消失
声が聞こえた。
男の声。
龍炎さんではない男の声。
どうしてあのとき、戸を開けてしまったんだろう?
そのことを、僕が後悔しないときはない……。
◆
龍炎さんがいなくなって、僕と憐は今後どうやって暮らすのかを考えた。
このままでは蓄えもすぐになくなるし、生活できなくなる。
いくつか案が出た(と言っても、たった2人の話し合いだけれど)。
まずは龍炎さんの後を追うこと。
これはすぐに止めにしようということになった。
そもそも龍炎さんがどこに行ったか分からない。
それに、龍炎さんが僕らを置いて出て行ったのは、僕らが2人で生活できると思っていたからだ。
その期待を裏切りたくはなかった。
次に村に行ってみるという案。
村についても僕と憐は何も知らない。
だけど、とにかく行ってみるしかないということになった。
憐は最後まで反論したが、
「もしかしたら、龍炎さんは僕らに村で生活してほしかったのかもしれないよ」
と僕が言うと、ようやく納得してくれた。
村までどのくらいかかるか分からない。
龍炎さんは往復で6時間くらいかけていたようだったけれど、僕と憐には村の場所、いや正確な方向も分からないのだ。
とりあえず、龍炎さんが村へ行くときに向かっていた方向にまっすぐ歩いて行こうということになった。
一応3日分の食料と水を用意して、次の晴れの日に出発することにした。
そして次の日。
空は見事なまでの……雨天だった。
基本的にその日暮らしの僕らにとって、雨はとてもありがたいものだが、この日ばかりは僕らの気分をブルーにした。
「聖は雨好き?」
「雨は嫌いだよ。外に行けないから。飴は好きだよ。おいしいから」
「飴なんて食べたことないくせに」
「だけど、甘くておいしいって龍炎さんが言ってたよ。憐はどうなの? 雨は好き?」
「どっちのアメ?」
「食べない方」
「わたしも雨は嫌いなんだ。だけどね、虹は好きなの。聖もそうでしょ?」
「そうだね」
「だから、今降ってる雨も虹を見るためなんだと思えば平気なんだ」
「だけど、雨が降れば必ず虹が見えるってわけでもないよ」
「でもさ、虹が見えるときは必ずその前に雨が降ってるでしょ?」
その話を聞いてから僕は雨が少し好きになった。
次の日も、その次の日も雨が続いた。
そして1週間が過ぎたとき。
突然、戸をたたく音がした。
「失礼ですが、誰かおられますか?」
戸の向こうで声がした。ここに人が来るのは初めてのことだ。
僕も憐もどうしていいのか分からなかった。
「どうしよう聖? 開けた方がいいのかな?」
「でもどんな人かも分からないし……何をしに来たかも分からないよ」
「もしかしたら龍炎さんの知り合いかもしれないよ! わたしたちのことを頼まれてくれた人かも!」
僕は憐のように楽天的に考えることはできなかった。
でも、雨が降っているのに中に入れないわけにもいかない。
「分かった。じゃあ僕が戸を開けるよ」
そして僕は開けてしまった。
開けてはならない戸を……。
「おやおや、これは随分と可愛らしい住人さんですね。中に入れていただいてありがとうございます。
なにしろ大雨の中、周りに家が全く見当たらなくて本当に困っていたんですよ。
ああ、すいません。申し遅れました。私は
その男はどうやら龍炎さんの知り合いではないようだった。
白い着物に白い袴の白ずくめの男だった。
だけど、それよりも目を引いたのは男が両手に持っているものだった。
その男の左手には大きな手裏剣が握られていた。まるで太陽のようだった。
そして右手には、これまた大きなブーメランとそれと鎖でつながれた
「ハナドリカゼツキ? 変わった名前だね」
「ええ。そうなんです。人にはよく言われますよ。でも自分では気に入ってる名前なんですけどね」
「どうして?」
「文字の並びが素晴らしく美しいのですよ。どれも簡単な字でありながら4つ並べただけでこうも美しくなる。
だからこの名前が好きなんですよ。これでいいですか? 御嬢さん?」
「わたしの名前は憐だよ。この子は聖」
「ああ、どちらも素晴らしい名前ですね。由来はなんなのですか?」
「えっと、由来はね……」
憐は武器を持った怪しい男と雑談に興じていた。
危機感がなさすぎる……。
前に人が怖いって言っていたけど、憐は本当に人見知りしない。
「ああ、しかし極上が2つですか。こんなときに限っておなかが減っていないなんて、神は残酷ですね」
憐と花鳥さんの会話を真剣に聞いていたわけじゃなかったけれど、花鳥さんのこのセリフが会話の流れを完全に無視したものだというのはすぐに分かった。
「おなかが減っていないって、もともとごちそうできるものはないよ?」
と僕が言った。
「そんなことはありません。2つも極上のものがありますよ。あなた方の記憶と年齢です」
「え?」
「今ようやく決めましたよ。女の子の方にしましょう。では、記憶と年齢を『いただきます』」
そう言って、花鳥さんは左手に持っていた手裏剣を憐に向かって投げつけた!
憐は全く反応ができないままに、体を真っ二つに切り裂かれた!!
「憐!!」
僕は憐に駆け寄った。
ピクリとも動かない。ちっとも動かない。
憐は死んでいた……
「10年分の記憶と年齢をいただきました。『ごちそう様』。おいしかったですよ」
花鳥さん、いや花鳥は何かしゃべっているようだったが僕には何も聞こえなかった。
今僕にあるのは花鳥への憎しみだけだ。
「お前! お前!! お前!!!」
僕は花鳥に向かって飛びかかり、力いっぱい殴りつけた。
花鳥は外まで吹き飛んだ。
「痛いですね。あなたもおいしそうですが、さっき言ったようにもうおなかがいっぱいでしてね。あなたは運がいい」
「黙れ!! よくも憐を!! お前は殺す! 殺してやる!!」
「殺されたくはありませんね。そろそろ撤退するとしますか。ああ、聖さん。もしも私を殺したいようでしたら、これをあげましょう」
そう言って、花鳥は右手に持っていたブーメランと盾が鎖でつながれた武器を僕の前に投げ捨てた。
「それは
それを持っていれば、私と自然に惹かれあいます。神の導きでね」
花鳥はいつの間にか、投げたはずの手裏剣を持っていたが、そんなこと僕にはどうでもよかった。
「こんなものいるか! 憐を返せ!!」
「返せとは的を外した言葉ですね。憐さんは死んではいませんよ」
「え?」
「後ろを見てみなさい」
僕は振り返った。
そこには寝息をたてて眠っている1人の少女がいた。7歳ぐらいの少女。
その顔は憐の顔にそっくりだった。
「え? まさか……」
「そうです。あれが憐さんですよ。まあ、ここ10年分の記憶と年齢を失っていますがね。それでは私は失礼しますよ。お邪魔しました」
「な!?」
振り返るとそこに花鳥はいなかった。
そして、いつの間にか雨が上がり虹が見えていた。
この日から僕は、雨と虹が大嫌いになった。
なにもかも消えてしまった。
僕にはもう愛すべき人がいない。
だけど、1人だけ……憎むべき敵がいた。
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