僕には仮面がついている。紛れもなく、僕がつけた仮面が。

@KKOOKK

第1話

物心ついた頃、僕は自分に仮面を付けた。

何ということはない。作り笑顔を描いた仮面だ。作るのはそれほど億劫じゃなかった。ただ、それを貼り付けているのはそれなりの体力を要した。自分の本心を偽ってただ己が生きやすいように、諍いが起きず波風立てぬように過ごすための仮面だから。僕の性格にとことんあっていないのは明白だ。


僕は元来気性の粗い人間だ。まあそれは僕が自称しているだけであるからして真実かどうかは分からないわけだが、ともかく人間と仲良しこよしで列を乱さず歩いていくのは苦手な性質にあった。この点においてはなぜかと聞かれても、答えるに答えられない。人間の性格というのは環境に影響を受けるものだというが、僕は僕がこのようになった原因に心当たりがまるでないからだ。それでも納得できないなら「ああそうか、家庭環境が複雑だったんだな」とそれらしい適当なことを想像してくれて構わない。


兎にも角にも、僕は僕以外の善良な一般市民たちの為に仮面をつけた。それが功を奏して、僕は一般的な友人と今、優雅にピアノを演奏している。


なぜピアノなのかと思うだろう。僕は高校をつつがなく卒業したあと、なんとなく、本当に何という気はなく音大へと進学した。勿論ピアノ専攻だ。幼少期からまるで歯を磨くかのように習慣化していた練習時間は、僕の技術を知らぬ間に磨き上げていた。


僕はそこで彼女に出会った。あとから聞いた話だが、彼女はピアノ業界ではそれなりに有名な期待の新星らしい。そんな彼女に入学早々寡黙な僕は無理矢理声をかけられ、一緒にピアノを練習しようと誘われてはや数カ月。もう毎日当然のように起こるイベントと化している。

別に、僕には何もすることがないし、ピアノの練習は好きでも嫌いでもないので付き合ってはいるが、正直この女の心理は僕にとって、とても難解な数学と同じように分からないものだ。


「ねぇ、ここの音ズレてるじゃない?」


今の今まで僕に目もくれず熱心にピアノに向かっていた彼女が、そう言って目の前にあるグランドピアノの鍵盤を弾く。いつもどおり、保湿がしっかりとされた繊細な指。


トーン―――


確かに。半音ズレている。僕には絶対音感というものはないので正確にはわからないが、今彼女が弾いた鍵盤から出るはずの音が、それよりも少しだけ低い音になっている。


「うん、半音下がってるね。先生に報告してくるよ!」


この気持ち悪いのが、いつもの僕。

話しかけられない限りは沈黙を通すが、話しかけられたら最後、苦痛のニコニコ生活を自主的にスタートさせる。全く持って内面と噛み合わない。それも当然、これこそが幼少期に作った僕の仮面であり、僕を抑制する鎖なのだから。


「ああ、別にいいわよ。直せるから」


そうだった。この女はピアニストなだけでなく、調律師も目指しているんだとか。本人いわく「ピアニストだけで生きていくのは不安でしょ」だそうだ。真っ当で堅実な意見ではあるが、僕にはそこまでの向上心はない、と言っていい。


音がズレている箇所の鍵盤を弾きつつ、音を合わせていく。僕にはないが、彼女は絶対音感をもっているらしく、何の道具も使わずに作業を進めている。折角なのだから、ちゃんとした道具を用いて音を作るほうがいいと思うのだが、彼女いわく「今はピアニストの時間。他の事に必要以上に時間を割くべきではないわ」ということらしい。「それにそのうちプロの調律師の方が直してくださるでしょうからね。仕事を奪うのは良くないと思うわよ」…………何を言う。ピアニストと調律師を兼業しようとしているクセに。


「そろそろ交代してくれない?もうすぐ一時間が経つよ」


全く、この女は一時間も僕の練習時間を無駄にしておいて何がしたいんだ、と心の中で悪態をつく。


「そうね、代わるわ。あなたのピアノ聞かせて頂戴」


「もちろんだよ!」


と、心にもない事を口先のみで転がしつつ、ピアノの前に座る。


ふぅ―――


何気なく弾いてきた、もしくは弾かされてきたピアノ。それでも、それは僕にとって億劫なものではなく、寧ろ心の拠り所。この席に座り、深呼吸を一つすれば僕の仮面は剥がれ落ちる。暴虐性が顔を覗かせる。

