――元日の昼飯時、遭遇――


 「あれー? 江森じゃん」

 「え、神社とか似合わねぇ場所になんでお前がいんのー?」


 小籠包を売っている屋台の前で、親しげな声に名前を呼ばれた。相手は四人組、俺と同じクラスの男子たちだった。手には各々、熊手や食べ物を持っている。彼らも参拝を済ませて帰路についているところらしい。

 ほぼ無意識に笑みを浮かべ、片手を挙げて応えてみせる。


 「お前らなぁ、年明けに初めて会ったらまずは『あけましておめでとう』くらい言おうぜ。つーことで、あけおめ」

 「忘れてた。あけおめ!」

 「その言葉、お前宛ての年賀状に書いといた。だから今は省略する」

 「年賀状? 今朝、確認した中にはお前の名前なんて見当たらなかった気がするけど……」

 「あー、出したの昨日だからな。多分、まだ届いてねぇんだわ」

 「じゃあ、新年のあいさつも口で言った方が早くね?」


 見慣れた顔を前にすると、正月気分は一旦鳴りを潜め、教室で過ごすのと変わらないノリになる。よく休み時間につるむ面子だからだろうか。まるで学校にいる気分にさせられながらも、いつものように軽口を叩き笑い合った。


 「つかさ、一人? 一人っきりで初詣? 寂しーな」

 「俺らも同じようなもんじゃん。彼女とかいないし」

 「むしろ彼女のいない男集団な俺らより、一人きりの方が潔くね?」


 連れの姿が見えないから、ここへは一人で来ているということにされ、勝手に話を進められる。


 「あ、いや。一人ではないんだけど、」


 ぐしゃっ。やわらかい雪の塊を踏み潰す音がした。


 黒いショートブーツが視界の隅に留まる。そこに誰が立っているのか。確認するまでもないのに目は勝手に、相手のつま先から上半身へとゆっくり視線を上げていく。頬の白色を認識した瞬間、俺は何故かそこにたたえられた表情を見ることにわずかな躊躇いをおぼえた。

 有名な若手俳優に似ていると、いつか女子が持て囃していた顔。伏せられることの多い目が丸く見開かれていた。

 視線は、俺ではなく俺の周りにたむろするクラスメイトたちへ向けられている。


 「おかえり。小籠包、買えた?」

 「えっ……、あ、うん」


 乾いた音とともにビニール袋が揺れる。透明な袋の中身は、同じく透明なプラスチックのケース。表面が湯気で曇っていて、中に入っているはずの食べ物の姿は拝めない。


 「んん? ……あー、どっかで見た顔だなって思ったらC組の」

 「確か……佐倉、だっけ」

 「一瞬、女の子かと思った。え、もしかして二人で初詣に来たの?」


 うなずく俺の隣りで、佐倉は固まっている。傍から見たら、ただ大人しくしているに過ぎないのだろうが、雪の色が映り込んだ黒目だけがやたら忙しなく動きまわっていて、彼は今とても居心地が悪いのだということを物語っていた。

 佐倉は明らかに警戒している。俺たちの関係が露見するのではないかと。

 つき合い始めて二か月足らず。その間、恋人ができたこと、しかも相手は男だということは誰にも話していない。友人にも。大人の中では唯一信頼を置いている叔母にでさえ。


 いつ誰に知られようとも構わなかった。周りからどう思われ何を言われようとも俺は佐倉のことが好きだし、大切だ。少なくとも、彼が自分の恋人なのだと道行く人に今すぐ自慢したくなるくらいには。他でもない佐倉がそれを拒むであろうことは重々、承知している。


 「――つき合ってること、周りには黙ってて欲しい。俺にはまだそれを言う勇気が足りないんだ。だから、二人で一緒にいるところを誰かに見られた時には、友達として振る舞ってくれ」交際を申し出て間もなく成された約束。少し力を加えれば折れてしまいそうなほどか細い小指に自分の小指を絡めたことを思い出す。


 俺はいつまでも待とう。佐倉がまっすぐに前を見て誰かに笑顔で俺のことを紹介してくれる、その時がやって来るのを。


 大切な相手との約束を守るためなら、嫌いな嘘だってついてやる。


 「そう。実は、ここに来る途中でばったり逢ってさ。目的地が同じだったからどうせ行くんなら一緒に行こうぜって誘ったんだ。まあ、佐倉は渋々、俺の誘いにのってくれただけなんだけどさ。な?」


 「えっと……、まあ、そんなところ、かな」

 しどろもどろに佐倉が答えた。苦笑を浮かべてはいるものの、やっぱり目が泳ぎまくっている。なかなか上手い口実を作ったつもりだが、彼にしてみれば苦し紛れとしか思えないのだろう。一刻も早くこの場から逃れたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。


