光を辿る

悠鶴

第1話

 私は博士と話していた。


「儂はもう後がない。この星に生きる人間を作るには、時間がないのだ。だから、君に魂の作り方を教えよう」

 私は、老いて腰の曲がった彼の、綺麗に剥かれたゆで卵を思わせる頭をじっと見つめた。そして、暫く口を噤んでから、ようやく声を出した。

「上層部から派遣された以上、博士の命令は絶対です。私の行動決定権は上にありますが、ここにいる限り私は貴方の忠実な下僕です」


 囁くように告げると、博士はこちらを見上げた。鋭い眼光が、私の胸に付いたバッジに記されている「The Protecting Endangered Stars Institution」の文字を煌めかせた。




 詳細を説明しよう、と言う博士に連れられて、私はビルの隙間を縫うようにして歩いた。灰色の街並みは、近くにあってもどこか遠く霞んでいる。プラモデルのように生気を亡くした軒先が、幾重にも連なっていた。私も博士も黙って歩いた。硬い靴音が響いて、空に吸われていく。


 無機質な自動ドアの音を聞き、博士の後を追ってエレベーターに乗ると、彼は突然口を開いた。

「君は、この星から人が消えてからどれほど経ったと思うかね」

 簡単な質問だった。

「協会で閲覧した資料では、約二十年とありました」

 私は回数表示が4を指したのを見送った。

「君の言う通り、最後に生き残った一家が心中したのは確かに二十年前だ。だがね、人は消えてはおらんのだよ。魂ばかりが潰えたのだ」

 私は怪訝な顔で博士を見た。彼は無表情でエレベーターの扉を眺めていた。

「それは、博士がいらっしゃるからでは」

 チン、と音が鳴って扉が開いた。フロアの床には「10」と書かれている。


「会えばわかる」

 そう呟くと、博士は歩き出した。少し間を置いて、私も急いで後を追った。




 清潔な白で囲まれた部屋が私を迎えた。所々宙に浮かんだ青い光は、様々な文字に変化して博士へ情報を伝えた。専門家でないと何に使うかさえ分からないような機械が、所狭しと並んでいる。床には、バラバラになったり、まとめられたりしたコードが散乱している。ディスプレイの林を博士について歩くと、急に景色が開けた。ちょうどその場所だけ四角く切り取られて、一面が緑に覆われている。文字通り、小さな森がそこに形作られていた。


 そして、私はそこに蹲っている人影に気付いた。否、蹲っているのではない。座って、クマ――とっくに絶滅している生き物――のぬいぐるみで遊んでいる。小さな女の子。ブロンドの長い髪が、黒髪の私や、そもそも髪がない博士とは対照的だ。年齢もまだ十はないだろう。綺麗な顔立ちをしていて、入院服のようなものを着ている。しかし、その表情からは年に似合わずあらゆる物が欠如していた。私は、昔の自分の影を見たような気がした。それはすぐに消えてしまっていたが。


「この子が、この星最後の人間だ」

 私が少女を観察していると、突然博士が言った。少女は相変わらずぬいぐるみ遊びに夢中のようだ。こちらを無視しているのか、それともこちらの声が届いていないのか。

「博士はそこに含まれないのですか」

「儂は君のように派遣された、外部の人間だ。君とは違う組織だが、この星の人間でないことに変わりはない」

 様式美のような問答。私は協会で渡された資料を思い出していた。明らかに内容に齟齬がある。

「資料には、この少女のことは一切記述されていませんでした。約二十年前の一家心中で、この星の住人は完全に絶滅した筈です」

 資料にはそれ以上のことは書かれていない。心中した一家の顔写真は誰一人として存在していなかった。現場の状況も不明で、遺書からは心中だと分かったが、死因は不明のままだ。


 博士は少女を見ている。その目は、孫娘に対するそれではない。


「この子は、そのとき心中した一家の長女だ。と言っても、正確には違う。この子の父親はあの一家の父親ではない」

「母親が別の男と不倫関係にあったというわけですか」

 私が半ば呆れたように言うと、博士は小さく笑った。

「そうだな、男ではないかもしれん」


 私には、博士の言っている意味が理解できなかった。男でなければ何があるというのか。まさか女ではあるまい。手術を受ければ、男性でも人工子宮で妊娠することは可能だ。既に百年ほど前から技術は実用化されている。しかし、女性が精子を作り出すことは、現在の技術を以てしても不可能である。少なくとも、男性からの提供が必要とされるというわけだ。


 言葉を失った私の疑問を汲み取ったのか、博士は続けた。

「正確には、雄、と言えるのかすらも分からんな。モンスターだ。地球では一般的ではないかもしれんが、ここのような植民星では一般的。大概は、奴隷にされたり、人間の家族に溶け込んでペットのように暮らしたりする。それがロボットの星もあるが、モンスターのほうが低コストだ。そして、あまり知られてはいないが、ここのように人類が消え去る原因の一つでもある」


