04 がーるず・えんちゃんてっど!

「お嬢様……。お嬢様……」

 百花を呼ぶ声が聞こえる。

 天蓋付きの可愛らしいベッドで眠る彼女の体を、誰かが揺すっている。


「ぐぅー……ぐぅー……」

「お嬢様……。お目覚め下さい。お嬢様……」

「んん……むにゃむにゃ……イケメンが、食べたいよぉ……」

「お嬢様、どうか起きてください……。その、愚鈍で稚拙な頭脳を覚醒して、また、人生の新たな汚点となる一日をお迎えくださいませ、お嬢様」

「……あ?」

「だらけ切った哀れな寝顔を晒すことで、容姿にコンプレックスを持つ世界中の人間に勇気を与えるのは、どうかそこまでにして下さいませ、お嬢様」

「ちょ、ちょっと……」

「ご自分の身を削り、売れない若手芸人のように変顔へんがおで安易な笑いを取ろうとするのは……」

「う、うるさいわよーっ!」

 そこでようやく、百花はベッドから跳ね起きた。

「あ、天乃、貴女ねっ! いつもいつもそうやって、ワタクシのことを侮辱するようなことを言って、自分の立場というものをわきまえなさい! 貴女なんて、ワタクシに仕えるただのメイドに過ぎないのだから……」


 この家では、毎朝百花を起こすのは、メイドの天乃の仕事だ。そして、百花に対して全くリスペクトがない彼女が、眠っている百花に悪口を言ったりやりたい放題するのは、ある意味で当然のことだった。

 だから今日も、いつも通りのメイドの悪ふざけが行われていた……と、百花は思っていた。しかし……、

「って……? あ、天乃じゃ……ない?」

「はい?」

「あ、貴女……いえ、貴方は……誰? っていうか……」


 目の前にいた従者は、ハーフリムのシャープなメガネの奥から、切れ長の瞳で百花を見下す。

「お嬢様の知能は、幼稚園児並みになってしまわれたのですか? どうかご冗談は、顔と体と頭脳と、ふざけた性格だけにして下さいませんか? いくら寝ぼけているとはいえ、そのような意味不明なことを言われても困りますよ?」

 顔と体と頭脳と性格って、それ全部が冗談ってことじゃないっ! ……と、いつもの百花ならば言っていただろう。

 だが、今の彼女には、そんな余裕はなかった。


 目の前の光景が信じられず、まだ夢の続きでも見ているのではないかと、頬をつねる。ちゃんと痛みは感じる。

 そして、本当に目の前の「これ」が、紛れもない現実であることを認識して、彼女は体をプルプルと震わせ始めた。

「い、い、い、い……」

 次第に、彼女の表情が緩んでいく。

「い、い…………イ……」

「イ?」


 そして彼女は、起き抜けとは思えないくらいのありったけの声量で、叫んだ。

「イ、イケメンだわぁぁぁぁぁーーーーーーっ!」

「はあ……?」

 無表情だが精悍な顔立ちのその従者は、いつものように呆れかえって、小さく首を振りながらつぶやいた。

「お嬢様の知能は、どうやら既に幼稚園児以下のようですね……」



 しかし……。

 その朝だけに関して言えば、百花のその奇行を責めるのは筋違いだった。なぜならそのとき百花が見ていた世界の景色は、文字通り、昨日とは一変していたのだから。

 彼女を起こしにやってきた従者は、昨日までのメイドの天乃ではなく、――少なくとも百花にとっては――「クールなイケメン執事」になっていたのだから。



 百花は、久しぶりに見たイケメンの姿に興奮を抑えることが出来ず、彼に体当たりするように抱きついた。間近で見るその顔は肌が陶器のように滑らかで、本当に文句の付け所のないくらいに完璧な、イケメンだった。

