――元日の昼、神様がいる場所――

 初詣に行こう、なんて軽はずみに言った俺がバカだった。


 自分がバカであることなんて、とっくに知っている。なのにそれを再認識させられるとは。まだ新年になってから十二時間と五分しか経っていないのに。


 初詣をするなら、街に点在する神社の中で最も大きなところがいいだろうと、半ば安直に目的地を決めた。佐倉の賛同を得てからをして部屋を出て、バスと地下鉄に揺られ満を持して参拝を……と、鳥居をくぐる。

 その直後、目に飛び込んできたのは長い行列だった。本殿へと続く並木道が、これから参拝する者と済ませて帰る者とで混雑していたのだ。


 「うわー……。元日の初詣って、こんなに混むのか。お参りするまで何時間かかるんだろう」


 行列を前に困惑している佐倉を見て、俺は申し訳なくなった。

 ろくに下調べもせずに連れて来てしまったのだ。いや、そもそも〝混雑状況〟という単語自体、思いつかなかった。実家で暮らしていた時は、年が明けて二日か三日してから初詣に行くのが当たり前で、その頃になると田舎の神社は当然の如く空いていた。俺の中では、神社というものはいつも閑散としていて静かで、賑わうのは祭りの時だけ、というイメージが定着していたのだ。田舎からこの街――都会へ出てきてからは神社仏閣とはますます縁遠くなり、自分から足を向けることもなかった。


 せめて移動中にでもネットで調べていれば、この混雑も予想できたのかもしれない。が、「元日の初詣は人でごった返すもの」という認識を初めから持ち合わせない俺は、移動時間を佐倉とことにすべて費やした。それはそれで楽しかったし幸せなひと時だったので、後悔はしたくない。


 「どうする? この人数だし、諦める?」


 隣りで佐倉が俺を見上げ、問いかけてくる。

 さっき、電車に揺られて気持ちよさそうにまどろんでいる姿を目にしたばかりだ。おまけに雪もちらちら降っている。風がないだけましだけれど、彼のことを思うなら列には並ばず引き返した方がいいのだろう。


 「佐倉は、どうしたい?」


 問いに問いで返すなんて。自分で答えを導き出せずに一時的な逃げを選んだようなものだ。


 分かってはいても、佐倉の意見を聞いてみたかった。

 俺よりもよっぽど頭がいいし、なにより自分の想い人だ。なるべくなら好きなやつの意見を尊重してやりたい。


 「俺は……、こうやってここで考え込んでるくらいなら早く行列に並んだ方がいいと思う。せっかく来たんだからお参りして行こうよ」


 江森が嫌じゃないなら、だけど。控えめに付け足される。


 嫌なわけがない。言い出しっぺは俺なのだし、今さら引き下がれない。それに、他でもない恋人の提案なのだから笑顔でうなずくに決まっている。


 たくさんの足に踏み固められて滑りやすい雪道を、俺たちは列に続いてゆっくりと進んで行った。数分間、のろのろと歩いて行くと道の片側に小さな屋根が見えてきた。手水舎てみずやという、主に手や口を清めるための場所なのだと佐倉が教えてくれた。本来は立ち寄るべきなのだろうが、そこにも人だかりができていたので寄るのは断念した。

 神様はきっと心が広い。今のこの状況を見たら、仕方のないことだったと理解してくれるんじゃないだろうか。俺はともかく、佐倉の身と心はわざわざ清める必要もないほどに穢れがないのだから、彼の願い事だけでも聞いてやって欲しい。


 亀の歩行スピードと同じくらいで、だけども順調に人波は前進していく。

 大して長続きしない会話を交わしながら、俺たちは待った。近くにいる人たちが話しているのを何気なく聞いたり、あちこちで立ち上っては消える白い息を眺めて数えたりしながら、ひたすら待った。


 いい加減、暇つぶしにも飽きてきた頃にやっと本殿の前まで辿り着いた。


 「あっ……。賽銭ってさ、いくらくらい入れるもんなの?」

 重要なことを忘れていた。あわてて財布を取り出しながら、佐倉へたずねる。中身を確認し「小銭でも大丈夫……だよな」と小声で付け足す。


 「お札より小銭を入れる人の方が多いんじゃないかな。こういうのは、金額よりも気持ちの方が大切だから」

 「ちなみに、お前はいくら入れるの?」

 「……二百五十円」


 白い手がこちらに差し出される。開かれた手の内には、ぴかぴか光る小銭が三枚だけのせられていた。彼の家庭事情は、この間知ったばかりだ。たとえ神様への供え物だとしても節約する他ないのだろう。


 「じゃあ俺も同じにしよ」


 見慣れた形の賽銭箱ではなく、本殿の前に敷き詰められたシートの上へ二百五十円を投げ入れる。


 柏手を打つと、少し遅れて隣りからも手を叩く音が聞こえた。

 心の中でささやかな願い事をしつつ、片目を開けて右隣りの様子を窺う。今まさに自分の願いを神様へ伝えている最中の佐倉、その姿を盗み見る。なにをお願いしているんだろう。そこには俺に関することも少しは含まれていたりするのだろうか。


