蛇と化物
第98話
その時、世界は紫色に染まった。
昇ってきたばかりの太陽が発している波長の異なる幾つもの光が混じり合い、広大な砂漠から見る大空は綺麗な紫色になっていた。
そんな明け方や夕暮れ時にしか見られない美しい光景を写真に収める者は今、この砂漠にはいなかったが……。
砂漠に誰もいないというわけではなかった。
「……」
砂漠の中心には三つの影があった。そのうちの二つは長細い筒のような形状をしたモノであり、それらは砂漠に突き刺さっていた。
そして、残る一つは人の形をしていたが、それは人の形をしていても、人間と呼ぶことのできない、JDという存在だった。
濃い緑の塗装の上に黒い蛇が這うような独特の迷彩模様が描かれた分厚い防御装甲と跳躍をサポートするパーツを脚部に装備しているそのJDの名はサーペンティン。内戦状態にあるこの国で反政府軍に所属し、政府軍と戦闘を繰り広げているJDのうちの一体であり、
「……」
そんな普通のJDとは少し違うJDであるサーペンティンは、日の出から僅かな時間しか見ることのできない、空が紫色に染まった幻想的な光景を見つめながら――――
パワハラについて考えていた。
「……」
パワハラ。正式名称、パワーハラスメントとは、主に地位の高い者が自分より下の立場にいる者に暴力や暴言といった犯罪行為やグレーゾーンの嫌がらせを行うことを言うが、基本的にそれは人の社会での問題であって、JDには関係の無い話である。
だが……。
『いいか、わかってんだろうな、サーペンティン。このバカみてえな事態は脳みそお花畑のオマエのご主人様が招いたんだ。そのパートナーで、オレの部下でもあるオマエには全てを終わらせる責任がある。――――此処で死んでも止めろよ』
「……」
頭の中に響く男の声を聞きながら、これはどう考えてもパワハラだ。と、考えるサーペンティンなのであった。
サーペンティンと通信をしている人物の名はカムラユイセ。異邦人の少年でありながら、サーペンティンが所属している組織、反政府軍のトップであるため、サーペンティンは彼に頭が上がらないのだ。
そんな人物からサーペンティンは一時間以上小言を言われ続けていた。
今は少し落ち着いているが、先程までユイセは、オマエのパートナーとパートナーを止められなかったオマエが全て悪い。と、サーペンティンにずっと怒鳴っていた。
そんなユイセの発言をサーペンティンは黙って聞いていたが、まるで自分と自分のパートナーが諸悪の根源であるようにユイセが言い続けていたことを不満に思っていた。何故ならそれは事実無根の……、いや、一理ある……。いや……。
「……」
正直、ユイセの主張は九割九分間違っていないが、それにしたって言い方というものがあると思うとサーペンティンはユイセに強い不満を抱きながら、砂漠に突き刺していた武器を手に取り。
やはり、
「……」
今回の件に限らず、前々からユイセのことを快く思っていなかったサーペンティンは、この世で一番不快に感じるユイセという人間を近いうちに殺してしまおうと考えたが。
「――――」
そう思った瞬間に、ユイセに執着している最強のJD、ブルーレースの顔がサーペンティンの頭に浮かび、サーペンティンはブルーレースの影に怯え、すぐにその物騒な考えを頭から消し去った。
「……」
そして、ユイセ殺害計画を立てることをやめたサーペンティンが次に考えたのは、自分がブルーレースをここまで恐れているのは何故なのかということだった。
サーペンティンがブルーレースの怒りに触れることを恐れ、効率を度外視し、その命令に従ったことは一度や二度では済まない。
ブルーレースを恐れる理由で考えられるのはせいぜい、殺されたくない、嫌われたくない、後々の利益のため、といったところだが……。
「……」
どれもしっくりこないと思ったサーペンティンは、JDの自分にはおかしな話だが、この感覚は理屈では無く、本能的なものかもしれないと考えた。
サーペンティンというJDは昔から、ブルーレースと話すだけで、どういうわけか蛇に睨まれた蛙のように動けなくなるのだ。これを本能的なものと言わず何という。
