日曜日・1
先輩が、来る。
この家に。あの媛崎先輩が、来る。
現在時刻午前七時。ディフューザーの位置、OK。
見られて困るもの、たぶん、なし。
トイレ洗面台、その他諸々、完璧に綺麗。
「よし」
この前お見舞いに来てくれたときは何もできなかった……でも今日は違う。
流れとはいえこうなってしまったのだ、ならば最高のおもてなしをするしかない!
チャイムが鳴らされるまでまだ三時間もある。よしよし、プランを詰めていこう。
「ん~」
先輩は朝ごはんを食べてくるのだろうか、それとも……。こういうの、スマホで直接聞いちゃえばいいんだろうけど、昨日電話を切ってから一度も連絡をとっていないので微妙に憚られる。
もし私が用意していいとして……先輩ってパン派かな、ご飯派かな。
あー、いざこうやって準備するとなると、私結構先輩のこと知らないなぁ。いやでもそれを解決させるためのデートなわけで。大丈夫大丈夫。今日が終われば……もっといろんなことがわかって、それで距離はググッと縮まって……っと。
片付けやら緊張であんまり寝付けなかったから……なんだか急に眠気が……。
「ッ!」
インターフォンの甲高い音で意識が急に覚醒した。えっ、あれ、まだ七時回ってちょっとのってあれぇ!? もう十時ちょうどじゃん! 完全に寝落ちしてた……!
「はい!」
「あの、有喜ちゃん、おはよう」
「おはようございます! すぐ開けますね!」
先輩を迎え入れる前に洗面台へ立ち寄り顔面を入念にチェック。
よし、大丈夫だ。流石にバイトのときみたいなコテコテのメイクじゃないけど、いつもよりは気合が入ってる。うたた寝程度だったし変に崩れてもいない。――いける。
「お待ちしてました!」
うぎゃあ、私服ふわふわ系だぁ! 最高に可愛い! ちょっと小柄な先輩にピッタリ……ん? んん? いつもと香りが違うな、これ新しいハンドクリーム付けてる? フルーティな香りを嗅いだだけなのに心が梳くような快感が押し寄せてきちゃう……。
「うん。えっと……お邪魔します」
あれ、なんだろう、ちょっと元気ない? さっそく匂い嗅いでることばれて気持ち悪がってる?
いや……そもそも顔色があんまりよろしくない。私にはわかる。そこらの女子じゃあ気づけないかもしれないけど、ヘンレズの網膜は先輩の不調を感知している!
「有喜ちゃん」
「どうしました?」
玄関で靴を脱いだ先輩は自宅へと上がる前に、私の裾をちょこんと掴み、声と顔はうつむきがちに、だけども上目遣いで私に言う。
「……怒って、ない?」
「怒る? 私が? なんでですか?」
「だって私……昨日有喜ちゃんに大きな声出して……しかも今日のことだって強引に決めちゃって……」
「いやいやいや、私だって先輩の気持ちを無視してしまいましたし、なにより先輩が来てくださったのはとても嬉しいです」
そうか、先輩から連絡が来なかったのは、怒ってムキになってたからじゃなくて、申し訳なくてできなかっただけなんだ……良かった。というか良い人が過ぎるよー!
「本当?」
「はい。午前は先輩がゆっくりお休みできるよう、不肖私めが頑張っておもてなしするので、元気出してください」
「……かしこまりましたっ」
なぜ敬語……? まぁ可愛いからなんでもいいか。
「では先輩」
狭くて申し訳なくなる室内へ先輩をご案内し、一番綿の元気なクッションに腰を落ち着かせてもらい、麦茶をお出しした。
「はい、なんでしょうか有喜ちゃん」
「これからする私の問いかけに、嘘偽りなくお答えください」
「有喜ちゃんに誓って、真実だけをお答えします」
ビシッとお手々を挙げて宣誓してくれた先輩。こういう仕草一つひとつにぐっとくるんだよなぁ。
「昨日は何時に寝て今日は何時に起きましたか?」
「えっ……と、あの」
さっきの威勢はどこへやら。案の定固まって視線が泳ぐ先輩、も~少しも嘘付けないんだなぁ。ピュア過ぎて最高過ぎる……!
