媛崎茜・1

「楽しかったなぁ」

 有喜ちゃんとお付き合いをして一週間。

 毎日自分の感情がジェットコースターみたいに乱高下を繰り返して、一息ついた今日は……なんだかふわふわして不思議な感覚。

 たぶん、これが幸せってことなんだと思う。あー、今日が終わらなければいいのに。

「……えへへ」

 部屋のベッドに寝転び、観覧車でもらったペンダントを照明に掲げた。

 普段何気なく浴びている光が宝石を通して橙色に染められ、慎ましく輝いている。

 どうしてあんなに格好良くて……素敵なことが出来ちゃうんだろう。

 というか私先輩なのに! 私がしてあげたかったな……。

 ……次、そう、次だ。

 次は私がプランニングする番なんだし、ちゃっかりサプライズも仕込んじゃおう。

 やっぱりプレゼントはマストだよね。あとは手料理も作ってあげたいし……あとは……有喜ちゃん、何が喜んでくれるかなぁ。

 星を見に行くのはもうちょっと空気が澄んだ季節が良い気がするし、場所とか行き方も慎重に決めたい。有喜ちゃんにとって大事な思い出だから。

 ……むぅ、難しい……。

「にしても……」

 電話、遅いなぁ。

 乗り換え案内アプリを確認してみても、とっくに有喜ちゃんの最寄駅に着いている時間なのに。

 もしかしたらスマホの電源切れちゃったのかな。

 それで今走ってたり……。

「ふふっ」

 私のために夜道を駆けて行く有喜ちゃんを想像すると、自然に笑みが込み上がった。

 私も早くお話ししたいよ。

 でも無理しないでね。

 怪我とかしちゃ……だめだよ……。


×


「えっ……ひゃれ!?」

 いけない、寝ちゃってた。もう五時って……ぐっすり過ぎる……。

 あんなにはしゃいだの久しぶりだったから……。

 うぅ……有喜ちゃんごめんね、私うっかり……って、あれ?

「連絡は、なし……ですか」

 有喜ちゃんも私と同じかな。帰ってすぐに疲れて寝ちゃった?

『昨日はありがとねっ! もうお家着いてるよね? なにかあった?』

 心配だから何件かメッセージを送ってみるも、返信どころか既読もつかない。

 変なことに巻き込まれていなければいいけど……。走っててスマホ落としちゃって探してるとか? 壊れちゃったとか?

 ……連絡取れないって……やっぱり不安だな……。

 もし落ちてた時のことを考えて、私から定期的に電話しておこう。誰か拾ってくれるかもしれないし……。


×


 結局誰にも繋がることはなく登校時間に。

 まぁ……会っちゃえばいいもんね! それから詳しいことを聞けば……それで……。

「……有喜ちゃん」

 テニスコートに寄ってみてもいない。

 始業のチャイムが鳴る寸前まで有喜ちゃんのクラスの前にいても、やってこない。

 そうだ、きっとお寝坊しちゃってるんだ。

 私と同じで、楽しすぎてぐっすり寝ちゃってるんだ。

 ……そうだよね。どうしよう……怖いよ。早く会いたいよ、有喜ちゃん……。


×


「えっ、茜先輩、何も聞いてないんですか?」

 放課後、部活の時間になっても有喜ちゃんとは会えていない。

 ようやく部室に、重い足取りでやってきた――少し青い顔をした――岡島さんに尋ねると、静かな声で教えてくれた。

「暴漢に襲われたそうですよ」

「ぼう……え? なん、て」

「だから、昨日の夜、自宅で暴漢に襲われたそうです」

「……岡島さん、いくらなんでも言って良い事と悪い事が「本当なんです!」

 今まで淡々と答えてくれていた岡島さんの口調がいきなり苛烈になり、真実味が――増してしまう。

「担任から無理やり聞き出しました! 私だって……まさか……こんなことになるなんて……」

 そして元々青かった表情が刻一刻と白んで、唇は微かに震えていた。

「……う、有喜ちゃんは……無事、なの?」

「命は、おそらく。これ、福添が入院している病院の情報です」

 一枚のメモを私に差し出す岡島さん。視線は常に俯いていて、決して合わせようとはしてくれない。

「行きますか、先輩。私は……今は……」

「行く。それ借りるね」

 心臓が早くて、重くて、痛い。熱い。怖い。早く、でも、足が上手く動かない。呼吸も、全然、どうすればちゃんとできるのか、わからない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 有喜ちゃん……私が……昨日ちゃんと……お家まで送っていたら。不安に思った時点でちゃんと確認をしていたら……

