第4話
妹が帰ってきた。
今日は階段をのぼる足音に元気がない。
そういえば今朝も元気がなかった。
目覚まし時計を一度で止めて、ドアが開いて閉じた後、足をひきずるように階段を降りていった。
それきり音も声も聞こえなかった。
ぼくは時計を見た。
ぼくの部屋には時計がなかったから、時間を確認するときはいつも携帯電話の待ち受け画面だ。
240ピクセル×320ピクセルの小さな液晶に、写メの中の妹が泣いているようにも怒っているようにも見える作り笑顔をしているはずだった。
ひきこもりはじめたばかりの頃、ぼくは妹さえも拒絶してこの部屋にたてこもった。
ドアの向こうからぼくを説得する妹に汚い言葉を浴びせ掛けたりもした。
ぼくをこの部屋から出すことを最初に諦めたのは父で、その次が母だった。
妹もそれ以来ドアの向こうからぼくに声をかけることはなくなった。
その代わりに携帯にメールを送ってくるようになった。
受信拒否をするとすぐにメールアドレスを変更してまたメールを送ってきた。
50件まで登録できる拒否リストはすぐにいっぱいになり、ついにぼくはメールを受け入れることにした。
内容はやはりぼくを説得するようなものばかりで、ぼくは返事を返さなかった。すぐ読むことさえしなくなった。
しかしメールは毎日届き、しかもそのメールはドアの向こうからいつも発信されていた。
いつもピ、ポ、パというボタンのプッシュ音が聞こえていた。その音がとても耳障りだった。
> プッシュ音消せよ
とうとうぼくは返事を返してしまった。
すると今度は携帯のカメラのシャッター音がした。
> やっと、お返事くれたね
そこには妹の写真が添付されていた。
ご褒美、らしい。
ドアを開ければすぐそこに妹がいる。
会いたい。
だけどぼくにはドアを開けて妹に会う勇気がなかった。
だからぼくはその写真を待ちうけ画像にすることにした。
その日からドアを一枚隔てて、ぼくたちのメール交換がはじまった。
時刻は午後4時13分。
待ちうけ画像は妹ではなく、auのロゴに変わっていた。
【妹の写真】は携帯のどこにもなかった。
妹は日記のような文章を毎日のようにぼくに書いて寄越した。
ぼくはその日記にコメントをつけるような感覚で返事を返した。
魔法使いの女の子に誘われてはじめたミクシィと違って、それはとても居心地がよかった。
> お兄ちゃんも今日何してたか教えてよ
> ゲームしてた。すぐやめちゃったけど。
> どうして?
> この部屋にあるのは全部もう何回もクリアしたから。
> じゃぁ、今度何か買ってきてあげようか?
> 何がいい?
そしてその翌日、妹はぼくが頼んだゲームを持って帰ってきた。
その日はじめて、ぼくは妹を部屋に招きいれた。
ぼくは8人の主人公から選んだ盗賊にぼくの名前を入れ、妹は「ぼく」が奴隷商人から助けた遊牧民の女の子を自分にすると言った。仲間の名前は変えられなかったけれど。
ぼくたちは主人公を変えては何度も冒険の旅に出かけた。そしてその度に違う物語を紡いで、最後には世界を救った。
強力な武器と防具と引き換えに妹を死神の生贄に捧げようとして本気で怒られたこともあった。
楽しかった。
今日ぼくは、妹が帰ってくるまでの間、ひさしぶりにプレイステーション2の電源を入れて、妹には内緒で冒険の旅に出かけることにした。
あのとき買ってきてもらったゲームが部屋にない。
箱も説明書も確かにぼくの部屋にある。
だけど、ディスクがない。
銃声が聞こえた。
例のたてこもり犯人だ。
第一報で元暴力団員と報じられた男は、実は拳銃やたてこもりとは無縁のはずの男で、マスコミが謝罪したのは数日前のことだ。
ただ、動機も、拳銃と二百発の銃弾や覚醒剤を手に入れた経緯もまだわからない。
彼はZIP-FMの熱心なリスナーらしく、人気番組への出演を希望した。
毎晩十分程度だけ外国人きどりのしゃべり方が鼻につくDJとの対談は人気コーナーになっていた。
男は対談の最後に曲を紹介し、番組側がその曲を用意できないと警官をひとり射殺した。
殉職者は八人に増えていた。