「……蛇はこの個体だというのに」
そして、その小さな呟きを最後に、その思考を終わらせたサーペンティンは、頭を切り替え、今回のミッションについて考え始めた。
今回の任務は一言でいうと、暴走した仲間を捕らえるというものだ。
サーペンティンは今に至るまで、その暴走した仲間と二度接触している。
一度目の接触の時には無傷で捕まえて欲しいとの指示がパートナーから出ていたため、不可能と思いながらも、攻撃するのではなく、押さえ付けて捕獲しようとしたが、当然、失敗し、特殊武装のディフューザーが全機、修理行きになった。
二度目の接触の時には化物が逃亡したという報告を受けたユイセの指揮の下、破壊してでも止めるということになり、戦闘を行おうとしたが、その時点で既に暴走した仲間は砂の中を移動していたため、砂中への攻撃手段を持たないサーペンティンでは戦闘にすらならなかった。
そして、次が三度目の接触であり、最後の接触となる。
暴走した仲間は目的地に向かうために海を目指しており、今、サーペンティンが立っている場所から数十キロ進むと、そこには大海原が広がっている。
反政府軍は化物に海に出られた場合の追跡手段を持たないため、絶対にここで止めなくてはならないのだが、化物の存在をまだ公にしたくないユイセは通常の部隊は動かさず、サーペンティンと幾つかの罠だけで何とかしようとしていた。
「……」
そんな作戦とも言えないような、行き当たりばったりのこの任務の成功確率は限りなくゼロに近いとサーペンティンは考えていた。
そもそも化物と呼ばれている暴走した仲間を単体で確実に止められるのは、ネイティブの中でも規格外の力を持つブルーレースかジャスパーだけであり、自分では力不足であるとサーペンティンは最初から思っており、ユイセが用意した罠があったところでどうにかなるとは思っていなかった。
「――――」
だが、それでもこれは自分がすべき仕事であるのだから、全力を出す以外に他は無いと、サーペンティンは仲間が近づいてくる僅かな振動を感じ取り、己の武装である特殊な長銃をトンファーのように持って、戦闘態勢を取った。
そして――――
『――――ここだ……!』
発信機から送られてくる情報を見ながら、ユイセが最高のタイミングで砂中の罠を起動させると、辺り一帯に雷が落ちたかのような音が響き渡り、それから暫くして、砂の中から先程とは別種の轟音が聞こえ始め。
その次の瞬間――――
――――鋼の
『――――!』
巨大な体躯を帯電させながら空高く跳び上がった鋼のクジラは重力に負け、その身体はすぐに砂の上へと落ちた。
『……』
水飛沫のように大量の砂を巻き上げ、砂漠に落ちた鋼のクジラは、陸に揚げられた魚のように全く動くことができなくなった――――というわけではなかった。
『――――!』
砂の上に落ちた鋼のクジラは、センサーアイを赤く輝かせ、すぐに動き始めた。
『……!』
そして、本物の鯨を超える速度で砂の海を泳ぎだした鋼のクジラは、本物の海へと向かって真っ直ぐに進み――――
「――――」
その進路を阻もうとする、サーペンティンの姿を視認した。
『――――!』
鋼のクジラはサーペンティンを既に敵として認識しているのか、サーペンティンを見つけた鋼のクジラは体躯の至る所から小型ミサイルを発射した。
「――――」
そして、自分に迫り来る数十発のミサイルを確認したサーペンティンは、慌てることなく冷静に両手に持つ長銃のトリガーを引き、発射されたミサイルを全て撃ち落としたが。
『……!』
その間に鋼のクジラはサーペンティンのいる場所を避けて、海へと向かった。
「……」
そんな自分から逃げるような鋼のクジラの行動を目にしたサーペンティンは。
今の鋼のクジラなら――――自分一人でも止められると判断した。
鋼のクジラが戦闘を避けようとしているのは、仲間意識等ではなく、単に今の状態で戦闘をすることが難しいと考えているだけだとサーペンティンは推測した。
