二 刺青

 宋は、文化面では他の時代に引けを取らぬながら、建国当初の建隆(九六〇)元年から、すでにその四方を異民族に脅かされていた国であった。

 先に述べた契丹との経緯もそうであったし、同方に金、北西を西夏、ウイグル、西を吐藩、というような異民族の建てた国が林立していた。それもこれも、宋の太祖、趙匡胤が軍人の政治介入を嫌い、軍閥を解体したからである。

 自分自身、五胡十国時代に乱立した国の一つ、後周に仕えた武人でありながら、否、武人であるがゆえに、それが持つ「毒」というものを肌で知ったのであろうか、詳細は省くが、彼は事あるごとに軍人の力を削ぎ、文官をことさら優遇した。それまで連綿と続いていた科挙制度を強化し……例えば、その最終試験には皇帝自らが面接に当たるという殿試を設けるなどして、皇帝の力を強くしようとしたのである。

 例え科挙に合格したとしても、武人たちほとんど全て、下の官位にとどめられた。国政の中枢ばかりではなく、地方政治でさえも担うのは文官だったのである。さらには、軍司令官でさえ文官だったのだから、必然的に対外的な軍事力は弱くなる。

 ゆえに、契丹とはまことに屈辱的な和議を結ぶことになるのだが、それでも太祖は文官優位の姿勢を崩さなかったのだから、その「軍人嫌い」ぶりは徹底していたと言えよう。

 狄青の時代になっても、宋の文弱さは変わらなかった。宋はすでに第三代真宗の代になっている。四方をいわば「敵」に囲まれており、しばしばそれらの進入を許していながら、それでも辛うじて三代続き、現在は四代目の仁宗の代になっていることなどは、奇跡に近いと言って良いかもしれない。

 しかし、それは文弱であったとはいえ、宋の軍事力がそれらをまだ上回っていたからだ、と断言できるものではない。異民族の国との境に住んでいる、狄青のような名もない庶民たちが、国のため、というよりも、自分たちの暮らしを守るために自ら武器を取って戦ったおかげではないか、とするのは勘繰りすぎだろうか。

 ともあれ、今回、狄青が立ち向かうことになった西夏は、そんな宋と契丹が争っているのを横目で見ながら、独自の発展を遂げていった国である。もっとも西夏、というのは、宋側の人間が呼んでいた国名であって、西夏の人々は己の国をただ単に夏、と呼んでいた。それを宋朝廷が西夏、としたのは、当時の認識においては伝説上の古代王朝に過ぎなかった「夏」と混同するから、という理由と、宋から見て西にあるから、との理由による。

(西夏、か。我が村にもやってきそうだと兄者は言っていたが)

 夏の太陽は、ちょうど中天にかかっていた。それから目を反らして、狄青は、

(あちらあたりになるか)

 北西を見た。到着したばかりの開封から見ると、我が故郷はその方角にある。

 門の詰め所にいる役人へ、出身地と用件を告げたところ、一旦引っ込んだその役人は手続きに戸惑っているのか、なかなか外へ出てこない。その間、大きく開放されたその門の外から伺うだけでも、「都市の香」が匂いたってきそうな気がする。

 出てきて数ヶ月ばかりにしかならぬ故郷と、そこからの道程を心の中で描く一方で、都の賑やかさに狄青は驚いていた。

 この時代において、彼の生まれ故郷である汾州から、首都開封へ行くための道を大雑把に述べると以下の二つがある。

 まず一つ目は、いささか大回りであるが、汾河沿いにある京畿道を通って南西の渭水へ出、それより向きを東へ変える。そこから今度は黄河本流沿いの都畿道を、長安、東都(洛陽)などの都市を経て開封へ到達する、といったルートである。

 この道は、唐代においても。我が国天台宗延暦寺の三代座主、慈覚大師円仁によって「利用」されている。承和五(八三八)年から承和十四(八四七)年、単純計算で足掛け九年に渡るこの旅を元に、彼は後に旅行記『入唐求法巡礼行記』を記した。そこには、太原、汾州はもちろん、山西省南部における晋州、高陵など、汾河沿いにあって、今でもほぼ受け継がれている当時の地名が鮮明に記されている。

 日本を出発した円仁は、まず長江の河口に到着した。最終的には長安に到着することが目的だったわけだが、そこから真西へ進むことをせずに進路を北へ取った。河北道、河東道に点在している寺院を訪ね、五台山をぐるりと巡って、都畿道を南下する道を歩いた、という。

 その記録内で、円仁は狄青ら出身のこの地方が、訪れた際に蝗やバッタの被害を受けていたと書いた。その惨状をつぶさに見ながら、一行は宿泊所にした普通院を出て、新橋渡しへ到着する。その辺りの風景は、まことに穏やかな田園そのものだ。新橋渡しで汾河を渡り、さらに南西へ向かうと、河中節度府(現永済市)へようやく到達する。

 ちなみに、この地方を円仁が通過したのは、日本元号における承和七(八四〇)年八月七日頃である。

 旅行記には、八月二十日に長安の春明門外に到着した、とあるから、晋州から長安まで、僧侶である円仁の足でおおよそ二週間かかった計算になる。であるから、当然ながら円仁より若い狄青ら青年の足は、もっと早かったろう。

 もちろん、狄青らの目的は長安へ行くことではないし、開封到着の期限は厳しく定められているから、タイハン山脈の山間にある道及びそこに点在する町々を辿って、洛陽を目指したかもしれない。というよりも、こちらの道を辿った可能性のほうが高いと考えられる。こちらは、筆者の推測する二つ目のルートである。

 途上、寺院や民家を宿泊所として借りながらの旅は、基本的に徒歩である。当時、旅の僧や、徴用されて都へ赴く兵士たちに、住民たちが宿泊所や食を無償で提供する、というのは、暗黙の了解であった。

 先ほどの円仁もまた、寺院や民家に宿を借りながら旅をしているのだが、全ての人々が温かく迎えてくれたわけではない。中には「義務だから」「貸さなければ罰せられるから」といった感情で、いやいやながら応じた人々もあったろう。そんな「宿」の主を、円仁はかの著書で、

「この家の主人はごろつきである」

「この寺院の住職は、客に対する礼儀をわきまえていない」

 などと批判したりもしている。僧侶としてではなく、生身の人としての感情が剥きだしになっているようで、大変に面白い。

 ともかく、狄青ら朴訥な青年たちも、そのように大変な苦労を味わいながら、開封にたどり着いたと推察される。

 山岳は、彼らの日常の狩猟場であったから、歩くのは慣れている。とはいっても、生まれて初めて踏む土地なのだ。不安が高じて「帰りたい」と素直にぼやく仲間もいたろうし、実際に逃げ出そうとする輩もいたろう。

 そんな若者たちを、

「都に着けば良い物も食えるし、女も抱けると言われたではないか」

「俺たちは正規の兵隊なのだから、日々の銭もたっぷりもらえると聞いただろう」

 と、なだめ、すかし、狄青は率いてきたのだ。

 まさに、心身ともに「くたくた」である。だが、その疲労も、

(この賑やかさは、どうだ)

 都市の様子を前に、一気に吹き飛んだ。

 この時代の開封は、現河東省開封市に当たる。この時代に記された宋史などにおいては京師、とも表現された。

 城内は、外城、内城、宮城に別れており、それぞれを堅固な城壁が護る。側を流れる黄河がしばしば氾濫したため、この時代の都市は、現代開封市の地下深くに埋もれてしまった。一九八一年より始められた発掘工事で分かったところによると、都市の規模は南北約七・六キロ、東西約七キロで、唐時代における長安の都より一回り小さい。

