我等が自由論、そして終ることなき闘争

悠鶴

第1話 完世紀1940年1月 〈ヂョンファ人民共和国 / 洛阳〉

「……さん……にちは……国営放そ……お時間です。……二十日正午、第八帝国総統、アドルフ=ビューラー氏の暗殺未遂事件が勃発したとお伝えしましたが、本日正午に事件の進展が見られました。帝国親衛隊は事件の首謀者団体七人を拘束。うち陸軍国内予備軍参謀長、クラウス=フォン=シュタウフェンベルク氏、他三人を処刑したとのことです。しかし、親衛隊及び政府発表によると、一連の主導者とされる総統補佐官、ギルベルト=ビューラー氏は行方不明とのことで、現在も逃走中だと予想されます。帝国及びサヴィ…………ク社会し…………邦共和……このじ…………」


 ノイズすらも、途絶えてしまった。今度はいくら叩いても、息を吹き返さない。錆びたつまみを無理やり回しても、折れたアンテナを延ばしても、同じことだった。


「小龙!」


 思わず飛び上がる。恐る恐る振り返ると、見知った顔がそこにあった。ほっと胸を撫で下ろす。

「なんだ、アンドロかあ。びっくりした」

 そう言うと、アンドロは誇らしげに笑った。

「どう? あの老師気取りのおっさんによく似た声だと思わない?」

「そりゃあだって、お前はヒューマノイドなんだから、声音合成ぐらい楽勝じゃん」

 そう指摘するとアンドロは無視して、俺が試行錯誤していたラジオを手に取った。

「これ、ラジオだよね。ラジオなんて初めて見たよ……。ユウザ、よくこんなの見つけてきたね」

 アンドロも気になるのか、つまみを回し始めた。所々欠けて全体的に茶色く変色しているが、教科書で見るラジオと全く同じである。現在では誰もが端末で聞くような放送の電波を、先程辛うじて拾って断末魔の叫びを上げたばかりだ。

「さっき処理した死体のポケットに入ってたんだ。もう埋めたからはっきりとは分かんないけど、金持ちそうな格好をしてたよ」

 生憎、小銭すら持ってはいなかったけど。言いかけた言葉を濁す。みすぼらしい格好をした、自称政府高官のおっさんが給料をくれるのは来週だった。あと一週間、俺と兄さんは一日一食で凌がなくてはならない。俺が死体を食べ始める前に、何とか財布を持った奴を処理できればいいのだけれど。


 転がってた石を、思いっきり瓦礫の山に投げつけた。風に舞う砂埃と硝煙が目にしみる。河からは腐ったような臭いが漂ってきた。その名の通り、黄色い河である。

「早く、お金持ちの死体、見つかるといいね……」

 力なくアンドロが言った。きっと、また考えてるのだろう。いつだったか、今と同じように生活が苦しくなった時があった。その時アンドロは、自分を売って生活の足しにしてくれ、と言った。勿論、俺と兄さんはそれを否定したけど、アンドロはずっと感じているのかもしれない。自分が負担になっているのだ、と。

 俺は何も言えなくて、瓦礫の山に立てかけておいたシャベルを取った。もう何年も使っている相棒は、血で赤黒く変色している。俺の手も、綺麗とは言い難かった。


「なあアンドロ。何でうちの国では、同じ国民同士で殺しあってんのかな」


 人間を埋めた身体で思う。何故内戦が続くのか。何故こんなにひもじい思いをしなければならないのか。いつまで俺は死体を処理し続けねばならないのか。

 アンドロは俺の横に立って、曖昧な微笑みを浮かべた。

「ヂョンファだけじゃない。今日の昼には帝国で処刑があったし、サヴィェートニクなんか何万人も粛清されてる」

 そういえばラジオでも言っていたな、と思い出す。総統補佐官なんて大層な名前が付いていても、裏切る時は裏切るのだ。溜息が出た。


「ヒューマノイドなら、いつ内戦が終わるか分かる?」

 何となく訊いてみたが、アンドロの桃色の瞳が僅かに揺らいだだけだった。

「……ヒューマノイドの人工知能には限界があるからね。完全なAIなら、もしかしたら……」


 言いかけて、アンドロは急に走り出した。近場の瓦礫の山に向かっている。俺は訳も分からず追いかけた。

「アンドロ! 一体どうしたの!」

 走ると、慣れてしまった筈の冷気が身体を刺す。アンドロは冬の寒さなんぞ、感じてすらいないのだろう。瓦礫の山に辿り着くと、裾野の一部を掘り返し始めた。

「急にどうしたの!」

 ようやく追いついて、もう一度尋ねる。アンドロは今までにないぐらい、必死に見えた。


「今、この辺りから機械反応がしたんだ! まだ生きてるAIがいるかもしれない」


 親友のそんな姿を見て放っておくこともできず、俺も手伝うことにした。シャベルでアンドロが指定した場所を掘り進めていく。しかし、アンドロが言う「生きてるAI」が実際にどんなものか、俺にはさっぱり分からなかった。

