第5話 処刑の通達

 ネフィラの自室と化した前王妃の間。今日もネフィラの尖った耳に、部下の悪魔が扉をノックする音が聞こえる。


 またか、とネフィラは思う。レイルーン国征服直後に比べれば、聴聞や相談の数はかなり減った。それでも就寝時間を除けば、一時間に一度は誰かがこうして尋ねてくる。


「ネフィラ様ー。失礼しまーす」


 それが忠臣である幹部メルの声だったので、ネフィラは少し顔を綻ばせた。招き入れると、メルは蛇頭の魔物を一緒に連れている。何やらきな臭い感じがした。


「どうした?」

「えっとー。このガラガがですねー。人間の赤ん坊を食べちゃったんですよー」

「すまねえ、大将。悪気はなかったんだ」


 ガラガは戦ではそれなりに武勲をあげる上級兵士である。しかしその凶暴性は目に余るところがあり、事あるごとに問題を起こしていた。


 ガラガはニョロリと長く赤い舌を出している。たいして悪気はなさそうだ。


「アンタだって人間を食べるよな? 許してくれよ?」

「……見せしめを除き、私事で人間の赤ん坊を食らうことは、隊則で禁じていた筈だ」


 征服した後、その町の人間は絶滅しないように育てなければならない。人間は忌むべき存在だが、利用価値はある。一体もいなくなっては困るのだ。


「けけけ。固いこと言うなよ」


 フラフラと動くガラガの舌に向けて、ネフィラは手刀を放った。舌を半分切り取られたガラガは叫び、傷口から緑色の体液をまき散らす。


「ぐああああああっ!」

「五日間、牢獄に入れておけ」

「わっかりましたー。ホラ、行くよー」

「クソッ!! クソがああああああああああ!!」


 暴れるガラガをメルが連れて行った後、ネフィラはうんざりした顔付きで深い溜め息を吐く。


(あー、しんど)


 一癖も二癖もある悪魔達を統率するのは大変だ。それは重々、分かっているのだが、征服後ただでさえ忙しいところ、身内でも問題を起こされてはたまらない。


 少しイライラしているネフィラの耳に、またもやノックの音が聞こえた。


「今日はもう終わりだ! 明日にしろ!」

「わ、分かりました! 申し訳ございません!」


 ノックに怒号で答えると、扉越しにスケルトン兵が謝罪の言葉を述べた。ブツブツと小声で喋っているのが聞こえてくる。


「スズキ。今日はダメらしい。明日にしよう」

「そうか」


(スズキ!?)


 慌てて駆け寄り、扉を開く。そこには愛らしいスズキが佇んでいた。


(ああ! 今日も可愛いなあ!)


 スズキを見ているだけで一日の疲れが癒やされていく。何という可愛さ。何という癒やし。ずっと眺めていたい。


「こ、この奴隷がどうしてもネフィラ様に会いたいと言うもので! しかし、お忙しいご様子! また日を改めます!」

「いや! スズキの話ならば聞く! お前はとっとと帰っていろ!」

「えっ? あっ! は、はいっ!」


 スケルトン兵が一礼して消えた後、ネフィラはスズキを自室に招き入れた。


(会いたいって……スズキが私に!?)


 ネフィラの二つある心臓が激しく鼓動する。スズキは躊躇いがちに部屋に入ってくると、床に転がったままのガラガの舌に気付いた。舌だけが不気味にピクピクと痙攣している。


「そ、それ、何!?」

「ガラガの舌だ。気にするな」

「いやメチャメチャ気になるんだけど!! 動いてるし!!」


 ネフィラはガラガの舌に腕を伸ばす。そして、手のひらから雷の魔力を発動させて、焼き消した。その様子を見て、スズキは体を小刻みに震わせる。


「荒くれ者が隊則を破った。だから舌を切り落としたのだ。同胞といえども、厳格に裁かねばならん」

「ね、ネフィラは厳しいんだな」

「それで、スズキ。何の用だ?」


 少し躊躇いを見せた後、スズキはネフィラから目を逸らしつつ、ぼそりと言う。


「……お前の奴隷になりたい」


(イッエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ!!)


