事はぼくの最後のまともに食べられる食事になる。


 だから妹は腕に腕を振るっておいしい鍋を作ってくれたのだ。


「ありがとう」


 ぼくは白がゆを温める妹の背中にそう言った。


 妹の肩は小さく震えていた。


「大丈夫だよ。ぼくは麻衣の前からいなくなったりしない」


 ぼくは今度こそ妹を守ってあげなくてはいけないのだ。


 ドリーワンから。


 そしてその後も、ぼくの一生をかけて。


 妹は今日も夢を見なかった。

 妹の作ってくれた白がゆは、少し塩辛く、涙の味がした。




 昼食は紅鮭がゆと松茸風味のおすいもの、夕食はポタージュスープ。

 間食は粉末のオレンジ飲料に、粉末の紅茶、クッキー、それからあめ湯だった。

 期待していたクッキーはたった二枚しかなくぼくは落胆したけれど、あめ湯がおいしかった。

 そして、


「午後9時 下剤を一度にお飲み下さい。

    1.粉薬(マグコロールP)を150~200mlの水に溶かし、水薬も入れてお飲み下さい。

    2.錠剤2錠もお飲み下さい」


 下剤で腸内にたまった便をすべて出す。


「前日の下剤で形のない便になるのが普通です」


 下剤はレモンジュースの味がした。飲んで30分もしないうちに、ぼくは便意をもよおし、トイレにこもった。便意が一段落してトイレを出ても、数分もしないうちにまた便意が襲ってくる。


 今夜は眠れそうになかった。


 ぼくと妹は一晩をトイレの前で過ごした。


「寝てもいいんだよ」


 ぼくがそう言うと、妹は「眠れるわけないじゃない」と頬をふくらませた。妹はいくえみ綾の漫画を読んでいた。


「チドリちゃんは?」


 今朝から姿を見ていない。


「さあ?」


 ドリーはときどき、今日のように姿を消し、二、三日帰ってこないことがあった。


「いいの? 恋人、なんでしょ、お兄ちゃんの」


 ドリーにドリーワンの案内人としての顔とは別の顔があることはなんとなくだけれど気付いていた。


「別に。あれはあの子が勝手に言ってるだけだから。あの子、親とか家とかないんだ。だから居候させてあげてるだけ」


 ぼくはドリーのことが妹と同じくらい好きだった。


 だけど妹にそのことを知られたくなかったし、再会したドリーはぼくが知るドリーとは少し違っていた。


 宮沢渉のような変死体が最近だけで六件日本各地で見付かっている。彼のドリーワンはぼくや棗や佐野とは異なる異質なものだった。世界創造症候群乙型とドリーは言った。世界を創造する、その行為がドリーワンによってタブーであったなら案内人であるドリーがとる行動はひとつだ。


 宮沢渉はドリーに「仕分け」られたのではないのか。


 彼のことを思い出すと、帰らないリカのことをどうしても考えてしまう。

 だからぼくは、考えることをやめた。


 考えても答えの出ない問題だ。知りたければドリーに直接尋ねればいい。

 窓からは体に縁取りを持つ探偵兼フリーライターの男が見えた。


「明日さ」


 ぼくは妹に言う。


 妹は顔を上げてぼくを見た。


「検査が無事終わって、チドリが帰ってきたら、三人で何かおいしいもの食べに行こう」


「ふたりがいい」


「うん、ふたりで何かおいしいもの食べに行こう」


 だけど、そんなささやかな夢さえぼくたちは叶えることができなかった。




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