まっしろな想い

美ぃ助実見子

行きはよいよい

「チュン、チュン、チュンチュン」

 雀の煩わしい鳴き声が俺の起床を促す。


 スッと目を開けば、締め切ったカーテンの隙間から陽射しが射し込む。

 何も変わらない何時もの朝。それは何もかもが嫌になる憂鬱ゆううつな日常の始まりを知らせる。

 モソモソと布団から出ると、ダラダラと高校の冬用の制服に着替えて、二階の自室から一階のリビングへトボトボと向かう。


 階段を重い脚で降る中、玄関に向かう父さんが見えた。これから出勤するようだ。


「父さんおはよう、行ってらっしゃい」


 気軽に声を掛けたが父さんは振り返るどころか何も言わず、玄関から出て行った……。

 いい加減に、口を聞いてくれてもいいだろうに。


 不満を抱き、向かうのはリビング。

 リビングには誰も居ないがキッチンに母さんがいて、キッチンシンクに向かう背中は朝食作りの真最中まっさいちゅうを知らせる。

 トントンと包丁で俎板まないたを叩く軽やかな音が木霊する。


「母さん、おはよう、あのさ……」


 恐る恐る声を掛けたが母さんは包丁を握る手を休めると、振り返る処か黙って仏間ぶつまに向かう。締め切ったふすまへ手を掛けて静かに開けると、薄暗い部屋に逃げるように消えた……。


 今日も、父さんとも母さんとも、仲直りができなかった。

 ずしりと鉛がし掛かるように肩が重い。

 落ち込むなかキッチンへ向かうと、戸棚に閉まっている薬袋を取り出す。常用している薬を袋から取り出して服用する。


 一年前に鬱病うつびょうを発症した。治療の為にも毎日飽きもせず、朝晩と服用する薬は副作用でひどく身体が重くなる。嫌に成る事もあったが、これを飲まない事には普通に日常生活が送れないでいた。

 そこは諦めているが、いい加減に両親と仲直りがしたい。


 半年前に些細な事で両親と喧嘩をしていた。

 意見の食い違いだ。今考えれば無駄な争い事だったが、俺が意地を張って無視を決め込むものだから、両親と溝が深まった。


 半年以上は口を聞いていない状態が続いている。

 仕方が無く、俺の方が折れて仲直りを試みているが、何時に成っても会話が成立しない。正直、言いようのない憤りを覚える。が、全て俺が悪い事だと割り切って、両親の機嫌が直るのを待っている。


 仏間ぶつまにふらり向かう。

 締め切られたふすまは重苦しく、冷たい鉄扉のように感じる。意を決して襖越しに母さんへ声を掛ける。


「母さん、学校に行ってきます……」


 返事どころか物音すら聞こえない。他にも言葉を投げ掛けたかったが、口を堅く閉ざして玄関へと足を向けた。

 玄関までくると、随分と気分が軽くなる。それは毎朝のお決まり事、寝坊助ねぼすけの妹を待つ為だ。


「ましろ! 起きてるのか? 早くしないと、置いていくぞ!」


 毎度の事ながら返事はない。が、きっと飛び起きて慌てているはず。


 暫く待っていると、二階からましろの慌てふためく恍惚こうこつ音が聞こえてくる。

「はわわ、おろろ」とか口走っては慌てている様子が、想像できる。幾つになってもあわてん坊なところは愛嬌あいきょうだと思っていた。

 その内、ましろのうぐいすさえりを覚える声音が聞ける。心がいやされる瞬間だ。


「お兄ちゃん、先に行ってて、直ぐに追いつくから~」

「分かった! いつもの通学路だぞ! 間違えるなよ!」

「うん。分かってるって~」


 何時もの朝のやり取りは、心がおどる。これで両親とも仲直りができれば、万々歳ばんばんざいなのだけど。

 何れは氷が解けるように両親とのわだかまりも解ける時がくる。何時かかなうと信じて、スッと家を出た――。


     ◆


 ましろとは一つ違いの兄妹。幼い頃から俺の後を付けてくるのが好きで、何処に行くにしても兄妹一緒とおぼえる。シスコンと周りから言われているが、気にはしないようにしている。


 それは俺とましろの関係は、周りが想像するいかがわしい事など断じてないと、いい切れるからだ。

 ましろ本人はどう思っているか分からないが、その気はないと


 俺は県内でも指折りの進学校、三芳野みよしの高校に合格した。

 余り賢くなかったましろとは、今回ばかりは離れ離れとなる。そう思っていたが後を付けてくるようにして、一緒の高校に入学してしまった。

 何処まで追ってくるつもりだと言えば、何処までも。そんな他愛もない事を笑い話でしたが、きっと同じ大学に通う事にもなる。そう思っている。


 高校までの道順は、住宅街を暫く歩き十字交差点を越えて、また住宅街を越えた先までいく。自宅から徒歩で三十分位の道程だった。

 慣れ親しむ通学路をゆっくりと歩いていると、十字交差点で走り寄ってくる人の気配を覚える。


「お、お兄ちゃん、あ、歩くのが早いよ。はぁはぁ」


 息を切らして駆け寄って来たましろの息づかいを背中で感じる。わざとらしく振り返ると、ましろの息吹を確実に感じた。


 切れ長の目。冬生まれに相応しく、雪原のように澄む肌。ストレートの濡れ烏の髪を背中まで伸ばして、頭に白いカチューシャを添えているところが、可愛さを引き立たせる。

 小首をかしげてポメラニアンのように見詰めてくる姿は、ギュッと抱きしめたいところ。


 自慢じまんの妹は、今日も可愛い。思わず、ジッと見詰め返してしまう。


「もう、お兄ちゃん……恥ずかしいよ……」

「なんでだ。自慢の妹を見詰めるお兄ちゃんは、どこか可笑しいか?」

「う、ううん。でも……」


 気が付けば、俺達を見詰める複数の視線を感じた。

 どんな視線を浴びても構わない。無視を決め込んでましろを見詰めていると、ヒソヒソと話す複数の女性の声が耳に付く。


「ねぇ、あの子、大丈夫? 病んでいるのかしら……」

「何時もの時間、決まってあそこで……怖いわよね……だって、あの場所……」

「シッ、聞こえるわよ……」


 俺達がどこで何をしようと勝手だろ。いこいを邪魔じゃまするなァ。

 不様ぶざまにも嘲笑ちょうしょうへ反応して視線を感じる場所へ目を向けると、中年のおばさん達が冷ややかな目を向けて呑気のんき井戸端いどばた会議をしている。

 思わず、にらみみ付けていた。


「お、お兄ちゃん、怒ると怖いよ。ましろは大丈夫だから、早く行こうよ」

「あ、ああ……」


 ましろに強引に手を引かれて十字交差点を離れるが、何故かましろの手の温もりが感じられず、を覚えるのが不思議だった……。

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