 ネフィラは心の中で大はしゃぎした。何よ、何よ!! スズキ、私のこと好きなの!? もう相思相愛じゃない!!


「ど、どうした、ネフィラ?」

「急に立ちくらみが。少し待て」


 平静を装っているつもりだったが、足下がふらついた。いけない、いけない。落ち着かなければ。雷槍疾走の長として威厳を失ってはならない。


 冷静になって思考を巡らせた。そういえば、奴隷は選別によって決めなければならない。それが雷槍疾走の隊則だ。


 ネフィラが指を鳴らすと、目の前の空間に黒い渦が発生した。驚いているスズキの前で、ネフィラは渦に手を突っ込み、中から古びた巻物を取り出して広げる。雷槍疾走の隊則が書かれた巻物だ。


『隊則第七条 奴隷の選別は公平を期し、協議にて決めるべし』


 自分の決めた隊則にネフィラは歯を食いしばる。せっかくスズキが自ら奴隷を志願してきたのに!


 隊則と、可愛い鈴木とを交互にチラチラと見る。やがてネフィラの心は揺らいできた。別にルールくらい破っても良いのではないか。いいよね。私、隊長だし。そもそも隊則だって私が決めたんだし。


 ネフィラは同じ要領で渦から骨で出来た万年筆を取り出し、巻物に書き足した。


『隊則第七条 奴隷の選別は公平を期し、協議にて決めるべし(※ただし隊長は除きます)』


(これでよし!)


 先程、隊則を破って罰を与えたガラガに悪いことをした気がした。それでもスズキの可愛さには勝てなかった。まぁ自分は元来、悪魔。生まれつき狡いところはある。それは否定できない性分だ。


「ネフィラ。奴隷になる代わりに、ちょっとお願いがあるんだけど……」

「何だ?」

「あのさ。俺がいた奴隷房の人達なんだけど、なるべく優しそうな悪魔を主人にあてがってやって欲しいんだ。奴隷に危害を加えたりしないような。特にエクセラや女の子には暴力を振るわない悪魔を」


(エクセラ……ああ、王族の娘ね)


 スズキのことを気に掛けていたこともあり、ネフィラは奴隷房にいる人間をある程度、把握していた。確か同じ房に、レイルーンの第三王女がいたと記憶している。


 本来、王族を含め、城にいた者は皆殺しにする筈だった。だが侵攻時、城内にはスズキがいた。スズキ一人を見逃したと思われるのを避ける為、城内に残った人間も同様に奴隷扱いにしたのだ。


(まぁ王族と言っても、末端に近い第三王女。良しとしましょう。その方がスズキも喜ぶだろうし)


「分かった。そやつらの主人になる悪魔は私が選ぼう。ガラガのような荒くれ者にならないようにな」

「ありがとう!」


 スズキの嬉しそうな顔を見て、ネフィラも嬉しくなる。


「今日はもう遅い。寝るとするか」

「あ、ああ! じゃあ俺はこれで、」

「何を言っている。スズキは私の奴隷だろう。此処で寝ろ」

「え……!」



 ……あれから数時間が経過した。ネフィラはスズキと一緒に寝たかったが、悪魔が奴隷と寝るのは流石におかしすぎる。内心、泣く泣く、寝床は別にした。


 暗い部屋の隅、スズキは毛布にくるまっている。


(スズキ、寝たかな?)


 ベッドから起き上がり、ネフィラはそろりとスズキに近付いた。


 スズキの愛らしい寝顔が、窓から差した月明かりに照らされている。ああ、可愛い。可愛すぎる。抱きしめたい。裸になって、体を寄せ合いたい。


 (だ、ダメ! それは良くないわ!)


