学校一の美少女が裏では清楚系バーチャルアイドルをやっていた件

くろの

プロローグ 

「ただいまー……はぁ、今日も疲れた……」


 家に着くなり、俺はおっさんみたいなため息を漏らす。

 今日のバイトは年に一度あるかないかってレベルで死ぬほど忙しかった。完全にエネルギーを使い果たしてしまったようで、さっきから頭がぼーっとする。

 無事家に着いたのが奇跡だ。


 そんな状態だから、俺はすっかり忘れてしまっていた。

 ――家主を横目にリビングで寛ぐ少女の存在を。


「ちょっと、そんな辛気臭い声出さないでよ。こっちはやっとの思いで一週間分の仕事を片付けたばっかりだってのに。気が滅入るじゃん」

 

 少女はソファの上でうつ伏せに寝転がっていた。

 長く綺麗な亜麻色の髪が汗に濡れ、しっとりとした色気を放っている。

 それだけでも十分破壊力があるというのに、彼女は肩が剥き出しのシャツにホットパンツというあまりに無防備な格好をしており、彼女がふらふらと足を上下に動かす度、純白の太ももに視線が釘付けになる。

 そんな格好普通の女の子でも目のやり場に困るというのに、彼女は切れ長の大きな目をしたアイドルみたいな美少女さんだ。意識するなという方が無理な話だろう。


「ちょっ、天ヶ原っ⁉ そういう格好で家の中をうろつくなっていつも言ってんだろ!」


「暑いんだから仕方ないじゃん? あんたの方が見ないようにしてよ」


「ここは俺の家なんだが?」


「今は『私たち』の家でしょ?」


「くっ……居候のくせに……」


 正論っぽく言われたが、どうも釈然としない。

 だが、俺にはどうしても彼女に対して強く言えない致命的過ぎる理由があった。


「ふーん。居候とか言っちゃうんだ? ……ねぇ、そういえば今日金曜日だよね。そういうこと言うなら……『例のあれ』、やらなくていっか? なにせ私は家の中でラフな格好をすることも許されない居候、なんだし。契約も守らなくてもいいよね?」


「……ごめんなさい言い過ぎました許してください。……だから、その、あれを無しにするのは――」


 弱みを突かれた俺が早々に撤退の姿勢を見せると、彼女はニヤリと満面の笑みを浮かべて、


「言質取った♪ それじゃ、私は先に行って待ってるから……早く来てね、『ムーンさん』」

 

 去り際、彼女は耳元でそう囁くと、足取りも軽くリビングを出て行く。

 俺も彼女の後を追うように二階に上がり、自分の部屋に入るとパソコンを起動する。

 同時に、多機能チャットアプリ【Discoad】に一件の通知が入る。そこに載せられたURLをクリックすると、Youtubeの配信画面が表示される。


「こんばんは、ムーンさん。……それじゃあ今週も、ヨゾラと二人っきりの時間を始めよっか」


 黒髪ロングの両サイドだけを金髪に染めた二次元美少女が、画面の中で首を傾げ微笑む。

 彼女――『星海ヨゾラ』は俺が全身全霊を賭して推しているVtuberだ。

 VtuberというのはバーチャルYouTuberの略で、主にYouTube上で動画投稿やライブ配信をしている活動者を指す。

 ヨゾラのチャンネルアイコンに表示された登録者数は二十二万人。デビュー半年にしては相当な数字で、今最も勢いがあるVtuberの一人だ。

 だが、今行われている配信は、その中の誰も見ることは出来ない。

 ――たった一人、俺を除いては。

 

「今だけはムーンさんだけのヨゾラだから……いっぱい、お話ししようね?」

 

