02

「やっと……やっとこの日が、きましたのね……」

 アレサは、「その部屋」にゆっくりと足を踏み入れる。そこは、ベッドと小さなテーブルがある程度の、シンプルなワンルームだ。

「ああ……。ここに来る日を、どれだけ夢見たことか……。わたくしが、『貴女』の部屋に呼ばれる日のことを……」

 部屋の中には、アレサを見つめている少女――その部屋の主の、ウィリア――がいる。

「アレサ……ちゃん……」

「ウィリア……」

 これは、いつもの夢ではない。アレサの見ている、都合のいい妄想ではない。

 紛れもなく、現実の出来事だ。


 アレサは、ゆっくりとウィリアの待つその部屋へと入っていく。ウィリアの部屋の、ベッドの中へと……。


 そしてその日、ついに彼女は、想い人のウィリアと結ばれた…………と、いうわけではなく。

 この状況には、全く別の理由があった。




   ※




 トモに挑んだ勉強勝負のために、アレサは授業が終わったあとすぐに、馬車を自分の屋敷へと走らせていた。


「さあ、メイメイ! いますぐ、この国で最高の家庭教師をかき集めてちょうだいな! 今夜は、徹夜で勉強会ですわよ!」

「はあ……」

「ええ、もちろん! 完璧な才女たるわたくしの知力をもってすれば、あんなお猿さんに負けるはずはありませんわ。今回の勝負は、間違いなくわたくしの圧勝となる。それは、火の精霊を見るより明らかですわ。でも、だからといってわたくし、勝負に手を抜いたりはしませんのよ⁉ マンティコアは、一角兎を狩るのにも全力を尽くすと言いますものね? 完璧に完璧を重ねて、圧倒的な大差をつけて、あいつに実力の差を思い知らせてやるのですわ! 知力という名の暴力であいつをコテンパンにして、二度とウィリアに近付かないようにしてやるのですわ!

 おーほっほっほ! おーほっほっほっほー!」

「そう……ですか」

 勝算があるからか、ヤル気が有り余っていて無駄に暑苦しいアレサ。それに対して、同じ馬車の中のメイドのメイは、さっきから気だるげに生返事を返すばかりだ。

 それに気付いたアレサは、高笑いを中断して彼女に向き直った。

「ちょっと、メイメイ! 貴女、ヤル気あるんですの⁉ これは世に言う、『絶対に負けてはいけない戦い』なのよ⁉ わたくしは、汚らわしいあいつから、愛しいウィリアを守り通さなくてはいけないの! 万に一つも、億に一つも、敗北は許されないのよ⁉ それなのに、貴女がそんな適当な調子では、勝てるものも勝てなくなってしまいますわよ!」

「ですが、ねえ……」

 メイドは無表情で無気力な態度のまま、アレサに反撃する。

「お言葉ですが……お嬢様はすでにあの転生者に、武力勝負で負けてますよね? すでにそのときに、ウィリアを賭けていたのではありませんでしたっけ?」

「ギクッ……」

「その負けを無かったことにして……シレッと二回戦を挑んでいるわけですよね? 自分で挑んだ勝負の結果を、自分であっさりくつがえしているわけです。

 その姿勢が、あまりにもセコいというか……」

「ギクギクッ……」

「しかもその勝負の内容が、学園の学力テストっていう……。

 ご自分は人文系の教科に確固たる自信があるからいいかもしれませんけど……異世界からやって来たばかりで分からないことだらけの転生者には、そんなの不利に決まってますよね? そんな一方的な勝負を仕掛けてまで勝とうとするなんて、必死過ぎるというか……」

「ギクギクギクゥッ!」

「でも……そんなに必死に勝とうとすればする分だけ、逆に負けフラグっぽいというか……。こんなに必死になっても、どうせ今回も負けるのだろうなあ、とか……。これに負けても、またとぼけて別の勝負を挑むのかなあ、とか……。そういう展開が今から予想できてしまって……ここだけの話、いまいちノリきれないのですよね」

「う、ううぅぅ……」

 痛いところを――むしろ、痛々しいところを――突かれてしまったアレサ。まともに反論することもできず、開き直って叫ぶ。

「う、うるさいわね! そりゃ、必死よ! 必死にもなるわよ! だってこの勝負でわたくしが負けてしまったら、ウィリアはあの野蛮な転生者のものになってしまうんですのよ⁉ 汚らわしいあいつが、天使のように清らかなウィリアを蹂躙するのを、許してしまうのよ⁉

 あいつの汚れた手が、ウィリアのプニプニした柔肌に……ウィリアのふくよかな胸に……ウィリアの魅惑の太ももに…………。ああ……考えただけでも、激しくこうふん……い、いえ! 激しい怒りが、込み上げてきますわ!