 ネフィラは欲望を打ち消すように頭を振る。スズキの可愛さは誰にも汚されるべきではない。スズキのような可愛い生物を性愛の対象にすることは、いわば崇拝すべき魔神を貶めるがごとき冒涜である。


(で、でも、それがまたちょっと興奮するのよね……)


 いけないことだと思う。しかし、そのことが悪魔としての嗜虐心をそそらせた。ちょっとだけ! ちょっと抱きつくだけならいいよね! そう、これは抱擁! 魔神への愛の抱擁なのよ!




                ◇


 隆がネフィラの奴隷を自ら志願したのは、理由があった。奴隷房でオルネオがほのめかしたように、自分が持つ悪魔に好かれる能力を活かし、世界を救おうと思ったからだ。


 雷槍疾走の長、ネフィラに気に入られ、徐々に良い関係性を築く。当面の目標としては、奴隷の解放。ゆくゆくは悪魔達と人間達との間に平和条約を――そのようなことを隆は夢想していた。


(け、けど……甘かった……!)


 今、隆は戦慄していた。離れた場所で寝ていた筈のネフィラがすぐ真横にいたからだ。隆は薄目を開く。息を荒くしたネフィラの大きな胸が近付いてくる。


「ひいっ!? ネフィラ!! 何で隣にいるの!?」


 するとネフィラはビクッと体を震わせた後、咳払いした。


「あ、ああ……私は寝相が悪くてな。ついうっかり此処まで転がってきてしまったようだ……」


 隆はネフィラの寝ていた天蓋付きのベッドを見る。王妃の間は広い。ネフィラのベッドは隆のいる位置から五メートルは離れていた。いや、どんだけ長い距離、転がってきたの!? 嘘吐け!!


 急に不安な気分になって、隆は身震いする。


(まさか、俺を食べるつもりだったんじゃ!?)


『魔物に好かれる=魔物の好物』という解釈も出来る。もしそうなら今後、ネフィラに殺される可能性は充分にある。双子の悪魔キルがロゴスを食い殺したのを思い出して、隆の呼吸が荒くなる。


「すまなかったな。私は自分のベッドに戻る」

「あ。う、うん」


 意外にも、ネフィラがすんなり立ち去ったので、隆はホッと胸を撫で下ろした。


 ネフィラはその後、何もしてこなかったが、隆は一晩中まんじりとも出来なかった。



                ◆

 


(昨日のお詫びにスズキに美味しいもの、作ってあげなくちゃ! 何がいいかな!)


 翌日。ネフィラは一人、町の市場に趣いていた。欲望の趣くまま、スズキの寝床に忍び込んだことをそれなりに反省していたのだ。今後も主人と奴隷として仲良くやっていく為に、昨日の埋め合わせはしておきたい。


 それにしても人間が好きな食べ物とは何だろう。血の滴る獣肉よりは、野菜や魚が無難かも知れない。


 ゴザの上に並べられた様々な食材を見ていると、恰幅の良いトロルがネフィラに声を掛けてきた。


「これはこれは、ネフィラ様! 活きが良いのが入ってますぜ!」

「ほう。何だ?」

「取れたての人間の心臓です!」

「お前……! ふざけるなよ……!」


 この魔物は自分とスズキとの仲を引き裂こうというのか。ネフィラはトロルを睨め付ける。


「な、何でそんな怖い顔するんですか!? ネフィラ様、人間の心臓、大好物だったじゃないですか!!」

「む。そうか。そうだな。だが、今は奴隷用の餌を探しているのだ」

「ああ……それならそうと言ってくださいよ」


 野菜や魚を見繕った後、店主は少し悪びれた感じでネフィラに頭を下げてきた。


「良かったらお詫びにさっきの心臓どうですかね? タダでいいですよ!」

「気持ちだけ貰っておこう。今日は気分ではない」


 そう言って、ネフィラは市場を後にした。


 しばらく歩いてから、ふと立ち止まる。確かに人間の心臓は好物だ。そして店主は自分にそれを無償で差し出してきた。なのに、どうして断ってしまったのだろう。


 自分の心の変化を少し不思議に思ったが、それよりスズキの喜ぶ顔が見たくて、ネフィラは早足で食材を抱えて城に戻った。


(魚は煮ようかな? 焼こうかな?)


