シンギュラリティ・オブ・ガール

永遠の文芸部

プロローグ ユートピア

EP0 九十八年後の物語

・明日風真希


 二千百六十一年。私は親友の百合ヶ原百合(ゆりがはらゆり)を殺害した。これは私が人間として意思を持って行った最後の人間的活動になるだろう。

 酷い話かもしれないけど、人を殺すエネルギーがあるだけ私はまだマシな方だと思う。世の中には「やる事ない。何すれば良い」なんて事をネットで検索するような哀れな人間もどきが大量に生息している。私は殺人ドライバーかもしれないけど、運転すらしない奴はコストコにも行けやしない。

「ねぇ、ユリ」

 とっくのとうに死んでいるユリを見下ろしていたら、ふいに言葉が漏れた。そして言葉を合図にしたように感情が脳天を突き破り、反射的に心が口からこぼれ出す。

「ユリ。アンタは自分に出来る事しかやらない凡人だったね。それじゃダメだ。人生ってのは主役に名乗り出る覚悟がある奴にだけ勝利が舞い降りる。アンタは小学校の学芸会じゃコーラス隊その四だった。なのに幸せを願った。ただ待ってるだけで誰かがヨーグルトに砂糖をふりかけてくれると思ってた? んな訳ねぇだろ。ユリがもう少し輝いてくれてたら、多分結果は違ってたよ」

 私は癇癪起こしたように何度も何度もユリの顔面を踏みつけ、ナイフで数えきれないほど心臓を突き刺して殺した。ある意味それは諦めの証だった。私はユリが好きだった。愛していた。ユリも私を愛してくれていたけど、それは仮初めだった。例えユリの心が全て仮初めでも二人で幸せを手にできると信じてたけど、ユリはユリとして生きる道を捨て、亡き友人として生きる道を選んでしまった。

 結局、最初から最後まで世界に踊らされていただけなんだなってことを改めて痛感して、私はついに自我という名の糸がぷつんと切れてしまった。人間関係は世界のあり方一つで右へ左へとコロコロ転がる脆いもの。政治も恋愛もいつだって一方通行なんだ。

「クソったれ」

 腐ったザクロみたいに潰れたユリの頭を蹴飛ばし、ぺっと唾を吐きかけた。

 首、千切ってやろうかな。だっていらないもん。必要ないじゃん。何もかもが人間の手を離れたこの時代において、人間の頭なんて取るに足らない飾りに過ぎない。地球の上で物語を紡ぐ時代はとうの昔に終わっている。

 ヒトゲノムの全体的な情報量は八億バイトと言われているけど、独自情報は多くて一億バイトほど。一億バイトと言えば百メガだ。八億バイトでも八百メガ。私の頭にUSB端子を取り付けてストレージとして機能するようにしたら、そこに出来上がるのはCD一枚分しか保存できない貧弱ストレージ。要するにゴミだ。

 二千百六十一年という超越的なテクノロジーが存在する時代に、果たして貧相な脳みそを持つ人間に存在価値はあるんだろうか。いやどう考えても不釣り合いだろう。だからぶっ壊しても構わない。ガラクタなんだから。

 人を幸せに出来るガラクタなら価値はあるんだろうけど、人間の脳みそはむしろ逆だ。人間の脳みそに敬礼したい気持ちになった事ある? 無いでしょ。


 脳は心だ。心は脳だ。

 これまでに見てきた人間の業を思い出せ。

人間はビタミンよりも他人の不幸を率先して食らい尽くすクズであり、常識の外に飛び出す勇気を持たない腐った肉の塊に過ぎない。

これは、永遠の摂理。

 長い時間をかけて完全証明されたフェルマーの最終定理と違い、人間に極限的な希望があると証明する事はもう不可能だ。

「ダリぃな。ほんと、マジでダルいわ」

 虚無が心を逆なでしていく。狂気は笑みになる。

「ねぇ、本当にぜんぶ凛音たちの計画だったのかな。私はそうは思わない。ユリは望んでお母さんに殺されたんでしょ。今なら分かるよ。ユリは私と一緒に死んでくれる気なんか無かったんだ。せめてあの時ユリが私と死ぬ運命を背負ってくれてたら、ユリは今ごろ私と楽しくセックスしてたはずだよ。ぜーんぶユリが悪い。少なくとも私の世界じゃユリが悪い! 私は不幸だ! お前のせいで不幸なんだ! だからお前は死んだんだ! ビックリするぐらい合理的だ!」