 まだ本殿から近い距離にいるはずなのに、佐倉が発している強い念は神様まで届いていないらしい。四人の興味が、俺から佐倉へと移る。


 「へえ。じゃあ、佐倉も一人で初詣に来たのか。毎年ここ来てるの?」

 「今日、初めて来た。気まぐれで……なんとなく」

 「ちょっと待って、佐倉って彼女は? 同じクラスのやつと密かにつき合ってるって、女子の噂では聞いたけど」

 「あいつらの噂なんて当てになんねーよ」

 「いやいや、相手が誰かはともかく彼女持ちなのは間違いないだろ。で、ほんとのところ、どうなの?」

 「彼女……? いないけど」


 女子の噂話に信憑性を感じていない一人が、ほら見ろとばかりにドヤ顔をしている。「いないのかよ」「え、その美形で?!」などと、他の三人が騒ぎ立てる姿を俺は一歩だけ退いた位置から見ていた。

 女、じゃないけど、意中の人ならここにいる。今こうして、他愛もない会話に参加して内心を浮かべているやつ、それがお前らが勘ぐっている佐倉の相手だ。


 少しだけ、いたずら心が騒ぐ。


 「好きなやつ、くらいはいるんじゃないか」

 

 にやっとしながら言った後、危機感が遅れてやって来た。

 いくら思ったことが顔に出にくいとは言え、動揺くらいはするだろう。案の定、佐倉は不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。なんで自ら危ない橋を渡りたがるんだお前は。俺に対して大体そんな感じのことを思っていると、目を合わせれば分かる。


 「……いるよ。人並みにはね」

 「へぇ、そうなんだ。こんな美人から一方的に想われてるなんて、そいつはかなりの幸せ者だな」

 「それ、女の子にモテモテな野球部四番が言う台詞じゃないと思うけど」

 「んん? ひょっとして佐倉、俺のことうらやましい? ええー、お前みたいなイケメンから羨望の眼差しを向けられる日がくるなんてなぁ。光栄だなぁ」

 「は、別にうらやましいなんて思ってない。一ミリも」

 「でも〇・五ミリくらいはうらやましいだろ」

 「ぜんっぜん」


 会話を進める度、端正な顔の中心に刻まれたしわが濃くなっていく。彼が抱く不満、その本当の理由が分かるやつは、この地球上に俺一人しかいないだろう。それを嬉しいと感じている自分は、少し単純すぎるかもしれない。


 「意外だな」

 発せられた言葉通りの響きを含んだ声。いつの間にか沈黙していた友人たちが、しきりに瞬きをしながら俺たちを見ていた。


 「なにが?」

 「いや、江森と佐倉って見るからに全然タイプが違うじゃん。学校でもあまり見かけない組み合わせだし。なのに意外と馴染んでるっていうか」

 「江森が大人しいやつとつるむのって、珍しいよな」

 四人ともが顔を見合わせうなずき合う。そんなに俺は騒がしい連中ばかりとつるんでいただろうか。自覚がない。


 「でもまあ、お前らって案外、仲いいんだな。大人しい佐倉も江森には心を開いてるみたいだし」


 仲良しだよ。お前らが思ってる以上に。


 そう言ってやりたかったのはやまやまだったが、今は心の中で呟くだけ。


 「え……、別に開いてない」

 「ツンデレだなぁ、佐倉は。俺みたいにもう少し本音で話せば、お前の周りも賑やかになるのに」

 「江森は賑やかすぎ、というかうるさい。漢字通り、五月の蝿みたい」

 「え、ハエ? 五月? なんだそれ」


 取巻きから笑いが起こる。俺は意味が分からず、みんなが笑う光景をただ見ていた。不機嫌な男がいたはずの方からも失笑する声が聞こえる。不満というものは伝染するのだろうか。今度は俺の方が物足りなさを感じて唇をとがらせる番だった。


 




 「江森の友達って、みんな何処か江森に似てるね」

 友人たちと別れた直後。屋台巡りを再開させるか否かたずねようとしていたら、苦笑交じりの声でそんなことを言われた。隣りに視線をやる。柔和に細められた黒い目は、まだ四人が去って行った方向を見つめていた。


 「俺に似てるって、どの辺が?」

 「明るくて、ちょっと騒がしいところとか。なんか江森が五人いるみたいだった」

 

 騒がしい、という一言で急に心配になる。

 話したこともない相手、それも四人。彼らが放つ賑やかな雰囲気とは正反対のタイプである佐倉は、一連の出来事で疲れてしまったのではないだろうか。普段クラスメイトとも自分から口を利こうとはしない彼のことだ、面倒な展開に巻き込まれ憂うつな気分で会話の終了を待っていたに違いない。