 そんなこと、あってよいはずがないでしょう⁉ だからこの際、細かいことは気にしてる場合じゃないのですわよ!」

「はあ……」

 いつも通りのワガママ残念お嬢様の様子に、呆れているメイド。ため息混じりに、アレサに言い聞かせるように言う。

「しかし……ウィリアがあの転生者に好意を持っているのは、明らかな事実です。恋する者が、その恋する相手に自分を知ってほしい、自分を捧げたいと思うのは、普通のことではないですか?

 部外者のお嬢様が、あの二人の関係にどうこう言う筋合はないかと思いますが?」

「そ、それは……」

 メイのその指摘には、アレサも開き直ることすらできずに、言葉をつまらせてしまった。



 そもそも、ウィリアのトモへの気持ちは、女神が与えたチート能力によるものだ。本来存在しなかったところに降って沸いた、超自然的かつ不自然な原因による気持ちだ。だからそれは、けして、メイドの言うような「普通のこと」ではなかったのだ。

 だからこそアレサも、ウィリアとトモを引き剥がそうとしている。トモに、勝負を挑んでいる。「普通でないこと」を「普通のこと」に戻すために、ここまで必死になっているのだ。

 しかし彼女は、それをメイドに言うことはできなかった。


「それは、そうかも……しれませんけど……」

「……?」


 急に歯切れの悪くなったアレサを少し奇妙に思ったメイドだったが「まあ、この人が挙動不審なのはいつものことか」と考え直し、話を戻した。


「……なんにせよ。お嬢様が何をしようと、するまいと。ウィリアの方はこれからも、あの転生者にアピールを続けるでしょうね。自分が好きな相手に対する乙女の行動としては、それは当然のことです。

 だからこそ、今も彼女は転生者と二人きりになっているのでしょうし……」

「……は?」

 そこで、聞き逃しかねる言葉にアレサは眉をひそめた。

「な、何よそれ……どういう意味よ?」

 メイドは、何でもないふうに答える。

「え? 何よそれ、って……別に、言葉通りの意味ですよ? ウィリアとあの転生者は今、学生寮のウィリアの部屋で一つ屋根の下、二人きりの時間を過ごしているんです。……え? もしかして、ご存じありませんでした? ここだけの話……あの転生者は今日はお嬢様に手配してもらった宿ではなく、ウィリアの部屋に泊まるらしいですよ?」

「ご、ご、ご……ご存じないわよっ! そんなの、初耳に決まってるでしょっ!」

 あまりに衝撃的な事実を告げられ、アレサは唾を飛ばすほど慌ててしまった。

「い、い、いつからあの二人、そんなことになってるのよっ⁉ 聞いてないわよっ!」

 メイドは、遅れて補足情報を告げる。

「どうやらウィリアの方から、そうするように誘ったらしいです。『勉強分かんないところがあるなら、私が部屋で教えてあげるよ?』……と。つまり二人は、明日のテストに向けて一夜漬けの勉強会をしようとしているのですね」

「な、なーんだ。そういうことなのね? もおう……驚かせないでよメイメイ。貴女が変な言い方をするから、ビックリしちゃったじゃないのよ。テストの勉強会だったら別に、何の問題も無いわよ。ええ。だって明日は確かに中間テストなわけですし、学生がテスト前日には勉強するのは普通ですし…………って、そんなわけないでしょーがっ!」

 思わずノリツッコミをしてしまったアレサ。

「年頃の男女が同じ部屋で一晩過ごして、ただの勉強会ですむわけないでしょっ! ましてや、相手は野蛮で嫌らしい、あの転生者なのよっ⁉ チートで無理矢理惚れさせられているウィリアと一緒にいて、何も起きないわけがありませんわっ!」

「まあ、さすがにいくらなんでもあの二人がそんなことにはならないと思いますが……」

 いつもとは逆方向だが……妄想が暴走し始めたアレサは、もう誰にも止めることができない。

「いいえ、十分にあり得る話よ! だって二人きりの勉強会なんて、周りには誰もいない、完全に二人だけの世界じゃない⁉

 ふと、勉強の途中でペンを落とすウィリア……。落としたペンを拾う彼女の手に、彼の手が重なる……。視線を合わせる二人……。高鳴る鼓動は若い男女の欲望を後押しし、そのまま二人はベッドの上へ……。そして、動物的な本能が求めるままに、お互いの体をむさぼりつくして……って、なるに決まってますわーっ! そんなの、許せるわけないでしょーがっ!」

 馬車を引く馬が飛び上がるほどのアレサの絶叫が、響いた。


「ダメよ! そんなの絶対ダメだわ! こうしちゃいられない!

 わたくしも、ウィリアの部屋に行くわよ! 今日は徹夜で、あいつがウィリアにおかしなことをしないか見張らなくちゃ! メイメイ! 今すぐ馬車を学園の学生寮まで戻しなさい!」

「はあ……」



 そんなわけで。

 冒頭のアレサは、「お付きのメイドと一緒に」、「トモとウィリアがいる部屋」に入ろうとしていただけ。ただ、ウィリアとトモの勉強会を邪魔しようとしていただけだったのだ。

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