 とは言っても、

(太原府とは比べ物にならない)

 ようやく再び中から出てきた先ほどの役人に連れて行かれながら、狄青はため息と共に思った。何と言っても宋の首都なのだ。当然ながら、狄青の故郷近郊の「大都市」とは桁違いのスケールである。

 治安のため、開封の門は夜の三更(午後十一時)から朝の五更(午前四時)まで閉じられて、出入りが一切禁止となる。軍人嫌いの朝廷だが、警備の点は抜かりがなく、瓦や石を埋め込んで舗装された街路の所々に禁軍の詰め所があった。そこから役人達が交代で、城内を夜通し巡回する、という仕組みである。

 やがて時刻が来てその門が開くと、待ち構えていた商人や旅人たちが勢いよくなだれ込む。彼らの目に飛び込んでくるのは、民家ばかりでなく、食べ物の匂いと、それらを売る屋台が道路の左右に所狭しと並んでいる風景だ。

 言うまでもないことながら、それらの屋台は商人や旅人目当てである。道路もまた長安のそれに比べると狭いが、活気という点では遥かに長安を凌いでいた。

 開封がここまで賑わったのには、いわゆる市制・坊制が二つながら消滅したことによる。

 市制というのは、唐の時代まで存在していた、商売をするのに必要な登録と、場所の届出のことである。坊制というのは、都市内を一定の区画に分けてこれを坊とし、さらに坊を区切るための壁と門(坊門)を設けた制度を指す。

 宋の代においても、町作りの際にそれらの制度は持ち込まれたはずなのだが、城内の住民自らが不便だというので壁及び坊門を壊してしまい、いつしか坊制は跡形もなく消滅してしまった。

 そしてまた、坊制の消滅と共に、市制による城内における商売の時間、場所の制限も自然に無くなった。従って、開封城内では夜も商売が行われている、といった具合だ。

 人々の懐具合に応じて、一食数十銭でそこそこの物が食える食堂もあるし、一貫という高い食事料をとる高級料亭もある。そのような料亭では、妓女をも世話した。後の代になるが、風流天子徽宗と李師師の恋愛話もそこから生まれたのである。

 さらに、開封城内には、三本の運河も作られている。それは主に江南からの物資を運ぶための水路で、その水路脇にも商魂たくましい人々が屋台を広げていた。最も大きな運河は、城内の相国寺まで通じていたというから、必定、人々はそこで荷下ろしをすることになる。仲買人や、直接買い付けをする人々も集まったというから、さぞや、かしましい取引が行われたことであろう。

 役所へ向かう最中も、水路をひっきりなしに船が行き交う。船の中にいる人々が、岸の店へ船を寄せ、物品を購入したりもする光景も目に入ってきて、

(大したものだ)

 故郷の若者たちの先頭に立って、人で溢れかえらんばかりの街路を右へ左へ案内されていきながら、狄青はただただ、素朴な感想を抱くのみだった。

 引率の役人の目もなんのその、

「何某から手に入った珍しい果物がある」

 と、彼らの薄汚れ、埃まみれの袖を引く商人がいると思えば、

「買っていかないか。後でも良いから寄ってくれ」

 と 、誘う、脂粉の香を濃く漂わせた、何とも艶やかな雰囲気を持つ女人もいる。当時は、就いていた職業によって……乞食に至るまで……服装が決まっていたし、それによって一目で職種が分かるようになっていたというから、さすがに狄青にも、

(そういった類の女か)

 ということが分かった。

 特に、彼女らばかりではなく、この時代の女性が好んで着た、つまり「流行っていた」、背子といわれる上着までもが、何とも華やかなものに思えてしまう。

(参った。ここに長くいると、毒されてしまうかもしれない)

 役人によって苦笑交じりに追い払われ、しかししばらくするとまた懲りずに己の周りに群がってくるその人々と、膝まである背子を着た女人に誘われて、鼻の下を伸ばしている村の仲間たちとを見ながら、彼もまた役人同様、内心苦笑したものだ。

 そのような人々以外にも、切り絵や動物の芸、影絵などで人々を集めている芸人がいると思えば、

「説三分小屋である。気を反らすな」

 何やら大勢の人々が集まっている小屋があり、大衆の前で大仰な格好をしながら講談を垂れている人物もいたりする。だもので、どうしてもそちらへ目が行く狄青ら朴訥な青年たちを、引率役人がたびたび叱咤する羽目になった。

 全くもって、目に入るもの全てが珍しい。引率人の案内がなければ、どこをどう歩いているのか、皆目見当も付かぬのだから、青年たちも叱咤される都度、慌てて視線を前へ戻す、といったことを幾度となく繰り返したものだ。

 それやこれやで真に賑やかな大通りを歩いていき、門を二つくぐると、辺りの風情は再び変わり、見るからに高級で閑静な住宅街の様を呈してくる。大通りの位置からすると、やや北東へ向かったとある門の前で、

「これより、宮城内である。粗相のないように」

 引率役人は立ち止まり、厳かに声をかけた。

 宮城の周りには、当然ながら高級官僚達の広大で瀟洒な屋敷が立ち並んでいる。宮城へ続く門付近には、忙しそうに出入りしている人々の姿も見えた。彼らは皆、この時代独特の、枝が左右へ突き出したような冠を被っている。

(ああ、あれが実際に、この国の政治とやらを見ている官僚か)

 初めて官僚を目の当たりにした狄青の、これが素朴な感想だった。

 彼自身、後に誰もが驚くほどの高位に上るとは想像もしていなかったのだから、むしろ当然である。

 しかし案内された場所は、懐かしさをさえ思い起こさせる小さな民家で、

「この部署が、宮城内に収まりきれなかったのだ」

 と、ここまで彼らを引率してきた役人は、言い訳のように呟きながら、狄青たちを中へ招きいれた。

 宋の都、開封は、先述のように都というにはあまりにも小ぢんまりしすぎている。ゆえに、宮殿の中だけでは必要とされる官庁が入りきれず、「あぶれた」官庁はその外に溢れているという有様だった。その中には民家を借りているものもあったから、狄青たちが案内されたのもそのうちの一つだったのだろう。

 せいぜいが二間続きの、床机が二つ三つしか置かれていない、まことに小さな「官庁」である。彼らが中へ入ると、そこには四、五人の役人がおり、

「やあ、到着したか。遠路はるばる、ご苦労である」

 そのうち、中央に置かれている床机についていた人物が、顔を上げて微笑んだ。

 かなり年若で、目鼻立ちの整った青年である。顎の下で正しく冠の紐を結び、衣をまとっている姿には、一糸の乱れも無い。

(ひょっとすると、俺より年下ではないか)

 思いながら、狄青がその顔を見つめていると、

「早速であるが、君らの代表は誰か」

 再び、少々の威丈高さを含んだ声で、その役人は言う。

 問われて、しばし顔を見合わせた後、

「俺……私です」

 青年たちの中から、狄青が一歩前へ出た。その頑丈な体をほれぼれとしたように見上げて、

「名は」

 二重の目を少し細くし、かの役人は再び問う。

「狄青です」

「君の生まれは」

「太原近くの汾州です」

 問われるまま彼が答えると、

「そうか、太原はのどかで夏でも過ごしやすい、大変に風光明媚な良いところだと聞く。その通りか」

  役人は、女性とも見まごう、白く端正な顔を少しだけほころばせて言った。

「はい、その通りです」

「そうか、それはぜひ一度訪れたいものだ」

「はい、機会があれば、ぜひ」

「君が案内してくれるか」

「貴方さえよろしければ」

 釣られて頬を緩めた狄青を見て、

「よろしい、その時は頼む」

 役人は微笑し、

「申し遅れた。私は韓琦という。今回の戦いでは、今もなお前線で奮闘されている范仲淹殿と同様、陝西帥臣(軍司令官)の役目を頂いている。君らを私自身の目で見るために、期限ぎりぎりまで留まっていたが、四日後には前線へ赴かねばならない。君たちを直接率いて戦うことになるのは」