 二千十八年だろうが二千百六十一年だろうが、どんな世界だろうがどんな国だろうが、全人類が幸せになれる世界なんて存在しない。ユートピアなんてどこにもない。全人類が道徳的にも合理的にも幸せになれる方法があるとすれば、それはやっぱり全ての人間が神様になって一人一つずつの世界を持つことに他ならない。

 私はユリを殺して決心した。いや、決心するためにユリを殺した。

 もう、この世界に見切りをつける。人間という概念に別れを告げる。

 ばいばいユリ。間違っても恨むんじゃねぇぞ。お前は殺されて当然の人間なんだから。

 犬はなんで可愛いの? 忠実だからでしょ。自分に全く懐かない犬を愛せるか? そんな訳ないよね?

 善人ってのは自分に優しい人間のことを言うもんだ。恋人はお互い愛し合っているから成り立つもんだ。私の世界には善人も恋人もいない。成り立つものが何もない。だったら行き着く先は一つだ。

「ねぇユリ。お手をしない犬を可愛いと思う奴がいる? お手をしない犬は捨てられるんだよ。でも私は捨てるだけじゃ満足できないの。ねぇ、苦しみはみんなで共有するものでしょ? フェアに生きようよ。話聞いてる?」

 もう死んでいるユリに問いかける。もう私はコイツを人間として見ていない。壊れたガイノイドと何が違う訳?

 それでも私はユリが愛おしいと思う。二人慎ましく幸せに生きていける世界が私にとってのユートピアだった。これからもそういう夢を見るだろうし、夢は現実になる。

 ユリを殺した私が悪いのか。私に殺されたユリが悪いのか。それは私が決めること。世界はやっと輝く。

「私はユリのこと、好きにならなきゃ良かったのかな? 違うよね? だってユリのこと好きじゃなかったら、私はこの星で迷いすら見つけられなかったと思うから」

 なぜ人間は恋をするのか。それはすがるものがないと生きていけないからだ。恋人。神様。覚せい剤。ナノボット。深夜の通販番組。なんでも良いからどうか私を狂わせて。呼吸に哲学的な意味を下さいな。

「ユリ。ねぇユリってば。なんで私のこと好きじゃないの。なんでなの。ねぇってば。私がこの世界に来た意味を教えてよ。私は今ね、真木柱と稲穂が正しいと思ってるの。そんなバカな話があるもんか」

 何のためにここまで来た? 努力は無駄だったのか?

 なんだよそれ。

 結局どこにもユートピアなんて無かったんだ。

 だったら私は何も望まない。

 怒りが更にこみあげてくる。脳みそが溶岩のようにドロドロ溶けていくような。頭蓋骨がばきーん! って砕け散りそうな感覚。

「あんなに悩んだのに。悩んで悩んでこっちの世界に来たのに。いらない。お前なんかいらない。そのまま虫に喰われてむごたらしく骨と腐った皮だけになっちまえばいいんだ」

 私が思い描くユートピアなんかどこにもない。どの国にも、どんな世界にもどんな時代にも。

 だって世界は正しすぎるから。

 世界はあまりにも美しすぎるから。

 正しいもの美しいものすべてが、全部自分の外側にあるから。

「ねぇユリ聞いてる? 世界は常に間違ってなきゃダメなんだ。じゃないと自分を正当化できないから。もしこの世界がユートピアだとして、自分だけが幸せじゃなかったらそれはつまりどういう事な訳?」

 ざっ。土を踏む音が響く。

 顔をあげる。そこには篝火乙女が立っていた。

 相聞歌凛音(そうもんかりんね)、その人が。

「……」

 彼女は冷たい眼差しで私を見据えていた。

 なに、その顔?

 私は間違えたの? いや間違えてなんかない。間違えようがなかった。アヌンコタンもペンラムウェンもSISAも、私にどうにか出来た問題ではない。

 正しい人間なんて、人っ子一人居やしない。

 でも。だからこそ。私の選択は決まっている。最後くらいは自分の選択に委ねる。

 儀式は終えた。後はもう、好きにさせてもらう。

 もう、私は、帰らない。

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