 吐息すら聞こえる距離での囁き声は、まるでヨゾラがすぐ傍いるみたいだ。


 これはURLを知らないと入れない限定公開の配信。二十二万のファンの内、今この瞬間、ヨゾラと話せるのは世界で俺一人だけ。

 そう、一週間の内金曜日の夕方だけ、ヨゾラは俺だけのヒロインとなるのだ。

 この全能感はいつになっても慣れない。

 大好きな推しに囁かれ、悶え死にそうなくらいに感情が高まり、俺は衝動的に机を殴る。右拳に結構な痛みが走るが、お構いなし。今は一秒たりとも無駄には出来ない。

 ――この時間を、脳に焼き付けなければ。


 それから俺たちは一時間、今週の彼女の配信の話や、俺がバイト先で経験したどうでもいいエピソードなんかの話をした。

 毎度のことだが、話し上手ではない俺とも楽しく話してくれるヨゾラの優しさに俺は深く感動していた。と、同時に、


(……ほんと、あの横暴な女と同一人物だなんて、未だに信じられないなぁ)


 今この瞬間話している天使と、人の話を聞きやしない悪魔とを比べて、複雑な気持ちになる。


(――少し、試してみるか?)


 思い付いたのはちょっとした悪戯。推しに対してやるには恐れ多いが、俺はどうしても気になってしまった。


「……なあ、ヨゾラはさ、人の厚意に助けられて日常生活が送れてるっていうのに、その相手に感謝するどころか横暴な態度を取ってくる女がいたら、どう思う?」


「――っ、えっとぉ……それはまあ、良くないと思う、けど……きっとその子の方にも事情があるんじゃないかな……」


 答えるヨゾラは普段通りを装おうとしているものの、どこか歯切れが悪い。


「バイトで疲れて帰って来た相手をあろうことかリビングから追い出そうとする理由か……そんなのあるんかね」


「――っ、そ、それは……例えば、誰かさんとの時間を作る為に必死で作業を終わらせた後だった、とか……?あ、その、これは違っ――」


 慌てた様子で言葉を切ると、それきりヨゾラの声は聞こえなくなった。

これまで豊かな表情を見せていた画面の中の彼女が、糸が切れた人形みたいに首がうなだれたまま静止する。

 代わりにイヤホンの外から、家中に響く激しい足音が聞こえて来て――、

 

「ちょっとあんた! さっきのあれ、どういうつもり⁉」


 ドカン、と大音を鳴らして俺の部屋のドアが蹴破られ、入って来たのは怒りに顔を歪めた亜麻色の髪の少女。


「あ、天ヶ原⁉ いやその、つい不満が漏れたというか……ていうか疲れてたのって俺の為、だったのか……?」


「~~っ! ああもう! 消す! あんたの記憶全部!」


 彼女は物騒なことを言いながら床にあるクッションを掴み、大上段に構えて俺に襲い掛かる。


「――がはっ」


 だが、クッションはただの囮だった。本命は惜しげもなく晒された長い足から繰り出される鋭い蹴り。

 椅子の上で、しかもクッションを防ぐべく構えていた俺は躱すことができずに腹に一発貰い、苦しさから地面にうずくまる。


「ふんっ、人の弱みに付け込んであんなことするからよ」


 涙目の奥にうっすらと見える彼女は腕を組み、まだ収まらぬ怒りを抱いて俺を見下していた。


(本当に、こんな奴とヨゾラが同一人物だなんて、信じられない……)


 そう、信じられないことに、さっきまで天使の如き優しさで話していた俺の推し『星海ヨゾラ』の中身は目の前の暴力女、『天ヶ原乙羽』である。

 詳細は省くが、『週に一回、一時間、ヨゾラとして俺と話す事』を条件に、彼女は一人暮らしをしていた俺の家に転がり込んできたのだ。


(ほんと、なんでこんなことになっちゃったんだろうなぁ……)


 天ヶ原の真っ白な長い足を憎々し気に見上げつつ、俺は全てが始まった日を思い出す。

 ……あれは、ちょうど三か月前。二年生の一学期が始まった始業式の日。

 

 ――その日から、天国と地獄を行き来する俺の奇妙な生活が始まったのだ。



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