 一つ頷いて、傍らにいたもう一人の役人を振り返った。こちらは狄青や韓琦より一回り年上と見られる、少々青黒い顔をした中年男である。

「こちらの、尹洙殿である。何か不便があれば、尹洙殿へ直接申すがいい。私は所要があるので、これにて。では失敬」

 そして尹洙を振り返り、「後は任せました」と言ったかと思うと、韓琦は忙しそうに外へ出て行ってしまった。その後を、数人の役人達が慌てて追う。

「若いながら、大層な出世をしておられる方だ」

 その幅の狭い背中を、呆気に取られて見送る青年たちへ、後に残った役人の一人である尹洙が、苦笑しながら声をかける。

 韓琦、字は稚圭。相州安陽(現河南省)の人である。天聖五(一〇二七)年の科挙最終試験である殿試において、齢十九という若さで次席合格し、進士となった。

(俺と同年だったか。だが教養も何もあったものではない俺とは、えらい違いだ)

 それを聞いて、狄青は内心密かに苦笑した。そもそもが、比べても詮無いことである。当然ながら、そんな彼の様子を気にも留めず、

「だが、誰よりも公平無私な方である。君たちの働きも、きっと高く評価されるであろう」

 韓琦よりさらに小柄で、肩幅も狭いこの尹洙は、己のことのようにとくとくと続けながら立ち上がった。

 そして、

「韓琦殿から紹介に預かったが、改めて……私は尹洙という。軍政官のお役目を頂いている。以後、よろしく頼む。希望があれば私に遠慮なく、何なりと申すがいい」

 手にしていた書類を机へ戻して、判のようなものを押す。「これで無事に引継ぎは完了」と、口の中で呟いたところからすると、その書類は狄青らについて書かれていたものに違いない。

 尹洙はどうやら、先ほどの韓琦とのやり取りから、外見と同様、素朴で簡潔な狄青の答え方に好感を抱いたらしい。

「さて、狄青殿とやら」

 判を押した書類を側にいた役人へ渡しながら、愛想のよい笑顔で再び彼を見上げ、

「そなたが代表者であるなら、兵をまとめるために位が必要だ。君らの官位を決定するのも私の役目である。さしずめ、三班差使でどうか」

 と問うた。

 三班差使は、一個小隊をまとめる下級将校、といった地位である。要するに、「下っ端」に過ぎない。しかし、そう問われても、当然ながら狄青には官位のことなど分からない。であるから、

「構いません」

 また短く答えた。

 すると尹洙は、

「よろしい、よろしい」

 丸い目をさらに丸くして、鼻の下で左右に長く蓄えた髭がしなるほどに、大きく二つばかり頷く。

 「是、是」と言いながらそんな素振りをする、どうやらこれがこの人の、「自分が深く納得いった……」折に出る癖らしいと狄青が知ったのは、これから少し後のことであるが、

「我が国の軍は、西夏相手に苦戦している。君らは騎射に長けていると聞いた。従って一週間ばかり後には、前線に出てもらうことになる」

 いかにも善人風な外見とは裏腹に、繰り出される言葉は厳しい。

(訓練もなしに、か)

 いやしくも、国の軍隊である。何らかの訓練は施されるものと思っていたから、 物を知らぬ狄青も、さすがに不安を覚えたし、村の仲間たちもどよめいた。

「まことに申し訳ないが、我が国はそれほど苦戦に陥っているということだ」

 彼らが戸惑っているのを察したらしい尹洙も、苦笑を浮かべて続ける。

 実際、この頃になると、西北の国境付近には、西夏が頻繁に侵入を繰り返していた。宋側もそれに対抗するため、兵を繰り出しはするのだが、いかんせん士気に乏しいため、いざ戦いとなると負けてばかりである。そして負けが込んで死傷者が増え、さらに士気が下がる、といった悪循環に陥っていたため、すぐにでも実践に使える者たちが必要とされたのだ。もっと言えば、ろくに訓練されていないため、統率も取れておらずバラバラである。

 さらに尹洙は、

「君らを信用していないわけではないが」

 と、戸惑っている彼ら純朴な「田舎者」のほうへつい、と一歩を踏み出して、

「君らの顔に墨を入れさせてもらう。悪く思ってくれるな。これは規則なのだ。君らだけに施すのではない。せっかく集った者に逃げられては困るという、天子の思し召しである」

 この時ばかりは、硬い表情をして言った。

「その代わり、我が国の兵士になったからには、出来る限りの優遇はする。必要な物も取り揃えよう。私に精一杯出来得る範囲で、君らの希望を叶えると約束する」

 どよめく青年たちへ、駄目押しのように「ゆえに奮戦して欲しい」というようなことを述べて、尹洙は言葉を結んだのである。




 さて、時刻は数日後の夜半に移る。


 開封の風は、故郷のそれとは違って湿り気を帯びている。夏のことでもあるし、妙にその風が生暖かく感じられて、

(寝苦しい) 

 狄青は、兵宿舎の寝床の上で何度となく寝返りを打った。最も、眠れぬのは、気候や水が変わったせいではなくて、つい昨日、頬に彫られた入墨のせいかもしれぬ。

 開け放しの窓から吹き込んでくる湿った風は、傷を負ったばかりの頬へ容赦なく染み込んで、じくじくするような痛みを与える。その傷が固まるまで触れてはならぬと言われた頬は、形ばかりの布で覆われていた。その箇所を、ともすれば短刀でこそげ落としたくなるような感覚に耐えつつ、

(やはり、痛むな)

 彼は素直に思った。

 言わずもがなのことかもしれぬが、刺青は、先を黒い墨に浸した針で彫る。腕や足など、ある程度皮膚の硬い箇所においても、まるで何かに打たれたような、熱く鋭い痛みが肌を襲う。

 顔の目立つ場所に刺青を彫られるとなると、額か頬であろう。そのどちらも神経が集中している場所であるため、先述の痛みは腕や足の倍以上である。従って宮廷内の医務室では、針が顔の皮膚を刺す都度、部屋のそこかしこで呻き声や、時には絶叫が上がることになった。

 もう故郷には戻らぬと、覚悟を密かに決めていた狄青はいざ知らず、

(何某などは男泣きに泣いていたな)

 その折、両脇を押さえつけられて、

「刺青を入れる、故意に傷をつける、というのは、これ以上はない不孝である」

 と、必死で暴れ、叫んで泣き喚いたものの、結局は、

「そのような意気地のないことで、前線の兵士が務まるか」

 などと叱咤されつつ、頬へ墨を入れられていた村の仲間の顔を思い浮かべ、

(あの旅の途中では、旨い物もたっぷり食う、女も抱く、と調子良く言っていた奴なのだがな)

 彼はわずかに口を曲げた。

 宮城を、ひいては国を守る近衛兵として徴用された、と言えば聞こえはいいが、貧しい農民たちにとってはその実、

(少なくとも家を出た人間の分、食料は助かる……)

