永久歪・4

「有喜……ちゃん?」

 その人は――

「ごめん……こんなつもりじゃなかったの……」

 私の家の前で膝を抱いて泣きじゃくり――

「本当だったら……私が勝って……それで……有喜ちゃんに、ちゃんと……」

 近づく足音で気づいたのか一瞬だけ顔を上げて私を視認すると、再び顔を埋めて――

「なのに……ごめん……ごめんなさい……」

 釈然としない、謝罪を繰り返す。

「媛崎先輩」

 私と同じで雨の中を走ったのだろうか、肩に触れれば衣服から水分が滲み出した。

「立ってください。風邪引いちゃいますよ」

「……私……私ね、有喜ちゃん……」

「立って、

「っ……はい」

 その名前は、自分でも驚くほど自然に口から出て。未だしゃくりあげる彼女は私の差し出した手をおずおずと掴んで立ち上がった。

「有喜ちゃん、靴下、濡れてるから……その……」

「気にしないでください。シャワー浴びちゃいましょう? 先輩の服も洗濯しちゃいます」

 廊下に二人分の足跡を残しながら先輩の手を引いて歩く。

 思考は一切回っていない。彼女の呼び方も、敬語を使うべきか否かも、これからの流れも、何一つわからない。ただ、彼女を温めなければならないという使命感だけが私を力強く動かす。

 対する彼女は困惑している様子だけど、私の言葉や行動に決して抗うことはなく、脱衣所にて下着以外の衣服を全て剥ぎ取られるまで口をつぐんでいた。

「……有喜ちゃん……恥ずかしい……」

「なんで? 綺麗だよ」

「でも、その……」

「はやく下着それも脱いで」

 潤んだ上目遣いの先輩と、どんな表情をしているかわからない私がしばし見つめ合い、折れた彼女は背を向けて一糸纏わぬ姿に。

「よくできました」

 私も続いて脱衣を済まし、濡れた衣類を洗濯機へ入れてスイッチを押し、先輩を浴室に押し込み、風呂椅子に座らせ、ぬるいシャワーで雨水と汗を流していく。

「シャンプーしていいですか?」

 彼女の体から奪われていた体温を徐々に取り戻していく感覚を得て、フェーズを次に移した。

「うん。……お願い、します」

 極めて優しく、洗うというよりマッサージをするように触れる。ように意識してはいるものの、耳に指がかする度彼女の体がぴくんと跳ね、今まで忘れていた劣情が掘り起こされるように加速していく。

「有喜ちゃん……怒ってる?」

 なんとか理性を保ったまま洗い終え再びシャワーで泡を流すと、先輩は小声で私に尋ねた。

「そう見えますか?」

「……わかんない。でも……いつもと違うから……」

 どうして先輩があんなに泣いていたのか、何に対してあんなに謝っていたのかは知らない。

 しかしそれらは、まだ私を好きでいてくれるという確信を仄かに匂わせた。

 だから私には、弁明も謝罪も必要ない。温もりと肯定があればそれでいい。

 今はただ――

「怒ってないですよ。今はただ――」

 ――媛崎茜あなたを、独占おかしたい。

「――ただ、先輩が愛おしくて、たまらないんです」

 彼女と永遠を生きたい。この瞬間に彼女と消えてしまいたい。

 彼女を私だけで独占したい。彼女の魅力を世界中に誇示したい。

 彼女を傷つける存在が許せない。彼女に消えない傷痕を残したい。

 そんな無数の矛盾達が、自分の中で溢れてやまない。

 こんな感情と冷静に向き合っていたら気が狂ってしまうと確信して、これが、恋をするってことなんだと理解した。

「先輩はこの前の日曜日、私が『やめて』って言ったらやめてくれましたよね。私は無理です。きっと殴って抵抗したって無駄です。やめてほしかったら離れてください。逃げてください。……本当はこんな風になりたくなかった。踏み外したくなかった。先輩が『好き』って言ってくれた福添有喜のままでいたかった。……私、ダメになっちゃったんです。…………こんな私でも……受け入れてくれますか?」

 声が震えた。涙のせいだけじゃない。本当の自分を晒すという未知の行為に、大きすぎる恐怖が心と体を震わせる。

「受け入れるよ」

 静かに、全てを聞き終えた先輩は、先程までの萎縮した雰囲気を払拭させ、普段どおりの健やかな声音と共に背中を私の体に預け、震える体に寄りかかり、体温を分けてくれた。

「どんな有喜ちゃんだって受け入れる。当たり前でしょう? その代わり私だってもう遠慮しないんだからね」

 まるで子供をあやすように言う先輩へ何も返せないまま私は、彼女をきつく抱きしめた。

 ころころと入れ替わる優位性は、きっと私達の均衡を表しているんだろう。だから不安定でも、こんなに心地いいんだ。

「……暑いねぇ」

「……熱いですね」

 真夏の浴室は息苦しくなるくらい蒸し暑いのに、肌から肌へ直接伝わる彼女の熱が、不快感を消失させる。

 興奮で暴れる心臓と、安心で重くなる瞼。このまま二人で溶けてしまいたいと願う私へ、先輩は優しく切り出した。

「ねぇ有喜ちゃん、聞いてほしいの。この一週間のこととか、飛鳥ちゃんのこととか」

「聞かせてください。……でも」

 それはきっと、私が知らなくちゃいけないことだ。だけど、

「今日じゃなくていいです。今日は……私のことだけ考えてください」

 これから普通に会話をして『いつもの二人』に戻ったら、自分を晒した意味が薄くなってしまう気がする。

 今日は、本当の私を彼女に刻みつけたい。

「うん。そうだね、そうする」

「ありがとうございます。……体も洗っちゃいますね」

 このままでは二人とものぼせてしまうし、さっさと彼女をベッドに引きずり込みたい。

 ボディソープを手のひらに出して、先輩の体へとゆっくりなじませていく。

 指先から腕、腋を通ってお腹、肋骨をなぞって背中、お尻をくだって太もも、ふくらはぎから回り込んで膝を撫で、つま先まで丁寧に、丹念に。

 もちろん細部も見過ごさない。力を入れて逃れようとする彼女を離すことなく粛々と続けた。

「先輩ったら、体洗ってるだけなのにえっちな声出して……いけない人ですね」

「だ、だって……有喜ちゃんが……」

 声音だけでなく表情まで甘くとろけている先輩のせいでとうとう理性は弾け、シャワーを全開にして泡を流していく。

 未だ体重を私に預ける先輩を立たせ脱衣所に出てタオルで水滴をぬぐい、無言のまま手を引きベッドへ放り投げた。

「……熱いねぇ」

 ブレーキの壊れた私からどんな責め苦を受けるのかを想像したらしく、妖艶な笑みを浮かべて先輩が言う。

「……暑いですね」

 暑い。本当に暑い。せっかく洗い流した汗が再び滲んで滴る程に。

 なのに私は冷房のリモコンよりも先に、挑発的にこちらを見つめる媛崎先輩へと手を伸ばした。

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