第2話 ネフィラと仲間と隆のその後

 魔王軍直属特別攻撃隊『雷槍疾走』の長であるネフィラにとって、この日は待ちに待ったレイルーン国への侵攻だった。魔王軍の中でもより攻撃に特化し、大戦では常に先陣を切る精鋭魔物六百体から成る『雷槍疾走』は順調に町を制圧。人間の血飛沫に染まった体で、サイネス城へと乗り込んだ。


 城内には心得のある兵士や魔術師などが多数配置されていたが、雷槍疾走が誇る精鋭の敵ではなかった。ネフィラは堂々と表門から城内に侵入。幹部である悪魔・メルキル姉妹と共に兵士らの喉を掻ききり、臓物を散らしながら王の間に辿り着くや、たちどころにサイネス城を攻落した。


 人間は、奴隷や食料としての用途はあるが、それは町に住む奴らで事足りる。城にいる者は見せしめの為に皆殺しにするつもりだった。恐怖による統治は悪魔の常道であり、ネフィラはこれまでずっとそうしてきた。他の悪魔同様、ネフィラは人間に対して何の感情も抱かない。虫ケラを殺すのに心を動かされたことなど無かった。


 この時までは――。

 

 今、ネフィラは激しく動揺していた。問題は目の前にいる、この生物だ。見かけは間違いなく人間。クズで虫ケラ以下の人間だ。なのに、


(えっ。ちょっと何コレ。可愛い……)


 つぶらな瞳に中肉中背の愛らしい風貌ときたら、どうだ。怯えた様子がまた哀れで、そっと手を差し伸べたくなる。


 先程、この生物に胸の辺りを撫でられた感触がまだ残っている。そもそも普段なら人間など、触れられる前に瞬殺している。なのにあえて触れさせてしまった。不思議な感覚がネフィラを襲う。


(胸が暖かい……。なんなの、この感じ。い、いや、今はそんなことより……)


 ネフィラは内心、歯噛みする。彼女の後悔――それは、部下達の前で堂々と「万死に値する」と、この可愛い人間に対して宣言してしまったことだった。

 

 人間ごときが魔王様の恩恵も厚い自分に対し、攻撃を仕掛けてきたのだ。一隊の長としても、当然の台詞だった。だが、目の前でプルプルと小刻みに震える、この何ともたとえのようのない愛らしく、可愛い人間を殺すことなど出来るだろうか。いや、出来るはずがない。だって凄く可愛いんだもの!


 かといって「ウソウソ。やっぱりやーめた」などと言えば、長としての沽券に関わる。ネフィラは平静を装いながらも懊悩していた。


(あああああ!! 一体どうすれば良いの!?)



                ◆


 ネフィラの右腕であり、雷槍疾走の幹部である双子悪魔の妹メルは、べっとりと血の付いたアサシンダガーをきつく握りしめていた。今日の侵攻中、この武器で切り裂いた人間は百を超える。


 ちらりと隣にいる姉のキルに目を向ける。蒼髪ポニーテールの自分とは対照的な赤髪ツインテールのキルは、愛用の死神の鎌で二百を超える人間の首を刈り取っていた。


 元来、仲の悪い姉妹ではない。だが、そのことはメルにとって少なからず劣等感を抱かせていた。姉に勝ちたい。そんな気持ちが彼女の心の中にあった。


 事の発端は、姉のキルだった。長であるネフィラが攻撃を受けた。それについてメルが何か言うより先に「ネフィラ様に殴りかかるとはこの命知らずのカスめがっ!!」とキルが啖呵を切ったのである。つまり姉に先を越されてしまったのだ。


(ううー! 姉様に負けたくないー!)


 慌てて、もっと迫力のある、悪魔らしい台詞をと思い、


「内臓を引きずり出してやろうよー! 腸のネックレスを作るんだー!」


 などと宣ってしまった。だが言った後で冷静になり、改めてこの人間に視線を向ける。筆舌に尽くしがたい程の可愛らしい生物を眺めていると、後悔が波のように押し寄せてきた。


 腸でネックレスを作ると聞かされた時の、あの泣き出しそうな可哀想な顔。メルの中に激しく罪悪感が渦巻いた。こんな可愛らしい生物の内臓を引きずり出す? いやいや、ありえない。そもそも腸のネックレスって何なの。いらない。誰が付けるの、そんなもの。


 土下座して謝りたい。そんな気持ちでいっぱいだった。だが、流石に悪魔が人間に頭を下げることなど出来やしない。


 それでも、メルには一つの希望があった。


(ネフィラ様は攻撃を仕掛けたこの人間を決して生かしてはおかない! その時がチャンスなのー!)