 といったような、体の良い口減らしに過ぎぬ。

 狄青と共にやってきた仲間たちとて、自分が兵士になることで、少しでも家族が生き延びられるのなら、といった風に、あるいは「兵士になれば良いことずくめである」と言われたことで、無理に自分を納得させて故郷を出てきた者がほとんどである。一目で兵卒と分かる刺青を入れられてしまっては、故郷に逃げ帰ることも出来ない。

 故郷で暮らしていた頃より格段に良い食事を与えられても、入れられたばかりの刺青が痛むために、ろくに開けられぬ口では食えぬ。なるほど、見たことのない額の「給料」を与えられて、懐は温かくなったから、その気になれば妓楼へも行ける。そこで、田舎では到底お目にかかれぬ女も買えよう。だが、いざ「その段」になると、傷が疼いてそれどころではなくなるのは明白である。

 ゆえに結局、刺青を入れられたばかりの兵卒たちは、どこへも行けずに宿舎で呻吟することになる。どちらの頬を下にしても、鼓動と同じ間隔で脈打つような痛みが下になった側の頬を襲うため、寝返りも打てぬといった有様なのだ。

 皆が皆、彫られた刺青の痛みと、

(親から受け継いだ肌に、まるで罪人のごとき刺青をされた……)

 刺青を彫られたことによる心の痛みとに呻いている。そんな有様で、

(出発までゆっくり休め、城内ならどこへ行っても咎めない、と言われても、どうしようもあるまい)

 昼間の尹洙の言葉を思い返しながら、彼はついに寝床の上で半身を起こした。同時に、

(尹洙殿が「一週間後の出征」と言ったのは、刺青をした傷がとりあえずは癒え始めよう、という刻限だったのだ)

 と、今更ながら気づいて、深くため息を着く。確かに一週間もあれば、どのような傷も一旦は症状が落ち着こう。だが、この有様では何某が嘆くのも無理はない。

 何の気なしに外を見ると、闇の中で、何やら白い物が動く気配がした。よくよく目を凝らしてみると、それはまさにかの、墨を入れられて泣き喚いた仲間である。

(これから街にでも出かけるのか。やはり奴も眠れぬのだろうな)

 思って、狄青はぼんやりとその動きを目で追った。

 先にも述べたように、この時代になると、夜半でも商売は行われているため、開封城内は賑やかである。禁軍兵士も城内を巡回していて、万が一城壁を越えて外出しようとする者があれば、その者を注意していたから、治安も格段に良い。

 つまり、その兵士に見つからなければ、極端な話、城外へ出られたということである。もし見つかったとしても、注意は受けるが罰は与えられぬ。

 であるから、かの何某も、憂さ晴らしに街中へでも出かけるのだろう、と狄青は簡単に思いかけたのだが、

(おかしい)

 幼い頃から自然に培われたカンであろうか。思うよりも先に、体が本能的に動いた。

 そして気が付けば彼は、

「お前は何をしている。否、何をするつもりだ」

 何某の肩を後ろから掴んで、そう詰問している。

 無論、その若者のほうとて狄青に気づいて走り出している。だが、足の速さでは到底狄青には及ばぬ。ようよう城壁上へ通じる階段へ辿りついたところで、肩を太く分厚い狄青の片手でむんずとばかりに掴まれてしまった。

 地面に崩折れそうになりながら、

「頼む、見逃せ」

 口元を震わせ、村の仲間はただそう繰り返す。

「見逃せ、とはどういうことだ。お前は逃げるつもりだったのか」

 分かりきっていた問いを、狄青もまた発する。すると仲間は俯いて、

「そうだ、逃げる。俺は汾州へ帰る」

 かつ、開き直ったように言うのである。

「これからか。今すぐか」

「そうだ、これから、今すぐにだ」

「帰って、どうする。そもそも、その顔で」

(こいつも、それは重々分かっているはずだ)

 と、それを口にすることの残酷さを否応なしに感じながら、

「無事に故郷まで帰ることが出来ると思っているのか。帰れたところで、お前の父母にも罪は及ぶのだぞ」

「それでも、ただ犬死するよりは数段にマシだ。行きがけの駄賃に、都会の女を飽くまで抱いてやろうと思ったが、頬がこうも痛むのでは、それも出来ぬ」

 狄青が発した言葉へ、かの若者は搾り出すような声で答える。

 そして突然顔を上げ、狄青の肩を両手で掴んだかと思うと、

「国の兵士になって手柄を立てたところで、出世は望めぬ。文官ばかりが上位を占めているではないか。ろくに訓練もされずに前線に送り込まれて、使い捨てのような扱いを受けるくらいなら、貧しくはあっても以前と同じように、故郷で己と家族の糧を守るためだけに暮らしていたほうがよっぽど良い。だから頼む、俺をこのまま逃がしてくれ。俺ごときが一人ぐらい逃げたところで、上の奴らは別段困らぬだろう。だから、頼む」

 一気に言い終えて、ついに地面へ肘と膝を付き、声を殺して泣き出したのである。事実、今の「軍人嫌い朝廷」においては、武人としての出世は望めぬ。なるほど、軍人らしき名前のついた地位もあるにはあるが、それらでさえ文官が占めているから、武官は、良くてもその部下としての地位しか与えられない。

 自分たちの上官である韓琦や尹洙でさえ、文官なのである。さすがに行軍技術や、戦法などは知っているであろうが、それはやはり、あくまでも机上の論理を学んだに過ぎない。経験の豊かな武人は、部下であるから上官へは強く意見できぬ。従って、実地となるとほぼいつも、敗北を喫するという結果になるのだろう。

 官位の昇格は望めぬ、己の意見は採用されぬ、となれば、武官の国への情熱も冷めようし、それらが監督している兵士たちの士気が下がるのも無理はない。

 開封に来て一週間ばかりに過ぎないが、狄青はそれらのことを、我が肌で鋭く悟っている。

(どうしたものか)

 このまま仲間を逃がせば、その責任は三班差使という名の監督者である己にかかる。

 もちろん、軍規に照らして厳しく罰せられよう。断固として引き止めるべきであるのは言うまでもない。

 だが、

(こいつが言ったことは、今、前線で戦っているという兵士たちの本音でもあるのではなかろうか) 

 同じ村の誼で、幼い頃から慣れ親しんできた仲間の気持ちも、分かりすぎるほどに分かる。

 思わず言葉を失ってしまった狄青の前で、

「俺たちから奪うばかりで、いざとなると守ってくれぬこの国のことなど、どうでもよい。俺は確かに弓は下手糞だが、俺の家族さえ守ることが出来たらよい」

 ゆえに、見逃してくれ、と、かの若者は繰り返し言い、彼の肩を揺さぶって嘆き続けるのだ。

 彼が語ったのは、人間として当たり前すぎる感情である。何とも言えぬ思いに打たれながら、ただその様子を見るばかりであった狄青は、

「……それは何だ」

 やがて、やっとのことで言葉を紡ぎ出した。

 己の肩を掴んでいる仲間の右手には、ぎらりと光る刃が握られている。どうやら握っているうちに、凝った思いと同様、指まで固まってしまったらしく、自分では離せないらしい。

 その指を一本一本、揉み解すようにして短刀から引き剥がしながら、

「答えろ。これで何をするつもりだった」

「……これで、刺青を取ろうと思った」

 狄青が問うと、彼から目を反らして何某は力無く言った。

「刺青ごと、周りの肉を削げ落とせばいいと思った。頬の肉など、月日が経てばまた盛り上がろう。だから、肉ごと切り取って逃げれば良い、そう思った。だが、自分ではどうしても出来なかった」

