魔王と子どもと兎

結城暁

第1話

「おまえはホントにお人好しだなあ、ロメーヌ」


 ロメーヌの隣で跳ねる兎は馬鹿にしたように言う。


「誰も敵わなかった魔王討伐にたった十四才のおまえを向かわせる奴らの言うコトなんかホイホイ聞いてよお。バッカだなあ」

「そんなにバカバカ言わないでよ」

「オレぁ一回しか言ってねえぞ」


 ロメーヌはわずかに肩を落として嘆息した。

 魔王討伐の旅について来てくれたのは兎のエミリアン一匹だけだったからありがたいと思っているのだが、減らない口のおかげで手放しでは感謝できないでいる。

 戦闘ではお荷物にしかならないし、普段も何ができる訳でもない。せいぜい話し相手になるくらいだった。それでも話し相手がいるというのはありがたいことだ。


「今からでも遅くねえ、バックレて遊びに行こうぜ。王サマ共からもらった金はたんまりあるんだろ?」

「どこに遊びに行くっていうのさ……」


 力なく微苦笑したロメーヌに兎は足を踏み鳴らした。小さい足の裏から意外なほど大きな音が鳴る。


「そんなもんキレーな姉ちゃんのいる酒場でもいいし、賭博場だっていいだろうが。お子ちゃまには早えだろうが構うもんか。それとも甘ェ菓子でも食べたいのか?」

「甘味かあ……いいね」


 最近は野宿ばかりで携帯食かさもなくば獲った魔獣の丸焼きばかりだったから、ロメーヌは素直に頷いた。

 ロメーヌのいた田舎では焼き芋や木の実が甘味とされているが、都会では砂糖をふんだんに使った、信じられないほど甘いお菓子が食されているらしい。


「じゃあ行こうぜ。あの生臭共がよく行く店なら美味い菓子もあるだろうよ」

「あはは、ダメだよ、エミリアン。ここから王都に戻るのなんて何か月もかかっちゃうじゃない」

「いいだろうが、別に」

「よくないよ」

「チィ、しけてんな」


 かわいらしい見た目を裏切って、辛辣な舌打ちをしてのけるエミリアンに眉を下げて、ロメーヌは腰のポーチを撫でた。

 餞別に王から下賜されたマジックポーチの中にはそれほど物は入っていない。エミリアンが言うような金もたんまりとはもらっていなかった。

 でもそれも仕方がないのだろう。当代の魔王は強い。出現してから今まで誰も倒せないでいる。

 そんな魔王討伐に出るロメーヌは死にに行くようなものだった。死んでしまう人間に大金を持たせても仕方がない。

 あと少しで魔王の現在地だ。ビリビリと肌に突き刺さる空気がロメーヌにそれを教えてくれる。エミリアンの毛皮もさっきから逆立っている。


「なァおい、マジで行くのか? 百パー死ぬぞ、おまえ」

「うん、そうなんだろうね。ただで死ぬ気はないけど……。僕が行かないとみんなが困るでしょ。このまま魔王に大地を壊され続けたら人間の生きて行く場所がなくなっちゃうよ」

