09 がーるず・でぃさぽいんてっど…

「な、な、な、何よそれっ! 何なのよ、それっ! ワタクシの周囲をイケメンだらけにするんじゃなくって……ワタクシにだけ、女がイケメンに見えるようにするって……。それじゃ意味ないのよっ! そんなのだったら、男装の方がまだましだったわよっ!」

『そうかのー? おぬしの目には確かにイケメンに見えとるのじゃから、本物のイケメンと変わらんのではないかー? さっきおぬしじゃって、見えているものが真実じゃと、言っておったじゃろー?』

「ち、違うわよっ! 全然違うわよっ! こんなの、何の意味もないのよっ! 本当のイケメンじゃなくって、ワタクシにしか見えないイケメンって……それじゃあ、ワタクシが妄想見てるのと変わらないじゃないのよっ!」

 そこで百花は何かを思い出して、顔を真っ青にする。そして、すぐにその青を、今度は真っ赤に染めた。

「じゃ、じゃ、じゃあ……さっきのワタクシは、俺様風イケメンの息子イケメンを見ようとしてたつもりだったのに……実際には、更衣室で着替えてるクラスメイトの女子の股間を、ガン見してたってことじゃないのっ⁉ そんなの、ただの変態じゃないのよっ!」

『イケメンの股間をガン見するのも、十分変態じゃぞー?』

「ああ、もうーっ! どうするのよっ⁉ このワタクシが、女の股を見つめる変態女だとか思われちゃったらっ⁉ これからのワタクシの学園生活が、台無しじゃないのっ!」

『これまでも、イケメン狂いの残念お嬢様とか思われとったようじゃし、大して変わらんと思うぞー?』

「バッカじゃないのっ⁉ いいえ、もう完全にバカだわっ! こんなの、バカらしくてやってられないわよっ!」

 百花は、頭の中のアシュタを痛めつけるように、両手でポカポカと自分の頭を殴り始める。

「こんなの、許せるわけないでしょっ! 戻しなさいっ! 早く、もとに戻しなさいよっ!」

『んー? しかし、良いのかのー? わしが魔法を解いてしまったら、おぬしはまた、男から隔離された生活へ逆戻りじゃぞー?』

「いいのよっ! いいにきまってるでしょっ! こんな状態に比べたら、前の方がずっとマシよっ! いいから早く魔法を解きなさいよっ! 今、すぐにっ!」


 一人で自分の頭を殴り続ける百花。

 当然、そんなことをしても悪魔のアシュタは全く痛くない。

 むしろ、そんなことをしている百花の姿を他の人間に見られてしまったら、「イケメン狂い」、「同性のクラスメイトの股間をガン見」に続く、彼女の新たな残念伝説を作ってしまいそうだったが……。幸いにして、今のところそのトイレに誰かやってくる気配はなかった。


 しかし、今の百花にとって「幸い」だったことと言えば、それぐらいだった。アシュタは彼女に、あっさりと言った。

『まあ……どっちにしろそれは、無理な相談なのじゃー』

「はあぁーっ⁉」

『実は、一度かけてしまった魔法というのは、そうやすやすと解くことは出来んものなのじゃー。悪魔には、破ってはいけないおきてみたいなものがあってのー。こればかりは、わしでもどうにもならん。さっき言ったじゃろー? 契約には、いくつか条件がある、となー。これは、そのうちの一つなのじゃー』

「じゃ、じゃあ……ワタクシは、一生このままなの……? 一生、女がイケメンに見える状態で、生きていかなくちゃいけないっていう……」

 にひひー、と百花をバカにするように笑っているアシュタ。百花は整った眉を、怒りとショックと悲しみの混ざった感情とともにヒクつかせている。

「な、なんなのよ、その生殺し……。目ではイケメンが見えているのに、それは本当じゃなくって幻で……実際には、ただの女でしかなくって……。そ、そんなの、嫌よ……。嫌過ぎるわ……。そんなふうになるくらいなら、いっそ……」

 そこで彼女はおもむろに床から立ち上がり、フラフラとトイレの窓の方へ向かった。そして、その窓に手をかけて、外に身を乗り出そうとした。

「もう、死ぬことにしますわ……。ワタクシ千本木百花は、重度のイケメン欠乏症によるイケメン不足が原因で生きる希望をなくしたので、現世に別れを告げることにしますわ……」

『こらこら』

 窓枠に足をかけようとして、何度か失敗してずり落ちている百花。それでもめげずに、窓から身投げをしようとし続ける。

 しかもその間、ぶつぶつと何かをつぶやいていた。

「ああ、お母様……。親不孝な娘をお許しください。こんな悲しい結末を迎えてしまったことは、お母様のせいではありません。誰よりもイケメンを愛しすぎてしまった、ワタクシの愛の重さのせいです。貴女が罪の意識を感じる必要は、一切ありません。ですが……もしも先立つワタクシに何か弔いをしていただけるのでしたら……どうかワタクシのお墓には、百人のイケメンを生きたまま一緒に埋葬してくださいませ……」

『死ぬときまで、残念なやつじゃのー』

「それから神様……。あなたはとてもひどいお方です。ワタクシは、毎晩欠かさずあなたにお祈りを捧げていたというのに……そんなワタクシの純粋な願いを叶えずに、代わりに、こんな役立たずの露出狂悪魔をよこすなんて……」

