第4話 奴隷と希望

 ネフィラに拷問部屋から救出された後、隆は奴隷房に入れられた。奴隷房は、城から少し離れた所にある木造のおんぼろ小屋で、隆が入れられたのは十棟ほど連なる小屋のうちの一つだった。中には藁が敷き詰められている場所があったり、水を入れた桶が複数置かれていた。獣の匂いが鼻を突く。魔物に征服される前は、此処で家畜を育てていたのではないかと隆は推測した。


 隆が割り当てられた奴隷房には、囚人のような薄汚れた服を着た男女が収容されていた。隆を含めれば男が五人、女が三人。計八人だ。


『奴隷がどの悪魔に仕えるかは、公平を期す為、競りによって選ばれる。選定の日までしばらく此処に滞在しろ』


 拷問部屋から歩きながら、ネフィラは隆にそう告げた。ちなみにネフィラはその時、少し顔を赤らめながら『せ、選定の日まで私の部屋にいても良いのだぞ』と申し出てきたが、隆は即座に断った。雷槍疾走の隊長の部屋に入るなど、首つりの輪に自ら首を突っ込むような行為だと思ったからだ。だが、


(断った時……あの悪魔、ちょっと寂しげな顔をしてたような……?)


 敷かれた藁の上に座り、隆はそんなことを考えていた。目の前には以前、牢屋で与えられたのと同じ物が並べられてある。水筒や簡易便器、それに不気味な人形や妙な肉片である。水筒と便器はともかく他は何に使うのか分からない。


 ネフィラが去ってからしばらくすると、筋骨隆々の大男が隆の元に歩み寄ってきた。


「お前、見ねえ面だな」


 190センチはあるだろうか。大男は隆を見て、眉間に皺を寄せていた。やがて、水桶の近くに座っていた狐目の男も隆に近寄ってくる。


「コイツ、瞳が黒いっすよ。ひょっとして、勇者召喚された人間じゃないっすか」


 隆が「そうだ」と肯定した瞬間。腹に痛烈な痛みが走り、近くに積まれてあった丸太の山まで吹き飛ばされる。筋骨隆々の男が隆を殴ったのだ。


「ぐうっ。い、いきなり何すんだよ……」

「うるせえ、このクズ野郎! テメーが強けりゃ、俺達はこんな風にならなくても良かったんじゃねえか!」

「そ、そうっす! 全部コイツのせいっすよ!」

 

 狐目の男も怒りの形相で、隆に襲いかかってきた。何度も体を蹴られ、隆は為す術も無く、身をかがめる。


「やめなさい!」


 突如、凜とした声が小屋に響き、乱暴していた二人が動きを止めた。どうにか体を起こして、隆は声の主を見た。栗色の髪を後ろで編んだ美しい少女が屹立している。隆達と同じ囚人服を着ているが、はっきりした目鼻立ちにエメラルドの瞳。その双眸は強い意志に満ちており、彼女の全身からは高貴なオーラが溢れていた。


 狐目の男は、威厳のある少女に戸惑いを見せたが、大男の方は鼻で笑う。


「偉そうにすんじゃねえよ。もうお前は姫様でも何でもねえんだ。城が陥落しちまったんだからよ」


 すると、少女の隣にいた白髭の老人が立ち上がり、しゃがれ声を荒らげた。


「ロゴス! 身の程をわきまえよ! 一介の騎士が、レイルーン国第三王女たるエクセラ様に向かって、何たる言い草じゃ!」

レイルーン国第三王女、だろ。それに俺だって、もう騎士じゃねえ」


 ロゴスと呼ばれた大男は、白髭の老人に近付く。そして躊躇いもなく、老人の顔を平手打ちした。


「うっ……」

「オルネオ!」

 

 少女が叫び、倒れた老人に駆け寄った。少女は老人を気遣いながら、ロゴスを睨んだ。


「なんて酷いことを……!」

「身の程をわきまえてねえのはお前らだ。レイルーンが魔族に征服された今、お前ら王族こそが大罪人。俺とお前らの立場は逆転したんだよ」


 ロゴスがくずおれた老人に唾を吐く。重なる暴挙に、隆も黙っていられなかった。腹を押さえながらも、立ち上がる。


「やめろ! 人間同士だろ!」

「うるせえ!! だから全部テメーのせいだってんだよ!!」


 腹部に強烈な蹴りを受けて、体がくの字に折れる。隆は胃液を吐きながら藁の上を転がった。「ふん」と鼻を鳴らすと、ロゴスはエクセラに近付いていく。


「テメーも生意気な面しやがって。何が王女だ」


 そして太い手をエクセラの胸元に伸ばすと、一気に服を引きちぎった。


「いやあっ!」


 気丈だったエクセラの顔が羞恥に歪む。その様子を見て、ロゴスはいやらしく笑った。


「どうせ俺達に未来はねえ。だったら楽しませて貰おうじゃねえか」

「いいっすね! 俺にもお裾分けくださいよ!」


 ロゴスと狐目の男がエクセラに迫る。


「うう……姫様!」

「やめろ……!」


 周りにいる男女は巻き込まれたくないのか、素知らぬ顔をしている。隆はもう一度、立ち上がろうとするが、受けた蹴りが強烈すぎて足に力が入らない。オルネオも隆と同じ状況のようだ。悪魔以下の人間に少女が乱暴されるのを、このまま指をくわえて見ているしかないのだろうか。