「……別にいいだろ、人間なんざ滅びても」

「だめだよ。エミリアンは兎だから分からないかもしれないけど、僕は嫌だな。大切な人がいる世界が壊れちゃうのは……。うん、困る」

「おっ、なんだおまえ好きな奴がいんのか? 誰だよ。言ってみ。アドヴァイスしてやっからよぉ」


 らんらんと円らな目を光らせるエミリアンには悪いが、好きの種類が違う。


「僕のね、両親がいる世界がこれ以上壊されるのは嫌なんだ」

「――両親」


 ロメーヌは持たされた剣を鞘から引き抜いた。名工が鍛えたという聖剣。大きな赤い魔石がはめ込まれている。この魔石が魔王を打倒するのだという。


「おまえ、両親ことを覚えてんのか?」

「あんまり覚えてないよ。ただ名前を呼ばれて抱きしめてもらったなあ、くらい?」

「そうかい」


 おしゃべりなエミリアンには珍しく黙り込んでしまった。ロメーヌが孤児だととっくに知っているのに、何をそんなに深刻ぶているのだろうか。


「――親のために魔王とりあうってんなら、ますますその必要なんかねえじゃねえか。だっておまえの両親は――」

「生きてるよ」


 ロメーヌは力強く笑って、それから親指で胸を指す。


「僕の両親は立派な人たちなんだよ、エミリアン。だから僕は魔王と戦うんだ」


 全身に魔力を漲らせてロメーヌは足を踏み出す。大地が割れてロメーヌの足跡を刻んだ。

 ロメーヌが飛び出す寸前にエミリアンが服に齧りついて、離れてなるものかと引っ付いた。


「ロメーヌ! てめえこのバカヤロウ!」

「だからバカバカ言わないでよ」


 流れていく景色を気にも留めずロメーヌはまっすぐ魔王の気配だけを感じて進む。湧いて出た魔物は切って捨て、咆哮をあげる魔王に肉薄した。

 魔王は巨大だった。ひたすらに大きかった。竜の頭は鋭い牙の間から炎をほとばしらせ、猛禽類を彷彿とさせるかぎ爪を持つ手指はくうをさ迷っては風圧を発生させていた。大トカゲよりもはるかに大きく、大鰐よりも剣粉尻尾は森の木々をなぎ倒し、粉々に粉砕していた。

 破壊の限りを尽くしながら魔王はゆっくりと、けれど確実に、国へと、人間のいる宝庫へと進んでいる。

 魔王が発生してからの十年間でいくつもの国が魔王によって更地にされている。

 止めなくてはいけなかった。誰にも止められなかったが、ロメーヌならば。

 ロメーヌは剣を振るったが、鱗に弾かれた。存外澄んだ音がする。

 切り付けられたからか、それとも音に反応したのか、魔王の視線がロメーヌに向いた。

 耳を震わせ、体を痺れさせんばかりのけたたましい魔王の咆哮に顔をしかめながらロメーヌは地を蹴り跳ぶ。

 巨大な魔王の身体を駆け上り、魔王の眼前へとその身を躍らせた。

 魔王はひたすらに吼えている。まるで泣きわめく子どものようにロメーヌには見えた。実際魔王は悲しくて悲しくて仕方ないのだとロメーヌは知っている。


「お母さん、もう大丈夫ですよ」


 ロメーヌは安らかに笑い、剣を振るった。魔王の指に剣が跳ね返り、勢いそのままロメーヌは魔王の口へ一直線に落ちて行く。


「なァ~~~~にが大丈夫ですよ、っだ!」


 魔王の口内に剣と共に飛び込もうとしたロメーヌはエミリアンに体当たりをかまされて空中に戻る。落ちながらエミリアンに胸元に詰め寄られる。


「本ッ当ッ! おまえは素直なバカだな! 嘘か真実ほんとうかわかんねえのにノコノコ従ってんじゃねえ!」


 兎の鼻息がくすぐたっくてロメーヌは思わず笑ってしまった。


「嘘って……、魔王が僕のお母さんていうのは嘘だったの?」

「そっちじゃねえ! 魔王を鎮める方法のほうだ! 魔王におまえを食わせて、それでどうして止められるだなんて思うんだ、おまえはよ!」

「えっと……」


 別段、信じ込んでいるわけではなが、剣と一緒に魔王に飲み込まれば魔王は元の母親の姿を取り戻せると神官に言われて、それならいいかと思っただけだった。母が元に戻れば行方不明の父親も戻るだろうと言われて、今まで苦労をかけてしまっていた二人に恩返しができるなら、それでいいと。


