第35話 ドリーワン・レベル2 第4話
すべてが元通りになったはずだった。
だけど、戻らなかったのは、ぼくたちの両親だけではなかった。
宮沢理佳とその家族もまた戻ってはきていなかった。
たてこもり事件の終わった日、犯人をもっと近くで見るために、渦中の家のすぐそばの家を棗は手に入れた。
元契約者で、ドリーワンそのものになった棗は、その家の住人を消した。
その家は、宮沢理佳の家だった。
ぼくのドリーワンは終わっても、棗のドリーワンは永遠に続く。
だから棗が消してしまった人たちは帰ってはこない。
だけどぼくが消してしまった理佳は別だ。
帰らないということは、理佳はぼくの預かりしらぬところで死んでいたということだろうか。
それとももっと別の何か、ぼくの知らないドリーワンのルールが存在していたのだろうか。
学校帰り、棗の表札がかかった理佳の家の前で、ぼくは考えていた。
何でも教えてくれたドリーは、もういない。
棗に聞けばすべて解決に導いてくれるかもしれない。
でもそれだけはしたくなかった。
棗は何のためらいもなく人の家を自分のものにし、その家の住人を消すことのできる人間なのだ。
信用できなかった。
同じ人間とは思いたくなかった。
「うちに何か用?」
突然背後から声をかけられて、ぼくは心臓が口から飛び出しそうになる。
「なんだ君か。加藤くんだっけ」
少年がそこにいた。
「棗って表札になってるけど、ついこの間までここはぼくの家だったんだ」
だってここは、宮沢理佳の家で……
理佳には確かふたつ年上の兄が……
「そういえば、君の顔には見覚えがあるよ。理佳の知り合いだっけ?」
加藤くんの妹さんは幸せだね、加藤くんみたいな人がお兄ちゃんなんだから。生徒会室でいつか理佳はそう言った。
わたしの兄は、自己顕示欲のかたまりのような人なの、優秀で挫折を知らなくて、わたしが私立の小学校にも中学校にも受験に失敗したとき、楽しそうに笑ってた、いつもわたしのことを馬鹿にして、わたしが傷つくことを言ったりしたりするの。
夏でも冬服のセーラーに身を包んだ生徒会長の腕には、煙草の火を押し付けられたあとがあった。ジャージを履いた長い脚には何十針もの手術跡があった。
大嫌いな兄がいたはずだ。
それがこの男だったのだろうか。
「はじめまして、理佳の兄です」
うやうやしく、頭をさげるその姿には、揺るぎのない自信のようなものがあり、他人を小ばかにしているような感じでさえある。
これが、理佳が彼を嫌った最大の理由なのだろう。
いつもと同じように、重い鞄と足を引きずりながら玄関のドアを開けて、
「上がっていくかい?家族は今誰もいないけど、お茶くらいなら出すよ」
彼はそういって、ぼくを手招きした。
「理佳なら二ヶ月くらい前から行方不明だよ。父さんは一ヶ月くらい前かな、母さんは10日くらい前からいないんだ」
キッチンにはいつかのカレーの鍋がそのままあった。腐っているのか、刺激的な臭いが漂っていた。カサカサとゴギブリが動き回る音が、どこかから聞こえ、耳元で鳴っているような錯覚を覚える。
「たぶん、みんなぼくが消したんだと思う」
虫の音が途絶えた。
殺したっていうわけじゃないよ、と彼は笑った。
「馬鹿馬鹿しいと思うだろうけれど」
と、彼は前置きして、
「二ヶ月くらい前からぼくは夢を見た朝、その夢から何かひとつだけ持ち帰ってくることができるようになったんだ。だけどそのかわり、夢を見ないと大事なものがなくなるようになった」
信じられないだろう? ぼくも信じられなかった、彼はそう言って、煙草に火をつけた。
「それで父さんも母さんも理佳もいなくなった。
この家もぼくのものじゃなくなった。
2,3日、ぼくはこの家に入ることさえできなかった。
だけど、あの日、たてこもり事件が終わった日、この家の扉を誰かが開けてくれた。
ぼくの家じゃなくなってしまったけれど、ぼくはこの家にもう一度住み始めた」
やはり彼も、契約者だったのだ。
「煙草を覚えたのは、中学のときだった。
あいつらがいなくなってから、とても心が穏やかで、ぼくは何時間でもこの煙を眺めていられるようになった。
でも穏やかだけれど、晴れやかじゃない」
理佳を消したのはぼくではなく、その家族を消したのも棗ではなかったのだ。
「あ、もう行かなくちゃ」
ただ、彼はぼくとは違う気がした。
どちらかといえば、棗に近い、ドリーワンを楽しんでいるような感じがした。
「世界がね、ぼくを待ってるんだ」
そう言うと、彼はぼくの目の前で、意識を失った。
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