―64― たった二人きりで……
「ねぇ、アベル。ちょっと面貸しなさい」
授業と授業の合間、廊下を歩いていると話しかけられる。
話しかけてきた生徒は、アウニャ・エーデッシュ。以前、彼女の新しい悪魔の降霊に手助けした覚えはあるが、用事がないのに雑談するような仲ではない。
ということは、俺になにかしらの用事があるってことなんだろうが、心当たりがない。
「なんのようだ?」
「いいから、ちょっとこっちに来なさい」
アウニャに腕を掴まれては引っ張られる。
そんな感じに、なすがままに連れ去られる。
「それで、なんのようだ?」
アウニャに連れてこられたのは、屋上へと続く階段だった。屋上には鍵がかけられて入ることができないため、滅多に人が来ないところだ。
ふむ、こんな場所にわざわざ連れてくるなんて一体なんのようだというのだろうか?
「あんたさ……アスモダイになにをしたわけ?」
アスモダイというのは以前、アウニャが隷属化した悪魔のことだ。
あのときはアスモダイに体を乗っ取られたアウニャと戦うはめになった。
「特になにもした覚えはないが……」
質問の意図がよくわからず、俺はそう返す。
「そんなはずないわ。だ、だって、アスモダイがあんたのこと、す、す……好きみたい、なんだけど!」
アウニャは言いづらいことを意を決して言うかのような表情でそう告げた。
アスモダイが俺のことを好きだと……。
意味がわからん。
あと、めんどくさい事案だってことは、わかってしまった。
確かに、アスモダイとやり取りしたさい、アスモダイは俺に使役されたがっていたが、それがどう転んだらアスモダイが俺のことを好きだという解釈になるんだよ。
「そんなはずはないと思うが……」
「うそよっ! だったら、なんであの悪魔は、私の頭ん中で四六時中あんたの話ばかりするのよ! こっちの身にもなってほしいわ!」
「それはご愁傷さまだな」
「あんた他人事だと思っているでしょ!」
実際、他人事だしな。
「ともかく、アスモダイは自我が強い悪魔みたいで、何度も私の体を乗っ取ろうと画策しているわけ。今は、なんとか抑えることができているけど……その、アスモダイの思考やら感情が私の中に流れているわけ」
「それは、大変そうだな」
「やっぱり、あんた他人事だと思っているでしょ」
だから、実際に他人事だろ。
「その、それであんたに頼み事があるの。そうじゃなきゃ、わざわざこんなところに呼び出したりしないわ」
「俺にできることなんてたかがしれていると思うがな」
「あんたじゃなきゃできないことよ」
俺にしかできないことか。
一体なにをやらされるのやら。
「で、なにをすればいいんだ?」
そう聞くが、アウニャは顔を赤らめるだけで肝心のお願い事を中々口にださなかった。
それでも意を決した様子で、やっとのことで口に出した。
「そ、その、少し変なお願いなんだけど、いいかしら?」
「それは内容次第だが」
「そ、その、私とキスをしてほしいの……」
「……はぁ?」
意味がわからず思わず怪訝な視線を向けてしまう。
なんで、こんなよく知りもしない女とキスをしなくちゃならんのだ。
「私がしたいわけじゃないわ。その、さっき言ったでしょ。アスモダイの感情が私にも流れてくるって」
「いや、そう説明されても意味わからないんだが」
「だからっ! 私はあんたのことをなんとも思っていないけど、アスモダイがあんたのこと好きみたいだから、私までその感情が流れてきて、私までその気になってくるというか……」
「つまり、どういうことだ?」
「だから、あんたとキスがしたくてしたくて、たまらないの!」
「……そうか」
「なによ、人をかわいそうなものを見る目で見ないでよ」
「いや、でも十分おかしなことを言っているだろ」
「うっ、自分でもわかっているわよ!」
アウニャは悔しそうに唇を噛む。
「それで、どうなのよ?」
「どうって?」
「私とキスしてくれるの?」
「普通に嫌――」
気がついたときには、唇を塞がれていた。
アウニャの唇が自分の唇と重なっていたのだ。
そういえば、最近だとアントローポスとキスしたな、なんてことを思い出す。
似たようなことって続けざまに起こるもんなんだな。
「ぶはっ」
キスをやめたアウニャが息を大きく吐くと、こう口にした。
「悪かったわね。最初からあんたの許可なんてもらうつもりなかったのよ」
「随分と勝手だな」
「仕方がないでしょ。こうでもしないと、アスモダイの気が済まないみたいだから」
悪魔を使役するのも色々と大変なんだな。
やはり、アスモダイに使役しろとお願いされたとき、それに従わなくてよかったな。
「聞いたわ。あんた、偽神を使役しているんだってね」
その瞬間、俺は驚きに満ち溢れる。
「アスモダイから聞いたのか」
そう言うと、アウニャは首を縦にふって肯定した。
とはいえ、アスモダイが俺と偽神アントローポスのことを知っている以上、その主人のアウニャに伝わるのは当然といえば、当然のことではあるのか。
迂闊だったな。
まさか、こんな経緯で俺の秘密がバレてしまうとは。
「それで、俺のことを異端者扱いするのか?」
「異端者とはまた違うんでしょ。異端者は偽神の配下となって、人を襲う存在だわ。あなたの場合は、偽神を支配下に置いているんでしょ」
「まぁ、その通りではあるな」
どうやらアスモダイは俺たちの事情を細部にわたって伝えているようだな。
「そう、なら、あんたが人類の敵になることはないってことでいいのよね?」
「そうだな。俺はいつでも人類の味方だ」
「……そう。まぁ、信じてあげる」
一瞬、あの置き手紙を置いた犯人がアウニャじゃないかと、疑ったが、どうやらそうではないみたいだな。
「随分、俺のことを簡単に信用するんだな」
「信用しているのは、あなたじゃなくてアスモダイよ。彼女の叡智は悔しいけど、とんでもなく私の役に立っている。だから、彼女の理論は信用しているの。そのアスモダイがあなたを異端者でないと説明したから、その説明を私が納得したというわけ」
「そうか。なら、アスモダイには感謝しないといけないな」
「その言葉、本人に伝えといてあげる。多分、喜ぶだろうから」
随分と、アウニャはアスモダイとうまく付き合っているみたいだな。
「このことは誰にも言うなよ」
そう言って、念を押す。
「わかっているわ。誰かに言いふらすつもりはないわよ。あっ、でもそうね。内緒にしてほしかったら、1つだけお願いを聞いてもらってもいいかしら?」
「なんだ?」
一つお願いを聞くだけで、約束してくれるなら、という軽い気持ちで了承する。
すると、彼女は間髪いれずにこう口にした。
「もう一回、私とキスしなさい」
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