06

「それに……彼の野蛮さは、それだけじゃないわ」

 アレサは、トモに対してさらに容赦なく追い討ちをかける。


「彼はそのあと、あの国王にそそのかされて、魔王を倒してしまったわよね? ……最初にそのことを聞かされた時、わたくしはあまりのショックで言葉が出なくなってしまったわ。

 ……確かに、これまでの魔王軍の、わたくしたちに対する暴力や略奪は、目に余るものだった。彼らがいることで、これまでずっと辛い思いをしてきた人たちもたくさんいることでしょう。けれどね……その解決策としてこちらも暴力を用いたのだとしたら、それは相手と同じことよ?

 暴力を振りかざす相手を、より強力な暴力で押さえつけてしまえば……そこにはわだかまりが残る。力で押さえつけられたほうには、消えない記憶として怒りや悲しみや憎しみが残ってしまう。そうなれば、いつかはそのわだかまりが爆発して、激しく衝突して……最後に待っているのは、戦争よ。

 もちろん、このナバタメ・トモ・ヒトなら、戦争になっても何も怖いことなんてないんでしょうけど……。それは彼が、世界最強のチートを持っているからだわ。実際に戦争が始まれば、彼以外の多くの『弱い者たち』が死に、今よりも多くの悲劇が生まれることは目に見えている。だからわたくしたちは暴力に暴力で対抗するのではなく、あくまでも平和的に、話し合いで解決を目指すべきだったのよ。

 これは、ナバタメ・トモ・ヒトはもちろん、ウィリアでも知らなかったことでしょうけれど……。実は、そんなわたくしの考えに賛同してくれた何人かの協力者が、これまで水面下で魔王軍への説得を続けていたのよ。モンスター差別主義者の国王が過激な行動をとらないように牽制をしたり、魔王軍の中にもぐりこんで、モンスターと人間たちとの間に架け橋をつくってくれている人たちがいたの。

 彼らの命をかけた努力によって、最近になってようやく、人間側の代表者と魔王軍の幹部が会合の機会を持つことができるくらいまで、話し合いが進んでいたところだったのに……彼は、それも台無しにしてしまったわ」

「や、やめてよ……もう……」

 いつの間にかウィリアの声が、絶叫から嘆きの声に変わっていた。

 トモは、もはやショックを通り越して、感情が死んでしまったかのように、深い絶望の中にいた。


「それから……魔王軍を滅ぼした見返りとして名数令アリアをなくしてしまったことも、それと同じことよ」

 しかし、アレサは更に続ける。

「確かに、あの身分制度は笑ってしまうくらいに馬鹿げたものよ。別の世界からやって来た彼なら、その馬鹿馬鹿しさがすぐに分かったでしょうね? わたくしだって、そんなことはとっくに分かっていたし、常日頃からなくなればいいって思っていたわ。……でもね。

 それがどれだけ馬鹿げた制度でも、確かに今までずっとこの国で続いてきていたということの意味は、考えなくてはいけないわ。

 つまりこの国には、あの制度を賛同している者や……賛同しないまでも、とくに否定せずに受け入れていた者たちが、国民の過半数を占める参数名ドゥライナリたちの中に大勢いたってことなのよ。だとしたら、まず変えるべきは制度ではなく、そんな国民たちの考え方のほうじゃないかしら? 国民たちがいつまでも、『自分さえよければ、どこかで奴隷のような暮らしをしている人がいるとしても気にしない』というような利己的な考え方をしている限り、ただ制度だけなくしたって意味はない。一時的には救われる人もいるでしょうけど、そのあとで、より多くの犠牲を生むことになるのは避けられない。

 ……現に、元参数名ドゥライナリや、名数令アリアのときには迫害されてきた元雑名称フィアレットたちを中心に、魔王軍の残党を差別する動きが始まっているらしいわ。名数令アリアがなくなっても、また新しい差別の芽は、生まれ始めているのよ……」

「で、でも……だってトモくんは……私のために……。私たちのためを思って……」

 声の出せないトモの代わりに、何か反論しようとするウィリア。しかし、適切な言葉は何も出てこない。

 そんな彼女に、アレサは小さくうなづいて、答えた。

「そうね……それは、わたくしにも分かるわ、ウィリア。このナバタメ・トモ・ヒトは、何も初めから、この世界をめちゃくちゃにしようとしていた訳じゃない。むしろ、わたくしやウィリアや、この世界のことを思って行動してくれたのよね? その気持ちには、わたくしだって分かっているわ。感謝したい気持ちもある……でもね。

 だったら、この世界のことをもっとよく知らなくてはダメよ。この世界の歴史を、文化を、人々の考え方をもっと勉強して、理解しなくてはダメなのよ。それも、人種や種族にとらわれない、多面的な視点からね。

 彼がこれまでやってきたように、自分の世界の常識で勝手に判断して、力でそれを押し付けるのではなく……もっと他人と対話して、分かり合わなくていけないの。そうすることでしか、わたくしたちの本当の幸せは手に入らない。この世界をよくすることなんて、出来ないのよ……」