(さもあろう)

 深く吐息をつきながら、狄青は夜空を仰いだ。開封の空が故郷と違い、湿り気を含んでいるせいであろうか、中天に輝いている月も、どことなくおぼろな頼りない光を放っている。時折、かすかに届くどよめきは、少し離れたところにある瓦市に集まった芸人の芸に、人々が送った喝采かもしれぬ。

(全てが幻のような)

 何かに祈るような思いで目を閉じながら、彼は思った。だが、今、己が否応なしに向かい合わせられている現実は、その幻のような賑やかさとは裏腹に厳しい。

(俺は、どうすればいい)

 途方にくれてしまった狄青は、

「俺にはお前のような度胸がない。だから、頼む」

 その声でかの若者へと視線を戻した。何某は短刀を握っている狄青の手を、己の手で強く掴んで、

「頼む。お前しかいない」

 繰り返した。

「お前は、何を」

 言いかけて、狄青は息を飲み込む。

(俺に、それをしろと言うのか)

 一瞬、思考の停止した狄青へ、

「頼む」

 繰り返す村の仲間の目は、異様な輝きを帯びて迫った。村で異民族を追い払っていた折には感じなかった、それとはまるきり別種の恐怖が彼の背筋を這って、

(無理だ。考え直せ)

 喉もとまで来ているその言葉が、どうしても口に出せぬ。狄青は呆然としたまま、仲間の顔と、己が握っている短刀とへ、ただ目を往復させるのみであった。

 そこへ突如、

「三班差使殿、何をしている」

 むしろ、静かといっていい声が響く。

 ぎくりとして取り落とした短刀が、石畳へ驚くほどに空々しい音を立てて転がり、

「待ってくれ!」

 大げさな人数を後ろに従えて現れた韓琦へ、咄嗟に狄青は叫んでいた。

 韓琦の背後から、わらわらとやってきた兵士たちが、村の仲間を引っ立てていく。

「……詳細は巡回使から聞いた。悪いが、逃亡の相談とあっては捨て置けぬ」

 そちらへ駆け寄ろうとした狄青を、伸ばした腕で制しながら、

「どんな事情があれ、軍規は軍規である。それを軽く破られてしまっては、ただでさえ低い士気がより低くなる。こういうことは良くあることだから、新しく徴収した兵には、日頃から取締りを厳しくしているのだ。悪く思うな」

 韓琦は狄青の顔を見上げて、淡々と述べた。

「よくあることだ。だから、そなたが気にかけるまでもない」

 繰り返しそう告げる彼の表情には、初対面の折に狄青に見せた物柔らかさの欠片もなく、

「君は、彼を止めようとしていたと聞いた。だから咎めない。しかし次はないと思いたまえ。さっさと宿舎へ戻られよ」

 涼しげな眼を鋭くして言い、顎をしゃくる。

「……奴は、どうなるのです」

 泣き叫びながら、宮城の方角へ引っ張っていかれる件の仲間を見やって、狄青は半ば呆然としたまま問うた。

「逃亡兵は、問答無用で死罪だ。これが軍隊というものだ。覚えておけ」

 韓琦はいとも簡単に答えて、あくびをかみ殺す。何かを言いかけて、結局口をつぐんでしまった狄青に気づいて苦笑し、

「今、西夏側は、こちらとの国境を越えようとしているばかりか、渭水や慶州にまでやってこようとしている。それらの都市が守られなければ、その近くにある君らの故郷も、蛮族によって踏みにじられると知れ」

 うっすらと明けてきた空を見上げて、遠い目をした。気が付けば、かすかに聞こえていた喧騒はいつの間にか止んでいる。開門の刻限が近いというので、睡眠を取りに自宅へ戻ったりなどしているのだろう。

「いいか」

 かしましい夜の喧騒とはまた違う、健康的な朝のそれが、今日も町を塗り替えていく。少し冷えた夜明け前の空気を深く吸い込みながら、

「ここで君らが逃げたなら、奴らが次に狙うのは君らの故郷だ。奮闘を期待する」

 韓琦は、たくましく盛り上がった狄青の二の腕を、励ますように叩いたのである。

 それに答えられず、ただ己の顔を見つめ返してくる狄青へ、

「では、これにて。私はこれより件の地へ出発する。君も必ず後から来るように。前線で会えるのを楽しみにしている」

 親しみと柔らかさの戻った調子で告げ、韓琦は踵を返した。

 その背中は、相変わらずまことに華奢である。韓琦と彼に従う兵士たちの姿が、塀の角を曲がってしまうまで見送りながら、

(皆、決して悪い人ではないのだ。皆が命のやり取りをする軍隊で、規則を守らねば全滅ということもある。だから、彼の言っていることは間違いではない。決して間違ってはいないのだ。だが)

 考えているうち、夜はすっかり明けてしまっている。頭では十二分に理解しているつもりだったのだが、規則を破った仲間が断罪されるのを実際に見るのは、やはりとてつもない衝撃である。

 だから、

(俺は、そこまで非情にはなれない。俺が部隊長であるというなら、せめて俺だけは、俺を慕ってくれる仲間に労りを持って接しよう。情けないことだが、俺に出来るのは、それだけだ)

 そう決意して、ようやく彼はのろのろと宿舎へ向かって歩き始めた。無意識に頬へ手をやると、

(もう痛くはない)

 刺青を入れられた頬の痛みが、さほど感じられなくなっている。しかしそれは、ただ単に日数が経って治癒力が増したことだけが原因ではあるまい。

 その代わりのように、今度はどうしようもなく胸が傷む。

(俺はまた、人を見殺しにした)

 致し方なかったとはいえ、また己に近しい人を助けられなかった、と、左右の胸の中心辺りを、彼は片手で鷲掴みにした。

 兵士にと、新しい服が支給されても、狄青は故郷から出てきた時の肌着を未だに身につけている。兵士の衣服の洗い張りは、近くの民家に住む女どもに任されているのだが、それも彼は自分でしていた。なんとなれば、その衿の裏には、彼が自分で縫い取りをした拙い跡があり、

(……セイよ)

 それは、ちょうど胸の辺りで左右の身ごろが合わさる左側にある。かの異民族の娘の耳飾りを、狄青はそこへ縫いこんだからである。

 破れた初恋を苦々しく思い出しながら、

(異民族同士とて人間だ。分かり合えるはずなのに、何故なのだろうな)

 それをしばらく、布の上から握り締めた後、彼は頬の傷を覆う布へ手を伸ばした。

 無造作に剥がされた布は、無骨な手によってくしゃくしゃと丸められ、石畳の上へぽいとばかりに捨てられる。それはやがて、吹いてきた風によって、どこへともなく運ばれていった。

 その行方をしばらく見届けた後、狄青は何かに打たれたように、城壁から踵を返して宮城方面へ向かった。尹洙に会うためである。

(願いなら、出来る限りで何でも叶えようと彼は言った)

 韓琦は出発のために忙しかろう。だが、かの青黒い鯰顔をした官僚は、狄青らを率ねばならぬために、まだ余裕はあるはずだ。

「やあ、三班差使殿」

 先述のように、役人の屋敷は宮城を囲むように建っている。その一角を占める屋敷へ訪ねていくと、彼はどうやら宮城へ登庁する直前だったらしい。先ほど取ったばかりなのだろう朝餉の匂いが屋敷へ立ち込めていて、さらには汚れた皿を忙しく下げる家人の姿も見えた。

