第5話 紛れ込む異能。

「ど、どう思う? あ、あのことだけど……」

『颯太くんとのことかい?』

「……うん」 


 月曜日の夜。ベッドの上に転がりながら、あたしは久しぶりに通話していた。相手は上喜多悠翔。颯太の親友であり、あたしの数少ない男友達でもある完璧超人だ。


『それにしても意外だねぇ。こういう話は女性同士でするものだと思っていたんだけど』

「普通はね……でも相手が相手だし」

『確かに、彼は女子との関わりが少ないみたいだからねぇ。情報を一番多く持っているのは僕だという君の判断は正しいだろう。もっとも、幼馴染である瑞季くんの方が遥かに――』

「あー、それはそう、そうなんだけどっ! 今は客観的な意見が聞きたいの!」

『分かっているよ。まったく、君といい彼といい、揶揄からかい甲斐があるものだからねぇ』

「このサディストめ……」


 何でこんなヤツに相談なんてと我ながら思うのだが、この男の天才ぶりは恋愛でも認めざるを得なかった。彼は自分の恋には興味がないくせに他人の恋愛話は大好物で、特にあたしの恋バナとなると、まるで修学旅行の夜の女子部屋みたいなテンションで何度もしつこく聞いてくるのだ。そんな彼のアドバイスは毎回的確で少ししゃくさわるけれど、だからこそこうして頼りにしているわけで。


『じゃあ早速、単刀直入に聞こうか。瑞季くんはまだ彼のことが好きなんだろう?』

「それは……」


 激しく渦巻いているこの感情が、たった二文字で表されてしまう。それはあまりに強引で、同時に明快な答えだった。


「そう、だよ……。あたし……アイツのこと、まだ好きだよ……」

『ならば君は、いったい何を迷っているんだい?』

「だって……今更じゃん。もう全部終わって、あたしはただの幼馴染でしかなくて、彼女は……なのに……っ」

『そう片付いたはずだった、と』


 終わった恋のはずだった。小学一年生で同じクラスになったその時からずっと続いてきて、十年間も引きずって。結局告白さえも出来なくて、そんな時に彼女が――絢奈ちゃんが現れて。

 相手があまりに強すぎた。分かってる。同じ女のあたしでさえ心惹かれてしまうあの笑顔を向けられれば、恋に落ちない男なんていないはずがないって。彼女はどこまでも天真爛漫で、幼子おさなごのように純粋無垢で。だから諦めようと思った。告白して振られて遠くなってしまうくらいなら、あたしは幼馴染としてずっと傍にいたい。辛い選択かもしれないけど、それで良いじゃんって。なのに……!


「何もかも、全部元に戻っちゃった……。記憶喪失だなんて、そんなこと急に言われても……っ」

『折角整理した心の中が――』

「ぐちゃぐちゃだよっ、もう……」


 小学校の修学旅行で颯太に貰ったボロボロのぬいぐるみを抱き締めながら、あたしは泣きそうになっていた。この一か月、何とか折り合いをつけたつもりだった。絢奈ちゃんだって、あたしの大事な後輩なのだ。略奪愛なんてしたくもなかったし、それが出来るとも思えなかった。だから、日に日に仲良くなっていく二人の姿を見て、自分をどうにか納得させてきたつもりだったのに。


『それで、何を迷っているんだい?』

「……どういうこと?」

『絶好のチャンスじゃないか。颯太くんは絢奈くんとの記憶を全て失ったけれど、君との記憶は残ったままだ。今なら彼と付き合うことだって夢じゃないんだよ?』

「でも……」

『横から入ってきたのはむしろ絢奈くんの方だと思うがねぇ。いったい何をそんなに遠慮することがあるんだい?』

「遠慮してるとかじゃなくて……だって、絢奈ちゃんだって大切な後輩だから……」

『それはそれ、これはこれだ。君も知っている通り、恋というのは戦争なんだよ? 手段を選んでいる場合じゃない。現に相手はそうして、君という幼馴染がいるのを分かった上で付き合っているんだからねぇ』


 確かにその通りだ。あたしというものがありながらと、そう思ったことは一度や二度ではない。


『もし本気で颯太くんに恋しているのなら、瑞季くんも覚悟を決めることだ。絢奈くんは手強いが、君の魅力も決して引けを取らないだろうと僕は思うよ』

「上喜多……」

『自分に自信を持つことだ。いつも通りの君がぐいぐいアタックをかければ、絢奈くんだって敵ではないさ』


 ありがとうと言って、あたしは通話を切った。

 ベランダに出て夜風に当たっているうちに、たかぶった感情が落ち着いてゆく。


「いつも通り、か……そんなの分かんないよ……」


 上喜多のおかげで、自分の腰がいかに引けていたのか分かった。覚悟がまだ全然足りていないことも実感した。でも、やっぱり自信なんてそう簡単につくものじゃなくて。 

 怖い。怖いんだ。十年も続けてきたこの恋が、この日常が終わってしまうのが、どうしようもなく怖いのだ。

 確かにあたしには、ある程度の魅力はあるのかもしれない。幸い友達は多いし、容姿や成績、運動もそこそこだと自分でも思ってはいる。けれど、決定打がないのだ。あの可愛くて元気な後輩のような、天高く突き抜けるような純真さのような――。


なんじ、自信を欲するか〉


 それは……欲しい。


〈佐上颯太とともに在りたいか〉


 そうだ。あたしは颯太と一緒にいたい。颯太の隣にいたい。そして出来ることなら颯太と付き合って、デートとか、きっ、キスとか、そしてゆくゆくは結婚とか――っ。


 頭の中に突然するりと入ってきた、中性的でしわがれた声。その不気味な声の問うがまま、秘めていた本心を無意識のうちに吐露とろしてしまったその時。は現れた。


〈ならば我らが、汝に力を授けよう。仮初かりそめの夢を破る力を〉


 人のような形をした、黒い霧のような。あたしが立っているベランダのすぐ目の前の真っ暗な空中に、はじっと浮かんでいた。まるであたしの心の奥底を見透かしているかのように。

 闇より暗く禍々まがまがしいオーラを放ち、文字通り空間さえも歪めているらしいは、お化けとか幽霊とか、その程度の次元の存在ではない。はこの世界に在ってはならないモノだ――人としてのあたしの本能がそう叫んでいる。


「な、何なのよ…………ひぃっ――!?」


 ここから逃げなきゃ。あのヤバいから、とにかく逃げなきゃ――そう考えた途端に身体が金縛りのようになって、心臓も肺も、指の先さえも全く動かなくなった。脳に血が上らない。思考がまとまらない。息が出来なくなり、視界が霞んでゆく。


〈汝の恋は終わっておらぬ〉

〈遠慮など要らぬ〉

〈恋は戦争〉

〈手段は問わぬ〉

〈今こそ絶好の機〉

〈全ての元凶はなり〉


「ちが、う……そんな、ことは……」


 何かがおかしいような気がした。でも、その違和感はまとまる前にほどけてしまい、たちまちのうちに流れ去っていってしまう。


〈佐上絢奈が、汝の恋を妨げた〉

〈佐上絢奈が、汝の自信を奪った〉

〈佐上絢奈が、汝の好いた男を奪った〉


「あ、あぁ、あ………………」


 眼前の風景がぐにゃりと歪み、世界が暗転する。

 あたしの意識が途絶するその直前、まばゆいばかりの光が夜空を覆い尽くした――そんな気がした。

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