第2話 完世紀1940年1月 〈第八帝国 / Berlin〉
「もう証拠は挙がっているのだ。大人しくしてもらおうか」
嗚呼、親衛隊本部長官、ラインハルト=ハイドリヒよ。本来なら貴様こそが不敬罪だ。そう言おうとして、止めた。自分の立場を益々悪くするばかりだ。
相手は銃口をこちらに向けている。後ろは窓で、此処は五階。逃げ道はない。俺は歯軋りをして、沈黙を続けた。嫌な汗が背中を伝う。手など上げてやるものか。絶対にな。
「長官よ。一体何のことだか、私にはさっぱり分かりかねますが」
白を切って時間を稼ぐしかない。そろそろだとは思うが、いくら優秀な人間でも連絡を取り合っていない以上、過信して油断はできん。
そうでなくとも、人が自室で優雅に昼休憩を過ごしているときに、唐突に扉を蹴破って銃口を突きつけるとは、一体どういうことだろうか。不届き者は、たとえ我が国の親衛隊本部長官であったとしても、真面に話を聞く筋合いはないな。
俺の飄々とした態度が、どうも癇に障ったらしい。ラインハルトは更にきつく銃を握りしめた。
「いつまでも白を切り通すつもりらしいな。ならば教えてやる。ギルベルト=ビューラー。貴様は総統補佐官という身分でありながらも、総統閣下を殺害しようとした罪で検挙されている。大人しく処刑されるがいい」
普段通りこの男は冷酷である。上司が殉職して後、長官へと昇進したが、それ以前から虎視眈々と権力を求めている目をしていた。俺は幼い頃からこの男のことを知っているが、常に冷静で頭の回転も早く、冷徹と称するに相応しい。
しかし、今回はどうにも正解を突き止めてはいないようだった。もし、俺が犯人でないと知っていながらこのような行動を取ったのなら、それはあまりにも間抜けすぎる。権力を手に入れるために総統補佐官を犯罪者にでっち上げ、自分がそれに成り代わるというのは、かなりリスクの高い方法だ。そもそも、親衛隊本部長官は十分に権威ある立場であり、危険を冒してまで総統補佐官になる必要は無いように思われる。
俺はわざとらしく溜息をついた。
「貴君はどうやら誤解しているようだが、私は総統閣下を殺害しようと画策したことなど断じてない。第一、子が親を殺すことなどありうるだろうか。私が父から受けた恩恵は余りにも大きい」
事実、その通りであった。
俺は父親──つまり、偉大なる総統閣下──を暗殺しようとしたことはない。今回の暗殺事件は大方クラウスらによる行動のように思われる。先月に対サヴィェートニク戦線から撤退したことで、帝国内でも厭戦思想が見え始めた。このまま抵抗を続けていたとしても、もって五年といったところか。今総統を暗殺し、サヴィェートニク及びイングランド・フランセーズ同盟国と講和に持ち込もうという考えは非常に合理的である。しかし、俺自身が総統を暗殺したところで、何かを得られるということはない。俺はこの国の自然な死を待っているのだ。総統の自然な死を。
確かに、父には恩がある。孤児院で苦しい日々を過ごしながら、細腕を持ち上げてペンを握った日々を今でも覚えている。幼年学校に入っても孤独だった俺を養子に迎え入れてくれたのは、紛れもない父だった。その頃の俺にとって、父の手は大きく、そして暖かかった。ある程度の歳になれば高等教育を受け、大学にも入ることができた。
しかし、俺が大学を出てから全てが一変した。父は総統となり、直ぐに軍備を整えてポルスカ共和国へと侵攻を開始した。サヴィェートニクと共謀して近隣諸国を分割したのである。その結果多くの国が地図から消えることとなった。更に、父は俺を強制的に総統補佐官の地位に着かせ、次期総統と成るよう教育を始めた。三年前にはフランセーズに侵攻し、現在フランセーズ・イングランド同盟国と交戦状態にある。
国際情勢の変化は凄まじかったが、俺は帝国が侵攻を続けることに異論はなかった。国家が生き延びるために侵略を行うことは、歴史的に見ておかしいことではない。ただ、総統となった父の思想は到底理解出来なかった。全てを弾圧し、反対する者は民族ごと処刑する。そこに自由はなかった。俺は漫然と従ってはいたが、いつか時がやってくるのを待っていたのである。
ラインハルトは言った。
「だが、貴様はUnternehmen Rotを失敗に終わらせた。これは立派な反逆行為だ」
俺は笑った。高々と、声を上げて笑った。
赤作戦は失敗した。俺自らが初めて立案、遂行した作戦であった。
Blitzkriegを用いて、サヴィェートニクに奇襲とも言える侵攻を行う。総統からの依頼によるものだった。俺の作戦では、今年の三月から始める予定であった。文書にもデータにも、そのように記載し登録した。