 「終わった?」

 「あ、うん……」

 祈祷の格好を解いた佐倉と目が合いそうになる。別になんてこともないはずなのに、問いかけられる寸前、俺は反射的に視線を正面に戻していた。

 佐倉がなにを願ったのか知りたかったが、人混みから離れて会話がしやすい場所まで移動してからも、なんとなくたずねる勇気が湧かなかった。というか、聞いてみたところで適当にあしらわれる気しかしない。「そんなことどうだっていいだろ」と億劫そうに対応する顔が目に浮かぶ。


 「ん? なんか、いい匂いしないか?」


 行きとは別の道を通って引き返していると、何処からともなく食べ物の匂いが漂ってきた。


 「あそこ。出店やってるみたい」

 指で示され前方を見ると、のぼりが見えた。微風ではためくそこには赤い文字で「たこ焼き」と書かれている。屋台は一つだけではなく、道なりにいくつも出ているようだ。


 「へえー、冬の出店なんて初めて見たな」

 「うん。俺も」


 まるで夏祭りの光景だ。雪景色の中、屋台を彩る黄色や赤などの文字たちが鮮やかに、道行く客たちを誘っている。

 誘われたのは俺たちも同じだった。ちょうど昼飯時で、腹が減っていたせいもある。立ち並ぶ店の前で佐倉に「なんか食べたいのある?」とたずねると、少し考えてから「あれ食べてみたい」と右前方を指差した。彼の人差し指が向けられたのは、クレープ屋だった。


 「……もう少しあったかい食べ物にしない? クレープなら夏祭りでも売ってるしさ」

 「じゃあ……、あれは?」


 次に佐倉が興味を持ったのは赤い屋台だ。白い字で〝あまざけ〟と書かれている。


 「食べ物、じゃないけど。飲めば身体が温まると思う」

 「よし。景気づけに一杯やるか」

 「……おっさんかよ」


 甘酒はまだ実家にいた頃、祖母が作ったものをよく飲んでいた。当時は子供らしく甘いものが好きだったので、好んで飲んでいたのだが。


 「うっ、甘い……」


 口の中に広がる独特な甘み。一口飲んだ直後、思わず顔をしかめる。

 ここ数年間で味覚が変わってしまったのだろうか。以前は甘いものが人並みに好きだったのに、最近では苦手意識すら抱き始めている自分に気がつく。それでもさらに二口ほど飲むと、身体が少し温まった。


 「美味いか?」

 「うん。美味しい」


 俺の隣りで、佐倉は満足そうに目を細めている。紙コップに入っている甘酒を飲んでいる、ただそれだけなのに美人がやると絵になるものだ。


 細く長い指に握られているカップの中身はみるみるうちになくなった。


 「俺の分も飲んじゃってくれない?」

 俺は買ってから中身がほとんど減っていないカップを佐倉に差し出した。

 「これ俺、ちょっと苦手みたいでさ。処理してくれると助かる」

 「いいけど……。もしかして、甘いのだめだった? ならごめん」

 「謝んなくていいよ。伊織が美味しく飲んでくれるなら、俺はそれで満足」


 以前までは美味しいと思っていたのに味覚が変わってきたらしいと、ついさっき思い出したことを話してみる。俺がブラックコーヒーを好んで飲むことを知っている佐倉は、意外そうにしていた。


 「へえ……。じゃあ、甘いお菓子は食べないんだ」

 「菓子パンならたまに食べるけど、お菓子は塩辛い方が好みかな。飴とかキャラメルとか、小さい時は喜んで食べてたのに今は自分から食べたいと思わないんだよな。もらったら、ありがたく食べるけど」

 「そう、なんだ……」


 相槌を打つ声が尻すぼみになり、表情がだんだん浮かないものになっていく。なにか言ってはいけないことでも言ってしまっただろうか。会話の内容を思い出してみても、これといって佐倉を傷つけるような単語や表現は見当たらない。何処か具合でも悪いのか。


 カップが握られている手を触ってみる。冷たい。白さと相まって雪を触っているような感覚だ。


 「なっ、なに。突然」

 「いや、急に黙るからまた熱でも出したのかと思って。でも熱、ないみたいだな」

 「は? 熱なんてないよ。っていうか手! 中身こぼれるから離せっ」

 「えー? ちょっと触っただけで揺さぶったりしてないのに」

 「俺が揺さぶりたくなるの、衝動的に。せめてコレ飲み終えるまでは、もう触らないで」

 「そんなこと言われたら、またくすぐりたくなるなぁ」

 「実行した時は、殴る」

 

 冗談にも本気で突っかかってくるところが面白い。声を上げて笑うと、本人も冗談だということに気づいたようだ。例の、大した迫力もない目力で睨みつけてくる。


 「ほら、大人しくしてるから飲んで。早く飲まないと冷めるぞ」

 なにもしないと知らしめるために上着のポケットへ両手を突っ込む。


 その動作で安心したらしく、佐倉は二杯目の甘酒を飲み始めた。

 時々、白い息を吐き出しながら中身を少しずつ味わうように飲む姿は、高校生というより大人の男という感じだ。あまりにも嬉しそう、かつ美味しそうに飲むので、眺めている方の身も心も温まる。


 大人になって、二人で酒を飲みかわす。そんな日がいつか来るのだろうか。


 佐倉は将来、酒豪になったりして。甘酒を喜んで飲んでいる様を目の当たりにし、俺は少しだけ彼の今後が心配になった。

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