「さぁ今日も皆さんお待ちかねのこの時間。古戦場跡町でたてこもり中の佐野さんの登場です」
「……佐野、です」
「ねぇ、佐野さん、たてこもり事件、今日で何日目でした?」
佐野、というのがたてこもり犯の名前らしい。佐野友陽、という。ゆうよう、と読む。
「こないだ古戦場跡のアピタに行ったら『防弾チョッキ入荷しました』って。行列ができてましたよ」
「……」
「佐野さん、ラジオ出てるんだからもうちょっとトークしてくださいよ~」
「……」
「ねぇ、佐野さんさ、何でこんなことやっちゃったの?」
番組と佐野は携帯電話で繋がっている。
この番組の元々のリスナーは佐野が登場した時点でラジオを切り、その代わりに佐野の熱心なファンだけがヘッドフォンに耳をすます。
逃げられないように両手足を撃ち抜かれた人質の元妻のうめき声が聞こえる、とネットでは評判だ。
佐野は黙ったまま何も喋ろうとしない。
元妻のうめき声を聞かせたいんじゃないか、という説も出るほど、彼はいつも寡黙だ。
沈黙を埋めるためにDJが喋る。
「そ、それじゃ、曲、行こうかな。1999年7の月、恐怖の大王が空から降りてくる代わりに名古屋市内で起きた少女ギロチン殺人事件を覚えているかい? 不幸にもメンバー全員があの事件の犠牲になったインディーズバンド・バストトップとアンダーの代表曲、きぐるみピエロ」
しかし、不幸なインディーズバンドも前奏だけで終わってしまった。
佐野が喋りはじめたからだ。
「拳銃はあの朝、目を覚ましたら握ってたんだ。
前の夜にもそんなものはなかった。確かに、なかった、はず、なんだ。
テレビじゃ元暴力団員だなんて言われてるけど、俺は普通のサラリーマンで、前科もない。
ただ夢を見たんだ。
拳銃がでてくる夢だった。
何とか警察24時、みたいな番組を見たせいだと思う。
何ヵ月か前から、似たようなことが何度もあって、覚醒剤や銃弾もそうやって手に入れてしまった。
神の水、も手に入れた。
目を覚ましたら自転車に乗ったまま転んだみたいに寝ていたこともあった」
ぼくの隣で宿題を片付けている妹が、よく聞いておいたほうがいいよ、と笑って言った。
「何度も捨てようと思った。
だけどその度に捨て犬みたいに戻ってくるんだ。
捨てられないんだ」
DJは笑いを堪えている。
「夢に見たものが朝になると手元にいつもあるんだ。
医者に診てもらったよ。
でも相手にしてもらえなかった。
それだけじゃない。
夢を見なかった朝には大切なものがなくなってるんだ。
人質のこの女も、俺が撃ったふたりの息子と娘も、俺から離れていきやがった。
それはきまって夢を見なかった朝だった」
この男は、ぼくと同じだ。
「大切なものは次々となくなって、がらくたばかりが増えていくんだ」
きぐるみピエロがかかる。
この曲は佐野のリクエストなのだろうか。
「ありがとう。今夜はとても気分がいい。また警官がひとり死ぬよ」
またひとり射殺された。
「お兄ちゃんだけじゃないみたいだね」
妹が笑ってる。
ポン刀かついで バスを乗り継ぎ
ピエロは大学 たどりついたなら
刀を抜いて 教授を人質
マイク片手に スピーチはじめた
囚人服を着てください
ガスマスクをかぶってください
肉じゅばんを着てください
チャイナドレス着させてください
アニメのコスプレ 問答無用
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
銃をかかえて 電車を乗り継ぎ
ピエロは大学 たどりついたなら
はじまったばかり 大学祭の
銃に弾込め 乱射をはじめた
囚人服を見つけ出し
ガスマスクを探し出す
肉じゅばんを撃ち殺し
チャイナドレスを引き裂いたなら
アニメのコスプレ 問答無用
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
きぐるみだ きぐるみだ きぐるみを着ろ
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