第12話 つかの間ほのぼの生活

 隆が読んだリールーの手紙にあった通り、魔王軍参謀セルフィアノがレイルーンを訪れたのは、その日の正午過ぎだった。


 隆はセルフィアノとネフィラの会合に、使い魔として出席していた。雷槍疾走がまさしく疾風迅雷の勢いで王を殺害し、レイルーンを制圧した為、サイネス城の応接室は高価な美術品や調度品などが当時のままで残されていた。


 横長の卓をセルフィアノ、ネフィラ、隆、そして双子の悪魔メルキル姉妹が囲っている。ネフィラが対面のセルフィアノに声を掛けた。


「今回は随分と急でしたな。前もって仰って頂ければ、歓迎の準備をしたものを」


 セルフィアノの三つ目、全ての視線がネフィラに向かう。


「実は、不穏な気配を我が第三の目が察知したのです。雷槍疾走の中に蠢く、スズキ以外の人間の影を……」

「何ですと!」


 ネフィラの周りの空気が一気に張り詰めた。隆はリールー師匠のことに違いないと、内心、肝を冷やす。隆の心臓の鼓動が早くなる。


「それ故、事前通告無しで訪れたのです。しかし、私がレイルーンに到着した時には、不穏な気配は消えておりました」


 ホッと安堵すると同時に、隆はリールーの手際のよさに感嘆していた。特技は変化の術だけだと言っていたのに、一体どのようにして千里眼を持つセルフィアノの来訪を察知したのだろう。


(分からないけど、やっぱりリールー師匠は凄いな!)


 セルフィアノは「ふぅ」と小さく息を吐くと、目の前の紅茶に手を付けた。


「私の気のせいだったのかも知れません。我が第三の目に見られたと勘づき、即座にレイルーンから消えるなど人間業ではありませんからね。ただ……もし、そのようなことの出来る人間がいるとすれば、」


 眉間の下の、セルフィアノの双眸が鋭く尖る。


「……元帝国軍軍師リールー・ディメンション」

「まさか! 奴は、先の大戦で死んだ筈では!」

「私は彼奴がまだ何処かで生きているような気がしてならないのです」


 セルフィアノとネフィラの話を聞きながら、隆はごくりと生唾を飲み込む。流石は魔王軍随一の知能。リールー師匠の生存に気付いている。セルフィアノも、またただ者ではないのだと隆は再認識した。


「帝国は滅びました。しかし、帝国軍の残党は今だ世界中に散らばっています。世界はほぼ魔王様の手中ですが、かといって油断は出来ません」


 セルフィアノが紅茶を飲む。話が一区切り付いた時、キルが隆に大きな声で話しかけてきた。


「そういや、スズキ! あの話、どうなったんだ? 人間の奴隷の件!」

「ああ。ちょうどこの後、顔合わせがあるみたいなんだ」

「すげえよな! いきなり奴隷五人ゲットだもんな!」


 突然、場が静まりかえる。妹のメルがキルを肘で突いた。


「こ、コラ、姉様ー! 今そんな話したらダメー!」

「あ……」


 キルがハッと気づき、ばつの悪い表情を見せる。隆は鉄鋼級兵になったが、本来、その階級で持てる奴隷は最大三人。しかし、隆は一人でも多くの奴隷を救いたかった。それでネフィラに頼み込み、特別に上限を五人にして貰ったのだ。


 隆は緊張しつつ、セルフィアノに視線を向ける。セルフィアノは紅茶を皿に戻した後、毅然と言い放つ。


「隊則は厳格に守られるからこそ意味があるのです。隊の乱れはそういうところから始まるのですよ」

「そ、そうですな! 悪いが、スズキ! やはりお前の奴隷は三人だ!」


 ネフィラの言葉を聞いて、隆は落胆する。しかし、急にセルフィアノは飲んでいた紅茶を「ブビュッ」と鼻と口から吹き出した。


「せ、セルフィアノ殿?」


 皆が紅茶を顔から垂れ流すセルフィアノを見る。セルフィアノはその後、ナプキンで顔を拭くと、美しい微笑を見せた。


「でもやっぱり、スズキならいいのです。可愛いので!」


(よ、よかった! 何か、ちょっと危なげだったけど!)


