狂人との邂逅

 ついに、この日が来た。


 FクラスからEクラスにランクアップし、地下のアパートから地上の校舎に移動する俺。


 昨日は尞からアパートに引っ越し、そのまま疲れで寝てしまった。


 部屋は尞の頃よりも少し広くなっているくらいで、流石にそんなに贅沢ぜいたくができるほどの広さではない。


 このことから、AクラスやSクラスの部屋になったらどれだけの広さになるのかと想像してみるも、すぐに今の現実に打ちのめされそうになったので止めた。


 欠伸あくびをしながらエレベーターに乗れば、閉まるギリギリで成瀬が走ってきたので、親切心で開のボタンを押してドアを開ける。


 成瀬は俺のおかげでエレベーターに間に合ったわけだが、中に入っても礼を言うことは無かった。


 言葉には出さないだけで感謝はしてるんだと信じたい。


「よっす、成瀬」


「ええ、おはよう」


「走ってくるなんて珍しいな。そんなに俺と一緒のエレベーターに乗りたかったのか?」


「それはジョーク?それとも真面目に言っているの?」


「もちろん、ジョーク」


「ふんっ!」


「痛っ!」


 成瀬は隣に立つと、足を勢いよく踏んできた。その細い脚からは想像できないほどに痛いです、はい。


「ジョークは封印してって言ったでしょ?」


「そうだったな、今のは俺が悪かった、すまん」


「今度ジョークって言ったら、目つぶしするから覚悟して」


きもに命じておきまーす」


 そして、しばらくの沈黙ちんもくが流れれば、成瀬から耳を疑うような言葉が聞こえてきた。


「ちょっと良いかしら………円華くん」


「……あ?今、何て呼んだ?」


 一瞬、耳にその声が聞こえた瞬間にタイムラグがしょうじた。


 気のせいだろうか、今、成瀬が俺のことを名前で呼んだ気がしたんだが。


 成瀬の顔を見ると、顔をそむけており、表情は見えないが耳が真っ赤になっている。


「呼び方なんて好きにしろって、あなたが言ったのよ?椿くんって呼ぶのに飽きてきたから、名前で呼んでみたのだけれど…ダメ……だったかしら」


「い、いや、別に良いけど……成瀬が人の…女子のことも名字みょうじで呼ぶのに、いきなり男の俺を名前で呼ぶから少し驚いただけだ。ちなみに、名前で呼ぶことにも飽きたら何て呼ぶつもりだ?」


「候補ならいくつか考えてあるわ。まーちゃん、まーくん、ツバキング…」


「わかった、もう良い。聞きたくない」


「自分で聞いてきて失礼ね、あと予備に56個は考えてきたのに」


「そんな無駄なことに時間を費やすなんて、おまえにしては本当に珍しいな。女子に言うのは何だが、気持ち悪い」


「……あなたのために考えたのに、そんな言い方をしなくても良いじゃない……意地悪」


 成瀬の顔はエレベーターの窓に鏡のように映っており、初めて見る表情だが頬を少し膨らませてねているように見える。


 その顔を見ると、俺はすぐに両目を閉じて気持ちを整理する。


 こ、これはあれか、ギャップ萌えってやつか?


 いつも見せる表情と言ったら、怒っているか睨んでくるか、真顔の成瀬瑠璃が、少しでも違う表情をしただけで若干胸の鼓動が速くなったぞぉ。


 両目を閉じて深呼吸すれば、成瀬を見て溜め息をつく。


 彼女なりに、どうしてかはわからないけど、俺に心を開いてくれているってことか…。


 地上に到着すると、俺は成瀬とエレベーターを出て青い空を見れば、本当にEクラスに上がったのだと実感する。


 太陽を見るのは、この前学園長に会いに行った時ぶりで少し眩しく、地下と比較するとだいぶ暑い。


 手を顔に向かってあおぎながらEクラスの教室に向かおうとすると、彼女が別方向に歩いていくのを見て不思議に思う。


「おい、そっちはEクラスとは逆方向だろ?」


「図書館に本の返却に行くのよ。前は貸し出しも返却もスマホで予約して配達してもらっていたけど、もう自分の足で来れるようになったから。…それに、新刊出てたら読みたいの」