「先輩のことです、寝付くのが遅ければ起きるのは早かったんじゃないですか?」
「うぅ……ええと、はい、その、少し……」
絶対ウソだぁ。私が先輩と出会って二ヶ月、どれだけそのご尊顔を拝んできたことか、寝不足のとき重たげに生まれるクマの存在を把握しているのですよ!
「では次の質問です。朝ごはんは食べてきましたか?」
「まだ、です」
「朝はごはん派ですか? パン派ですか?」
「ごはん派です」
「苦手な食べ物はありますか?」
「ゴーヤと……オクラ」
「ふむ。承知しました。長々とありがとうございます」
先輩の新たな情報をインプット。ゴーヤじゃ朝ごはんに出す予定はなかったから問題ないけど、オクラだめってことはネバネバ系ダメなのかな。
納豆もなめこのお味噌汁も用意できたけど、今日はやめておこう。
「じゃあ次、私が有喜ちゃんに質問していい?」
「それは是非、今日のデート中にお願いします。まずは当初の予定通り、先輩は体を休めてください」
「休めるっていうのは……」
「はい、寝てください」
「せっかく二人でいるのに!?」
「ちょっとでも寝ると随分変わると思いますから。今の先輩、つらそうで……」
「うっごめんね、私、怒っちゃった申し訳無さと楽しみとで……あの、全然眠れなくて……」
ああ、先輩が縮こまってしまった。シュンとして体積の小さい先輩も可愛い……。
「私も同じなのでよくわかります。だからこそ、お互いのためにもお願いします。可愛いお洋服に皺がつくのもあれですから、どうぞ私のパジャマ使ってください」
「有喜ちゃんの!? パジャマ!?」
今度は花を咲かせたような笑顔。そう、このジェットコースターのような感情変化も媛崎先輩の素敵ポイントだ。
「はい、サイズなら問題ないと思いますし、ちゃんとお洗濯してますから」
「……なんだ、有喜ちゃんの脱ぎたてじゃないんだ」
「あはは。先輩ったら」
愛らしいジョークも飛び出したところで、先輩にはさっそく着替え、ベッドインしていただいた。ベッドも除菌済み。不快な匂いもしていないはず。そしてさらにぃ。
「せーんぱい」
「んー?」
私の布団にくるまって深呼吸を繰り返し眠たげに瞼をこする先輩へ、四つの容器を差し出す。
「アロマキャンドルも用意してるんです。お好きな香りありますか? 睡眠の質がきっとよりよく「ううん、いらない」
私が言い切るよりも早く、先輩は布団を頭までかぶってしまった。
「あれっこういうのダメでした?」
「違うの。有喜ちゃんの匂いが一番いい。このままが一番いいの」
「さ、さいですか……」
嗅がれている……私の寝床を……! だ、大丈夫大丈夫、先輩がいいって言ってるんだからそれでいいんだ!
「それじゃあご飯の用意ができたら声掛けますけど、寝たりなかったら言ってくださいね」
ベッドの脇から立ち上がり貧相なキッチンへと向かおうとしたとき、
「待って」
にゅっと布団から生えてきた先輩の手が、恐るべき精度で私の右手を掴んだ。
「さっき有喜ちゃん『私も同じなので』って言ってたよね」
「……はい」
「じゃあ有喜ちゃんも寝不足なんだよね」
「私は慣れて「寝不足、なんだよね?」
「そう、ですね、普段と比べれば」
先輩然とした圧のある声に、思わず肯定しまった。こんな返事をしてしまえば、続く行動は決まっているのに……!
「じゃあ、はい。有喜ちゃんも、ね」
布団をめくり、私が収まるべき場所を提示してくれる媛崎先輩。
ああもうやばいぞ、そんなことして、私のあだ名を忘れたんですか!? 暴走しちゃいますよ!?
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