1. 組織加入
「付き合わせてごめんね屡鬼阿。屡鬼阿ってセンスいいもの持ってるからいろいろ貸してもらっちゃうのよね。ライブも毎回付き合ってもらっちゃって。私は幸せ者ですな。いつかそのバレッタかしてもらうんだぁ。あーそのちょっと茶色がかったサラサラな髪の毛いいなー。」
ニコニコと上機嫌で隣を歩く友人を見て屡鬼阿はほほ笑んだ。
「バレッタは絶対ダメ。もう佳代は“カニバリズム”ってなると手が負えないわね。まださっきの黄色い声が耳から離れないよ。」
「だってだって、友達と外出できてライブにもこれて嬉しかったんだもん。こういう時じゃないとパパがうるさいし…。さて!まだまだ帰らせませんぞ~。あれに並ぶのです!」
はしゃいだ佳代が指で示した先には出待ち目的で裏口に立っている女性の長蛇の列だった。
「…まじか…」
屡鬼阿はファンの列をしばらく見つめ、諦めと悟りをひらいた。
走って向かう佳代の後をゆっくりと付いていく中で植込みのふちに一人で座っている女性に目を惹かれた。
(あの列のお連れさん待っているのかな…誰かに似ている気が…)
「屡鬼阿―!何してるの?遅い―!」
佳代の声で屡鬼阿は自分が立ち止まってその女性を見ていたことに気が付き少し恥ずかしくなった。
「別に何が気になるわけじゃないけど…まさか潜在的に私が女性に興味があるとか?違うちg…!」
誰に弁解するわけでもなく佳代の後を急いで追う屡鬼阿に左側から強い衝撃を受け尻餅をつき、つけていた髪飾りが外れ地面に落ちた。。
「いてててて、ごめんね、お姉さん。怪我してない?大丈夫?」
男が慌てながら、道に散らばった屡鬼阿のカバンの中身を拾っていた。
「あ、大、丈夫です…。」
屡鬼阿は態勢を整えながら、髪飾りを拾い先程気になっていた女性の方向を向いたがすでに姿はなかった。
目線を男性の方に移すと、自分の学生手帳を見つめたまま男性がかたまっていた。
「君…は…」
屡鬼阿の顔を見つめた男性は少し驚いた表情をした後、少し口角をあげた。
その少しの無言の時間を割くように出待ちの女性の声が響き渡った。
「やっべえ!」
男性は急いで立ち上がるとそのまま逃げるように待機していた車に駆け込み発車した。
「屡鬼阿!今の“カニバリズム”のJUNだよ!えー羨ましい!どこぶつかった?その運わけてっ!」
興奮しながら駆け寄ってきた佳代は屡鬼阿の体をべたべたと触った。
「…。あたしの学生手帳…」
屡鬼阿は男性が去った方向を睨んでいた。
「学生手帳?ならきっと学校に届けてくれるんじゃない?もしかしたら本人が届けてくれっちゃったり?やばい!推しのREIじゃなくてもいいから会いたい!」
屡鬼阿は佳代のテンションに呆れ帰路についた。
『今日未明…の…河川敷…車内から二名の遺体が発見されました。身元は…高校に通う松平佳代さん(18)……佳代さんは松平グループの一人娘で…警察によると…』
『お知らせの後は、世界に輝くロックバンド、カニバリズムワールドツアー最終公演東京ドームでの模様をお伝えします。』
屡鬼阿は制服に着替えながら片手でテレビのリモコン操作を行った。
いつもと同じように身支度をし、表情を変えず胸のリボンを結ぶ。カバンを持って自室から出て…いつもと変わらない高校生活の朝。
変わらない自宅兼寺院で経が読まれている。
「おはよう。」
本堂で経を読んでいた住職に声をかけた。
「お目覚めになりましたか遮那様。」
屡鬼阿はブレザーのポケットに手を入れて呆れた。
「いい加減、遮那様って呼ぶの、やめてほしいんだけど。じいちゃんが信仰するのは菩薩様や如来様だけでいいでしょ。」
屡鬼阿は住職の隣に座り焼香を炊き手を合わせた。
何も変わらない朝。
いつもと同じ日常
ないのは毎朝長い石段を惜しまずのぼり迎えに来る友の姿だけ…
