君が永久に歪ませた

燈外町 猶

第一章

月曜日

 変態レズ女として小学校五年から中学三年までいじめ抜かれ、必死の思いで勉強をして地元から離れた高校に通っている私、福添ふくぞえ 有喜うきは――今、学校中から好意を集める女の子と向かい合っている。

「好きなの? 女の子」

 ――ああ、この先輩はなんて可愛いんだろう。脳みそが蕩けてしまいそうだ。

 私の肩程までしかない身長で背伸びをして、覗き込むようにこちらを見つめてくる。

「ええ、好きですけどなにか?」

 もう、どうでもいいやと思った。すべてを投げ出して、すべてを曝け出してやろうと思った。

 どれだけ女の子に嫌われ、疎まれ、ぞんざいに扱われても、私は女の子を嫌いになれない。

「声も姿も形もいい匂いがするのも柔らかくてあったかいのもおしゃれで可愛くあろうとするのも面倒くさいのもいじわるなのも全部全部全員全員大好きですよ。今までのアレだって全然いじめだなんて思ってません。あんなのご褒美です。ありがとうございますです。男にされたことは正直どうとも思ってません。あいつらは空気です。汚い空気でしかないのです」

 あれだけ努力して地元を離れたにも関わらず、なんの因果か結局学校中に変態レズ女という噂(別に本当のことだけど)が拡散されてしまい、どことなく陰鬱な気持ちで広大なテニスコートに散らばったボールを回収し、ブラシがけが終わったところで彼女――媛崎ひめさき あかね先輩に声を掛けられたのだ。

「私、もういいんです。吹っ切れました。あの素晴らしく可愛くて尊い女の子たちと同じ空間にいられるなら、それ以上のことは望みません。彼女たちを不快な気分にしてしまって誠に申し訳ないですが、それでも、一応の権利はあるわけですし、それにやっぱり私は女の子が大好きで――」

 あれ、なんで私……泣いてるんだ?

 言い訳がましい自分があまりに情けなかったのだろうか。

 涙を拭うために瞳を閉じて運動着のポケットを漁るがハンカチが見当たらない。

 ああ、昨日洗濯に出してそのままだ。でも袖で拭いたらメイクがついてしまう。

 もうなんで私はいつもこんな――。

「そっか」

「っ」

 それは、あまりにも突然で、私は瞳孔以外、指先の一つだって動かせなかった。

 だって、だって、だって。

 そのあまりの可憐さで学校中から好意という好意をかき集め、小柄なのにテニス部の主戦力として活躍していて、可愛くて、声は聞くだけで心が弾んで、可愛くて、性格だって私みたいな変態にも分け隔てなく話してくれるような優しさがあって、可愛くて、可愛い媛崎先輩が――私の唇を――ファーストキスを――奪ってしまったのだ。

「よっし、じゃあ私と付き合おう!」

「………………へぇ?」

 彼女が発した言葉を理解するのに一分かかった。

 いや、理解自体はすぐにできたが、それを受け止めるように私の心は設計されていなかったのだ。

 付き合おう。付き合う。お付き合い。カップル。恋人。それはつまりただならぬ仲を構築するというわけで、彼女は私に、私なんかにそんな申し出をしたわけで。

 多分冗談ではないということは、あの口づけが証明してくれていて……。

「い、嫌です」

「なんで!? 話が違うじゃん!」

「話ってなんですか。私、女の子が好きとは言いましたけど先輩が好きなんて言ってません」

 好きだけど。めちゃくちゃ好きだけど。大好きだけど!

