05

「この世界の、私たちがいるこの国には、名数令アリアと呼ばれる身分制度があります。それは、古くから伝わる由緒のある制度であり、この国で暮らしていくのならば避けて通ることのできないもの。この国に住む全ての人間やエルフ、その他の種族たちの間に厳格に適用されてきた、絶対的なルールです。

 その制度においては、身分が下の者は、自分よりも身分が上の者には決して逆らうことができない。それがどんなに無茶なことであろうとも、身分が上の者の言うことには従わなくてはならないのです」

「は、はあ……?」

 トモは、メイが突然何の話を始めたのか分からなくて、気の抜けた相槌を打った。メイは、気にせずにそのまま続ける。


「その制度では、それぞれの者がもつ名前が、重要な意味を持ちます。名数令アリアは私たち一人一人の名前に深く結び付いていて、私たちの名前に、『あるルール』をいているのです。

 そのルールとは……個人の身分を、『その者の名前を構成する部分の数』で表現するということです」

「名前を構成する、部分の数?」

「ええ。例えば、アレサお嬢様のお名前、『アレサ・サウスレッド』は、『アレサ』と『サウスレッド』の二つの部分から構成されている。だからあのかたは名数令アリアにおいて、弐数名ツヴァイナリという身分になります。

 これは、王族やその側近の一部の家系にのみ与えられる非常に高貴な身分で、これより上の身分は、この国の最高権力者である国王ギリアムの壱数名エルナリのみです。

 まあ一部の宗教では……自分たちが信じる女神は名前を持たない無名神、つまり零数名ヌルであるから、国王よりも偉いのだ、なんて説いている者たちもいるようですが……。一般的には、アレサ様はこの国で二番目の身分だということです」

「つまり、名前を構成する部分が少なければ少ないほど、身分が高くて偉い……っつーことなンすね?」

「はい」

 メイは小さくうなづく。

「その中でも、先程言った壱数名エルナリ弐数名ツヴァイナリは、いわゆる上流階級と呼ばれる、『選ばれた者』たちです。一般市民階級……すなわち、名前が三つの部分から構成される参数名ドゥライナリたちとは一線を画しています。

 この学園でも……いいえ、おそらくこの地域一帯を見てみても、弐数名ツヴァイナリという身分についているのはアレサお嬢様とそのお母様だけでしょう。そう言った意味で、アレサお嬢様がどれだけ高貴な方なのかということは、分かっていただけるかと思います」

 ゆっくりと、間をとって話すメイ。

 彼女はまた、魔法管を口にくわえて中の魔法石に向かって長くゆっくりと息を吐いた。先程と同じように、魔法管の先端が美しく輝きだす。


「一方の私は……」

 それから彼女は、その管を指揮棒のようにして、前後左右に振り始めた。すると、その管の青く発光している部分が動きに合わせて残像のような光の軌跡を残し、まるで紙にサインでも書くように、何もない空中に文字のようなものが現れた。


「私の名前は、メイ・メイ・エミリア・スティワート。四つの部分からなる、雑名称フィアレットです」

 空中に浮かび上がった英語の筆記体のような文字は、メイの言葉と同じように四つの部分に分かれていた。彼女は、トモに自分の名前を書いて見せたのだ。

雑名称フィアレットは他の三つの身分とは違って、ある種の蔑称べっしょう……いわゆる、差別用語のようなものです。市井いちいの民である参数名ドゥライナリたちより更に下に位置し、他の全ての身分の者から嘲笑とさげすみの対象となることでのみ、存在を許される……そんな、呪われた名前です。

 通常は、重い犯罪を犯した者などに与えられるもので、一度与えられたら死ぬまで変えることは出来ません」

「そ、そんな……」

 ショックで言葉を失うトモ。そんな彼の様子に、メイはまた静かにほほえんだ。

「お気になさらないでください。私がそんな呪われた存在なのは、別に不当なことではなく、この国にとって、いたって当たり前のことなのです。だって、ここだけの話……私は参数名ドゥライナリとしての名を与えられる前に親に捨てられた、孤児なのですから……」

「え……」

参数名ドゥライナリ以上の名を持たない者は、この国では人間として扱われません。自動的に雑名称フィアレットとしての呪われた名前を与えられ、社会の仕組みから外されて居場所をなくすのが、この国のルールです。

 物心ついたときには私は、ならず者たちがたむろする貧民街で盗みや詐欺などの犯罪に手を染めていました。雑名称フィアレットであるというだけで、まともな仕事につくのはほぼ不可能になりますので、その日の食料を得ることも容易ではありません。もちろん、友だちや恋人など、夢見ることさえも許されない。

 雑名称フィアレットになった時点で、私の未来は失われたのです。そして私自身もそれに絶望し、絶望しきってしまい、もはや全てを諦めてしまっていた……。皮肉なことに、勝手に与えられた呪われた名前をなぞるように、私はみずから呪われた卑しい人生を送っていたのです」

