3話 魔術師は夫



「ふんふんふーん」



(これで当分はあの殺人的色気からおさらばね!)


 と、ご機嫌で王城から屋敷に帰ろうとしていた私はふと、あることを思い出して足を止める。


(こういう時って普通、夫に報告してから出るものだったりするの?)


 独り身だった頃はまったく気にもしていなかったこと。

 でも、今の私は人妻だ。私の帰りを待っていてくれる人もいて、家もある。


(少し遠いけど、会ってから行った方がいいよね。うん。それがいい)


 王城を出ようと向けていた足を方向転換し、夫のいる棟へ向かって歩く。


(北棟に行くのはかなり久しぶりかも。騎士団に用なんて、そうそうないから)


 私が所属している【魔術師団】は南棟。夫の所属している【騎士団】は北棟であり、用事でもなければ行くことはほぼない。たぶん最後に北棟へ行ったのは、半年以上前のことだろう。


 歩き慣れていない廊下を1人で進みながら、私は何となしに夫のことを思い浮かべる――。


 黒牙こくが騎士団団長、ユリウス・フォーゲル。

 フォーゲル辺境伯家の次男。

 シルバーグレーの短い髪に、落ち着きのある灰色の瞳。少し冷めたような雰囲気のある美丈夫で、騎士にしては体が細めだけど、同性数人を軽々持ち上げぶん投げるほどの力持ちである。


(そんな人が私の夫だなんて世も末ね)


 辺境伯家の跡取りではないけど、最強と謳われるSランク冒険者に匹敵する力を持つ者達が集う騎士団の団長だ。

 その強さもさることながら、整った容姿に家柄、性格にも問題なしとくれば、令嬢達が黙ってはいない。


 私はまったく知らなかったけど、周りの噂によると、隣国の王女からも結婚の申し出があったとか、なかったとか。

 普通ならば、隣国との良好な関係を築くために政略結婚させられそうなものだけど、こちら側が断固拒否したらしい。

 その理由というのも、夫がSランク冒険者にも負けない強さを持っているから。

 夫1人いなくなるだけで、この国の戦力がガクッと下がるのだとか。恐ろしい話である。


(実際に戦ってるところを見たことはないけど、えげつない話はちらほらとあるんだよね)


 たとえば、50人以上いた盗賊集団を1人で叩き潰したとか。

 たとえば、時速100キロで突進してくる魔物、ロールアルマジーを片手で止めたとか。

 たとえば、ドラゴンの羽を素手で引きちぎったとか。

 たとえば、1人で国ひとつ落とせるほどの戦闘能力を持っているだとか。


(どれも確証のない噂話なんだけど、あの人ならやれそうだな~と思える私がいる)


 なぜなら、私の夫は5年前、知能を持つ魔物達によって引き起こされた大襲撃――【魔物達の大侵略】をほぼ1人で捻り潰したのだから。


 まぁ、もちろん、数百体といる魔物を1人で倒したわけではなく、黒牙騎士団が主で動いていたという話。

 その中で夫は【魔物達の大侵略】の核であった、知能持ちの魔物3体を1人で撃破しているらしい。


 知能持ちの魔物というのは非常に面倒なもので、こちらの動きを予測して攻撃してくるため、非常に危険。魔物と戦っているというよりは、高ランクの冒険者と戦っているようなイメージだ。

 それを一度に3体相手取ったのだから、夫の強さは半端なものではない。


(現場に着いてすぐ、魔物の頭が宙を舞ってたっけ。あれには驚いたわ)


 当時を思い出して、顔に浮かんだ苦笑い。


 怪我ひとつなく平然と立っていたあの人は、あの時、一体何を思っていたのだろう。

 こちらを認識した顔に表情はなく、ただ淡々と、



『死骸運搬、頼みます』



 それだけ言って、部下の元に走り去っていった。

 あの時の夫は、まるで戦うことだけがすべてだと言わんばかりの姿勢で、私は似たものを感じていたのだけど――


(実はそんなことなかったりして)


 結婚した時、私は放置妻になる覚悟をしていた。


 私と夫の結婚は、恋愛など皆無の政略結婚。

 私を冒険者にさせたくない王族が企てた結婚。


 だから、拒否することはできなかった。

 大好きな養父母を人質に取られたら、私は何もできなかった。


 自然溢れる静かな土地で、穏やかに暮らす仲睦まじい優しい夫婦。家を存続させるためには私を養子にするしかなかったのに、それをしなかった人たち。



『好きに生きていいんだよ』



 愛情のこもった優しい顔でそう言って。私がこの先、少しでも苦労しないようにと、貴族名だけくれた、血の繋がらない私の大好きな父と母。


 私の勝手で、そんな2人を不幸になんてしたくない。

 だから、私が我慢した。我慢することにした。


(父と母のことがなかったら、たぶん私、他国に逃げてたかも)