男にしては細長く、透き通るほどに白い指先を鍵盤にのせた。


トーン―――


防音室に暴力的な音が鳴り響く。


それは人を簡単に下してしまうような音。

それは激しい感情を苦し紛れに吐き出すような音。

それは命を揺さぶるような声。

その中に隠れた、密かな憂い。


それらが程よく混じり合い。息づく暇もない攻撃的な音楽を作り出す。これは僕の叫び。心を、ありのままに吐き出すことができない僕の苦し紛れの音たち。こいつらだけは俺の味方。幼少期に閉じた心の蓋は、ピアノの前では簡単にこじ開けられてしまう。心の深くまで全てを開示してしまう。


「やっぱり素敵だわ。何度も言うけれど、貴方の音はまるで野生の猛獣のよう。私には奏でられない苦しみに満ちた声のような音楽。今のは即興でしょう?貴方の感情がひしひしと伝わってきた」



「私とユニットを組みましょう」


唐突な勧誘。いや、以前から借金の取り立てのようにしつこく誘われているんだった。

毎度のように彼女の目は真剣そのもの。もともと大きな目が更に一回り大きく見開かれて、問いかけた相手に有無を言わさぬ迫力がある。大抵の人間ならばここで「うん」と言うだろう。なんてったって、彼女はおそらく将来安泰だし。


でも、僕はゴメンだ。彼女とユニットを組めば必ずと言っていいほど、僕は脇役になる。彼女が主役だ。これは揺るぎようもない。ユニットなんて言ってるけど、そこに対等な関係なんて存在せず、ただ定められた配役があるだけだ。だから僕は―――


「いいよ」


ああ、この後に及んで僕の口は波風立てない正道を行こうとする。仮面の下の僕の本心なんてお構いなし。というか、考慮にもきっと入れられていないだろう。


なんとかして訂正しなければ……僕は本当に脇役人生をスタートさせなきゃならなくなる。そんなの絶対に嫌だ。仮面をつけた僕には一ミリも無いが、もともとの僕はプライド……言い方が少し高飛車に聞こえるだろうか……、誇り高い矜持をもっている。彼女の相棒で人生を終わらせるのは全く持って望むところじゃない。寧ろ僕は彼女の実力を食い散らかして、その上でより高みに行きたい。

もともとそこまでの思い入れはピアノにないが、やはりどちらが上か下か、どちらが主か従か、どちらが攻めか受けか、そこになると問題は依然として別の方向を向かざるを得ない。 


「本当!?嬉しいわ、ああ、幸せだわ。貴方と一緒にユニットを組めるなんて……。そうだ!将来的にはバンドとしてデビューするってのもアリね。貴方も私も、いい声をもっているし、歌も上手でしょう?方や、少女のような甘い声、方や治安の悪い犯罪者の声。最高だと思うわあ。売れる予感しかしない!」


「…………楽しそう!挑戦してみようよ!」


駄目だった。これほどまでに未来予想図を具体的に並べられちゃ、断るに断れない。僕じゃなくともきっと切り出せ無い。もう、いいよって、快諾しちゃってるし尚更だ。僕の口は何故こんなにも素直じゃないんだろう。いや、ある意味では素直なのかもしれないが。



 

兎にも角にも、僕は彼女とユニットとして活動していく運びとなった。

僕たちの活動はまだ始まったばかり、グループとしての分岐点にさえ直面していない。

色々不満はあるけれど取り立てて言うべきことじゃないから割愛しておく。


まあ、かくして僕たちの活動はスタートしたわけだ。性格の違う彼女とのグループ活動は平穏無事とはいかないだろう。おそらく、そのうちに音楽性の違いとかで決別する。多分そうだ。


それでも僕は、ピアノを弾き続けると思う。

いつの日か僕の仮面が取れる日まで。





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