「そうか。俺は先に行くから、朝礼までには来いよ?」


「誰かさんじゃないんだから、遅刻なんて絶対にしないわ」


「基樹のことか……まぁいいや。後でな」


「ええ、また後で」


 成瀬と別れ、校舎に入ってEクラスに向かうと、廊下で和泉と雨水を見つける。


「あ、椿くん、おはよー!今日から同じ校舎だね、嬉しい!!」


「そんなに喜ばなくても良いだろ。和泉は大袈裟おおげさなんだよ」


「おい、椿円華…お嬢様がわざわざ貴様たちのために喜んでくださっているのだぞ。少しは……」


「まぁまぁ、雨水、私は気にしてないから、ね?」


「お、お嬢様がそうおっしゃるなら…」


 雨水は和泉が止めるから渋々と言った感じで下がったが、俺のことを忠犬のようにグルルッとうなりながら睨んできたので、それに対して冷ややかな目で返すだけにした。


「Eクラスの場所はわかる?わからなかったら、私が案内するよ」


「問題ない。地図は頭の中に入っている」


「そっか、じゃあ大丈夫だね」


「ああ……それにしても、EクラスからAクラスって近いんだな。同じ階にあるなんて思わなかった」


 スマホを起動して学園のないの見取り図を出すと、2階にあるのは教室は1年、3階は2年、4階は3年と区切られていて、クラスは横に並んでおり、両端にAクラスとEクラスがある。


 ここで、ある疑問に気づく。


「なぁ、Sクラスはどこにあるんだ?」


「Sクラスはこの校舎とは別の場所に存在し、1年から3年のSクラスはそこに存在する。その場所は薔薇ばらの花のレプリカで囲まれており、花園館はなぞのかんと呼ばれている」


「花園館。……そうか、わかった」


「言っておくが、花園館はSクラス以外は入ることが許されていない聖域せいいきだ。例え貴様が生徒会長の弟でも、普通に入れると思うなよ?」


「安心しろ、興味ねぇ」


 やる気がない顔をして欠伸をすれば、2人と別れて2階に上がり、すぐ右に曲がったところにEクラスの教室は在った。


 教室の中に入ると、すでにほとんどのメンバーが集まっており、あの遅刻常習犯ちこくじょうしゅうはんの基樹すらもすでに居た。


「おーっす、円華。教室が変わる記念すべき日にこんな遅く来るなんて、緊張感がないんじゃないの~?」


「驚いた、おまえにも緊張感があったのか。頭の10割は能天気でできていると思ってたぜ」


「円華の中で、俺はどう言う位置づけなんだよ!?」


「ん?あぁ……ただのアホなお調子者」


「酷い!!」


「でも、良い奴だ」


「まさかのツンデレ!?」


「あと、うるさい奴」


「やっぱりデレはない、ツンだ!!」


 一々うるさい基樹はもう無視してFクラスに居た時と同じ席に着いて窓から外を見ると、当たり前だが機械の天井ではなく、青空が広がっており、白い雲も見えている。


 なんだか、空が見えているだけでも解放感を感じるな。


空を見ることができる余韻に浸っていると、もうそろそろで朝礼が始まると言う時間にドンっ!と何か大きな音が響いた。


 音のした方を見ると、そこにはY-シャツのボタンを全開にして赤いT-シャツが見えている、俺よりも真っ黒な髪を肩まで伸ばした男が、川並を教室のドアに右足で押し付けている光景が広がっていた。


