第43話 ドリーワン・レベル2 第12話
玄関には見慣れない革靴があった。
男物の。
妹とドリーの靴といっしょに並んでいた。
溜め息をつきながら、ぼくは靴を脱いだ。
男物の靴は、ぼくのそれより大きかった。
学校へ行くととても疲れる。
この家と妹たちがぼくの疲れを癒してくれる場所だった。
そこに他人がいる。
妹たちがぼくが出かけている間に男を連れこんでいる。
楽しげな笑い声まで聞こえてくる。
何もかもがどうでもよくなった。
呼吸をすることが少し難しくなり、全身がどっと重たくなった。
誰が家にあがっているのか、妹たちとどんな話をしているのか、そんなことはたぶんぼくが知る必要もないことなのだ、とぼくは思う。
眠ってしまいたかった。
だけど眠れば明日が来てしまう。
階段をのぼろうとすると、
「やあ、お邪魔してるよ」
靴の主に声をかけられた。
棗だった。
「あんたか」
ぼくはますます絶望的な気持ちになる。
「恩師に向かってあんたはないだろう。それに帰ってきたら、ただいま、だろう」
ぼくは鞄をソファに放り、冷蔵庫の横に置かれたスーパーの買い物袋の中から冷えていないペットボトルのお茶をとりだした。それを一気に飲み干す。
「お兄ちゃん? 棗先生がお話してくれてるんだよ? ちゃんと聞かなきゃ」
妹が言った。
「なんでぼくがいない間に勝手に他人を家にあげるんだよ」
ぼくは怒鳴った。
妹の体がびくりと反応した。
「どうしたの? 学くん。麻衣ちゃんに怒鳴るなんて学くんらしくないよ」
ドリーが妹をかばう。
「ドリーは黙ってろ」
「ドリー?」
「ドリーじゃないもん千鳥だもん」
「人間じゃない奴はひっこんでろよ」
どうしてこんなにもいらいらしてしまうのか、自分でもわからなかった。
「俺のいない間に男家に連れこんで、ほんとにあの母親そっくりだなお前は」
どうしてこんな思ってもいないことを言ってしまうのか。
棗がぼくの頬をはたいた。
わかったのはその理由だけだ。
「加藤、お前言っていいことと悪いことがあるぞ」
棗が怒るのをはじめてみた。
妹は泣き出していた。
ドリーは無表情にぼくをにらみつけていた。
とりかえしのつかないことをしてしまったとぼくは気付いたけれど、だけどとまらなかった。
「あんたに言われたくねえよ。あんたがあの女と不倫してたこと俺知ってんだよ」
気がつくと、ぼくは棗の襟元をつかんでいた。
「先生が、お母さん、と?」
妹の涙が止まる。
「そうだよ。あの女が行方不明になった日の朝、こいつと電話で会う約束をしてたんだ。その夜から行方不明になって、そしてお前の通帳に金がふりこまれるようになった。あの女がなんでたてこもり犯に撃たれたかは知らない。だけどそれまであの女はこいつのとこにいたんだ。こいつがあしながおじさんってわけさ」
「嘘でしょ?先生?」
「嘘じゃないさ」
「こたえてほしいのは君だろう?」
棗は言った。
「そうだよ」
妹は泣きながら居間を飛び出して階段をのぼって部屋に閉じ籠った。
ドリーがその後を追い掛けて、
「だめ。鍵がかかってる」
棗にそう告げた。
ドリーはぼくの顔を見もしなかった。
当然だ。
「やれやれ」
と棗は頭をかいて、
「ひきこもるのは君の専売特許だと思ってたけど」
呆れたようにそう言った。
「似たもの同士だね。血のつながりなんて関係ない。君たちは兄妹なのに。いや、それ以上かもしれない」
そしてぼくの頬をもう一度はたいた。
「なんであんなことを言った?」
今度はドリーがびくりと体を震わせた。
「君はあの子をただの妹としては見ていなかったはずだ。だって君はあの子にプロポーズしたんだろう?」
ぼくはドリーを見た。話したのか。睨みをきかせた。
ドリーはあわてて首を横にふった。
「次の日、あの子から聞いたんだ。見たこともないくらいうれしそうな顔をして職員室に飛込んできて話してくれた。それから君が明日から学校に行くって。あの子もずっと君のことを兄以上の存在として見ていた。それにくらべてぼくはただの担任の教師さ。くりかえし同じ夢を見るだけのね」
「同じ夢?」
「聞いていないのか? あの子が誘拐される夢だよ」
まさか。
棗が誘拐犯で、妹が誘拐される。
その事件にはなぜかぼくもまきこまれて、ふたりと行動をともにしていた。
ココという名前の女の子をぼくは妹といっしょに殺した。
ラベンダー畑にうめた。
その夢のことはいつか記したと思う。
誘拐犯と誘拐された女の子はもう一組いて、ヒロフミと、女の子の名前は思い出せない。
たてこもり犯の佐野はローカルテレビ局のディレクターか何かで、大泉洋は俺が発掘したんだ、が口癖で、取材と称してぼくたちのドキュメンタリー映画を撮っていた。
ぼくは妹と同じ夢を見ていたというのだろうか。
そして、棗も?
「まさか、君も見るのか?」
夕べ見たばかりだった。
「……ゆうべヒロフミが自殺した」
ぼくは夢の中で起きた出来事を話していた。
棗は黙ってうなづいた。
「ぼくが……ぼくがあんたのことが嫌いなのは、あんたが麻衣を悲しませてばかりだからだ」
「知ってるよ。ゆうべ君に言われたばかりだ」
そう言って棗は笑った。
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