『おぬしの欲望まみれの願いは、どう考えても、神よりも悪魔向きの案件だと思うのじゃがのー?』

「おかげで人類は、ワタクシという完璧な美を持った人間を失ってしまうことになりました。この大損失は、今後数百年かけても取り戻すことは出来ないでしょう。ワタクシを失った人類は、やがて悲しみのために神様への信仰心を失い、暴徒と化して……」

『まあ、とりあえず……死ぬのはちょっと待つのじゃー』

「あと、この貧乳悪魔には、どうか死よりも辛い罰を与えて下さい……」

『待て、と言うとるのにー』

「末代まで、こいつの家系には貧乳しか生まれないようにして下さい。貧乳を通り越して、いっそ胸が凹むくらいの呪いを……」

『……わしの魔法を解く方法、ないわけではないのじゃぞー?』

 その言葉を聞いた瞬間、ビクっと体を震わせる百花。その拍子に、身を乗り上げていた窓枠から落ちてしまい、トイレの床に尻もちをついてしまった。しかし、そんなことお構いなしで、彼女は叫ぶ。

「マ、マジですのっ⁉」

『じゃからさっき、魔法は「やすやすとは解けない」といったじゃろー? 「やすやす」ではないのじゃが……一応、一度かけた魔法が解ける条件も、あるにはあるのじゃー』

「何っ⁉ 何なのそれっ! 教えなさいっ!」

 今度は頭を両手でガシッと掴んで、まるで誰かの体を揺さぶるように、自分の頭を振る百花。もちろん、そんな行為もアシュタには何の影響もない。ただ単に、自分の目が回ってしまうだけだ。しかし、彼女はその行動を繰り返し続けた。

「早く! 早く、教えなさいよっ!」

『そう慌てるでない。ちゃんと教えてやるから……』

「もうっ! 早く教えなさいってばっ! この、バカみたいな呪いを解く方法をっ! ワタクシの目が、正常になる方法を! 早くっ! 早くっ! 早くっ!」

『おぬしにかかった魔法を解く方法……すなわち、悪魔とかわした契約を無効にする方法……それはなー……』

「そ、それはっ⁉」

 トイレの床に座り込み、自分で自分の頭をぐしゃぐしゃにかき乱しているという、間抜けな恰好の百花。しかし、本人は真面目そのものだ。必死の形相で、アシュタの次の言葉を待った。

『それは……伝承として人間たちが語り継ぐほどに遥かいにしえより続いている、とてもシンプルな方法……。しかしそのシンプルさ故に、とても強力で……』

「だからそれは、何なのよっ⁉」

『それは……』

「そ、それは……」

『それはぁ……』

「だから、それは何っ⁉」

 充分に間をとって百花をじらしてから、アシュタはようやく続きの言葉を言った。


『それは、「真実の愛」じゃー!』

「…………は?」

 その言葉をすぐには理解できなかった百花は、目を点にする。


『真実の愛。つまり、TrueチュルーLoveラブじゃ。おぬしが誰かを心の底から愛し、その誰かもおぬしのことを心の底から愛してくれる……そんな真実の愛の力は、悪魔の魔力など軽く凌駕する。おぬしがそんな愛を見つけることが出来たならば、きっとわしと結んだ契約もたちどころに無効化され、おぬしは前と同じように……』

「ちょ……ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って……」

『のじゃー?』

「あ、貴女……ワタクシに、この状況で真実の愛を見つけろと言うの?」

『そうじゃよー』

「ワ、ワタクシが、イケメン大好きなことを、知ってるわよね……?」

『うむ。うんざりするぐらい知っとるぞー』

「そして、今のワタクシの周りには女しかいないことも……その女たちが、全てイケメンに見えてしまっていることも……知ってるわよね?」

『まあ、半分はわしがやったことじゃしなー』

「こ、こんな状況で、誰かを好きになって……誰かに好きになってもらえって……そう言ってるの?」

 アシュタは百花の頭の中で、可愛らしく首をかしげる。

『のじゃー? 何か、問題でもあったかのー?』

「も、問題って……」

『おぬしはイケメンしか愛せない……。じゃがしかし、今おぬしの周りにいるのは、「おぬしにはイケメンにしか見えない」者ばかりなんじゃぞー? つまり……おぬしはもう、「自分が誰かを心から愛する」という条件の方は、クリアしたも同然なわけじゃ。あとは、その中からおぬしのことを愛してくれる者を見つけてキスの一つもかましてやれば、それだけで、めでたくわしの魔法は解除されて……』

「だからそれは、イケメンに見えるだけで、女なんでしょーがっ⁉ 何でワタクシが、女を愛して、女に愛されなきゃいけないのよっ!」

『んー? おぬしが何を気にしているのか、わしにはまったく分からんのじゃがー……』

 アシュタは、明らかに百花をバカにするような口調で言う。

『あ、あれじゃぞー? 神じゃったら怒るのかもしれんが……安心せい。わしは悪魔じゃ! ケチ臭く、同性愛を罪だとか言ったりはせんぞー?』

「そっちが良くても、こっちが良くないのよっ! 女を愛すなんて、あり得ないからっ! 無理よ、無理っ! 無理に決まってるでしょっ!」

『まあ、とにかく……真実の愛目指して、頑張るといいのじゃー!』

「頑張らないわよっ! 勝手に決めるんじゃないわよっ! バカ! 鬼! 悪魔! 貧乳悪魔! もう、最悪よーっ!」


 またしても、そんな悲痛な叫び声をあげる百花。だが、その声は部活動にいそしむ者たちの掛け声にかき消され、誰にも届くことはないのだった。

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