 考えようによっては、セルフィアノがいる今、隆にとって様々な要望を通すチャンスである。隆はおずおずとセルフィアノに頼んでみる。


「ええっと。ついでに領地も出来るだけ広いところが良いんだけど……ダメ?」

「スズキ! それは流石に厚かましいぞ!」


 ネフィラに窘められる。だが、その後、ネフィラも隆も無言でセルフィアノの反応を窺った。


「ネフィラの言うとおりですよ。領地も隊則によって定められた範囲にすべきで、ですますはべりいまそがり」


 セルフィアノは突然、ガタガタと震えだし、訳の分からないことを呟き始めた。そして、ぐるんと白目を剥いた。


「セルフィアノ殿っ!?」


 だが、ネフィラが叫んだ途端、セルフィアノは打って変わって、優雅な笑みを見せる。


「広い領地、いいんじゃないですか。だってスズキは可愛いので!」 


(よし! これなら、もっといけるかも!)


 参謀のセルフィアノが認めたことなら、きっと誰も文句は言わないだろう。隆は思いきって攻めてみた。


「ど、奴隷の全解放なんかも、もしかして出来ちゃったりなんかして……!?」


 これにはネフィラだけでなく、メルキル姉妹も顔色を変えた。


「ば、バカ! スズキ!」

「そ、それはいくら何でも無茶苦茶だよー!」

「うむ! けしからんぞ!」


 しかし、とりあえず皆で、セルフィアノをジッと見詰め、反応を待つ。


「そうですね。可愛いスズキが言うのでしたら、思い切って全ての奴隷の解放をををを、オブワッシャアアアアアアアアア!!」


 突如、セルフィアノは鼻、耳、口から噴水のように出血した。


「うわああああっ!?」


 突然のスプラッターに、隆は怯えて叫ぶ。


「セルフィアノ殿おおおおっ!?」


 ネフィラもまた叫ぶ。セルフィアノはテーブルに顔を埋めて、ピクピクと痙攣していた。


(セルフィアノの中で『規律を守らなきゃって理性と、俺を特別扱いしたいって気持ち』が、ひしめきあってるんだ! な、何かこれ以上はマズそう! もう、やめとこ!)





 セルフィアノが帰った後、隆はネフィラに連れられ、町の中央から少し離れた田舎道を歩いていた。辺りには畑や田んぼが広がっている。やがて、道の先に大きな洋風屋敷が見えてきた。


 ネフィラが隆に言う。


「以前は、名のある貴族が使っていたそうだ」


(こ、これが俺の家!)


 立派な外観に、隆は感激する。正直、こんな大きな家が持てるとは思いもしなかった。庭園まであり、池には魚が泳いでいる。


「サイネス城に比べれば狭いが、まぁ十人程度で暮らすには充分な屋敷だろう」

「うんうん! 最高だよ!」


 興奮して走って、両開きの大きな扉を開く。玄関には、敷き詰められた絨毯。頭上には大きなシャンデリア。一流ホテルのエントランスみたいだ。


「すごい! 中もメチャクチャ綺麗!」

「城と同じで、荒らされてはいないからな」


 階段を上り、二階に行くと、廊下に扉が五つ並んでいる。隆は一室一室チェックした。どの部屋も寝具などがしっかり備え付けられている。中でも端の部屋には、一際、大きなベッドが置いてあった。隆はそのベッドに飛び込んでみる。


(羽毛かな? フカフカだ! うーん! 此処を俺の部屋にしちゃおうかな!)


 そんなことを考えながら、ゴロゴロしているとネフィラが扉の向こうから眺めていた。


「一つ愉快な話をしてやろう。この屋敷の主人が雷槍疾走の兵士に殺害された場所――それがお前が今、寝ているベッドだ」

「いや、ちょっと!? やめてくんない、そういうこと言うの!! 全然、愉快な話じゃねえし!!」


 よくよく考えれば、屋敷を自由に使えると言うことは、此処に住んでいた人間は不幸に遭っているということである。はしゃいでいたのが申し訳なくなり、隆はベッドに向けて手を合わせた。や、やっぱり俺の部屋は違うところにしよ……。


 そんな感じでしばらく屋敷を探索していると、ドアノッカーが打ち鳴らされる音がした。


 玄関に下りていくと、エクセラとオルネオ。そしてその後ろに見知らぬ男女が佇んでいる。


「スズキ様。本日より、よろしくお願いします」


 エクセラとオルネオが隆に深々と頭を下げ、改めて自己紹介をした。続けて後ろの二人も隆におずおずと頭を下げる。どちらも二十代前半だろうか。男の方は短く刈り上げた金髪、女の方は腰まであるブロンドだ。二人とも整った目鼻立ちをしているが、体は痩せ細り、何処かくたびれた表情だった。