 うきうきとした気分のネフィラ。だが、城門を超えた辺りでスケルトン兵が、おずおずと声を掛けてくる。


「ネフィラ様。お耳に入れておきたいことがございます……」



                ◇



 元レイルーン国第三王女エクセラは、奴隷房で祈りを捧げていた。彼女にとって祈りは日課だったが、最近の対象は神ではなく、スズキだった。オルネオから、スズキがネフィラの奴隷になったと聞かされていたからだ。


(勇者様……どうかご無事で)


 そんなエクセラの祈りは中断する。奴隷房の扉が音を立てて激しく開かれ、ネフィラが真っ直ぐにエクセラの所に歩いてきた。尋常ならぬネフィラの顔付きに、エクセラは縮み上がった。凍てつくような視線がエクセラに刺さる。


「貴様。スズキをけしかけ、奴隷を解放しようと企んだらしいな」


 一瞬、エクセラは呼吸が止まるかと思った。い、一体、誰がそんな告げ口を?


 咄嗟に辺りを窺って、気付く。いつも隅で爪を噛み、震えていた男がいない。そうか。彼は自分達の話を聞いていたのだ。おそらく、その情報と引き換えに、魔王軍に身の安全を保障しろと……。


「ひ、姫は勇者をけしかけたりなど、しておらぬ!」


 オルネオが間に入ろうとするが、ネフィラの眼中にない。鋭い視線をエクセラに張り付かせたままだ。


「小娘が。悪魔を舐めるなよ」

「勇者様は!! 勇者様の処遇は!?」

「スズキには、このことは言っていない。スズキはお前らの悪巧みに乗せられただけだろうからな」


(ゆ、勇者様には怒りの矛先が向けられていない……!)


 通常、このような場合、奴隷として忍び込んだ勇者が真っ先に疑われて、罰せられるのではなかろうか。なのに……。


 やはり、凄まじい能力だとエクセラは震撼した。この力があれば、本当に魔王軍を手懐けられるだろう。奴隷の全解放も夢ではない。だが、人類にとって麗しいその未来を、どうやら自分は拝めそうにない。


(きっと、私はこれから殺されるんだわ)


 それでもエクセラは構わないと思った。この残虐すぎる世界で、一条の希望の光を見ることが出来たのだから。


(勇者様はこの世界を新しいものに変えてくれる。私のいなくなった未来で――)


 しかし、ネフィラは忌々しそうな顔で舌打ちする。


「すぐにでも殺してやりたいが……お前が死ねばスズキが悲しむかも知れん」


(ああ、神よ!)


 助かった、とエクセラは神に感謝する。だが、エクセラの胸に広がった希望はすぐに立ち消える。ネフィラの氷のような視線が、自分からオルネオに移っていた。


「お前の代わりだ。この老いぼれを殺す」

「そ、そんな!」

「死に損ないの老いぼれなら、スズキもさほど悲しむまい」


 思わずネフィラに詰め寄ろうとしたが、隣のオルネオはエクセラの肩に手を置き、首を静かに横に振った。


「オルネオ……!」

「早晩、この国に魔王軍参謀セルフィアノ殿が来られる。老いぼれの処刑はその時だ」


 そう言ってネフィラは踵を返した。



 ネフィラが去った後。エクセラはオルネオにすがりつくようにして泣いた。


「どうして! どうして! オルネオが!」

「姫様。心配なされるな。あの悪魔が言った通り。どの道、ワシは老い先短い身じゃて」

「オルネオは、ずっと私に尽くしてくれました! 父様や母様にも見捨てられた、私に!」


 レイルーン第三王女として生を受けたエクセラは、血の薄さから王位継承の蚊帳の外だった。城内で不当な扱いを受けることもしばしばだったエクセラに、オルネオはいつも優しく接してくれた。幼い頃から、実の祖父のように育ててくれたのだ。


 自分が殺されると告げられた方が、遙かに楽だったかも知れない。エクセラの胸は今にも張り裂けそうだった。

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