住良木沙都・1

 最近、テニス部の雰囲気が変わった。嫌な方に、だ。

 考えられる原因は一つで、それはとあるマネージャーが来なくなったこと。複数人いるマネージャーの内の一人だし、その中でもバイト優先の不良マネージャーだった。

 だから彼女が部全体に影響を及ぼしたというよりも、局所的にダメージを与え、その部分からどんよりと嫌な風が広がっているような、そんな感じ。

「話って何? 練習遅れちゃうよ」

 部活が始まる前に大ダメージを受けているであろう張本人、媛崎茜をラウンジに呼び出した。

 昼食にはよく使っているラウンジだけど、放課後は部活に所属していない人達の溜まり場になっていたらしい。予想以上に人がいたがわざわざ場所を変えるほどのレベルではない。

 ドアの対角線、隅っこにある二人がけの席で向かい合って座る。

「意味のない練習に遅れたって何の問題もないわ」

「……」

 この一週間で二度行なった練習試合では、媛崎に一度も負けていない。どころか一ゲームも落としていない。張り合いがないにも程がある。はっきり言って今の媛崎は補欠にも劣るだろう。

 期待のエースだった岡島も突然部活を辞めてしまったし、このままでは夏の大会は絶望的だ。

 焦りを隠せない顧問から、媛崎に発破を掛けてやってくれと言われたから動いてみたものの……どう考えても私には向いていない。

 しかし一応私は来年、部長を任される可能性がある身だ。部内の問題について改善できることはしなくては。

「有喜、そんなに悪いの?」

「えっ」

 単刀直入で申し訳ないが、さっそく本題に入って直接的なワードを持ち上げると、媛崎の表情が翳った。

 福添有喜と媛崎茜が先輩後輩以上の仲であることは間違いない。どこか対等なパートナーのような、そんな雰囲気がある。だから有喜が休んでいることと、媛崎がこんなにも落ちているのに深い関係があるのもわかるが、事態はそれほどまでに深刻なのだろうか。

「……ううん、体はもう、大丈夫だと思うよ」

「そう」

 体は、ということはメンタル的な話だろうか? 確かにそれなら、感受性の強そうな媛崎のことだ、引っ張られてもおかしくない。

「大変なのはわかるけど……あなたにできることはないんでしょう? ならもっと練習に集中しなさいよ」

 自分でも笑ってしまう程に薄っぺらい言葉が出た。何もわからないんだがら『大変なの』もわかるはずがないのに。

「……話はそれだけ? それじゃあ行くね」

 そんな言葉を受ければ、会話をする気が失せてしまうのもよくわかる。

 ……どうすればいいんだろう。もともとコミュニケーションは苦手で……落ち込んでる人間を励ますスキルなんて……私には……。

「……待ちなさい」

「なに」

 とにかくこの機会を逃すわけにもいかない。席を立って去ろうとする媛崎の裾を掴むと、振り返った彼女は倦怠感を隠そうともせずに私を見た。

「っ……」

 天真爛漫なイメージしか無かった媛崎の、こんな目を初めて見る。

 そして、彼女に対してこんなに苛ついた私を見つけるのも、初めてだ。

「有喜が帰ってきた時にそんなだらしない姿を見せてもいいの? 一人でも大丈夫だってところを「住良木に何がわかるの?」

 その言葉は返答を求める疑問ではなく、私を突き放すために発したことは、その冷たい声音で重々理解できた。

 だけど――もう一つ理解できたことがある。

 何が部のためだ。顧問がどうとか、夏の大会がどうとか、そんなものは……全部建前だったらしい。

「……知らないわよ、あなたのことなんて、何にも」

「だったらもう放っておいてよ」

 そういえば媛崎とは、部活絡み以外で一度も出掛けたことはない。遊んだことはもちろん、一緒にガットを替えに行ったことも。

「だけど……コート上の媛崎茜のことなら、誰よりも知ってる自信がある」

 入学した時から、いや、同じ高校に進むと知った時には既に、私は媛崎を意識していた。近しい地区の同世代で私よりも強いと言われていたのは彼女だけだったから。

「一年生の頃からあなたは何度も私に挑んできて、何回負けても挑んできた。一点も取れなくっても、サーブで完封されても、何度も何度も。でも負ける度に……確実に強くなってきた」

 負けてヘラヘラするでもない、だけどいつも笑っていて、全力でテニスを楽しんでいるように見えた。そんな相手だからこそ、私も常に全力を出して、自分の限界に挑戦し続けられたんだ。

「ようやく切磋琢磨して、互いに高め合える人間を見つけたの。このままあなたが腐るなんて許せない。……そこにどんな理由があろうとも……私は媛崎茜を失いたくない」

 そうだ、私はただ、ようやく覚醒したライバルがこんな風にあっけなく終わってしまうことに、我慢ならないだけだったんだ。

「住良木……」

 冷たさを無くした代わりにありったけの弱さを詰め込んだ声を零し、媛崎は再び席に着いて、俯き肩を震わせる。

「ごめんね……どうしよう……私、なんでテニスやってるのか、わからなくなっちゃったよ」

「媛崎……」

「有喜ちゃんと会うまでの私が、何をモチベーションにして、なんで強くなろうとしてたのか……もう全然思い出せないの」

 きっと、ただ純粋にテニスを楽しんでいただけの媛崎に、強くなる理由なんてなかったんだろう。始めたきっかけも、中学の授業で顧問にスカウトされたと聞いている。

 媛崎にとっては、有喜と出会って初めて強くなる理由を得たんだ。

 的確なアドバイスをくれる……以上に、心の波長があうパートナーと出会い、才能が開花しただけ。

 なら、私がかけるべき言葉は――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る