「遮那様。遅刻しますよ。」
「行ってもまともに授業を行うかわからんがね。…行ってきます。」
屡鬼阿はゆっくりと瞬きをして本堂を後にした。
教室に入ると案の定、彼女の席には沢山の花が手向けられていた。
クラスでは佳代の噂が蔓延り泣き出す者、気分不快を訴える者であふれていた。
「松平を発見したのがE組の陸上部のやつでさ。早朝にジョギングしていたら松平んちの車があって、窓がどす黒い赤だったんだって。すぐに警察呼んでその場立ち去ろうとしたんだけど、事情聴取でたまたま見ちゃったんだと。死にざま。」
「やべーじゃん。トラウマもんだな。やっぱり殺人ってことだよな?」
「詳しくはわかんねぇけど、…ほら、なんつーか、松平ってほら…親父さんの揉めごととかあったんじゃね?」
クラスの中渦巻く噂話と一過性の悲劇感に屡鬼阿は嫌悪した。
「こんな時だけ…最悪の居心地だ。帰ろう。」
屡鬼阿は席につかずそのまま踵を返すと廊下で担任教師とスーツを着た二人の男性が立ちはだかった。
「遮那。少し話があるそうだ。」
担任教師は屡鬼阿と二人の男性を応接室に通した。
「改めて刑事さんだ。松平と一緒にいた時の状況を教えてほしいそうだ。」
屡鬼阿に刑事が来ること自体は想定内だった。何せ彼女が殺される数時間前には一緒にライブ会場にいたのだ。だからと言って犯人扱いのような口ぶりで尋問されるのは不快だった。
屡鬼阿は心底呆れながら淡々と尋問に答え、二時間ほどの拘束を経て解放されたときにはすでに教師たちは何もなかったかのように授業を行い、生徒たちも各々授業を受けていた。
「こんな時にも授業ね。所詮は他人のことよね。人の死より授業よね。気色悪い。」
屡鬼阿はクラスに戻らず佳代の下駄箱の上履きを見つめた。
引っかかるものが多々あった…。
「とりあえず…行ってみようかな。」
そう呟くと屡鬼阿は佳代が殺害された河川敷に足を運んだ。
なにもない草叢…
タイヤの轍すら消されているが屡鬼阿はここが現場だと確信した。
ゆっくりと目を瞑り、頭に映像が浮かぶ。
黒のセダン。
半開きのドアから、だらけた蒼白く細い腕に鮮血が滴る。
服も肉片も臓物も後部座席に散らばっている。
この世の表情とは思えないおぞましい死にざま。
彼女の腕に刻まれた「Where is my joker」
屡鬼阿はハッと目を開けた。
全身に嫌な汗をかいている。
頬を流れる汗に皮肉にも生ぬるい風があたる。
目の前のなにも変哲もない生い茂る草が不自然に感じるくらいにこの現場は巧みに処理されていた。
「…!?」
背後に聞こえた足音に屡鬼阿は警戒し振り向いた。
「おっと、びっくりさせてごめんね。こんなところに女の子が一人でいるのは危ないと注意しようとしたんだ。今日のニュースを観ていない?」
オレンジの髪をなびかせた男性がほほ笑んだ。
「じゅっ…」
「こんにちは。初めまして…じゃないな。昨日会場であったしな。…彼女にも…。」
そういうと男性は草叢の方向に向かってしゃがみ、手を合わせた。
「気の毒に…。友人が亡くなってショックだろ?俺も呼び出されて驚いたよ。彼女がまさか…。」
言葉和詰まらせた男性に屡鬼阿は不信感をあらわにし、眉をハの字にして睨んだ。
「刑事たちの尋問お疲れさん。肩凝ったろ?」
「何が…言いたいのですか?」
屡鬼阿は男性の全てを見透かした口ぶりに警戒し一歩退いた。
男性は少し間をおいて立ち上がった。
「別に今回の事件について君を疑っているわけではないよ。ただ、俺たちはずっとこの名前の子を捜していたんだ。」
男性は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
―Drear Rukia―
血液で壁に記された自分の名が写された写真。