「残念だ。もう少しおいでが早ければ、そなたにも馳走してやれた」

 まことに無礼な狄青の早朝訪問にも、表面上は嫌な顔一つせず、あくまでにこやかに尹洙は応じる。

 さてもこの当時の食費についてであるが、米だけで一日一人あたり最低一升(三・六合)が必要であり、また、兵士には副食代として一日十銭が支給されていたと史料にある。北宋代では、一日辺りの米価だけでも四、五十銭が必要であったというから、一ヶ月あたりでは最低一・五貫ほどであろうか。ゆえに家族の人数が四人であるとすると、単純に六貫は必要だという計算になる。

 ただし、これは一般庶民の家庭においての話である。もちろん食費以外の生活費もかかったろうから、実際はより多くの出費があったと言えよう。

 尹洙の場合は士太夫である。官僚クラスでは体面を保つためもあって、ひと月あたりの暮らしを支えるには、最低百貫は必要だったらしい。

 ゆえに尹洙の館でも、食事に使う食材は、当然ながらかなり高級なものであったと考えられる。嗅いだことのない美味そうな匂いに、

(朝餉とはいっても、相当なものを食していたらしい)

 と思いつつ、

「俺、いや、私が貴方を訪ねたのは、馳走に預かるためではありません」

 狄青は頭を下げながら続けた。

「うん。そうだろうな」

 挨拶もなしに切り出す、立て続けの無礼な物言いにも、ムッとした顔を見せずに尹洙は頷く。先を話せ、ということであろうか。

 黒々とした鯰髭が上下に動くのを眺めながら、

「貴方は、我々の願いなら何でも聞こうと仰った」

「私に出来る限りで、という注釈つきだ」

 用件のみを話し始めた狄青の顔を、尹洙もまた、真面目な表情で見守った。

「貴方になら出来ると思ったので、お願いに参ったのです」

「よろしい、よろしい。聞こう」

 尹洙が大きく二つ頷く。いかにも誠実さに溢れている、といったその様子を見て、硬いままだった口元を少しほころばせながら、

「私に、面具(仮面)を作っていただきたい」

「ほう」

 狄青が言うと、少し意外だといった面持ちで、尹洙は目を丸くする。

 風流を解さない兵士の願いというから、てっきり、

(女を宛がえ、とか、博打のための金を用立てろ、などと言うのだと思ったのだが)

 そう思い込んでいたため、少々戸惑ったのだ。

「それも、ひと目見ただけで、敵も味方も肝を冷やすようなものを」

「フム、フム」

 しかし、話を聞いているうちに、狄青が言わんとするところを何となくであるが察したらしいのは、さすがエリート官僚である。丸い目をさらに丸くする、といった、例の癖を出して耳を傾けている尹洙へ、

「私がその面具をつけて戦場へ出たなら、やがて敵は私の姿を見ただけで慄き、潰走するようになる。当然、そうなるように私も大いに奮闘するつもりです。となれば、いずれは敵も戦わずして逃げるようになりましょうし、お味方の被害もかなり少なくなりましょう。ゆえに、多少の無理をお願いするかもしれませんが、叶えて頂けませんか」

 狄青は語り続けた。田舎育ちゆえに、当然ながら官僚ほど言葉を知らぬ。ために、右のようなことをスラスラと述べられたわけではない。

 訥々と、しかしなるだけ失礼にならぬように、狄青は言葉を選んでゆっくりと語る。その様子を、最後のほうになると微笑を浮かべて見ていた尹洙は、

「よろしい、よろしい」

 聞き終えて、「納得がいった」というように大きく頷いた。

 目の前の男は、「自分が武を示す」と言っている。しかし、

(言葉だけであろう。彼もいざとなれば、敵に背中を向けるかもしれぬ)

 尹洙は今までの経験から、いつもと同じように……少しの悲哀を込めて……そう思った。今の宋軍は、敵を見ただけで怖気づいて腰が引ける、まことに情けない軍隊なのだ。

 ゆえに、効果はさほど、というよりもほぼ期待できぬだろうが、

(やらせるだけ、やらせてみてもよい)

 と考えたのだ。

「その希望、叶えよう。担当の者に早速申し付けておく。出立の刻限までには出来るよう、督励するゆえに、安心して待たれよ」

「ありがとうございます」

「では、これで。そなたも残り少ない日、存分に城内で楽しまれるがよい」

 片手を伸ばして狄青の肩を二つばかり軽く叩き、登庁の時間だから、と言い置いて、忙しげに出て行く尹洙を、狄青は頭を下げて送った。

 尹洙へ告げたことは、刺青を入れられた日より、おぼろげながら考えていたことである。

 どうせ戦わねばならないのなら、双方の被害は出来る限り少ないのがいい。相手も人間であるから、生きてある限りはいつか、

(俺とホウやセイのように……)

 腹を割って話し合える時も来よう。それに、

(刺青をした俺が、率先して前線で戦うとなれば、宋にはやはり見るべき人間がいない、となって、相手はさらに嵩にかかろう)

 文字もほとんど知らぬのだから、人に誇れる学など元よりない。彼がこのように考えられたのは、暮らしのためとはいえ、今までの人生で培ってきた経験があったからである。

 宋において刺青を入れるのは一兵卒である、おまけにろくに訓練もなしに前線へ送り込まれる、という情報は、当然ながら周辺諸国にも知れ渡っていた。士気が低いということは、今更言わずもがな、である。

 部隊長とはいえ、刺青を入れられた狄青も「兵卒」に過ぎない。相手にしてみれば、士気の低い、弱い兵卒ごときが攻めてきても何のことがあろう、と、やはり舐めてかかることになるだろう。ゆえに彼は、兵卒であることを隠すということと、戦う前から勝つ、ということ、二つの利点を得られる手段として、面具を被ることを思いついたのだ。

 狄青らが西夏との国境に向けて出発したのは、それからさらに数日後である。かつて韓琦が彼に告げたように、前線はまさに、その国境に面している都市ほぼ全てであったといっても過言ではない。

(彼の言葉通り、渭水も慶州も、俺の故郷からは目と鼻の先ではないか)

 出立前夜である。真夏のこととて、夜風はますます湿っぽい。まといつくような風を追い払うように、時折我が手で己を仰ぎながら、狄青は尹洙からもらい受けてきた地図を宿舎の部屋で広げた。

 そして、

(これは拙い)

 腕を組んで、喉の奥で唸ったものだ。

 その当時における西夏の領土は、現在の寧夏回族自治区及び甘粛省から、玉門関までをほぼ含むと言っていい。蘭州、霊州といった都市も、この折は西夏の支配下に入っていたし、しかもこれらの都市は、渭水や長安からもさほど離れてはいない。

 先ほども述べたが、渭水は京畿道の終点だし、慶州は渭水へ向かう途上にある。 渭水が破られたら、西夏の兵たちは京畿道を一気に北上して汾州までやってくるだろう。さらに慶州のほうは、狄青の故郷である汾州から見ればほぼ西に位置しており、

(徒歩でも数日、といった距離ではないか)

 幼い頃から、よくて太原と村を往復したことがあるのみで、同地方にある他の都市のことはまるきり知らなかった。そもそも、己の暮らしを守ることのみに生きてきたのだから、その他のことまで気にかける余裕も無かったわけなのだが、

(やはり俺が守らねばならない)