「あ、アレンと言います。こちらが妻のケイト。そして――娘のクラリスでございます」


 ケイトが大事そうに抱えているのは、生まれて間もない赤子だった。すぐ傍に雷槍疾走の長であるネフィラがいるので、アレンとケイトは顔が引きつっている。


 ネフィラが五人に対し、凜々しい声で告げる。


「協議の結果、本日より貴様らはスズキの奴隷となった。しっかりと主の言うことをきけ」


 その後、ネフィラは隆を一瞥する。隆はネフィラに頷くと、一歩前に出た。


「じゃあ皆。今日から奴隷として、仕事をこなしてくれ。言うことをきかない者には厳しい罰を与えるからな」


 アレンとケイトが体を震わせた。腕組みをしていたネフィラがこくりと頷く。


「うむ。スズキ。なかなか主らしいぞ」

「俺も雷槍疾走の上級兵士だからね。しっかり奴隷をまとめないと」

「感心なことだ」


 安心したような表情でネフィラは踵を返す。


「それでは、私は雑務があるので城に戻るとしよう」

「じゃあ、ネフィラ。また後で」


 ネフィラが出て行き、屋敷の扉が閉まる。すると、隆は固い顔を緩め、アレン達に笑いかけた。


「さっきはごめん! ネフィラの手前、一応それっぽく振る舞おうと思って!」


 戸惑うアレン夫妻。隆は笑顔のまま喋る。


「家事炊事とか基本的なことだけ、してくれたらいいよ。後は、自由気ままに暮らして欲しいんだ」


 隆はケイトが抱いている娘のクラリスに近付く。隆はクラリスの小さな手を握った。


「赤ちゃんのこと、よく分からないけど、何か出来ることがあったら言ってくれ。あとそれから。もし町で魔物に絡まれたりしたら『スズキの奴隷だ』って言ってみて。多分、絡んで来なくなると思うから!」

「は、はぁ……」


 呆気にとられている夫妻に隆は再度笑いかける。オルネオが隆に歩み寄ってきた。


「それで勇者様。セルフィアノとの会合はどうじゃったかの?」


 玄関にあるテーブルで、隆はオルネオとエクセラに先程の件を話した。


「……ふむふむ。そうじゃな。そこで引くのが正解じゃろうて」

「ええ、そうですね。あまり詰めすぎるとセルフィアノが正気を取り戻し、今度こそ勇者様を処刑しようとするやも知れません」

「そ、それは困る……!」


 エクセラは顎に指を当てながら語る。


「もし仮に、セルフィアノだけが考え方を変えても、それだけでは平和の実現は難しいと思います。突然、奴隷制度撤廃などという命令が下されれば、魔物間で暴動が起きる可能性もありますから」


 エクセラの話を聞いて、オルネオが白髭をさする。


「やはり、無理せず、じわりと外堀から埋めていくのが良いじゃろうの」

「そうです。まずはこのレイルーンで自由な領地を広げましょう」

「じゃあ俺、もっと頑張って階級を上げた方が良いかな?」

「そうなれば、持てる奴隷の数も領土も増えるでしょうな。しかし、階級が高くなればなるほど、勇者様が戦に駆り出される危険も増すのでは?」

「オルネオの言うとおりです。事は慎重に運んだ方がよろしいかと」


 二人と話しながら、隆は感心していた。エクセラは聡明だし、家臣のオルネオも知識豊富だ。隆だけでは考えつかないことを、この二人が教えてくれる。ちなみに、幼い赤子のいるアレン夫妻を気遣い、奴隷房から隆の最初の奴隷グループに加えたいと推薦したのもエクセラだった。


 そんな感じで隆達は熱く語らっていたのだが、不意にアレンがテーブルに近寄ってきた。


「あ、あのう……」

「ん?」

「傍で話を聞いていたのですが……その、つまり……アナタ達は世界を救おうと……?」

「うん。まぁ」


 隆は困った表情で、頬をポリポリと掻く。


「俺が強かったら、今すぐにでも助けてあげられるんだけど……俺、弱いんで。けど、自分なりに此処の暮らしを良くしていくつもりだ。だから長い目で……って、わわっ!?」


 突然、アレンが涙をこぼしながら隆の両手を握ってきた。落涙しつつ、声を震わせる。


「レイルーンが征服された時、世界は終ったと諦めました! しかし、神は我々を見捨てなかった!」


 妻のケイトも、隆に跪きながら涙を流す。


「ああ! 勇者様、ありがとうございます!」

「い、いやそんな大げさな!!」

 