「これはね、今回の松平さんとは違う事件で撮られた写真なんだ。ほかにも残酷な事件が起きるたびにこの名前やメッセージが残されていることが多いんだ。そこで糸口になる“ルキア”という人物を捜していた。国の名簿を調べてルキアという名前はそう多くないことが分かった。その人物を追って接触することはできたんだ。会って話をきくことはどれも叶わなかったけどね。」
「接触はできたのに会話はできなかった?」
屡鬼阿はさらに眉を寄せた。
「この写真の事件の被害者は屡騎亜ちゃんという8歳の女の子だった。今回、松平さんが着ていた服は君の服だ。これは偶然ではなくて何らかの意図があって俺たち以外の誰かが目的の“ルキア”を捜し殺害しようとしている。」
「その目的の“ルキア”は私じゃないかもしれないわ。それとも全国、全世界の“ルキア”に護衛をつけるつもりかしら?」
男性は少し悲しそうな表情で一度写真を見返し、胸ポケットにしまった。
「この子が日本国では戸籍に登録された最後の“ルキア”だったんだ。俺たちはこの子を守れず、そして手がかりひとつ得ることもできず途方に暮れていた…。そして君が昨日俺とぶつかって落とした学生手帳には戸籍名簿にはなかったルキアがいた。…ね。遮那屡鬼阿ちゃん。」
屡鬼阿は男性の取り出した学生手帳を奪うように受け取った。
「警戒しなくても大丈夫だって。組織が保護したいだけだって。」
「保護?…ただのバンドマン事務所が保護とは笑わせてくれるな。」
男性は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに屡鬼阿に微笑んだ。
「さすが遮那家。察しがいいな。でも、君がどんな者だとしても、いずれ犯人は君を探し出して殺しに来る。どんな意図で”ルキア“を襲っているのかはまだわからない。幸い、犯人側も”ルキア“という人物を名前だけしかわからず、手当たり次第に襲っているようだ。君がもし指標ならば君がなにかしら答えを持っているはずだ。」
屡鬼阿はカバンに学生手帳を入れると男性に背中を向けた。
「私は何も知らない。狙われる理由もわからない。」
「狙われる理由が多すぎて『わからない』の間違えじゃないかな?」
男性の言葉で屡鬼阿は不快に感じたがそのまま挑発に乗らず振り向かないまま歩き出した。
「もう一度言う。君が目的の“ルキア”であってもなくてもこの組織で保護したい。」
一度歩みを止めた屡鬼阿に男性は手を差し伸べた。
「断る。自分の身くらい自分で守れる。」
屡鬼阿は冷たく言い放つとそのまま去って行った。
「交渉失敗だな。純鋭。」
純鋭と呼ばれた男性は声の主の方向に振り向いた。
黒のスーツ姿、スキンヘッド、サングラスにひげ面強面の男性が黒のセダンに寄りかかりながら煙草を吸っていた。
「あー。はははは(苦笑)。いいんですか?本部にいなくて里京さん。」
「まずは彼女を確保することが優先なんだ。残された当ては彼女しかもういないのだからな。それが叶わなければ、残酷な事件は迷宮入りでこれからも永遠に続く。」
純鋭は自分の左耳のピアスを触った。
「はたしてこの事件に僕らが首を突っ込んでもいいんですかね?」
「…どういうことだ?」
「いや、なんとなく…第六感というか…なんというか。まぁ僕は早く事件を解けてギタリストとして平和な生活が出来れば何でもいいんですよ。さて僕は楽しいほうの仕事に行ってきます。今朝はライブの疲れがたまっているのに悲惨な現場に呼び出されて、まいっているんです。気分転換させてくださいよ。」
さわやかに手を振る純鋭の姿と裏腹にその瞳は冷たく、里京は不思議な違和感を覚えた。
「お引き取り願う!!!」
朝早くから寺の敷地内に住職の声が響き渡り屡鬼阿は目を覚ました。時計の針は5時を指している。