「で、でも……だったらどうして、今は……」

「ええ、それは当然の疑問ですよね。ここだけの話……私が今、お嬢様のメイドをやれているのは、もとはといえば、私がサウスレッド家に盗みに入ったのがきっかけでした。

 教養もプライドもなく、人としての生き方を見失っていた私は、愚かにもお嬢様の屋敷に忍び込み、そこであっさりと警備に捕らえられてしまいました。そして彼らによって、強制的にどこかに連行されようとしていた。

 そこで……初めてアレサお嬢様とお会いしたのです」


 内容的にはとても重い、彼女の言葉。しかしそこには悲壮感のようなものは少しも感じられない。まるで歴史上の出来事のように、淡々とした話しぶりだった。

 だからこそ逆に、トモは彼女の言葉を疑ったりはしなかった。彼女が辛い過去を聞かせて同情を誘っているわけではなく、感情を排除して、ただ自分の身に起きた事実を話しているだけだと分かっていた。


「本来ならば私は、あのとき警備員の独断で私刑にされてしまってもおかしくなかった。あるいは人身売買でもされて、どこかの参名称ドゥライナリに奴隷として売り飛ばされるとかね。

 それがこの国の、この世界の、雑名称フィアレットとしての正しい在り方だったはずなのです」

「そ、そんなの、おかしいだろっ!」

 トモはそこで我慢できなくなり、大声を出してしまった。


 シーンと静まり返った夜の景色に、彼の声が響いていく。

 今が深夜であることを思い出したトモは、慌てて口をつぐむ。幸いにして、部屋の中の二人が飛び起きてくるほどではなかったようだ。


 メイは、変わらず静かに答える。

「ええ、そうですね……。それと同じ言葉を、当時六歳だったアレサお嬢様も、おっしゃっていました。『そんなのおかしいじゃない!』、『この子とわたくしの、何が違うっていうのよ!』とね……」

「え? あの、おじょー様が?」

「はい」

 メイは優しくほほえみながら、うなづく。

「お嬢様は、私を縛り上げようとしていた警備員を叱りつけ、彼らに、それがどれだけ間違っているかと熱心に説得していました。そしてとうとう最後には……お嬢様付きのメイドとして、私をサウスレッドのお屋敷で雇いたい、とまで言い出したのです。

 弐数名ツヴァイナリの奥様を親に持つアレサお嬢様は、自動的に弐数名ツヴァイナリとなりますから、その場の誰もお嬢様に逆らうことはできませんでした。しかし、その裏では相当の衝撃があったようです。

 当然でしょう。

 ただでさえ、弐数名ツヴァイナリ雑名称フィアレットなんて、天と地ほども違う身分なのです。普通の弐数名ツヴァイナリならば、下僕や奴隷としてだって、雑名称フィアレットと関わったりしない。ともすれば、一生視界に入れずに過ごすことだって珍しくない。

 なのにそのときのお嬢様は、雑名称フィアレットの私を『雇いたい』と言った。一方的な奴隷としてではなく、お互いが対等な立場として、雇用契約を結びたいと言ったのです。何人なんぴとも破ることの許されない絶対的なルールを、そのときの幼い子供のお嬢様は、簡単に破ってしまったのです。

 ……いや、それが破ることの許されない絶対的なルールであると知りながら、あの方はあえて反発したのでしょう。雑名称フィアレットの私でも、弐名称ツヴァイナリのお嬢様と対等な存在であると宣言し、名数令アリアなんて身分制度は間違いであると、この国に宣戦布告したのです。

 あのときの私が、お嬢様のその行動にどれだけ救われたことか……」

「マ、マジかよ……」

 そこで初めて、トモはメイの言葉を疑ってしまった。

(だってあの人は、残念おじょー様のはずだろ……?)


 しかし同時にトモの頭の中では、アレサが普段しゃべっているときの『人の名前の呼び方』が思い出されていた。


 彼女はいつも自分の名前を言うとき、「アレサ・サウス・レッド」のように、名前を三つに区切っていた。本来の「アレサ・サウスレッド」という二つではなく、あえて自分の名前に余分な区切りをつくっていた。

 その上彼女は、目の前の「メイ・メイ・エミリア・スティワート」というメイドの少女のことを、「メイメイ」と呼んでいた。他の人間は「メイちゃん」とか、ただ単に「メイ」とだけ呼んでいたのに。まるで、彼女の名前が「メイメイ・エミリア・スティワート」であるかのように振る舞っていた。

 自分の名前の区切りを増やし、メイの名前の区切りを一つ減らしていたのだ。


 今思えばあれは、アレサが弐名称ツヴァイナリの自分と雑名称フィアレットのメイドのことを、同じ参名称ドゥライナリとして扱っていたということだったのだろう。

 本来は高貴な身分のはずの自分をおとしめ、同時に、孤児のメイドのことは尊重して扱い、自分たちの間に身分差などないということを表現していたのだ。

 それに気付いてしまった以上、彼も、メイが語っていることが真実であると信じざるをえなくなった。

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