「おーい、スズキ! それからあと家畜共! 飯の時間だぜ!」


 ……呑気すぎる声が奴隷房に木霊する。赤髪ツインテールの悪魔キルと、蒼髪ポニーテールのメルが、悪魔らしくない無邪気な笑みを顔に湛えながら奴隷房に入ってきた。ロゴスは「チッ」と舌打ちして、馬乗りしていたエクセラから体をどける。


 緊迫した雰囲気の中、入ってきたキルは、他の奴隷に目もくれず、以前、隆に渡した携帯用便器までトテテテと走った。覗き込んだ後、顔色を変える。


「お、おい、スズキ! お前、今日うんこしてねえじゃねえか! 大丈夫か?」

「大丈夫だよ!!」


(やめてくれ! こんな重苦しい空気の中で、何てこと言うんだ!)

 

 そもそも、たった一日排便しなかっただけでどうして心配されるのか。そんな隆の気持ちなど知るよしもないように、妹のメルが大きな鉄鍋を杓子で叩く。


「ほらほらー、おかゆだよー。ありがたく頂戴しなさいねー」


 汚いお椀を人数分、投げるように藁の上に置いてから、メルはパンパンと手を打った。


「それじゃ、次ー。スズキのご飯を持ってきてー」


 スケルトン兵士が二体現れ、沢山の皿を持ってきた。隆の周りに尾頭付きの巨大な魚や、大小様々なパン。暖かいスープと、果実の匂いのする飲み物が運ばれる。


 ロゴスが血相を変えて叫ぶ。


「何でコイツだけ!? まるで王様じゃねえか!!」


 ロゴスの殺気じみた視線を隆は感じた。も、もしかして、これって悪魔流の嫌がらせ!? 俺を周りから孤立させようとして!? だとしたら、陰湿すぎるんだけど!!


 一方。今まで隅で怯えていた、気の弱そうな痩せ男が、おかゆの入った木の器を持って独りごちるように呟く。


「く、食ったって仕方ないよ。ど、どうせみんな殺されるんだ……」


 するとキルは面倒くさそうに言う。


「お前らは食料じゃなくて奴隷扱いだ。特にスズキは絶対殺されることはねえから、まぁ安心しろ」


 そう言いながら、隆の肩を親しげに叩く。


「スズキはきっとネフィラ様の奴隷になるだろうよ。城で良い暮らしが出来るぜ」

「うん。それまでは、この馬小屋でしばらくの辛抱だよー」

「じゃあな、スズキ! ちゃんと、うんこしろよ!」


 などと言って帰りかけた双子悪魔に、老人オルネオが声を掛ける。


「す、すまぬが、ワシと王女様を隣の房に移動させてくれぬか」

「えー。何でー?」

「あやつらが姫様に乱暴をしたのじゃ」


 オルネオが節くれ立った指で、大男と狐目の男を指し示す。二人は顔を真っ赤にさせて憤った。


「ジジイ! てめえ!」


 しかし、メルとキルは退屈そうに欠伸している。


「ふーん。そうなんだー」

「場所替えか。面倒くせえな。うん。まぁ、仲良くしろ。以上。じゃあな」


 そのまま出て行こうとする。オルネオは慌てて、次に隆を指さした。


「ま、待ってくれ! 奴らは、あの少年にも暴行したのじゃ!」


 途端、姉妹は血相を変えて、同時に振り向いた。


「マジか!?」

「えー、嘘ー!!」


 そして慌てて隆の方に駆け寄ってくる。


「スズキー! 大丈夫なのー? 怪我は無いー?」

「よく見りゃあ腹、押さえてんじゃねーか! 見せてみな!」


 キルが隆の服をめくる。ロゴスの拳で出来た青あざがくっきり浮かんでいた。キルが少し離れた場所にいた大男と狐目に近付いていく。


「……おい。スズキに酷いことしたのは、お前らか」

「だ、だったらどうだってんだ!」

「ブッ殺す!」

「ど、奴隷は殺さねえって、さっき言ってたろ!」

「関係ねえ! ブッ殺す!」


 キルの目は、隆が今まで見たことのない異様な光を放っていた。ロゴスが何か吹っ切れたように拳を振り上げる。


「ふざけんな、弱そうなチビ悪魔が! てめえごとき、この鉄腕ロゴス様の敵じゃねえ!」


 そしてロゴスは腕を大きく引くと、キルの腹部をえぐるように拳を叩き込んだ。小さな体が宙に浮く。


「へへ……」


 にやりと笑うロゴス。しかし突如、その顔が苦痛に歪む。


『ゴリゴリガリゴリ』


 骨を砕くようなイヤな音が、奴隷房に響く。


「ぐわあああああああああ!!」


 叫ぶロゴスの腕は、未だにキルの腹部に突き刺さったまま。だが、隆は目を疑う。ロゴスの太い腕が、徐々に短くなっていくのだ。


 キルの着ていた服が裂け、そこから現れたのは牙のある巨大な口。ロゴスの腕が、キルの腹部に開いた巨大な口に噛み砕かれていく。そして、そのまま腕ごと吸い込むようにして、ロゴスの上半身をばくりと食いちぎった。下半身だけになったロゴスは臓物と鮮血をまき散らし、藁の地面にくずおれた。


