第111話

 ――――理不尽を許せない。

 イオンが自分の異常性を説明すると言って最初に語ったのが、その言葉だった。

 事なかれ主義が大多数を占めるこの世界で理不尽を許せないと激しく主張すれば確かに目立つだろうし、面倒な人間と思われ避けられるかもしれない。

 だが――――

「……」

 ……それは何も間違っていない。決して異常な感情なんかじゃないぞ、イオン。

 トキヤはそう強く思った。

 道徳から外れた行いに、この世の理不尽に怒りを抱くのは人として正常であり、絶対にけなされるようなことではないと考えたトキヤは、もしイオンが周りにいた大人達にその考えは間違っていると言われ続け、自分が普通ではないと勘違いしてしまっているのなら、イオンの話が終わった後、俺がその思いは正しいと認めて、ちゃんと褒めてやろうとトキヤは思った。そして、もしイオンが政府のやり方に理不尽さを感じて反政府軍にいるのなら、その内容を吟味し、話し合おうとも思った。

 

 ――――そう思っていたのだ。

 

「――――わたし、イオン・キケロという人間は、とても恵まれた環境で生まれ、育ったの。お父さんはいなかったけど、みんなに大事にされ、大きな豪邸に住んで、可愛い服を着て、毎日お腹いっぱいになるまで豪華な料理を食べて、夜になれば、ふかふかのベッドでぐっすり眠った。そして、朝が来ればまた恵まれた一日を繰り返す」

 そんな万人が欲するような幸福をわたしは生まれた時から享受していた。と、語ったイオンは、かつての自分の生活を思い返していたのか、少し遠くを見つめていた。

「何もなければわたしは今も大金持ちの家に生まれた運の良いお嬢様として日々を過ごしていたと思う。けど、そうはならなかった。キケロ家の善き教育とわたしの生まれ持った資質がいつの間にか、こう、不思議合体して、わたしの本質がとんでもないモノになっていたことを、ある事件を切っ掛けに自覚してしまったから」

「……ある事件?」

「うん。あれは、子供……といっても当時のわたしよりも五歳ぐらい上の男の子達が珍しい小動物、猫を虐めていたの。町外れでその光景を偶然見つけたわたしは、初めて感じる熱い衝動のままにその子達に近づき、リーダーと思われる男の子の腕に噛み付いた。そして、二度とこんなことはやらないとわたしに謝罪し誓うようにって、その男の子達に言ったの」

「……それで、どうなったんだ……?」

「――――ボコボコにされた。もう少しお互いに大きかったら、違う酷いことをされていたかもしれないから、まだマシだったのかもしれないけど、数人の男の子に五分ぐらい全力で殴られたり蹴られたりしたわたしは、その後、二週間近く入院することになった」

「…………」

「わたしのその行いは正しくはあっても無謀だった。その身に受けた激しい痛みから学び、幼さからの暴走は影を潜めるでしょう。……って周りの大人達は思ってたみたいだけど、そうはならなかった」

 一度火の付いた衝動が消えることはなかったの。と、呟いたイオンは己の武勇伝を淡々と語り始めた。

 生徒を率先して虐めていた教師に噛み付き、謝罪を要求し、何とかなった話。

 様々な事情から住む家をなくした老人にゴミを投げ、心ない言葉を浴びせた若者達に噛み付き、謝罪を要求し、殴られ怪我をした話。

 道端で違法薬物を使用していた女性に噛み付き、注意し、思いっきり蹴られた話。

 何にでも噛み付くバカな娘がいるという話を聞いた悪人に罠を張られ、誘拐されそうになった話。

 大型施設でJDを連れて強盗をしようとしていた人物に噛み付き、謝罪を要求し、発砲され、強盗が連れていたJDに助けられた話。

「……」

「……ぇぇー」

 そんなイオンのとんでもない話の数々を横聞きしていたバルは唖然とし、戦闘狂のアイリスでさえ、若干引いていた。

 そして、違法薬物の取引をしている連中に噛み付き、謝罪を要求したら、拳銃のグリップで殴られ歯が二本砕けたという話をし、んあ、と口を開けて、その時になくなった歯の代わりに偽物の歯が入っていることを説明しようとしていたイオンにトキヤは。

「……わかった。もう十分にわかったから、これ以上、説明しなくていい……」

 と、激しい頭痛を堪えるように頭を押さえながら、何とかその言葉を絞り出した。

「……」

 ……想像とはだいぶ違う話の展開になったな。

 だが今の話を聞きけば、犯罪を、理不尽を許せないというイオンの思いが本物であるということはよくわかった。ただ、最初の事件以降についたという監視兼護衛のJDがいなかったら何度も死んでいるであろうイオンの特攻魂は、不器用なんてレベルの話ではなかった。

 ――――狂っている。そう言ってもいいだろう。

 そんな狂気的なイオンの正しき思いを、どうにかして常識的な範疇に収めることはできないだろうかとトキヤは考え、大人として子供のイオンにアドバイスをすることにした。

「……なあ、イオン。悪いやつに立ち向かおうとすることは、とても立派だと思う。けど、別にイオンが戦う必要はないはずだ。悪人を見つけたら警察や軍に連絡して捕まえて貰えばいいじゃないか」 