「だ、だったら……」

 ウィリアが、涙まじりの表情でつぶやく。

「だ、だったら……これから少しずつでも、そうやっていけば……。トモくんがこの世界のことを知れるまで、待てばいいじゃない……? なにもこんな、こんなヒドイこと、しなくても……」

「ええ、そうね……」

 アレサは、そこでやっと冷酷な表情を崩し、苦味を我慢するような苦しそうな顔になった。

「最初はわたくしも、そう思っていたのよ……。まだ何も知らない彼に、これから少しずつでもこの世界のことを知ってもらって、自分の犯した罪を償ってもらえればいいって……。彼は無知で浅慮なだけで、けして悪い人ではないのだから、わたくしがそれを支えてあげればいいんだって……。

 彼とウィリアのことだって、一度は応援しようと思った……でも」


 しかし彼女はすぐに厳しい表情を取り戻し、またトモを睨み付けた。


「でも、メイメイが屋敷から飛び降りたことで、そんなのは不可能だって気付いたのよ! メイメイが、わたくしに教えてくれたの!」

「メイちゃんが……」

「彼の能力は、強力すぎる。ドラゴンも、魔王も、誰かが誰かに抱く小さな片思いさえも……等しく全てを無力にしてしまう。本当に、文字通り敵なしの最強のチート能力だわ。

 でもね……わたくしたちは、誰も彼のように強くなんてないのよ。

 いつも自分の考えが他人に受け入れてもらえるとは限らない。むしろ、自分の思い通りにいくことのほうが少ない。でも……それでもそんな思い通りにいかない世界を、誰もが必死に生きているのよ。

 彼の能力は、そんなわたくしたちを否定してしまう。頼りなくて弱々しいわたくしたちの想いを踏みにじって、自分の考えを押し付けてしまう。話し合いを否定し、譲り合いを否定し、考えが違う者同士が分かり合うことを否定する。自分の考えを、自分の存在を、自分の全ての行動を、唯一無二の正義として無理矢理他人に認めさせてしまう。そうせざるを得ない。そんな、邪悪で呪われた力なのよ!

 そんな力を、わたくしは許すわけにはいかない。この世界に野放しにするわけにはいかない。彼の能力は……いいえ、そんな能力を持った彼自身は、この世界にいてはいけない存在だったのよ!

 ……だから、わたくしは彼を排除することにした。この手で、彼を殺すことで!」


 金属杖をトモの心臓の上に移動し、振りかぶるアレサ。

 口を足で押さえつけられているトモは、逃げ出すことが出来ない。

「ア、アレサちゃん……や、やめて……。そんなこと、しないで……」

 いや……そのときのトモにはもうすでに、逃げ出すという意識すらなかったのかもしれない。

 もはや全てを諦め、これから起こることを、ただ受け入れるだけ。ウィリアの最後の懇願も、今の彼には全く届いていなかった。


 殺意を込めた右目でトモを睨みながら、アレサがつぶやく。

「自分の罪が、やっと分かったかしら? 自分がどれだけ呪われた存在か、理解したかしら? ……そんな自分に、絶望したかしら?」

「……」

 もはや輝きを失ったトモの灰色の瞳からは、ボロボロと滝のように涙が溢れ続けていた。


 自分の行動が、自分の能力が、自分の存在自体が、どれだけこの世界に悪影響を与えていたのかを思い知らされたのだ。彼は、落ちるところまで徹底的に落ち込んでいた。アレサのいう通り、絶望しきっていたのだ。


 確かに、彼は昔から調子に乗りやすく、考えなしに動いてしまうところがあった。最初のドラゴンに対する行動は、その現れだろう。

 だが、それは彼の歳の若者ならば、普通のことだ。本来なら、そこまで断罪されるようなことではない。彼はどこにでもいるような……いや、むしろそこらの若者よりもよっぽど正義感に溢れた、ただの好青年だった。その持ち前の正義感で、少しでも誰かに喜んでもらえればと思って、行動していただけだったはずなのだ。

 その彼の考えを否定することは、誰にも出来ない。

 事情が違えば……あるいは、転生される世界が違っていれば、彼だってそこで十分に活躍できただろう。何かの英雄譚の主人公として、好意的に語り継がれる存在にもなれただろう。それだけの素質と性質を、彼はちゃんと持ち合わせていたのだから。


 ……しかし。

 そんな彼が、今はアレサに殺されようとしている。

 呪われた力を持った罪人として、処刑されようとしている。

 そのときのトモの絶望の深さは、はかりしれないものだったろう。

 しかしもう今では誰にも、この状況を止めることは出来なかった。


 アレサは振りかぶっている杖を持つ手に、力を込める。その手は、かすかに震えている。

 トモは自分の死を覚悟し、目を閉じる。


 そしてアレサは、

「できることなら……チートを持たない貴方と出会いたかったわ……」

 とつぶやき、その杖を振り下ろした。

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