 溜め息と一緒に小さく笑って、ほんの数週間前のことを思い出す――。


 夫は、私の想像よりも早い時間に帰って来て、



『ただいま』



 と、そう言った。

 その後は、一緒に夕食を囲んで、他愛ない話をして、お風呂に入って、別々の部屋で眠った。


 ――ふと目が覚めた時。廊下から聞こえたのは夫と執事長の話し声。



『悪いが、これからは今日みたいな感じで頼む』

『はい。おまかせください。いってらっしゃませ』



 夫は、王城に戻ったようだった。


 でも、朝になれば、夫はさも当たり前のように朝食の席に座っていて。

 そこから毎日、夫は必ず家に帰って来た。

 私を、慣れない屋敷に1人にしないように――。


(そのことに気が付いて、「無理はしないでほしい」と言ったら、なぜか……色気と……距離感が……おかしなことに……)


 顔を両手で押さえて唸る。

 最近では知らない間に寝室も一緒にされてしまった。………いや、夫婦であれば当たり前のことなのだけど。

 それでもまだ、ベッドが別々なのが救いか。


(………いや。あの人より先に目を覚ました日、胸元が見えるほど乱れた格好に、無防備な寝顔は、正直……………鼻血が出そうだった)


 そう。ベッドが別々でも、寝室が同じであれば、特に救いはない。

 その姿と顔を見るだけで、私の動悸と息切れは再発するのだから。

 夫の色気は、その辺の令嬢なんかに絶対負けない。絶対に。


(あ。あそこにいるの、そうかな?)


 なんて、人には聞かせられない胸の内を呟いている間に到着した北棟。

 廊下から見える広い中庭には、訓練中の騎士たちの姿が見える。その一番奥に、私の夫が部下を相手に指導しているようだった。


(タイミング悪かったな。声を掛けづらい……)


 騎士団の中に、夫以外でこれといった顔見知りがいるわけではない。

 それでいて、訓練の真っ只中に乱入する勇気もない。


(でも、何も言わずに出発するのは申し訳ない……)


 どうしたものか……と訓練中の騎士たちを少し離れたところから眺めていると。



「どうかなさったのですか? エルレイン様」

「え?」



 反射的に振り返った先。そこにいたのは、普段から夫の一番近しい位置にいる人物、黒牙騎士団副団長。

 書類を手に持つ姿を見るに、彼は現在、訓練ではなく、執務仕事をしているようだ。



「お――ゆ、ユリウス様に! 少しばかり用事が………大したことでは、ないのですが……」



 危うく、『夫』と呼ぶところだった。

 結婚して間もないとはいえ、名前ではなく、夫なんて名称で呼ぶのはよろしくない。今後、気を付けなくては。



「よろしければ、お呼びしましょうか?」



 チラッと中庭に目を向けたことに気が付いたのだろう。副団長は親切心でそう言ってくれるけど、私は仕事の邪魔をしたいわけではない。



「本当に大した用事ではないので、お気持ちだけで」

「そうですか?」

「はい。――あ。もし、できれば、伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです」



 にこっと笑ってくれる副団長にホッと息をついて、私は口を開きかけて止まる。


(機密事項ではないけど、夫以外に詳細を伝えるのはどうなんだろう。良くはないよね。………よし。文にしよう)


 腰ベルトについているミニバックから紙とペンを取り出し、【王都から馬車で3日ほどかかる村に行ってきます。数日留守にしますが、心配しないでください。】と簡単に書いて折り畳む。そしてそこに、少量の魔力を注ぎ、夫にしかひらけないように魔法をかけ、副団長へと渡す。



「仕事が一段落した時にでも渡してください。大した用件ではないので」

「承りました」

「それでは、私はこれで失礼致します」

「エルレイン様」



 踵を返そうとしたところで、声を掛けられる。

 なんだろう? と思い、副団長を見れば、それはそれは爽やかな笑顔を向けられて。



「団長のお名前、もっと呼んで差し上げてください。大変喜ばれると思いますよ」

「ッ!!?」



 思わず出そうになった奇声をなんとか飲み込み、副団長を凝視する。

 すると彼は、にこっと人懐こい笑みを浮かべ、一礼してから去っていった。


(え。何。からかわれたの? というか、私が夫を名前で呼んでないこと、知ってた?)


 えええぇぇ……となんとも言えない気持ちになりながらも、来た道を戻るために踵を返す。


(なんか、色々と見透かされそうな瞳をしていたような……)


 ぶるっと身震いをして、私は足早に北棟を後にした。




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