 そしてケイトは小さなクラリスに目を落とした。


「何年掛かろうとも構いません。いつか、この子が幸せに生きられる世界が来るなら、それで……」


 ケイトの子を思う気持ちに、隆は胸を締め付けられる思いがした。隆はクラリスの無邪気な寝顔を見詰めながら言う。


「いつかきっと人間が幸せが暮らせる世界にしてみせるよ」



               

                 ◇


 サイネス城下の市場いちば。魔物達に紛れ、エクセラが夕飯の買い物をしていると、一体のオークが、並んでいた列に割り込んできた。


「どけよ、女。俺が先だ」

「あ、あの……」


 戸惑うエクセラの背後から、ゴーレムが太く、くぐもった声を出す。


「やめろ。この娘はスズキの奴隷だ」

「えっ。そうなのか。そりゃあ悪かったな」


 オークが、すごすごとエクセラの背後に回り、静かに列に並んだ。



 市場からの帰路。買い物袋を持ちながらエクセラは確信する。


(勇者様のお陰で、この町が良い方向に変わってきている! このままいけば、きっと平和な世界になるわ!)



 エクセラ達が、スズキの屋敷に住み込み始めてから、一週間が経過していた。


 生活に必要なお金は全て、スズキが持ってきてくれた。そのお陰でエクセラ達は、不自由のない生活を送ることが出来た。アレンもケイトも此処での暮らしに慣れ始めたのだろう。ずいぶんと笑顔が増えた。


 夕飯の支度をした後、ケイトがクラリスをあやしながら言う。


「エクセラ様……私達だけが、こんなに幸せでよいのでしょうか?」

「勇者様は、いずれ町の人間全てを奴隷から解放しようとされています。これからはもっと幸せな人が増えますよ」


 ケイトが穏やかな笑みを浮かべる――その時だった。何かが割れるような音が庭から聞こえた。


「アレンが植木鉢でもひっくり返したのかしら」


 ケイトが心配そうに玄関に走る。エクセラもその後に続いた。


 玄関の扉から出た瞬間、エクセラは硬直する。アレンの前には蛇頭の魔物が佇んでいた。


「す、スズキ様がいらっしゃらないと言ったら、この方が庭の鉢を……」



 緊張した面持ちでアレンが語る。蛇頭の魔物からは、町ですれ違う悪魔や魔物とは異なる邪悪なオーラが漂っていた。魔物が、エクセラ達を舐めるように見渡す。


「ひぃ、ふう、みぃ……ジジィも来たな。何人、奴隷がいるんだよ。鉄鋼級兵のくせしやがって」


 エクセラは自分を鼓舞しつつ、出来るだけ明るい声を出す。


「スズキ様は今、サイネス城に行っておられます。ご用件は何でしょうか?」

「俺ぁ、腹が減ってんだ」

「そうですか。もしよろしければ、ご夕食を一緒に、」

「ああ、いいや。そんなことしたら悪いだろ。だから、それ寄越せよ」


 ガラガはケイトの腕の中で眠るクラリスに縦長の瞳孔を向けていた。


「その赤ん坊。俺に食わせろ」

「じょ、冗談を」

「冗談なんか言わねえよ」


 蛇頭の魔物はケイトに歩み寄ろうとする。その前にアレンが立ち塞がった。


「お、俺達はスズキ様の奴隷だ!」

「だからなんだよ。俺ぁ、雷槍疾走・白銀級兵のガラガ。野郎より階級は上だ」


 ガラガが鋭利な爪のある腕を、ケイトが抱えるクラリスに伸ばそうとした。その腕をアレンが掴む。


「うちの子に触るな!」

「人間。テメーこそ、汚ねえ手で俺に触るんじゃねえ」


 アレンに捕まれた腕と逆の腕を、ガラガが大きく振った。


「死んどけ。クソが」


 次の瞬間、おびただしい鮮血をまき散らして、アレンの首は胴体から別離した。


 ……ごとり。地面にアレンの首が落ちる音を聞いて、エクセラは思い出す。


 自分の立っている場所が、血も涙もない悪魔達に支配された、残虐な世界であったことを。

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