 穏やかに汾河が流れ、春にはその川べりに、名も無き小さな黄色い花が咲く。その故郷の面影を閉じた瞼の裏にありありと描き、彼は思った。

 兵隊に取られてからもらった、見たこともない多額の銭。その金は、尹洙に頼んで送金してもらったが、たったの一回の送金では、年老いた両親の生活はやはり貧しいままだろう。己同様、もう三十歳とうにを超えたはずの兄も、未だに嫁をもらえぬままだろうか。

 何よりもほのかな恋を無残に破られた、そんな悲喜こもごもの思いが詰まった土地でもあるが、

(それでも、俺の故郷だ)

 彼は、セイの耳飾りを縫いこんである襟元を拳でぐっと握った。朝な夕な見て育ったかの景色が、理不尽な力で踏みにじられるのは耐えられぬ。

(なるだけ俺の村の仲間が傷つくことのないように、西夏の奴らの侵入を許すことの無いように)

 座っていた床机から立ち上がって、彼は窓の外を見た。すでに空は白々と明けかかっており、かつて軍規の厳しさを教えられた日と同様、街の喧騒がここまでかすかに聞こえてくる。それによって出立の刻限は近いことを知り、

(暑くなりそうだ。西は砂漠により近いというから)

 もっと暑くなろう、と思いながら荷物を背負い、狄青は扉へ向かった。その手には、製作がぎりぎりに間に合った面具が握られている。

 瓦市の小屋では恐らく、今日も変わらず演義物の講談が行われよう。後の三国志演義の元となった説三分において、三国時代の魏国皇帝、曹操は、好敵手であった蜀国皇帝劉備とは対照的に、かなりの憎まれ者であるらしい。聴衆らは、劉備が負けると悔しがり、曹操が負けると拍手喝采したから、その憎まれ具合は相当なものである。

 彼らが実在の人物であったことを、開封へ来てから狄青は初めて知った。

 そして、

(偉大なる政治家であったと聞いたが、彼自身は、死後も憎まれ者になることを承知していたのだろうか)

 人気の度合いと実力とは、必ずしも一致しないものであるということも知った。

 講談で語られていることであるから信憑性は甚だ薄いが、曹操自身は、

「君は乱世の梟雄だ」

 などと言われて、

「それでよい」

 と、いたく満足げに頷いたという。ゆえに、

(案外、そうなるならそれでも良い、と思っていたのかもしれない)

 まことに失礼なことだが、最近見知った例では、韓琦がそれに近いかもしれぬとも思う。

 曹操だとて、一国の皇帝にまでなったのだ。そのような人物が、単なる嫌われ者だったはずがない。事実、彼は敵であった者も、真心から投降したのだと見れば、快く味方に加え入れたという話も聞いた。人としての度量が広くなければ、到底出来ぬ芸当であろう。

 それは初対面の折に韓琦が見せた、ある種の懐っこさとよく似通っているように思えて、

(だが、それだけでも駄目なのだ)

 行き過ぎる兵士たちと軽く会釈を交わしあいながら、学は浅いが深い洞察力に恵まれた、この朴訥な青年はそう考えた。

 あの夜、件の村の仲間と同様、他にも逃亡しようとした若者がいたらしい。朝方、宿舎の兵士たちをその前の広場に集めた韓琦は、それらの者たちを「処罰」したことを、衣服を新調したことを話すのと同じような調子でいとも簡単に告げ、前線に出立した。人の上に立とうとする者には、そういった、非常とも言える割り切り方も必要なのだ。

 己も下っ端役人とはいえ、官位をもらった。部隊を率いる身なのであるから、いざとなればその決断を求められるであろう。しかしあの晩、「罰」を下されるために引き立てられていったかの仲間の叫び声もまた、未だに狄青の耳に残っている。

 さほど濃い付き合いをしたわけではなかったが、それでも同じ村の誼ゆえに、幼い頃から慣れ親しんではいた。ほんの数日前の出来事なのだから、忘れられるほうがおかしい。

 宿舎前の広場へ出ると、そこにはもう五、六人の村の仲間たちが集まっていて、

「やあ」

 昇って来た日の光に少しだけ目を細めながら声をかけると、彼らは狄青を見て複雑そうな表情をした後、目を反らす。

(無理もない)

 そんな仲間たちを見て、狄青は微苦笑を漏らした。逃亡しようとした仲間の経緯を、当然ながら皆は知っている。

(こいつらは、俺を裏切り者だとも思っていよう)

 軍隊とはそういうものだと聞かされていても、兵士にならされて一週間足らず、そんな自覚が早々と芽生えようはずがない。

狄青の人物を良く知っているだけに、表立っては言わないが、

(同じ村の仲間が、処刑されるために連れて行かれるのを、何故黙って見ていた。あれほど嫌がっていた者を何故、手助けして逃がしてやらなかった)

 と、そう考えていることが、朴訥な田舎者だけにありありと態度に出ていて、

「お前たちを、二度とああいった目に遭わせぬようにする。だが軍規は軍規だ。どうか分かって欲しい」

 そんな古くからの仲間たちへ、彼は心から頭を下げた。

 彼らが集まっているのを見て、他の場所にたむろしていた残りの仲間たちも、何事かとばかりに次々に集まってくる。彼らの前で、

「この戦いは、俺たちの故郷を守るためのものだ。生き抜いて、必ず共に故郷へ帰ろう。俺は三班差使だ。だからお前たちを守る。戦いでは、俺が常にお前たちの前に立って、敵の攻撃を防ぐ……約束する」

 その顔を一つ一つ見ながら、狄青は力強く続けた。彼自身は、帰らなくても良いと密かに思っているが、仲間たちは違う。共に生きて帰ると告げることで、彼らの気持ちを奮い立たせることが出来れば、と、考えたのだ。

 すると、皆が驚いたように彼を見つめ、そこへ

「出立の時刻である! 皆、集合せよ!」

 尹洙の声が響く。

「行こう」

 狄青は仲間たちへ声をかけながら背を向け、尹洙の立っている方へ歩き出した。

 刺青を入れられたことは、もう済んだことで、今更愚痴を吐いても仕方のないことだが、

(兵士が逃亡したい気持ちになるのを未然に防ぐのも、人の上に立つ者の務めではないのか)

 少なくとも負けなければ、逃亡する兵士も少しは減ろう。となれば、逃亡防止のための刺青を入れられることも……気の遠くなる時間が必要かもしれないが……いずれなくなるのではなかろうか。

 己の後ろへ、村の仲間たちが続く気配がする。彼らの足音を聞きながら、どうあっても非情になりきれぬこの三班差使は、

(どうやら通じたらしい)

 渋々、ではあるかもしれないが、仲間たちには分かってもらえたらしい、と、口元へ安堵の微笑を浮かべていた。

 そして、

(勝つ、とまでは行かなくとも、負けぬためには、まずそれぞれの武術に秀でた者が、率先して矢面に立つべきなのだ)

 ついに眠ることの出来なかった昨晩、彼らしく出していたその結論を、もう一度胸の内で繰り返していたのである。

 己の得意とするところは騎射である。村一番とは言われているが、もちろんそれが国同士の戦いにも通用するかどうかまでは、まだ分からない。だが、それでも、

(俺に出来ることはこれしかない。俺たちが負け続けというのは、率いる者からして怖気づいているせいに違いない。誰もしないなら俺がやる)