外から聞こえる会話に耳を澄ましながらも、もう一度布団を頭までかぶる。
「あぁ今日もめんどくさいなぁ」
声が静まるのを待ち、屡鬼阿は重たい体を起こし、身支度をした。
ブレザーの襟を直し本堂へ足を運ぶ。
「お早いお目覚めですね遮那様。」
何食わぬ顔で香をたく住職は屡鬼阿に微笑んだ。
「あんな声の荒げ方じゃ起きてくれと言っているものよ。」
「そうじゃの。まぁ気になさんな。それよりも遮那様。パスケースを新調してみたのじゃがどうかの?」
屡鬼阿は住職の顔をじっと見つめたのち、パスケースを受け取った。
「はぁー…ありがとう。…これで安全に学校に行けるわ。」
屡鬼阿はため息をつき、本堂に手を合わせいつもより早めに家を出た。
登校途中にいつもと違う雰囲気とどこからか視線を感じていた。
周りはまだ人通りもなく静かだが、気配を感じていた。
屡鬼阿は深呼吸をするといきなり走り出した。
すると途端に、数名のスーツを着た男たちが屡鬼阿の後を追いかけてきた。
暫く追っ手を撒けないまま人気のない地下道の真ん中で歩みを止め振り返った。
カバンを地面に落とすように置き、片手にパスケースを持ったまま両手を挙げた。
「遮那屡鬼阿。君を国の機関。特別保安部隊にて保護させてもらう。これは国の決定事項だ。」
「…」
スーツを着た男たちの間から里京が現れ、屡鬼阿の前に立ちはだかった。
「…」
一言も発せず里京を睨む屡鬼阿に里京は背中が冷たくなった。
「か、確保しろ。」
里京が部下の数名に指示し屡鬼阿に背を向けた一瞬だった。
指示を受けた二人の部下が里京の足元に倒れた。
「なっ!!」
里京はスーツの内ポケットのふくらみに手をかけたが、そこから次の行動に移ることが出来なかった。
間合いをどんどんつめられ、自分の顔の真下で屡鬼阿が里京を見つめる。
「一般人に向けようとしたそれは何?お出迎えにしては物騒ね。」
屡鬼阿はクスっと笑うと里京から離れ、地面に置いた鞄を拾い上げ去って行った。
嫌な汗が自分の背中を伝うが、動こうとしても動くことができない。
里京には何が起こったのかわからなかった。
小さくなる屡鬼阿の背を追いたいが体が動かない。声も出せない。
人気のない地下道でどうすることもできない無力さを里京は実感した。
何の変哲もない女子高生にまんまと一杯喰わされたのだ。
「あー。里京さんを助けようと追ってきたら逃げられちゃったあとか―。あれ?里京さん、だるまさん転んだ、ですか?」
棒読みのセリフのように純鋭が里京の足元に屈んだ。
その瞬間里京の体は解放され動くことができた。
「いったい何が起きたのだ?」
立ち上がった純鋭の手には縫い針があった。
「ただの縫い針か?」
「はい。ただの縫い針です。先人たちの中には地下にある龍脈を活用することがあったみたいです。針で抑えるといろんな効力を発揮することもあるみたいですけどね。今回はフェイクです。里京さんは彼女に動物の本能を引き出されただけです。」
「動物の本能?」
「俗にいう金縛り状態です。」
「金縛り?そんな馬鹿な。」
里京は少しため息交じりに呟いた。
「自然界ではよくありますよ?弱肉強食の世界では強い者に睨まれると弱者は動けなくなる。足がすくむ。そんな原理です。さっき里京さんが懐のものを出すのを躊躇ったのは少し彼女に恐怖心を抱いたからですよね。」
里京はサングラス越しに純鋭を睨んだ。
「お前、ずっと見ていたのならなぜ手を貸さんのだ?」
「え?遮那の技みれたらいいなーって思って。」
へらへらとする純鋭の足を里京は無言で思い切り踏んだ。
「素性がわからん夜狩省の末裔か。史実には残っていないが、とある手記にはメインで動いていた記録がある人物か。夜狩省末裔と今回の保護対象が同じ人物として一致するとなると一筋縄とはいかないな。」