 なんで……どうして有喜ちゃんが……。


×


「有喜ちゃん!」

「わっ。びっ……くりしたぁ……」

【福添】とだけ書かれた病室のスライドドアを開くと、そこにはベッドで上半身を起こし、小説を読んでいる――誰よりも会いたかった人の姿があった。

「有喜、ちゃん……うぅ……」

 普段とまるで変わらない彼女の姿に、今まで凍りついていた涙腺が熱くなる。

「もう起きて……大丈夫なの?」

「……ええっと、そうですね、運動とかはできませんが、こうやって体を起こすくらいなら……」

「そっか、そっか……!」

 少しの、違和感。

 だけどそんなことを気にしている余裕はなかった。今まで連絡の取れなかった彼女が、今こうして目の前にいてくれる。それだけで胸がいっぱいだった。

「痛いところはない?」

 そんなことを口に出してから、頭に痛々しく巻かれている包帯にピントがあった。

「今の所は、はい」

 大丈夫なはずがないのに。

 きっと私の取り乱しようを見て、安心させようとしてくれているんだ。こんな、大変な目に遭っているのに。

「良かった……! ごめんね、私がちゃんと家まで送ってたら……ごめんね……!」

 今泣いても、有喜ちゃんを困らせてしまうだけなのに、どうしても涙が止まらない。安心、後悔、反省、いろんな感情が渦巻いてしまって、どうしようもない。

 でも良かった。有喜ちゃんが無事なら、それで――

「すみません」

 突然切り出されたその声は、まるで、すれ違った他人に道を尋ねるような、そんな温度で――

「あのー、大変恐縮なんですが…………どちら様、でしょうか?」

「……………………え?」

 その言葉は、嘘だなんて思わしてもくれないくらい、あまりにも純朴な雰囲気を纏っていた。

「……有喜、ちゃん?」

「っ……」

 私の言葉に反応するように一瞬うずくまってしまった有喜ちゃんは、歪ませた顔を再び上げると、私をあやすようにおどけてみせる。

「あはは、それは私の名前……ですよね?」

 そして――自分の涙に重ねて――笑う。

「……あはは」

 言葉の意味が……理解できない。

 ――違う。

 とっくにわかっていた。違和感から目を背けていただけだ。

 いくら有喜ちゃんでも、昨日の夜、こんなに大変な事に遭ったというのに、微塵も恐怖を感じさせないなんて不可能だ。


 わからないから、平気なんだ。

 忘れているから、大丈夫なんだ。


「…………」

「…………」

 なんて、言葉をかければいい。

 私は貴女の彼女だよって?

 でも、じゃあ、どうして守ってくれなかったのって思われたら? 言われたら?

 私は――。

「あら、お客さん?」

 私の視線から逃げるように瞳を動かす有喜ちゃんとの間を、重い沈黙が支配した時、スライドドアが開いて女性が顔を覗かせた。

「こんにちは。あらぁ可愛らしいお嬢さんね、有喜の友達?」

 この話し方……雰囲気……間違いない、この人、有喜ちゃんのお母さんだ。

「ええと……こちら……」

 問いに答えようとするも、苦笑いを浮かべてようやく私を見た有喜ちゃん。

 ……そっか、名前も……あんなにたくさん呼んでくれた名前も……覚えてないんだね。

「媛崎、茜です」

「っ……。だ、そうです」

 私の名前を聞いた途端、苦しそうに頭を押さえると、さっきとは違ってそのままうずくまってしまった。

「大丈夫? 有喜ちゃん」

「だ、大丈夫です……ちょっと……一人にさせてもらえませんか?」

「……わかった。また来るね。必要なものがあったら何でも言って」

 ――痛い。

 有喜ちゃんに拒絶されるだけで、こんなにも心臓が、握り潰されるように痛むなんて。

「ありがとう、ございます」

 もっとお喋りがしたい。早く私の事を思い出して欲しい。

 だけど……どの言葉を、どんな風に紡いだらいいのか、わからない。

「失礼します」

 有喜ちゃんのお母さんに会釈をして病室を出て、なるべく早く病院から出る。

 外に出たら、あとはもういいよね、走っても、泣いても――。

「ごめんね、有喜ちゃん……私が……私がちゃんと……守るって……言ったのに……」

「ねぇちょっと!」

「っ」

 病院を出てしばらく走って、涙と過呼吸で足が止まって、歩道へ膝を付いたとき、聞き親しんだ声が聞こえた。

「茜ちゃん、足速いんだねぇ」

 振り向くとそこには、汗を流しながら朗らかな笑みを浮かべる、有喜ちゃんのお母さんの姿。

「ひとっ走りしてすぐで悪いんだけど……ちょっとだけ時間、いいかな?」

「…………はい」

 何を聞かれるんだろう。

 何を言われるんだろう。

 怒られる? 責められる?

 今は……ただ、怖い。怖いよ、有喜ちゃん。

 有喜ちゃんに、償うことも出来ずにこのまま一生忘れられてしまうことが、何よりも怖いよ。

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