写真の女性

 加島さんの操縦するボートに乗り、俺たちは罪島に向かう。


 飛行機で国外に出た経験があると言うのに、この小さなボートで、普通の人なら誰も知らない人工島に向かうとなると、心臓を直につかまれたような息苦しさを感じる。


 まるで、身体が島に行くことを拒否しているように。


 心臓の付近に手を置いて深呼吸をしていると、隣に座っている最上が俺の顔を心配そうな表情で覗いてきた。


「顔色、良くない。もしかして、酔つた?」


「いや、大丈夫だ。少しだけ、緊張しているだけだから」


「そっか。円華でも、緊張することがあるんだね」


「俺がいつも平然としてると思うなってんだよ」


 自身の髪をクシャッと掴んで目を逸らす。


 心臓だけでなく、胃も何かに握りつぶされそうな感覚がある。


 それでも、身体がどれだけ拒絶しようとも、俺は真実から逃げない。


 姉さんに何があったのかを、そして、俺自身のことを知るために、俺は罪島に行く。


 それに……。


 最上に見られないように黒いスマホのアルバムを開けば、たった1枚だけ保存されている写真を見る。


 茶髪で紫の瞳をした女の人。


 このスマホが罪島で使われていたものなら、この人に会えるかもしれないからな。


 しばらく無言で海を見ていると、不意に加島さんが操縦しながら話しかけてきた。


「おい、円華。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、良いか?」


 いきなり名前で呼ばれた。


 馴れ馴れしいな、この人。


「何ですか?加島さん」


「その……おまえ、誕生日っていつだ?」


「えっ、な、何ですか?いきなり。4日後の、8月5日ですけど」


 桜田家に居た頃は、誕生日なんてあることを知らなかった。


 なんせ、『誕生日おめでとう』なんて、あの家の子だった4年間で1度も言われたことがなかったからな。


 だから、桜田円華には誕生日なんて無かったのかもしれない。


 でも、椿円華になった日から1年後。


 椿の家で、俺は姉さんや親父、お袋、そして部下のみんなに囲まれて、初めて誕生日会というものを開いてもらった。


 その日は、俺が椿家に受け入れられたんだって実感した日でもあった。


 だから、桜田円華から椿円華になった日を、俺の誕生日にしている。


「そうか、意外と近かったんだな。……わかった。悪いな、いきなり聞いて」


「いいえ、そんなことで謝らないでください。……あの、俺からも1つ聞いて良いですか?ずっと、気になっていることがあるんです」


「何だ?俺に答えられることなら、何でも答えてやるよ」


「加島さんは、どうして俺のことを知ってるんですか?」


 俺は加島さんのことを知らない。だけど、この人は俺のことを知っているような口振りだ。


 それを言い出したら、高太さんだって俺のことをどうしてかはわからないが知っている。


 それに、精神をリンクするための回路がどうとかも言っていた。


 高太さんと俺は、俺が知らないだけで過去に1度接点が在ったことは、もう疑いようがない。


 でも、高太さん意外の罪島の住人というか、デスゲームの生存者も俺のことを知っていることに納得ができない。


 もしかして、俺は……。


 加島さんは、間を置かずに「あぁー」と何か納得したような声を発した。


「そうか、それもそうだよな。変に思うよなぁ、悪い悪い。おまえの姉さんから、いろいろと話を聞いてたんだよ。それに、写真も見せてもらってな。写真で見た頃よりも随分と成長したんだなぁって」


「そ、そうだったんですか。……姉さんが」


 言われれば少しは納得できたが、まだ、どこかに落ちない。


 心の中のもやが、まだ晴れない。


 この人、俺に隠していることがあるんじゃないか?


