第十七打席

 新潟アルビレックスの先発、佐藤正憲の速球は走っていた。ミットに収まる音は、シーズンの時よりさらに増している。大方の予想では、彼も速球派の投手ならシーズンを戦い抜くためにオープン戦は流しで行うとされている。それがこのような状況ゆえ、三塁側ベンチはざわついていた。

「おい、あいつどういうつもりだ」

「もうローテ確定だろうに、そんな球放るんじゃねえよ」

選手がこのようなことを言う中、投手コーチはベンチに現れるや否や手を横に振った。

「おーい徹。今日は誰も佐藤打てんから、好きに投げろ」

「大丈夫です。いつも好きに投げてます」

「な、わかったよ。勝手にしろ」

そんな声の聞こえる中、ケビンはひとりで気持ちを高めていた。ハードルは上がったが、超えた報酬も相応のものがあるだろう。グローブのテープを締める力も、いつもより強くなった。

 打順は二番、最終試験のケビンには上位打線が与えられた。ホエールズの二番は伝統的にパワーヒッターが任される。これで仕事ができぬなら、ケビンは暗にそう言い含められていた。

 一回表、一番の鬼頭は三振に倒れた。調整を終えて昨日から帯同している、ホエールズのリードオフマンだった。彼の打力は他球団も認めるところであり、その彼が捕らえられなかったことも、その球がいつにも増して走っていることの証だった。ケビンは力んでいた。第一打席では外に逃げる変化球でカウントを悪くし、直球に差し込まれた。第二打席は落ちる球をひっかけてショート正面。そうして誰も出塁できないまま、六イニングが過ぎた。

 ケビンは、自身の打席内容を振り返っていた。自分がなぜ打てないか。速球の威力に押されている。変化球にタイミングが合わない。挙げればきりがないが、本質的にはそこではない。

 打てなければ、そればかりを考えているからだ。マイナーで鍛え、メジャーでその力を試した実績が、彼を少しばかり傲慢にさせていた。ここでは新人選手、ここでは挑戦者なのだ。であれば自分のふるまいはどうであろう。今結果を出すことに固執して、選手として自分ができることを見失ってはいまいか。

 ゆえにケビンは脱力した。今必要なことは、目の前の相手と全力で戦うことだ。目を閉じながら、眠るようにケビンは精神を落ち着かせていた。


 そして七回表。ケビンに第三打席が回って来る。その表情は静かな気迫に満ちていた。ここまでパーフェクトで抑えている正憲は、その表情を曇らせていた。つまらない。相手が弱いからではない。本気を出してこないからだ。この回も先頭打者の鬼頭をセンターフライに打ち取り、ため息をついていた。

 打席に立ったケビンは、自らの胸を強く叩く。

「しゃあ、来い」

その叫びを聞いて、正憲はほくそ笑む。

「いいねえ。いいよ。腑抜けばっかで困ってたんだ。本気でやらない野球なんていらないんだよ」

そう独り言ちて、ワインドアップに構える。その身体はケビンから見て非常に大きく見えた。

 初球、唸るような速球にケビンは狙いを定めていた。ダイナミックなフォームからリリースされる球はコースを読むことができない。ゆえにボールが指から離れる瞬間に当たりをつけてスイングする。ケビンが振ったのは真ん中高め。ボールはそのわずか下をかすめるが、タイミングは合っていた。

 ケビンは打ち気に逸る自分を戒めるために、一度バッターボックスを出る。頬を叩き、肩を脱力させ、ふたたび目の前の投手に向かい合った。

 二球目は低めに来た。ケビンはすんでのところでバットを止める。これで1ボール。三球目はスライダー。鋭い変化で外に逃げていく球だが、ケビンは猛然と振りに行った。これで追い込まれた。

 四球目。ケビンは直球を読んでいた。投じられた球に対し最短で合わせるべくスイングを始動すると、ボールはまだ来ない。正憲の決め球、チェンジアップだ。即座にバットを減速させ、辛うじて止める。これでツーツー。

 ケビンは思考を巡らせていた。スライダーで空振りを狙ってくるか、それとも直球で攻めてくるか。今自分がどういう状況か、投手はどんな勝負をしたいのか。足を外した短い間で、ケビンは結論付けた。

 正憲はにやりと笑みを浮かべ、その一球を投じる。その速球はうなりを上げてアウトローのストライクゾーンぎりぎりを通過しようとする。

「シンジ、ありがとう」

ケビンはそれを読み切っていた。腕を伸ばし、胸の前で力を込めたスイングはボールを真芯で捉えた。弾道はバレルゾーン。ケビンは見上げながら、ゆっくりとバットを捨てて走り出した。

 ホエールズファンの声が、初めてケビンを包んだ。


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