「あ、貴方、お名前は何て言うのっ⁉ どうしてここに……っていうか、もしかして今日から執事としてワタクシに仕えてくれたりするのかしらっ⁉」

「おやおや、天乃という私の名前さえ忘れてしまうとは……。鳥頭とりあたまもここまで来ると、天然記念物として国が保存すべきですね」

「ああっ、じゃあ天乃の親戚かなにかなのね⁉ そう言えば、どことなくあの娘の面影がある気がするわ! でも、貴方の方がずっと素敵よっ!」

「相変わらず、何をおっしゃっているのか全く意味が分かりませんが……お嬢様、どうかそんなにくっつかないでいただけませんか? 気色悪いですよ?」

「あ、ああん……執事のくせに、ワタクシにそんな毒舌を吐くなんて……嫌いじゃない! 嫌いじゃないわ! いいのよ! もっと、もっと言ってちょうだいっ!」

「……今日のお嬢様は、いつにも増してヤバいですね? 今日は学園はお休みして、病院に行かれた方が良いのではないでしょうか?」

「は、はうぅぅ…………いいわぁ……いいわぁ。朝っぱらから、こんな高カロリーの毒舌イケメン成分を享受できるなんて……ご、ご褒美ですわぁぁ……」

「これはこれは……。男性から引き離した期間が長すぎて、とうとう禁断症状が現れましたかね……」



 そこで更に百花の部屋に、初々しい様子の使用人が入ってきた。

「し、失礼いたします」

「何よ、こんなときに⁉ ワタクシたち今、すごくいいところなのよっ⁉ これからこちらの毒舌執事が、本格的にワタクシに毒舌プレイを始めてくれるところなんだから、邪魔しないでちょうだい……って、ちょっ⁉」

 言いかけて、百花は絶句する。


 そのとき部屋に入ってきた「彼」もまた、幼さを残しながらも容姿が整った、百花好みの美少年だったのだ。

「もおーうっ! なんなのなんなのーっ⁉ 毒舌イケメン執事が消化できてないうちから、次は趣向を変えてショタイケメン使用人とか! ワタクシは、イケメンのチャレンジメニューに挑戦中ですのっ⁉」

「え……? ボクはただ、お嬢様のお着替えをお手伝いさせていただきに来ただけで……」

「まあ……! 着替え、ですって……」

 「彼」の言葉に、百花は頬をポッと赤くする。

「で、ではお嬢様、こちらの鏡の前におこしいただけますか? 寝間着の方を、ボクが脱がさせていただいて……あ、あれ? お嬢様?」

「つまり貴方が……ワタクシを脱がしたい……と? そ、そう言うことよね?」

 その「美少年」を上から下までなめ回すように見ながら、ゆっくりと近づいてくる百花。「彼」は、何か自分が間違えてしまったのかと思い、その場に硬直している。

「は、はい……。本日から、ボクがお着換えの担当になりましたので、前担当の引き継ぎ通りにしているつもりなのですが……。え、えと……お嬢様に学園の制服を着ていただくためには、まずは、その寝間着を脱いでいただかなくては……ですよね?」

「まったく、この子ったらっ! 純朴そうな顔して、随分と積極的じゃないのっ! こんな朝っぱらからワタクシを脱がして、いったい何をするつもりなのかしら⁉」

「は? だから、着替えをするだけだと、さっきから……」

「でも、若さゆえのそんなむき出しの欲望も、美少年ならば許されるっ! いいでしょう、気に入ったわ! さあ、貴方の中の野獣を解放して、ワタクシのことを滅茶苦茶にして見せなさいっ!」

「い、いえ……。滅茶苦茶ではなく、ちゃんと整えますので……」

「やれやれ……」

 訳の分からないことを言い続ける百花に、戸惑っている「少年」。その様子を見ていた天乃は、完全に呆れていた。


「このお嬢様はついに、妄想と現実の区別もつかなくなってしまったのでしょうか? こんな状態で学園に連れて行って、また、千本木家の名に泥を塗るような『やらかし』をしなければよいのですが……」



 しかし、「イケメン執事」の天乃のそんな願いは、千本木百花という世界有数の残念お嬢様の前では、何の意味も持たないのだった。

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