 さらに問いただそうとすると、最上に突然左手を握られた。


 そして、顔を見れば、うつむいたまま首を横に振られた。


「お願い……これ以上は、聞かないであげて」


 小声で加島さんに聞こえないように言われれば、それ以上追及はできなかった。


 こいつが顔を見せない時は、何かを恐がっている時だってことに最近気づいた。


 たぶん、加島さんも困っているんだろうな。


 その後は他愛ない、本当に他愛ない話を加島さんと最上と俺でした。


 学園での最上はどうだとか、こいつに友達はできたのかとか、主に、当然ながら内容は最上のことばかりだ。


 話をしている間に、何十分経ったんだろう。


 段々と、緑が映えている少し大きな1つの島が見えてきた。


 おそらく、あれが……。


「ついに来たか……罪島」


 最上も、懐かしそうに島を見る。


「うん、あそこがそう。……離れて半年経ってないのに、懐かしく感じるのが不思議」


「故郷って言うのは、多分そういうものだろ。懐かしいって思うってことは、そこを癒しの場所だと思ってるってことなんじゃねぇの?」


「……そうかもしれないね」


 ボートが島の沖に近づくにつれて、誰かが立っているのが見えてくる。


 あれは……女の人だな。2人居る……。


 1人は、金髪で肌が白い女性。


 そして、もう1人を見て、俺は「えっ」と思わず声を出してしまい、目を見開いた。


 その女の人は、肩より少し長い茶髪を右の方にまとめていて、瞳は紫。服はT-シャツの上にピンクのエプロンをしていた。


 写真で見たときは高校生くらいだったけど、今は大人の女性だった。


 まさか、すぐにあのスマホの写真の女の人を目にすることができるとは思っていなかった。


 ボートが沖に到着すれば、最上はすぐに降りて、女性2人の元に行き、茶髪の女の人の方に抱きつき、それを女性は受け止める。


「ただいま……お母さん!」


「うん。お帰り、メグ」


 お母さん……そうか、この人が……最上の。


 そりゃ、そうだよな。


 高太さんのスマホの写真にこの人が写ってたんだから、この人があの人の奥さんだよな。


 俺もボートから降りて近づき、最上の母親を目の前で見てみる。


 その時、最上の母親ことを間近で見た瞬間、俺の目に奇妙な現象が起きた。


 いきなり、スゥーッと、一筋の涙が流れたんだ。


「えっ……」


 流れたのは、一滴だけ。


 感情の起伏なんて何もなかったし、何も悲しいことも無かった。


 なのに、急に……。


 最上の母親も俺のことに気づいて、彼女から離れてこっちに対面するように立てば、俺と同じように目を見開き、言葉が出ない様子だった。


 だから、俺から話かけてみた。


「あの……その……初め……まして、椿……円華です。えーっと……すいません、初対面の人と話すのは苦手なんで……。と、とりあえず!……娘さんには、お世話になってます。あと、旦那さんにも……」