 メルはネフィラに直談判しようと決心していた。しかし、相手は雷槍疾走の長。冷酷非道な無敵の悪魔だ。もちろんタダで済むとは思っていない。お詫びに自分の腕を一本、さしあげるつもりだ。そうすればネフィラ様も納得し、あの人間も感激し、感謝してくれるに違いないのだ。




                 ◆


 双子の姉である赤髪ツインテールの悪魔キルも激しく後悔していた。

 

 自分達の長であるネフィラが人間に攻撃を受けた。その刹那、


「ネフィラ様に殴りかかるとはこの命知らずのカスめがっ!!」


 咄嗟にそう叫んでしまった。カスと罵られた時、あの可愛い生物はビクッと体を震わせたように思う。それは本当に申し訳なかったが、まぁ隊長が攻撃されたのだ。そのことについては、百歩譲って良しとしよう。問題はその後。


 メルに「内臓を引きずり出す」という悪魔らしい台詞を言われてしまい、つい後に何か言葉を続けなければと思い、「ぎげげげげ! 生きたまま目をくり抜くのはどうだあっ?」などと口走ってしまった。キルはそのことが許せなかった。


 今、眼前で震える人間を見て、思う。こんな可愛らしい人間の目を生きたままくり抜くなど正気の沙汰では無い。いや、普段なら呼吸をするような感じで造作も無く出来るのだが、この人間に対しては別。だって、そんなことしたら可哀想じゃない。


 そして最大の後悔。それは、この人間の前で「ぎげげげげ」と大口を開けて笑ったことだ。


(何だ、あの笑い声! 恥ずかしい! もう死にてえっ!)


 そんな笑い方、キルは普段しない。ただ周りにまだ生きている人間がいたので、迫力を出す為に使った声色だった。この可愛らしい生物は、自分の発したあの下卑た笑い声を聞いてどう思ったろう。下品と思ったに違いあるまい。近寄りたくないと考えたに相違ない。ああ、時間よ戻れ。そしたら今度は「あらあら。そのようなこと、よろしくございませんことよ」とか言うのに。


 自分の第一印象はおそらく最悪。だがキルには希望が残されていた。冷酷なネフィラ様は間違いなく、攻撃を仕掛けてきたこの人間を殺そうとするだろう。チャンスはその時。自分の足を切り落とし、ネフィラ様に交換条件を持ち出し、代わりにこの人間を許して貰うのだ。そうすればこの人間の印象も良くなり、自分を見直してくれるに違いない。




                 ◇

 

 三体の悪魔は隆をジッと見詰めていた。長く続く沈黙。その間に、王の間に侵入して暴虐の限りを尽くした魔物達は、みな出て行ってしまった。


 今、王の間には隆と、褐色の悪魔。そして小柄で似たような顔立ちをしている二体の悪魔だけだった。


 彼女らは何をするでもなく、ただただ隆を見詰めていた。無為に時間だけが過ぎていく。隆はもう、この沈黙に耐えられなかった。


 「い、一体俺をどうするつもりだ!」


 遂に叫ぶ。恐怖で声が震えていた。褐色の肌の女悪魔は、チラチラと部下の顔を窺った後、


「あ、ああ。そうだな。貴様は人間。無論ただでは済まさぬ」

「こ、殺すんだな?」


 小柄の悪魔の片方が鎌を掲げ、もう一方はダガーを構える。ただならぬ気配が辺りに漂った。その様子を見て、隆は「ひっ」と呻いた。だが、褐色の女悪魔は小柄な悪魔達を制するように、右手を上げる。


「そう焦るな。別に貴様を殺すという訳ではない」

「う、嘘だ! さっき万死に値するって言ったろ!」

「言った。だが、殺すとは一言も言っていない」


 小柄な悪魔達もぽかんとした顔付きをして褐色の悪魔を眺めている。えっ。何だ。万死に値するって殺すって意味じゃないのか。じゃあどういう意味なんだ。

 

「『人間』ではいささか呼びにくい。名を名乗れ」

「鈴木……隆……」


 ぼそりと呟く。すると褐色の悪魔は頬を少し朱く染めた。


「スズキ……良い名前だ……」


 小柄な悪魔達も何処か優しげに微笑む。


「うん。とても良い名前だねー。爽やかな感じがするー」

「ああ、響きが最高だ。どことなく高貴な趣を孕んでいるぜ」


 悪魔達は日本でごくごくありふれた名字を、こぞって褒めだした。隆はそんな悪魔達の言動にただただ怯える。な、何なんだ。どうして急に名字を褒め出した? 