「ったく。本当におまえは危なっかしくて見てらんねえぜ」

「うぶっ」


 エミリアンに顔を踏まれてロメーヌは体勢を崩した。その一瞬の隙を突かれて聖剣をひったくられる。

 なんでもどうしても音にならず、ロメーヌはただ落ちて行く。ひどくゆっくりと時間が流れているよう感じられた。


「せっかく俺が心臓をやったんだから、もう少しくらい人生楽しめよバカ娘」


 かわいらしい兎とは思えぬほどニヒルな笑みを湛えて、聖剣の柄に齧りついたエミリアンはそのあまま魔王に飛びつくようにして向かっていった。

 灌木をクッションにして大怪我をせずにすんだロメーヌはすぐさま起き上がる。目の前には巨大な魔王が変わらず立っていた。

 けれど唸り声を上げることはなく、炎を吐き出すこともない。

 ロメーヌはよろよろと立ち上がりその巨大な魔王の体躯をよじ登っていく。ごつごつざらざらとした魔王の肌はまるで岩山を登っているかのようだった。

 恐怖でなく、疲労でなく、震える手足を無理矢理に動かして、ロメーヌはようやく魔王の口元まで登ってきた。

 見間違いでなければエミリアンは魔王の口の中に飛び込んでいったはずだ。風の音だろうか。何かが軋む音がする。

 ロメーヌがそっと魔王の牙に手をかけた、その途端。

 牙に罅が入る。牙だけではない。魔王の身体全体に罅が広がっていき、端から崩れていく。

 軋む音は風のせいばかりではなかったのだ。崩れる魔王の体は風にさらわれ、どんどん小さくなっていく。


「待って、僕、まだあなたたちに聞きたいことがあるんです、お願い、いかないで、お母さん、お父さん」


 崩れる魔王の残骸を抱きしめても薄氷のように割れて消えていってしまう。

 どうして、どうして、と繰り返して泣くロメーヌにはお構いなしに、風はすべてを攫っていった。


 その昔、予言が成された。

 魔王だと予言された女も、その夫も取り合わなかったが、神官たちにとっては下された予言が全て正しい。女は捕らえられ拷問にかけられた。

 いくら責められても女は神官の「お前が魔王だろう」という問いに首を振り続けた。

 夫は妻が魔王であるはずがないと訴え続けたが、まるで無視され、追い返され、時には暴力を受けた。

 ある日、死に体の女に聖剣が見せられた。大きな赤い魔石のはまった、見事な剣だった。

 神官が言う。


「お前がいつ本性を現してもいいようにお前の子どもの心臓を材料に作った聖剣だ。これでお前をいつでも滅ぼせる。お前まおうなぞちっとも怖くない」


 女はそれを聞いて泣き叫んだ。叫んで叫んで叫んで叫んで――最後に狂った。

 絶望と憎悪と殺意とで頭がいっぱいになった女の身体は見る間に膨張し、巨大化し、女は魔王となった。

 魔王となった女は彼女を喜々として拷問にかけた神官も、彼女の訴えをせせら笑った神官も、聖剣を見せてきた神官も殺して回った。ある神官を踏みつぶし、またある神官を握り潰し、ある神官を炎で消し炭にした。

 血涙を流しながら我が子を探し回る女は予言の通り魔王となり果て、神官を、人を、町を、国を破壊して回った。

 夫はというと、攫われ心臓を抜かれ、変わり果てた姿となった子どもの小さな体を抱きしめて泣いていた。泣きながら自分の心臓を取り出し、子どもの心臓の代わりにした。

 無事に息を吹き返した子どもを見届けるとあっさり体が機能を停止してしまったため、近くにいた兎に魂を乗り移して変わり果てた妻を止めるために妻の後を追った。

 残された子どもは奇跡的に生き残った神官が村人たちの目を盗み、攫うようにして引き取り養育した。

 十年後、勇者とされた子どもは見事魔王を討ち果たし、その後、狂ったように神官を殺して回ったそうだ。

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