「あっ、うん……そうなのね。初めまして……最上優里花もがみ ゆりかです。メグと一緒に来てくれたってことは、仲良くしてくれてるのね。……ありがとう」


 優理花…?確か、この前流れてきた、変な記憶の中で聴いた名前だ。


 そうか、あれはこの人のことだったのか。


 優理花さんは、俺と目を合わせてくれない。


 身体が、震えている。


 必死に何かに耐えているのが伝わってくる。


 最上を見ると、どこか気まずそうな顔をしている。


 どうしてだろう。


 この人に会いたいって気持ちが昔から在ったのに、いざ会ってみると、変に身体がこわばって頭も混乱している。


 でも、心がこう訴えているんだ。


 この人と俺は、会ってはいけなかったんじゃないかって。



 ーーーーー



 罪島は、自然豊かな土地が多く、小さな1階建ての建物が点々としており、畑や家畜小屋などもある。


 最上は優理花さんと一緒に1度家に帰り、俺は加島さんと金髪のハーフの女性に案内してもらいながら、罪島を歩く。


 デスゲームが行われていたことなんて、聞かされなければわからないほどに平和な島だ。


 どうして罪島なんて物騒ぶっそうな名前にしたんだろう。


 島の中を見ていると、人……特に子供とよくすれ違う。


 俺と同じくらいか上の人も居れば、幼児も居る。


 大人が見当たらない。


 今のところ大人と呼べる人は加島さんと優理花さん、そして、今俺の隣に居る金髪の女性。


 そう言えば、この人……少し腹が出てるな。でも、太ってるからってわけじゃなくて……。


 俺が何気なく金髪の人の腹を見ていると、不意に話しかけられる。


「気になりますか?妊娠にんしん5ヶ月なんです」


「あっ、そうなんですか。すいません、じっと見てしまって。……妊娠ってことは、結婚なさってるんですね」


「紹介が遅れましたね。私、加島アスカと申します。よろしくお願いしますね、円華さん」


 微笑んで言われれば、俺はたまらず前を歩いている体格の良い元ボクサーを見て、もう1度アスカさんを見てしまった。


「あの、もしかして、加島って……」


「はい。東吾さんは私の夫です」


「そ、そうなんですか!?」


 やばい、勝手な偏見で、東吾さんはモテなくて結婚とは程遠い人だと思ってた。


 ちらっと存在を主張している胸を見てしまい、思わず小さく息を吐いてしまう。


 こんな爆乳金髪美人と結婚できるなんて、東吾さんは勝ち組じゃんかよ。


 しばらく歩いていると、俺はさっきから感じていた疑問を聞いてみる。


「あの……ほかの大人ってどこに居るんですか?さっきから、子供は何度か見るんですけど、大人が見当たらなくて……」


「ここから反対側の方に1人居る。今のところ、この島には俺たちを合わせて、4人しか大人は居ねぇんだ」


「そうなんですか。……高太さんは居るんですか?」


「悪いが今は留守るすだ。内のリーダーは忙しくてさ、今はどこに居るのかもわからねぇ。俺たちはさしずめ、あいつの留守番だな」


「………そうですか、わかりました」


 高太さんが今、島に居ない。


 参ったな。


 できれば姉さんのこととか、俺自身のことを高太さんと話をして聞いてみたかったのに。


 俺が残念に思っていると顔に出ていたのだろう、東吾さんとアスカさんが、俺の顔を見て苦笑いをする。


 そして、どこからともなく、人を小馬鹿こばかにしたような低い男の声が聞こえてきた。


『やぁやぁやぁ、まさか、君がこの島に来てくれるとはね。メグちゃんが誘ったのかにゃあ?』


 はっきりと、それも近くから聞こえたにも関わらず、周りを一通り見回しても誰も見当たらない。


『違う違ーう、こっちだよ、こっち~。君のスマホだよ』


 スマホと言われ、ポケットから黒いスマホを取り出すと、その画面には異様な雰囲気を発する者が映っていた。


 黒いシルクハットを被っていて、笑った顔の白い仮面を付けている、白いタキシードを着ている者が、黒いソファーに足を組んで座っている。


 そして、その者が右手を振ってくる。


『メールを一方的に送って情報提供しただけで、こうして話すのは初めてだねぇ。初めまして、椿円華くん。私はこの罪島の管理を受け持っている、ヤナヤツと言う者だ』


「ヤナヤツ?……それって、まさか!?」


 ヤナヤツ。俺の復讐のきっかけとなった人物が、この人……?


 言葉が出ないでいると、急に小さく声を出して笑い出すヤナヤツ。


『流石に驚いたようだねぇ。それでこそ、いきなり参上したかいがあると言うものだ』


「ど、どうして……あんたが……」


『そうだよねぇ、いきなり私が出てきたら驚くよねぇ。ではでは、何故私が突然君と接触したのかの理由を教えてあげよう。……高太くんに頼まれたのさ、君にできる限りの真実を伝えるようにね』


「できる限りの……真実?」


 ヤナヤツは俺の問いには答えず、島の上空からの見取り図をスマホの画面に出せば、ある一点を赤く点滅させる。


『まずはそこに向かってくれ。……東吾くん、道案内は頼んだよ?』


「あ、ああ、任せとけ、ヤナヤツ」


 東吾さんが返事をすれば、ヤナヤツがスマホの画面から消え、地図と点滅している所だけが表示される。


「ここ……島の右端だよな。ここに、一体何が」


 東吾さんとアスカさんが俺のスマホを覗き込むと、驚いたような表情を見せる。


 そして、アスカさんは急に身体が震え始め、東吾さんが妻の肩を抱いた。


「アスカは来なくても良い。家で休んで、アキトのことを見ていてあげてくれ」


「わかったわ。……ごめんなさい、貴方。心配させてしまって」


「大丈夫だって。さぁ、行ってくれ」


 アスカさんを見送れば、東吾さんは反対の方に歩き出す。


 俺も歩き出し、東吾さんの後ろをついていく。


「東吾さん、一体、この点滅している地点に何があるんですか?」


「……最上にとっても、俺たちにとっても……忘れたい過去のある場所だ」


 返ってきた答えからわかったこと。


 今から行くのは、この人たちにとって良くない場所みたいだ。

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