 「……もっと早く話を切り上げればよかったな。俺の下手な嘘、あいつらが信じてくれたらいいんだけど」

 「江森の自信なさそうな顔、久し振りに見た気がする。今日は色々と珍しいことが起きる日だな」

 「もし勘づかれてたら、ごめん。俺のせい」

 「なんで気弱になってんの。大丈夫だよ、見た感じ演技だとは思えなかったし。江森は嘘つくのも上手いんだね。役者もできそう」

 「そんなとこ褒められても嬉しくない、全然」


 嬉しくはないけれど、佐倉のお墨付きならばちゃんと誤魔化せたのかもしれない。この場はとりあえず、乗りきったということにしておこう。


 「そろそろ帰るか。佐倉も慣れないやつらと話して疲れただろ」


 本音を言えば、もう少しこのまま二人で屋台を眺めたい。

 いや、場所なんて何処でもいい。街中だろうが公園だろうが、佐倉と一緒に歩けば楽しめるのは確実だ。

 が、無理をさせてはいけないという気持ちの方が強かった。こんな人気ひとけの多いところに、静かな場所を好む佐倉が長居したがるとも思えない。ただでさえ寝不足の身なのだ。滑りやすい雪道を一度も転ばずに来られたという現実が、もはや不思議を通り越して奇跡のような気がしてくる。もし転んで怪我でもしようものなら、俺はここへ来たことを猛烈に後悔しただろう。


 恋人が転んでいなくても、無傷でも、今ちょっと後悔し始めている自分が居る。それを割と本気で嘆いている自分も居て。


 「疲れてなんかないよ。それに、普段ろくに話したことなかった人と話せて楽しかったし」


 「楽しかった……?」


 意外な返答に首をかしげる。嘘をついているのではないか。彼の顔をじっと覗き込むと「本当だって」と笑われた。


 こちらまでつられて頬が緩む。本物の笑顔だ。


 「……そっか。なら大いに結構」

 「なんで急に偉そうなの。というか、そういう口調お前に似合わない」

 「知ってるよ、痛いくらい。――で、これからどうする?」

 「昼ご飯になりそうなものを一通り買ったし、帰って食べようか。着く頃にはこれも冷めちゃうだろうけど」


 小籠包が入った袋を少し残念そうに揺らしている佐倉へ、隣室の叔母に頼んで電子レンジを使わせてもらおうと提案する。もう既に冷めかけているだろうフランクフルトもお好み焼きも、温かい方がきっと美味い。


 「夏になったら、一緒に祭り行こうな」


 露店が並ぶ道を外れ、再び並木道へと戻る。名残惜しそうに後ろを振り返っていた横顔は、声をかけるとすぐこちらを向いた。


 わずかに傾けられた頭。見上げられる度、佐倉よりも長身でよかったと思う。


 「部活は? 夏祭りで遊んでる暇なんてあるの」

 「い、今からそんなつまんないこと考えるなよ……。まあ、忙しいだろうけど何処かしら予定は空けられると思う。というか、力ずくでも空ける」

 「サボるのはだめだよ。部活ができるのも今年で最後なんだし。野球をする時間を大切にしなきゃ」

 「今の俺には、伊織と過ごす時間以上に大切なものなんてない」

 「……うっわ。またそんな、映画かドラマの中でしか聞かないような台詞をよく思いつくな」


 本気で思っていることなのに、俺が口にするとどうも嘘っぽく聞こえるらしい。俺が嘘を嫌うと知っている佐倉のことだから、呆れたように嘆息しつつも心の中ではちゃんと「今のは偽りのない言葉」だと認識してくれているだろう。


 「で、夏祭りでは伊織が食べたいものたくさん買おうぜ。クレープは俺がおごる。約束な」

 「もう約束? お祭りまで、まだ半年はあるのに」

 「早い方がいいだろ、どんなことであってもさ」


 林道を抜け、車と人が多く行き交う通りに出た。赤信号で立ち止まったタイミングで紺色のコートの前へ小指を差し出す。

 一瞬の間を置いてから反応があった。絡めた指から、微かに体温を感じた。


 手を繋ぎたいけれど、もう少し人通りが少ない場所へ行くまで待とう。楽しみは後に取っておいた方がいい。分かってはいても、早く雪が溶けて連休が過ぎてセミが鳴き始めないものかとつい気持ちばかりが先走ってしまう。現実で見ることはなさそうな、恋人の浴衣姿まで簡単にまぶたの裏に浮かぶ。


 待ち遠しい気持ち。ほんの少しだけでも佐倉が同じ気持ちでいてくれますように。


 ここまで来る途中にあった小さな神社まで引き返して祈りたいくらいだ。

 いや。祈るよりも、そうに違いないと信じていた方が願い事は早く成就しそうだし、よっぽど前向きだろう。だから今から信じ続けることにする。夏祭り、屋台の前でクレープを頬張って、美味しいと笑う恋人の顔が間近で見られる時が来ると。


 頬を撫でる雪の冷たさに白い息を吐く。信号が青になると同時に、俺たちはよく滑る横断歩道へと一歩踏み出した。

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