「うええっ。まっじー。コイツ、油っぽいや」

「ひ、ひぃぃっ!」


 キルは逃げようとした狐目の男に飛び掛かる。背中にぴったりくっつくと、狐目が懇願した。


「か、勘弁してくださ、」


 ばくり。狐目の言葉は途中で消える。頭から胴体まで丸呑みにされ、ロゴスと同じように狐目も下半身だけになる。部屋にいた男女が、揃って金切り声を上げた。


「んー。コイツはコイツで中身スッカスカだな」


 骨を砕く咀嚼音を腹から出しながら、キルは打って変わって優しい笑顔を隆に向けた。


「スズキ! 悪い奴をやっつけたぜ! これで暮らしやすくなったろ!」


 だが隆は目の前で人間を喰らったキルに、恐れおののいていた。


「ほ、本当に、に、人間を食べた……!」


 震え声で呟く。キルはハッと気付いたように腹を手で隠した。


「食ってねえ!」

「いや、食ったじゃん!! しかも二人連続で食べたじゃん!!」

「ち、違うんだ、スズキ! アタシは良かれと思って……!」


 ガタガタと怯える隆。キルは両手で目を覆うと駆け出した。


「うわあああああああああん!!」

「ね、姉様ー!!」


 メルは泣き出したキルを追いかけて、奴隷房を出て行ってしまった。


 ……その後。隆は落ち着いて考えてみる。


(えっと……キルは俺を助けてくれたんだよな。い、いや、でもやっぱりアレはやり過ぎだって……)


 下半身だけになった二人の死体を一瞥して、隆は身震いする。だ、誰か早く片付けてくれないかな。


 内心穏やかでない隆の元に、オルネオが歩み寄ってくる。そして唐突に隆の手を握った。


「え?」

「やはり、アナタ様は勇者! 素晴らしいお力をお持ちじゃ!」

「い、いやいや。さっき殴られるの、見ただろ。俺は無力で、」


 だが、エクセラも破けた服を押さえながら、隆の傍で目を輝かせる。


「悪魔にとって人間は忌むべき存在! にもかかわらず、悪魔達はアナタにまるで敵意を持っておりません! それどころか同じ種族のような扱いをしております!」


(言われてみれば……)


 召喚された時、隆は王にハズレと罵られ、周りの人間からもぞんざいに扱われた。だが、それは彼らが人間だったからである。


 よくよく考えれば、ネフィラにメル、キル、スケルトン兵にウロウグル――悪魔達は皆、自分を丁重に扱ってくれた気がする。やり方が人間と違うので、おちょくられているのかと思っていたが……あれは彼女らなりの好意だったのか。


 自分の周りにだけ置かれた豪華な食べ物と簡易便器を見ながら、隆は女神の話を思い出す。



『現地の種族から無条件に愛される能力にしておきましょう』


 

(そうか。飛ばされる異世界は間違ったけど、その能力はそのまま引き継がれたってことか)


 ようやく隆は確信する。


 エクセラがそんな隆を真剣な顔で見詰めていた。隆はエクセラの目に涙が浮かんでいるのに気付く。隆の手を、エクセラが両手で包み込むように握った。


「勇者様! どうか、そのお力で世界をお救い下さい!」

「で、でも、俺に魔物から好かれる能力があるとしてだよ? そんな能力じゃ世界を救うなんて出来ないって!」


 隆は苦笑しつつ否定するが、老人オルネオは深い皺の刻まれた顔を隆に向ける。


「剣や魔法で魔物と戦うばかりが勇者とは限りませんぞ。たとえば、奴らの長に気に入られれば……そして、そやつを陰から動かすことが出来たとすれば……」

「お、オルネオ! それはあまりに危険です! そんなことをして、一歩間違えれば勇者様の命が!」

「そ、そうですな。今のは、爺の戯言と聞き流してくだされ」

「あ、ああ……」





 その夜。奴隷房の藁の上に寝転がりながら、隆は一人考えた。


 もともと隆は、ほのぼのした異世界ライフを望んでいた。しかし、状況はとても、それどころではない。此処は、人間が魔物に征服された恐ろしい異世界なのだ。


(けど、俺には悪魔に好かれる能力がある。なら……)

 

 隆は立ち上がり、奴隷房の入口に立つ、監視のスケルトン兵に歩み寄る。


「ネフィラの所に行っても良いか?」

「スズキの要望はなるべく聞くように、仰せつかっている。だが、要件は何だ?」


 隆はスケルトン兵に、ハッキリと告げる。


「ネフィラの奴隷になりたい」

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