「遮那家が消された理由は多々ありそうですが、この組織がもともとは夜狩省なのになんで過去の書物がほとんどないのか本当に呆れますよ。とりあえず、次のプランへの移行を決行しましょう。僕は仕事もありますし大切なものを持ってくるのを忘れたので帰ります。」
純鋭は踏まれている足をずらして里京に背を向けた。
「…あ、里京さん。どうしても彼女を保護するつもりなら少しやり方を変えないとだめですよ。里京さんがあまりとりたくない手段を使うしかないかと。」
「…わかっている。」
純鋭は少し困ったように微笑んで振り向かず歩き出した。
里京は先の屡鬼阿との対面での技に心打たれると同時に胸騒ぎを覚えていた。
屡鬼阿が特安に拒否を示して1週間。
里京は思いつめた表情をしながら強硬手段に出る支度をしていた。
「変な色の雲っすねー。里京さん、今日は朝からずっと外が霞がかっているの、知ってました?僕ね、昨日MV撮影で一晩中外にいたんですよ。ずーっとこんな模様なんです。」
お屋敷のような特安本部で里京は資料から純鋭へと顔を向けた。
「桃色の雲と霞か。不気味だな…何も今日こんな日じゃなくてもいいのにな。」
純鋭は張り詰める空気を誤魔化すように表情を作った。
「やだなぁ里京さん。僕には彼女を執拗に追いかけるオジサンの方が不気味に感じますよ。」
里京はかすかに頭部に血管を浮かべ純鋭を睨んだ。
「こういう日はあまり好きじゃないんだ。」
「…満月の夜と霧の出る日は犯罪率も上がりますからね。」
「そうだな…。あの日もそうだったな。」
「あの日?…」
「嫌なんでもない。ところでお前のそれはなんだ?」
里京は純鋭の後ろに置いてあったゴルフバックを指差した。
「これは趣味です。」
「ゴルフはやらないのにか?」
「えぇ趣味です。さぁ里京さん気を付けて彼女を迎えに行ってください。」
純鋭はニコニコと目を細めて笑った。
「…純鋭お前も来るんじゃ?」
「かーんべーんしてくださいよ。さっきも言った通り僕は徹夜で仕事をしてきたんですよ?このまま同行したら過労死まっしぐらです。」
「そうだな。」
里京は少し残念そうな表情をしながらドアノブに手をかけた。
「あ、里京さん。霧が出る日は鬼が出るって古くから言い伝えがあるくらいなので、十分に気を付けてください。」
純鋭は笑顔を崩さず里京に言い放った。
里京は深いため息をつくと、そのまま部屋を出て行った。
「さて、どうしようかな。」
純鋭は里京の部屋から遠ざかる足音を確認すると表情をリセットし、ゴルフバックに手をかけた。
「やっぱこれでしょ。」
里京が長い石段を昇りきると、本堂の前を立ち塞ぐように住職が坊主を従え待ち構えていた。
「其処をどいていただくか、彼女を呼んでいただくかどちらかお願いしたい。」
住職はもの言わずただ首を横に振った。静かなやり取りの間に霞がかった霧とともに突風が吹きつけた。
異変を感じ自室の窓から屡鬼阿は外を眺めていたが、しばらくの住職と里京の硬直状態に愛想を尽かしベッドに戻った。
「じいちゃんから外に出るなって言われたけどこういうことね。せっかくの休日が台無し。」
仰向きにベッドに倒れ天井を見上げた時、再び先程とは違う異変を感じ、本堂とは逆の窓に駆け寄った。
『…えり……あ。…に』
霧のせいでぼやけておりはっきりと姿は目視できなかったが何者かが遥か下の石段の前に立っていた。
「なにこの…なんというか…。なんか…!!」
屡鬼阿は何かの気配を感じ棚の上の舞扇を手に取り、部屋から駆け出した。
風がやむと視界はさらに悪くなり、目の前にいる相手の顔すら確認できなくなった。
里京はまるで異世界にいるような錯覚を起こしそうであった。
住職と無言の攻防を破るように二人に歩み寄る足音が響いた。
「里京さん、だるまさんが転んだの次はにらめっこですか?」