「わたしが直接、どうにかしたいの」

「……なら、今は身体を鍛えたり、勉強をしたりして、大人になったら悪人を懲らしめる仕事に就けばいい」

「別に法の裁きをわたしは欲していない。わたしがこの目で直接見て、理不尽だと感じたら熱い衝動のままに、噛み付いて謝罪を要求したいだけ」

「……」

 地獄か。と、幾つかアドバイスをしても全く聞く耳を持たないイオンに絶望したトキヤは。

「…………病院で適切な治療を受けるのも一つの手として考えてもいいのかもしれない」

 自分の身体を壊しかねない心の衝動を抑えられないというのなら、そういう選択肢もあるのではないかと呟き、その言葉を聞いたイオンは、怒るでもなく、悲しむのでもなく。

 

「――――ふふ」

 どや顔をしていた。

 

「……イオン。何故、どや顔を?」

「予想が当たったから」

「……予想?」

「そう。お兄さんならわたしのことを心配してくれて、そういうことをいうんじゃないかなって予想してた。だから、ジャスパーに遠くに行って貰ったの。もし、ジャスパーがここにいたら……」

「……いたら?」

「お兄さん」

 

 頭をグチャグチャに潰されて、死んでたと思う。

 

「――――っ」

 イオンの言葉を聞き、スイカを割るように自分の頭を叩き潰すジャスパーを想像してしまったトキヤは、敵とはいえ自分を何度も助けてくれたジャスパーがそんなことをするわけがないと否定しようとしたが……。

「……」

 ……いや。

 

『それを自分は手に入れ、――――愛しているのだ』

『……愛?』

『ああ、そうだ! 貴様達のように遺伝子やプログラムに作られた偽物の愛ではなく、真っ白な世界から生まれた本当の愛でな……!』


「……」 

 ジャスパーと初めて出会った戦場でした会話を、イオンへの愛を語っていた時のジャスパーの恍惚とした表情をトキヤは思い出し。

「……あり得る話だな」

 イオンを愛するジャスパーならそのぐらいのことをする可能性は十分にあると考えたトキヤは小さく頷き、そんなトキヤの姿を見たイオンは驚き、目を丸くした。

「……お兄さん、凄い。そんなことあり得ないって否定しなかった。……もしかして、お兄さん、ジャスパーがさっきのお兄さんの言葉を聞いた場合、どう怒るか想像できる?」

「ん? そうだな……バルがジャスパーの最初の一撃を防いでくれたと仮定して、その後にジャスパーが俺に言う言葉を想像すると……『今の貴様の言葉が親切心からのモノだとは理解できている。だが、それ以上、我がパートナーが望まぬ言葉を口にしてみろ。自分は容赦なく貴様の頭蓋を磨り潰す。愚かであり、惨めであってこそのイオン・キケロ我が最愛のパートナーなのだ。自分が愛するこの心イオンを――――手前勝手に変えようと思うなよ』……って、ところか」

「……凄い……。本当にジャスパーが言ってるみたい。愚かとか惨めを褒め言葉で使うジャスパー語をマスターしているところが、高ポイント……」

 お兄さんはジャスパー検定一級の実力者かも。とイオンに称賛されたトキヤは、なんだそれと苦笑し。

「……イオンは、後悔しないように生きるのがいいのかもな」

 この少女は、型に嵌めないで自由に生きるのが一番自然なのだろうという結論を言葉にした。

「……」

 すると、そのトキヤの言葉を聞いたイオンが少し肩の力を抜いて。

「無理強い、しないんだ。……やっぱり、お兄さん、本物のお兄さんにちょっと似ている」

 イオンは、愛する家族だけに見せるような穏やかな笑みを浮かべた。

「本物の兄……?」

「そう。お母さんは違うけど、わたしには一応本物の兄がいる。キケロ家の大ボス。最初は今のお兄さんみたいにそういう病院に行くことを勧めてきたけど、わたしが嫌がると人里離れた別荘で考える時間をくれて、熟慮した上でわたしが嫌だと言ったら、――――好きなように生きて、死んでこい。と笑って送り出してくれた、善良だけど、それだけじゃない凄い人。そんなジャスパーの次に出会えて良かったと思ってる本物の兄に、お兄さんは似ている」

 だから、お兄さんの言葉はちょっと大事にしたいとイオンは呟いた。

「……戦争というのはきっとあまりよくない行い。けど、大昔の戦争と違って今はJDが頑張ってくれているから人はまず死なない。そんな環境戦争で、強いJDをたくさん持っている政府軍と戦うジャスパーの格好良い姿をずっと見ていたいと思ってるわたしがいるの。それに反政府軍での人間同士のいざこざは全部カムラが対応しているから、普通の社会で暮らしていた時ほど人に噛み付かないでいられる」

 だから、この生き方を変える反政府軍を抜ける気は今のところは無い。とイオンは断言したが。

 

「けど、もし、変わりたいと思ったら、お兄さんの力を借りたいと思うかも知れない。そのときは――――よろしくね」

 

 それからすぐにトキヤを頼るような言葉を零して微笑むイオンは、自由に飛び回る姿が一番美しい、綺麗な蝶々のように見えた。 

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