それが狂ったのだ。突然部隊が準備を開始し、昨年六月に動き始めた。慌てて確認すると、文書やデータは綺麗に改竄されていた。開始してしまったものは仕方がないと、俺は指揮を執った。しかし、案の定サヴィェートニクの厳寒な冬に阻まれ、激しい攻防戦の末撤退を余儀なくされた。
一体誰が改竄したのか、全く分からなかった。そもそも、俺以外の人間は改竄されたことすら気が付かないようであった。失敗に終わった翌日、俺は父と会ったが、父は何も言わなかった。焦らなかったと言えば嘘になる。俺の失墜は目に見えていた。だが、どこかで安堵している自分もいた。これで、この国は窮地に立たされる、と。
一頻り笑った後、息を整える。ラインハルトはトリガーに指をかけた。俺は浅く息を吸って、言う。
「それを反逆行為と呼ぶなら、俺は既に重罪を犯している」
もうすぐだ。
遠くの方から、地響きのような音が聞こえてきた。バラバラと、それは次第に空を切って近づいて来る。ラインハルトも異常に気が付いたようで、トリガーにかけた指をフレームの上に置き直した。
「貴様、一体何をした!」
叫ぶラインハルトに高々と告げる。
「思想犯罪は取り締まれまい!」
俺は咄嗟に床に伏せた。
瞬間、背後にあった窓ガラスが砕けた。雨のような弾丸がラインハルトの胸部に命中する。ラインハルトは血を吐き、膝を付いて倒れた。吸い付くようなエイミングだ。素晴らしい。
立ち上がって、服に付いた破片を払う。割れた窓から、吹き荒ぶ冷たい風と共に「優秀な人間」が入ってきた。
「遅かったじゃないか、ティーマ」
いつも黒い髪を綺麗に七三分けにしているが、今日は手を抜いたらしい。目の下に拵えた隈を隠すようにかけられた眼鏡も、汚れている。俺と同じ赤い目だけが生気を帯びて、こちらを睨みつけた。自然と見下ろされる形になる。
「俺が来なかったらアンタ、一体どうするつもりだったの」
ティーマは溜息をついた。どこかやつれているようにも見える。
「そらお前、絶対来ると信じてたからな」
答えになってない、と文句を言いながら、ティーマは俺の後頭部をはたいた。破片がまだ付いていたらしい。そして、手に持っていたアサルトライフルを担いだ。
「それ、やはりSturmgewehrか」
「おう。AK-47よ」
これが最早一般的になりつつあることは憂うべきだろうか。武器は確実に時代を逆行しつつある。AIのせいでこうなったと言えば皮肉にしかならない。
「ギル、早くずらかろう。今の音に気付いた親衛隊がやってくる」
ティーマはそう言うと、窓に足をかけてからヘリコプターへ飛び乗った。俺も後に続く。中には一人、サヴィェートニクの軍服を着た操縦士がいた。
ヘリコプターはゆっくりと官邸を離れ、上昇する。親衛隊が本部長官の死に気付く頃には、もう俺達は飛び去っていることだろう。操縦士はステルス機能をオンにした。
「お前、本当に俺に付いて来て良かったのか?」
しばらく経って、俺は疑問に思い始めた。窓の外を見る。目的地まではもう少し時間がかかりそうだった。
ティーマは本当に優秀だ。大学時代に知り合ってから、何度も思った。俺みたいな奴に付いて行ったところで、以前の生活より良くなる保証はどこにもない。しかも、ティーマの本名はティモフェーイ=ヨーシフォヴィチ=スヴィーニン──つまり、ヨシフ=スヴィーニン書記長の息子だ。本来なら、俺とは敵対関係にある。いくら友人とはいっても、それは付いて行く理由にならない。
しかし、俺の心配を余所にして、ティーマは言った。
「俺は、アンタに付いて行くと決めたんだ」
迷いのない返答に、思わずたじろぐ。白い手袋は、手の中で汚く丸められた。
「だが……」
「それに、俺は家出してきたんだぞ。今更戻ったところで、粛清されるのがオチよ」
ティーマは豪快に笑ったが、なんという笑えないジョークだ。しかし、どこか救われたような気がした。頬の緊張が緩む。ティーマは大丈夫だ。
それでも、心配事は尽きない。
「お前はそう言っても、教授は受け入れてくれるだろうか」
もうすぐ国境を越える。教授は以前、戦争屋ではない、と言っていた。俺の計画では、戦争は避けられない。教授は反対することだろう。
「それは……分からん。きっと、理解してくれるよ」
そうだろうか? 今はティーマの言葉を信じるしかない。
山脈近くにある国境が見えてきた。窓から射す日差しが眩しい。帝国軍は相変わらずそこに駐留しているようだった。
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