全てを隠すような霧の中冷やかすような言葉を投げかけた純鋭はいつもと雰囲気が違うただならぬ威圧感で里京の隣で足を止めた。
住職はより一層険しい表情で純鋭を睨んだ。
「里京さんは甘い。やっぱり甘い。」
純鋭は口元を綻ばせながら手に持っていた棒のようなものを住職につきつけた。
「もう鬼を匿うのはやめたらどうです?単刀直入にいうと彼女をこちら側に加入させたい。嫌というのならばこのまま斬ります。僕は里京さんみたいに甘くないですよ?」
「…」
それでも住職は頑なに口を噤み、一歩たりとも動じなかった。純鋭は自分の手元の先を見た。
「あぁそうか。」
そう呟くと、純鋭は突き出した棒から右手できらりと光る刃を引き抜いた。
「純鋭!一般人だぞ!」
里京の声と同時に純鋭の引き抜いた銀色の刃の前に屡鬼阿が鋭い眼光で純鋭を睨みつけていた。
「物音ひとつさせずに現れるとは、人間離れしてるな。」
「…さっきのは、貴方じゃなかった…」
純鋭は屡鬼阿の言葉の意味が分からなかった。
「まぁいいや。私に何か用?」
「そうだよ。忘れ物。」
笑顔で屡鬼阿と話をしようとする純鋭とは裏腹に、喉元擦れ擦れに触れようとしている刃先に屡鬼阿は不快な表情をしていた。
「おっと失礼」
純鋭は右手をおろし、屡鬼阿に近寄り、ポケットから縫い針を取り出し、手渡した。
「武具を置きっぱなしにするとは感心しませんな。遮那家の御嬢さんよ。」
屡鬼阿はその言葉を聞くと、ニヤリと口を綻ばせた。
「妖家の末裔が今更何用かしら?」
「今は明石って名乗ってるんでね。まぁまたよろしく頼むよ、疫病神。」
屡鬼阿の表情が一瞬引き攣った。
「政府の犬は健在ね。」
純鋭の眉間に一瞬皺が寄った。
「あハハハハハ」「フフフフフフ」
二人が笑いあう間に一枚の葉が落ちた…と同時に純鋭は刀を振りかざし、屡鬼阿はそれを避けながら純鋭の顔をめがけ渡された針を投げた。二人は態勢を整え次の一手を繰り出す。
二人の表情は狂気的な笑顔に満ち溢れていた。
暫くし、避ける屡鬼阿の足のリズムが崩れたことを純鋭は見逃さなかった。純鋭は握っていた刀を逆手に持ち替え、屡鬼阿の背中ぎりぎりに刃先を近づけた。
屡鬼阿は自分のリズムが崩れた隙を突いてくる純鋭を見透かし間合いに入ったことを確認すると懐に潜り、喉元に舞扇をつきつけた。
『殺すつもりなんてないくせに』
ぎりぎりの状態にもかかわらず二人の表情は笑顔だった。そんな正気でない二人の足元に里京は持っていたハンドガンで銃弾を撃ち付けた。
「そこまでにしろ。彼女にけがを負わせる必要はない。純鋭、本来の目的を忘れるな。」
里京の言葉で二人の異様な気迫は消え、純鋭は刀を鞘に納めると左耳のピアスを触った。
「へぇこの組織は、銃も刀も持ち出しOKなわけね。」
屡鬼阿は純鋭から離れ里京に歩み寄った。
霞がかっているせいもあり、屡鬼阿の逆だった髪の毛と鋭い目は赤く、にやりと笑った口元からは牙のようなものが見えた…気がした。…まるで鬼のように…。
その姿に里京は少し怯み、一歩後退りした。
「で、遮那の御嬢さんよ、この前の返事もう一度聞かせてよ。」
言葉を詰まらせる里京の代わりに純鋭が住職の前に移動しながら聞いた。
「嫌とこの前…」
「もちろん、否定の言葉があれば寺ごと君も潰すから。これ国の秘密機関だから。」
屡鬼阿は苦虫をつぶしたような表情で住職と純鋭の顔を交互に見た。
「一般の抵抗できない人を利用したり、脅したりこれが国のやり方?」
屡鬼阿は再び里京の顔を睨みつけた。
「君はまだ知らないことばかりだ。これは序の口だよ。…組織というのは便利でもあり、卑怯でもある。こちらの世界は一々、綺麗・汚いを考えるだけ無駄だ。」
「…っ…」
純鋭はなかなか返答しない屡鬼阿にしびれを切らし、刀を再び鞘から抜いた。