「あった!」

 しばらくして、アンドロが叫んだ。手には小さな電子基板を持っている。本当にそれがAIか? 疑いが顔に出ていたようで、アンドロは俺に詰め寄った。

「僕のことが信じられないの? 少なくとも、機械の生体反応を判別するぐらい、僕にだってできるよ!」

 信じていない訳ではないが、それでもただの電子基板がAIだと言われても、納得し難かった。小さくランプが点滅していたので、おそらく機械は生きているのだろうが。

「分かった、分かった。とりあえず、兄さんに見せてみよう」


 この状況で頼れるのは、兄さんしかいない。アンドロも頷いた。




 廃墟同然のマンションに入り、階段を上がる。手すりは一部が崩れ落ちていて、階段は歩く度に音を立てる。エレベーターは最早作動していなかった。俺と兄さん、アンドロはここの三〇六号室を不法占拠していた。他にも沢山の人が部屋を使っている。

 扉を開けると、挨拶もなく兄さんに飛びついた。鼻先に基板を突きつけて、直せるかどうかを訊く。兄さんはしばらく考え込んだ後、苦笑いをして基板を受け取った。

「アンドロ、これがAIなら意思疎通のためにディスプレイが要るけど、これは本当にAI?」

 アンドロは自信たっぷりに肯定した。兄さんはずれ落ちた眼鏡をかけ直すと、何も言わずに作業場に入っていった。閉められた扉を、しばらく二人でじっと見ていた。

「兄さんは何時間で出てくるかな」

 俺は沈黙に耐えきれなくなって、静寂を破った。アンドロは六時間じゃないか、と答えたが、実際に兄さんが作業を終えたのは僅か三時間後だった。


 硬貨と同じぐらいの大きさと形になった本体、そしてそれと無線で繋がれたディスプレイ。兄さんの手にかかれば、どれもが新品のように変貌する。この拾い物も例外ではなかった。

「ありがとう、兄さん」

「これくらい当然。電源は本体の真ん中にあるボタンを長押しすれば付くから、試してみて」


 言われてアンドロが押してみる。電源が入ったような音がして、ディスプレイが僅かに光り始めた。ディスプレイ内蔵のスピーカーから、小さく起動音が発せられる。しばらくして、画面が青色に変わる。


「はじめまして。そして、救ってくれてありがとう。ロン=ユウザ、ロン=ハオラン、HBT-12-5」


 大らかそうな男性の声だった。やはりAIだったのだと証明されると、アンドロの声は跳ねた。俺は兄さんと顔を見合わせた。何故俺らの名前を知っているのだろう。

「HBTなんて言わずに、アンドロって呼んでよ」

 アンドロは疑問に思っていないらしかった。そういえば、AIやヒューマノイドの類は自在にネットワークへアクセスできると、以前聞かされた。国家に関わらず、人間は全て情報チップを手の甲に埋め込まれているのだ。個人情報がネットワークに浮遊していたとしても、おかしくはない。兄さんに小声でそれを伝えると、納得したようだった。


「俺の名前は音声化できるようプログラミングされていないので、今画面に表示している」

 ディスプレイには白字で

【יהודה איש קריות】

と映し出されていた。


「これ……何て読むの?」

 俺が素直な疑問をぶつけると、AIは穏やかな声で答えた。

「先程言ったように、音声化はできない。だから、簡略化してユダと呼んでくれても構わない」

「ユダ……ってユダヤと関係があるの?」

 ユダヤ。聞いたことのない単語に、俺は首を傾げた。アンドロは俺が知らないことをよく知っている。当たり前かもしれないが、親友として少し複雑でもある。


「そう、かもしれないね」

 数十年前まで感情がないと言われていたAIは、今では感情を持つということが判明している。ユダの声から、ちゃんとした湿度が感じられるのだ。


 俺はふとアンドロとの会話を思い出した。そして、何気なくユダに聞いてみることにした。アンドロの言う通りなら、ユダははっきりと答えを持っている筈なのだ。大きく息を吸って、吐いて、唾を飲み込む。


「ねえユダ。内戦は、戦争はいつ終わるのかな」


 小さな排気音がした。




「完世紀一九四三年、自由論を掲げ、全ての闘争を終わらせ、そして全てを闘争に捧げる国が誕生する」



 あと三年後、この世界で何かが起こる。ユダはそう告げた。

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