 でもこれでもし冗談だったり、周りから人がわらわら出てきて『はぁ~いやっぱり寂しいレズ女はいともたやすく騙されました~』とかなったらショックで死んでしまう……。

「同じことでしょ、私女の子だもん! あんなに熱烈な告白初めて受けたもん! ねっ、いいよねっ? 有喜ちゃん!」

 有喜ちゃん! うきちゃん……うきちゃん……。私の名前がここまで幸福を纏ったことがあっただろうか。鼓膜を揺らし続けているかのようにエコーが止まらない。

「……はい。でも」

「でも?」

「これ冗談とかだったらたぶん私死んでしまいます。撤回するなら今ですよ?」

「有喜ちゃん」

「は、はい」

 先輩の声が明らかに後輩へ送られる先輩の声になった。

 やばい言い過ぎた。流石に死ぬとかはイキリ過ぎたよなぁ、うわぁ恥ずかしい。

 でも先輩に叱られるならアリだぁ~。

「そんなに想ってくれてありがとうね。でも、ちゃんと本気だから安心して?」

「は、はいぃ~!」

 真面目ぇ~。マジで真面目でマジで優しくてマジで可愛い!

 そうか、私の今までの日々はこのためにあったのか、そりゃあやっぱりつらくて大変って思うこともたくさんあったけど、なんだろう、全て報われたような気分――って、先輩?

「なにやってるんですか?」

「ん? 自撮りだよっ」

 先輩は頑張って背伸びをして私と肩を組みピースを作って、インカメラにしたスマホのシャッターを切った。写っている私の顔は随分と間抜けに違いない。

「な、なぜ急に、自撮りを?」

「だってほら、友達に彼女ができましたって報告しないと」

「絶対ダメ!!!!!!!!!!!!!!」

「びっくりしたぁ……有喜ちゃん、そんな大きい声も出るんだねぇ」

 先輩が自殺にも近い行為を平然とかましてくるから陰キャにあるまじき声が出てしまった。

「せ、先輩、絶対ダメです。というかその写真今すぐ消してください」

 声が裏返ってプラス喉がかすれてうまく出ない。しかしこれはこれで必死さが伝わって良いのではなかろうか。

「どうして?」

「先輩が今まで築き上げてきた栄光という名のジェンガをスライディングしながら金属バットでぶち壊すようなことになるからです。いいですか、先輩」

 私はおこがましくも、先輩の両肩(もっと柔らかいかと思ったら意外としっかりしていて、ああテニス強いっていうのはこういうところにも現れるのかぁうぇっへっへ……じゃなくて)に両手を乗せて、本当は恥ずかしさのあまりそらしたい視線もガッチリ合わせて言う。

「先輩を慕ってくれている子を悲しませたくないですよね?」

「まぁ、それは……」

「私も同じです。大好きな先輩のことを慕ってくれている女の子は私も大好きです」

「それは……嬉しいけど、ちょっと複雑……」

「とにかく、先輩と私が付き合ったなんてファンの子達が知ったら、私へは呪詛、先輩へは有名な精神科医への紹介状が届いて止まなくなってしまうんです。しかも彼女たちに悪気はないんです」

「う、うん」

「だからいいですね、約束してください。このことは、絶対に、誰にも言わないで、秘密です」

「……わかった」

「ありがとうございます、流石は先輩――」

「わかったから、このままキスして?」

「っ!」

 確かにこの体制は、月九俳優とか漫画のイケメンキャラがキスをするときによく見られるものだ。身長差も丁度いいっちゃ丁度いい。両親の遺伝子に感謝だ。

 でも……。

「ん……?」

 私が、キス? 私から? 目を閉じたと思ったらちょっと開いて私からのキスを待っているこの最強に可愛らしすぎる生物に私からキス? おかしいおかしいおかしい世界のアレがアレでアレになっちゃってる。

 つーかそんな最高現象がタダなわけなくない? 私今いくらもってたっけ? バイトの給料もう振り込まれているかな、足りるかな? というかいくらでキスできるんだっけ?

「……有喜ちゃん?」

 少しだけ、色っぽさが滲み出ているその声音に――私は――。

「あー! あーちょっとアレです! お腹痛いです! 今日のところはこのへんで! ええ、ええ。可愛い彼女が出来て嬉しいなぁ~! ははは! それじゃあ先輩、また明日! 絶対誰にも言っちゃダメですからね!」

 ――超ダッシュで逃げた。


「もー、有喜ちゃんのヘタレ」

 テニスコートから飛び出したとき、少し拗ねたような、からかうような、先輩の声が聞こえて、また胸がいっぱいいっぱいになった。

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