「わかった。わかったから。私一人の身で事が収まるなら協力はするから。だから刀を納めて。」
その言葉を聞くと純鋭はほっと胸をなでおろすかのように鞘に刀を納めた。
「あぁ。あと住み込みであることを伝えていなかったな。」
「あぁ!!!???」
里京の言葉に屡鬼阿は耳を疑った。
「この社会の裏に身を置くということは表の人間を巻き込む可能性がある。我々は極力、表の世界に影響がないよう動く。君もこの寺や大切なものを守りたいのであれば世間からは身を引いた生活の方がいい。」
「あ、あいつはどうなのよ。」
屡鬼阿は帽子とサングラスを装着しなおす純鋭を指差した。
「俺は逆に目立って、世間の情報を送受信するインフルエンサーの役割を担ってるんだよ。表の人物がこちらに来ないようにする監視の役割もある。」
「とりあえず、詳しい話は追々にしよう。さっそく本日から本部に移ってもらう。荷物を運び出すが、荷造りをしてもらおうか。」
屡鬼阿は深いため息をつき二階の自室を指差した。
里京は部下へと荷造りの指示を出した。
住職はその様子を見ながら力が抜けたように膝から崩れ落ちた。
「お守り出来ず…申し訳ありませんでした。遮那様…。」
屡鬼阿は住職の手を優しくとり縫い針を手のひらに乗せた。
「大丈夫。何も変わっていないから大丈夫。私がいなくてもじいちゃんがここを護ってくれるのであればそれでいい。私がいつでも帰ることができるようにここを護って。17年間守ってくれて感謝してるから。」
住職は頷いた。
「絶対にその髪飾りだけは肌身離さずお過ごしください。その髪飾りのことだけは、先代、先々代から口酸っぱく言われておりました。お願いです遮那様。その髪飾りだけは手放さないようお願いいたします。」
「???」
屡鬼阿は住職の今までに見たことのない焦った様子に少し驚いた。
その様子を布袋に刀をしまいながら純鋭はじーっと見つめていた。部下の一人が純鋭に荷造り完了の報告をすると純鋭は屡鬼阿に歩み寄った。
「さて、そろそろ移動だ。」
屡鬼阿は名残惜しそうに寺を見つめながらも石段を下りて行った。
石段を下りきると既に車を準備させた里京が後部座席のドアを開けて待っていた。
「荷物は先に本部へ搬入している。自己紹介が遅れたが、私は特別保安部隊、国の裏機関組織の局長の里京典慈だ。」
「組織については、追々でいいでしょ里京さん。俺は…」
「妖家。カニバリズムのギターボーカル。先祖代々政府の犬。」
「ざけんな。いつかその首狩ってやる。しかも今は妖じゃなくて明石純鋭と名乗ってるんですけどー。さっさと自己紹介しろ小娘。」
屡鬼阿は一度ゆっくり瞬きをして二人を見て妖しく微笑んだ。
「私の名は、遮那屡鬼阿。悲しいかな古の歴史と血を汚した家の末裔。」
屡鬼阿はそういうと里京の用意した車の後部座席に乗り込んだ。
特別保安部隊(特安)―関東本部―
No1
NAME:里京典慈
AGE :43
BIRTH:11.22
BLOOD TYPE:O
No2
NAME:明石(妖)純鋭
AGE :25
BIRTH:05.02
BLOOD TYPE:A
No3
NAME:遮那屡鬼阿
AGE :18
BIRTH:unknown
BLOOD TYPE:unknown
―入力完了―
デスクにてPCに打ち込んだ内容を里京はメール添付し送信ボタンを押した。
目頭を抑えた里京にどっと、体中にだるさが押し寄せた。
…遮那屡鬼阿 組織加入…
「ついに踏み込んでしまったか…」
PCに映し出された屡鬼阿の名前をみた影が呟いた。
「待っててね♪本物のJOKER♪」
東の空を見つめた人影が西の空の下でほほ笑んだ。
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