「ねぇ……聞いてんじゃん?どうしてぇ~、クズでゴミカスのおまえらがEクラスの教室に居るのぉ~?ねぇねぇ、どうしてどうしてぇ~?」


「う、内海うつみ…どうして、おまえが…!!」


 内海…確か、雨水が言っていた危険人物、内海景虎うつみ かげとらか。


「質問に質問に返すのはバカがすることですよぉ~!?やっぱり、バカはこんな所に居ちゃいけないよねぇ、地下に帰れ、カスが!!」


 内海は川並の胸ぐらを掴むと、窓から外に出そうとする。


 その場に居た者全員、このままでは危険なことはわかっているようだけど、恐怖して動けないようだ。


 川並は抵抗するが、その度に顔面を殴られ、腹を蹴られてしまう。


「カスが俺に抵抗してんじゃねぇよ‼つか、触んな!!バカが移る!!」


「バカは空気感染くうきかんせん接触感染せっしょくかんせんもしないだろ、ガキみたいなこと言ってんなよ」


 内海が血塗れになった拳でまだ川並を殴ろうとするので、俺がその手首を掴んで止めると、内海は殺意を込めた目で睨んでくる。


「……おまえ、誰?このカスの仲間かぁ~?」


「クラスメイトだ。これ以上はヤバいだろ、川並が死ぬ」


「死んでも良いだろ、こんなカスはさぁ~。邪魔すんなら……おまえからなぶころすぜぇ!!」


 掴んでいる手を離し、内海は俺に向かって裏拳うらけんを振り回してくるが、それを足を一歩引いてける。


 内海は俺の動きを見て一瞬目を見開いたが、すぐにニヤァっと笑い右足で回し蹴りをしてくるが、それを右手で内払いをして受け流す。


 こいつ、頭の回転が速い!!切り替えしが教官並みだ!!


 拳を出してきた次には、避けられることを見透かして足刀蹴そくとうげりをしてくる。


 すべてを自分の動きだけで避けると無駄に体力を消耗しょうもうするから机や椅子などの障害物しょうがいぶつで動きを制限しているが、そんなに効果が見られない。


 ただの不良って言葉じゃすまないな、戦闘能力が俺と同等か……あるいは。


 周りの被害を考えて反撃はしなかったが、自分の身を守るためには止む負えない。


 内海の殴ろうとしてくる拳を掴めば、そのまま相手の力を利用して投げ飛ばし、教室の外に出す。


 ドテンッと言う音が聞こえたが、骨が折れることはないだろう。最悪でも打撲だぼくで済むように手加減はした。


「このぐらいにしておけ、これは警告だ。次に襲い掛かってくれば……おまえがここから下に落ちることになる」


 内海は立ち上がれば、鼻から出ている血を手の甲でぬぐって俺を下から目線で睨む。


「へっ……ここからが面白いんじゃねぇか。この学園に来てから初めてだぜ、俺に痛みを与えられた奴はよぉ。おまえ、名前は?」


「……椿円華」


「椿…覚えたぜ、おまえ!そして、決めた!絶対に俺が殺す!!」


 指さして宣言する内海を見て、普通の学生ならおそれてしまうところだろう。


 と言うか、周りのみんなは完全にビビってるし。


 内海景虎……そう言えば、こいつはこの学園に居る、俺以外の殺人者か。


 深い溜め息をつくと、哀れむ目を内海に向ける。


「おまえと俺じゃ、話にならないっての」


「…!!てめぇ……俺をバカにしてんのか!?カスの分際ぶんざいでぇえ!!」


 内海がまた向かおうとした瞬間、突然誰かが俺たちの間に立ち、片手で拳を払ってそのまま内海に膝蹴りをした。


「スゥ…フー……まったく、手間取らせやがって」


「「岸野先生!?」」


 全員が名前を呼ぶと、岸野先生はタバコを指でつまんで「うーっす」とやる気ないように言う。


 まだ動こうとする内海を見下すと、動けないように背中に足で圧をかける。


 岸野先生のあの時の一瞬の動きを見て、この人もただの教師じゃないと気づいた。


 今の流れるような動作……ただの化学の教師じゃねぇぞ、この人。


 岸野先生はサングラス越しに俺を見ると、親指を立てる。


「よく時間を稼いでくれたな、グッジョブ」


「俺は別に。ただけてただけですから」


「避けれるだけたいしたもんだ。こいつの動きはでたらめだからな、すきが多い分、素早くて重い」


「先生は、よく目で追えましたね?内海の動き」


「偶然だよ、偶然」


 そう言って動けなくなっている内海の両手と両足、口をガムテープで止めると、岸野先生は内海を背負って「朝礼はなし、1限目の準備しておけ」と言って教室を出て行った。


 その時、内海はずっと、俺のことを睨んでいた。

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