 少女の父親がモンスター。にわかには信じられなかった。私は博士が年のせいで耄碌しているのではないかとすら疑った。

「モンスターについては知っています。確か、義務教育で教えられる筈ですから。しかし、妙ですね。地球連邦政府は一貫して、植民星定着のためにモンスターは有用だと主張していますが」


 博士は手を掲げた。すると、青い光が指先で展開され、数多の資料が空中に表示される。モンスターについての論文だ。

「ならば君も知っているだろう。モンスターは元々、ベテルギウスの超新星爆発によって生じた強烈なガンマ線がある生命体に照射され、遺伝子が大幅に書き換えられた結果生まれたものだ。本来なら、ガンマ線の影響を受けた生命体は死滅してしまう。それでもなお形態を変えて生き続けているのだから、モンスターというのは生命力が人間の比ではないのだ。それに、モンスターどころか、『ある生命体』自体の仕組みは解明されていない。要するに、得体のしれない生き物を我々は利用しているのだよ」

 私には、義務教育でモンスターのことを教える理由が分かった気がした。

「それでは、まるで数百年前の原子爆弾や核兵器のようではないですか」

 得体のしれないまま使用した、人間の力を超える兵器。歴史では、日本という国が最初に被害に遭い、冷戦で米ソが作り続けたとされている。その後は列強が保持し、統制がとれていたが、百年ほど前に一度地球は滅びかけた。地球外植民の気運が高まった原因でもある。

「その通りだ。地球連邦政府は、ようやく世界一体となったにも関わらず、また愚かなことを続けている。現に、植民星の人間が消滅した原因の60パーセントはモンスターによる破壊活動による。政府は失墜を恐れてか、依然と隠し続けている。勿論、君の所属する協会にもな」


 私にとって、衝撃だった。


 ……そうだろうか。本当に、驚いたのだろうか。少なくとも、その場では驚いてみせた。


「それでは、この子の母親は……」

「強姦だよ。直接的に表現すればな。大方、別の家の主人を食らったモンスターが、深夜にうろついていたこの子の母親を食ったとかいうあたりだろう。母親もそれを隠してたに違いない。その証拠に、この子はその一家でちゃんと育てられていた」


 暖かみのない照明に照らされた少女の髪は、嫌に艶やかだった。伏せられた目は、血の色に光っている。私には疑問があった。


「それならば、この子は一家が心中した時点で生まれたばかりだとしても、現在は二十歳の筈ですが。生憎、そのようには見えませんね」

 博士は指先で空中に広げられた資料を閉じながら、答えた。

「その子は二十八歳だよ。T細胞を検査したから確かだ。一家が心中したその日から、身体的成長と感情の起伏が停止している」

 私と同じ歳だった。

「人間とモンスターのハーフは、年を取らないというわけですか」

「いや、そうでもないだろう。それなら、この子は今も赤ん坊の姿をしている筈だ。儂は、一家心中の日に何かあったと見ている」


 博士は資料を片付け終わると、曲がった腰を更にかがめて、少女の頭を優しく撫でた。口元は緩んでいて、眼差しも柔らかなものへと変わっている。

「今の儂の研究は、専らこの子だよ。この子の感情の起伏が正常に戻れば、何故この子だけが生き残ったのかが分かるかもしれん。脳波を通してモンスターの仕組みを伝達してくれるかもしれん。そうしたら、モンスターと人間が共存するための手がかりがつかめる。儂の研究は最終段階にあるのだよ」

 それを聞いて、私は少女に変化がないか少し気になった。しかし、先程見たときと全く変わっていなかった。博士が優しく微笑みかけても、少女の目は虚ろだった。私はため息をついた。


 そして、ふと博士から最初に告げられたことを思い出した。

「博士、魂を作るとは、人間を作るとは、どういったことでしょうか」


 博士は、撫でる手を止め、私の方を見た。そして、悪戯っぽく笑った。

「それは、この子が感情を取り戻してからだ」


 君にも手伝ってもらおう。そう言うと、私にカードキーを渡した。「1022」と書かれている。




 博士から渡されたカードキーは、私に割り当てられた個室の鍵だった。ちょうど少女の部屋と化している研究室と同じ階にある。博士は一体どこで寝泊まりしているのか、私には分からなかった。というより、興味がなかった。


 今日はもう休んでいい。明日から働いてもらおう。そう言った博士の背中を思い出す。随分と小さな背中だった。私が来たところでどれほど研究が進むのか分からないが、本当に時間がないのではないか。私は博士が死んでも一向に構わないが。


 本当のことを言えば、研究もどうでもよかった。協会に言われたから従っているだけで、そこに自分の意志はなかった。そう考えると、あの少女より質が悪いかもしれない。協会に入ったのも、絶滅危惧星を救いたいといった理由からではない。正当な墓地を探していたのだ。決して誰にも弔われないような墓地を。


 あの子の目が、私の記憶の中でゆらめいた。幼少期の自分の影がまた現れて、今度は二人の目が合わさった。黒と赤の瞳が重なって、淀んだ沼の色になる。


 早く、死にたいなあ。ぽつりと呟いて、固いベッドに倒れ込んだ。


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