 そう考えて腹をくくった、というわけだ。

 時に、西暦一〇四〇年晩夏。元号は、狄青が開封に滞在していた一週間の間に、宝元から康定に代わった。

 やがて、部隊ごとに兵士たちが門を出て行く。都ではもはや、ありふれた光景の一つであり、塵が吹いたくらいにしか思われていない。よしんば目を留める人があったとしても、

(刺青まで入れられて、あたら命を捨てに行く。なんとも気の毒な……)

 その人からは、こういった視線を向けられるのみである。

 その視線を受けて、ともすれば俯きがちになる村の仲間たちに気づいて、

「堂々としろ。俺たちは、この国を護りに行くのだぞ。誰にも負けぬ弓の腕を見せて、都の奴らを唸らせてやろうではないか」

 だから顔を上げて胸を張れ、と、狄青は言った。すると、仲間たちは彼を見、少し微笑う。それへ同じように微笑で返して、

(暑いな)

 彼は分厚い右手をかざし、西の空を見上げた。

 そちらには険しい山々が広がっており、

(故郷と同じ方角ならば、気候もさほど変わらないかもしれない)

 だとすると、この湿っぽさも少しはマシになるかもしれぬ。

 貴金属や薬剤などの店が立ち並ぶ、今日もまことに賑やかな開封の街並みを過ぎ、やがて一行は城門から外へ出た。ここへ来た折には東へ向かった都畿道を、今度は黄河沿いにほぼまっすぐ西へ向かうのだ。道中には有名な函谷関や潼関もある。

 京畿道と都畿道双方の合流点である渭水一帯を守るのが、今回の目的である。もちろん、戦況に応じて、その北西にある河中節度府へも赴くという。

 そのためには、まず唐王朝の都であった長安へ向かわなければならない。開封から、直線距離でおよそ四八〇キロの道程であり、汾州から開封までよりも長い。

 この間、

「あの山の向こうに、俺たちの故郷があるのか」

「この道を辿れば、俺たちの故郷へ帰ることが出来るのに」

 などと、兵士たちはしきりに故郷を恋しがってぼやいた。

 だが、

「ならば、逃げるか」

 狄青が笑みを浮かべながら、冗談交じりに言うと、

「俺たちが逃げると、今度はお前に迷惑がかかる。お前の首が胴から離れるのは見たくない」

 だから逃げぬ、と、仲間たちは苦笑して首を振った。

 その様子から、彼らの間に今あるのは、掛け値なしの連帯感であり、仲間意識であるのが分かる。さらに言えば、狄青へ寄せる信頼がそう言わせたのであろう。

 何より、

(狄青は、幼い頃から俺たちに嘘をついたことがない)

 というのが、村の仲間たちの心にあった、というのが大きい。

 この戦いは、西夏から宋を守る、いわば防衛戦であった。攻める側より守る側の心理的負担が大きいのは言うまでもなく、ゆえに、

「今日は何某部隊の何某が逃亡したので処刑した」

「逃亡したのを未然に捕らえて、鞭で打った」

 渭水へ近づくにつれて、尹洙ら副軍司令官が皆を集め、

「であるから、罰を受けたくなければ逃げるな」

 そう告げることが多くなっていく。

 逃亡しようとするものは皆……ひと目でそれと分かる刺青を入れられていても……「どうせ死ぬなら……」と、一か八かで脱走を試みるのだろう。しかし、試みた多くの者が故郷にたどり着く前までに発見され、なんらかの罰を下されていた。

 そんな中で、

「生き抜いて、共に故郷へ」

 励まし合い、進んだ狄青の部隊からは、一人たりとも脱走者が出なかったのだ。

 尹洙などはそれをたいそう不思議がり、

「君の部隊の団結力には、どういった秘密があるのか」

 宿泊予定の地である潼関へ到着したばかりの折、少憩中に己の元へ狄青を呼び出して、尋ねたりしたものだ。

「それは、私にも分かりません」

 ありていに言うならば、狄青率いる部隊から兵士が脱走しないのはなぜか、と、尹洙は問うたということだ。この鯰顔の上官へ、狄青は微苦笑でもって、

「私はただ、仲間たちに信でもって接したのみです」

 とだけ答えた。

 すると、

「信か。ちと耳が痛い」

 尹洙はもまた、苦笑いで応じたものだ。

 短い付き合いではあるが、狄青のほうも、尹洙が韓琦同様、都では珍しいほど誠実で、公平無私を貫こうとしている官僚であることを感じていた。

 あの、わずか一週間の滞在でも、宮城のそこかしこで「袖の下」の贈り合いを目にしたし、従って「役人とはそういうものだ」と思ってしまっていたのだが、

(この人は違う)

 話をしてみると、すぐ分かる。人の誠実さというのは、態度や言葉遣いに自ずと表れるものなのだ。

 それに少なくとも狄青は、尹洙がそういうことをしたところを目撃したことはない。彼の屋敷にも、自分に利益をもたらしてくれるように役人が訪ねてくる、といったようなこともなかった。

 宋の場合は、辛うじて続いている、といった感はあるが、この国に限らずどんな王朝でも、時代を経るとそこはかとなく腐敗臭をかもし出すのは、ある意味自然の摂理なのかもしれぬ。よほど己に厳しい人間でないと、一旦体制側に取り込まれてしまえば、その当たり前のことを行うのが難しくなるのだ。

 ことに科挙へ及第したというプライドが高い官僚の場合、上官が絶対であるとの考えから、彼に少し意見しようとしただけで厳罰を食らう部隊もある。狄青のような一兵卒にまで「良いところがあれば、そこは謙虚に学ぶべきである」と、自分から意見を求める官僚など滅多にいない。

 ゆえに、

「よろしい、よろしい。信か」

 己を納得させるように何度も頷いて、「間もなく長安である。不自由はしていないか」などと気遣ってくれる尹洙へ、

(この一点だけでも、俺はまことに運が良い)

 そう思いながら狄青は心から頭を下げるのである。

「よろしい」

 すると尹洙は再び頷き、

「長安からは、渭水は目と鼻の先である。君らの奮闘を期待している」

 と結んだ。

(長安か)

 彼の元から退出しながら、狄青はまだ見ぬ唐代の都市に思いを馳せた。今年になったばかりの頃、西夏の現王、李元昊が、

「朕自ラ渭水ニ臨ミ、直チニ長安ニ寄ラン」

 と言い放った都市である、とは聞いている。繰り返しになるが、宋側は当初、まさか本気でそう言ったわけではあるまいと思っていた。ところが、彼は本当に攻めて来た。従って慌てて西部前線を強化したのだが、前線部隊は各地で破られて苦戦を強いられている、といった経緯であるらしい。

 だが、いずれにしても、

(異民族の侵入を防ぐ、ということには変わりはあるまい。それならこれまでもやってきたことだ)

 狄青はそう考えている。

 故郷の村も異民族から守っていた。今度は、その相手が契丹ではなく西夏になり、戦いが村においてだけではなく、国規模になったということだ。

(ただそれだけの話だ。そう思えばいい)

 仲間にも既にそう伝えてあるし、あまりこせこせ考えるのは性に合わぬ。

 向かう方角へ沈んでいく太陽を見ながら、狄青は大きく息を吸い込んだ。

 国境に近づくに従って、吹く風も少しずつ乾いていくような気がする。その風に乗って、どこからか野焼きのような匂いが漂ってきた。それは、

(稲か、麦か。母もやはり、あの家で麦を打っているのだろうか)

 秋の訪れが近いことと、生家の貧しい土間の光景とを思い起こさせると同時に、

(俺は、俺が今出来ることを出来る限りやろう)

 新たに彼の心を奮い立たせたのである。


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