 理解出来ない。悪魔と人間は思考回路が全く違うのだろう。


 すると突然、


「わ、私、メルって言うのー! こっちにいるキルの妹! よろしくねー!」


 ポニーテールの悪魔が隆に手を差し出してきた。隆は怖くて体を震わせる。ツインテールの悪魔が大声を上げる。


「メル、お前っ! 軍団長であるネフィラ様より先に名乗る奴があるかよ! ……私はキル! メルの姉だ! これから仲良くしような!」


 ツインテールの悪魔も隆に手を差し伸べる。その刹那、


「貴様らァァァ!! 私が先だァーーー!!」


 ネフィラが、長い片足を大事なところが見えるくらいに高く上げ、そして一気に振り下ろす。足踏みをしただけなのに、大理石の床石が弾け飛び、陥没した。


「ひー、すいませんー!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 悪魔姉妹が頭を垂れるがそんなことより、隆は足踏みだけでクレーターのように大理石の床を陥没させたネフィラの恐るべき力に戦慄していた。


「我が名はネフィラ。六百体の魔物を統率する『雷槍疾走』の長だ。メルやキルよりもずっと強い。つまり、ものすごく偉いのだ」


 おずおずと二人が引き下がる。勝ち誇ったようなネフィラを見て、隆は震え上がる。


(さ、さっきからコイツら、我先われさきにって感じで言い争ってる? ……はっ!)


 隆は恐ろしいことに気付く。もしかしたら、こいつらは自分を食べる順番を争っているのではないか。そうだ! そうに違いない!


「お、俺を食べても、うまくないぞ!」


 一瞬の沈黙の後。悪魔姉妹がけらけらと笑う。


「あはははは! スズキを食べるなんてそんなー!」

「バッカだな、お前! 悪魔に偏見持ちすぎなんじゃねえか!」


 メルとキルの様子を見て、隆は少しだけ安堵した。


「そっか。お前達、人間は食べないんだな?」

「いや普段は全然食べるけどな!」

「うん! もりもり食べるよー!」

「やっぱ食べるんじゃないかよ!! ってか、思い出した!! お前、さっき内臓を引きずり出すとか言ってたろ!!」


 隆はメルを指さす。するとメルは気まずそうに、そっと視線を床に向けた。


「……言ってない」

「言ったよ!! 何で嘘吐くの!? それから、そっちの赤毛は、生きたまま、お、俺の目をくり抜くとか何とか!!」


 向けられた隆の指を避けるように、キルは気まずそうにツインテールの赤毛をいじった。


「……全く覚えてねえ」

「一体、どういうこと!?」


 人間を食べないと言ったり、やっぱり食べると言ったり、それから言ったことを覚えていないという。隆には、この悪魔達が何を考えているのか全く理解出来なかった。やはり悪魔の思考は、人間の理解を大きく超えているのだろう。


 それでも、いやそれだからこそ、隆はハッキリさせなければならなかった。


「お前ら結局、俺をどうするつもりなんだよ!?」


 大声で叫ぶ。双子悪魔が困ったような顔をネフィラに向けた。


「えっ、ちょっ……」


 ネフィラはそう言って一瞬、戸惑うような素振りを見せたが、即座に顔を引き締め、雷槍疾走の長らしく右腕を大きくかざして宣言する。


「牢獄だ! スズキを城の地下牢に叩き込んでおけ!」


 ネフィラの指示を受け、双子悪魔が頷き、少し嬉しそうに隆の腕をそれぞれ抱えた。


「待て!!」


 隆が王の間から連れ出される寸前。ネフィラの怒号のような声が王の間に木霊する。


「一日三食!! 水分もしっかりと与えよ!! 牢屋内外には厠を用意!! 加えて、健康的な睡眠時間の確保!! 天気の良い日は外で日光浴もさせ、体調が悪くなった場合を鑑み、常に見張りの悪魔を置け!! それからあと、おやつは三時!! 分かったな!!」

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