その推測の根拠となったのが鋼のクジラの今の姿である。鋼のクジラは戦闘形態とも呼べる姿に変形することが可能で、その姿になればサーペンティン程度のJDならば圧倒することができるのだが、その形態になろうとする気配が全く無いのだ。
「――――」
おそらく、ユイセの用意した罠の影響で、砂中移動ができなくなっているだけでなく、一時的に可変機能も失っているのだろうと考えたサーペンティンは、地味に有能なユイセを不快に思いながらも、己の仕事を成すために鋼のクジラを追って砂漠を走り始めた。
『――――!』
脚部の補助パーツを使い、猫のように跳躍しながら砂漠を駆けるサーペンティンを何とか止めようと鋼のクジラは機銃を展開し撃ち始めたが、走りながらも器用に回避行動を取るサーペンティンに銃弾が当たることはなかった。
『……っ!』
そして、徐々に自分との距離を縮めているサーペンティンにこのままでは追いつかれ、止められると予測したのか、鋼のクジラは。
「……?」
サーペンティンに
最初、鋼のクジラは身体の拡声機を使って話そうとしたようだったが、トラップの影響で拡声機も一時的に使えなくなっていたため、通信でサーペンティンと会話をすることを試みたのだ。
「……」
そして、鋼のクジラから唐突に送られてきた通信をサーペンティンが許可すると、すぐにサーペンティンの頭の中に暴走した仲間の声が響き始めた。
「……」
その通信で鋼のクジラがサーペンティンに語ったのは、――――懇願だった。
お願い、見逃して。これは悪いことじゃない。絶対に戻ってくるから。これは希望を手にするための行動なの。許して。助けて。後で絶対に恩返しをするから。……等々、鋼のクジラは自身の正当性を主張すると共に可愛らしい声でサーペンティンに媚び諂い、どうにかしてこの場を乗り切ろうとしていた。
「……」
そんな暴走した仲間の猫撫で声を聞きながら、サーペンティンはその仲間の外見を思い出していた。
庇護欲をくすぐる幼い少女の身体に、綺麗な薄ピンクの髪と瞳を持つ、人間基準で考えればこれ以上ないというぐらいに可愛らしい姿をしたJD。
人間というものはどういうわけか可愛らしいものにめっぽう弱く、問題行動の多さ故、幽閉されていたこの仲間を解放したのは他ならぬ自分のパートナーであり、そのパートナーの行動にサーペンティンは呆れていたものの。
「……」
通信で延々と甘ったるい声を聞き続けていたら、JDである自分ですら、この仲間を可愛いと認識してしまいそうになるのだから、パートナーの行動は仕方なかったのかもしれない。と、サーペンティンは考えを改めた。この世に存在するモノは全て可愛いの魔力に逆らうことができないのだから。
「……」
そして、サーペンティンがそんな割とどうでもいいことを一人で黙々と考え黙っていると、サーペンティンの反応がないことをマズいと思ったのか、鋼のクジラは。
――――どうしてこんなヒドイことをするの?
と、非常に可愛らしい声で、憐れみを誘い、相手の罪悪感を誘発する
これはサーペンティンのパートナーを懐柔させる決め手となった言葉なのだから、サーペンティンにも少なからず効果があるはず……! と、鋼のクジラはその言葉でサーペンティンの動揺を誘えると考えたのだが。
「……」
その予想は見事に外れ、微塵も動揺しなかったサーペンティンはその問いに対する答えを冷静な頭で考え。
――――仕事だから。
非常に簡潔で、わかりやすい言葉を送った。
『……』
すると、その言葉を聞いた鋼のクジラは何故か、動きを止めた。
そして、それから一拍置いて。
『――――……!!』
鋼のクジラは、赤い瞳を激しく輝かせ、怒りを表現するように潮を吹いた。
「……」
鋼のクジラが潮を吹く光景を初めて目にしたサーペンティンは、何で呼吸もしてない兵器が潮を吹くのだろうか? と純粋な疑問を抱き、その潮をしっかり観察したところ、それが高温の蒸気であることに気づき、それが只の排熱であると理解した。
そして、成る程、成る程、排熱か。と、心の中で頷きながらサーペンティンは。
『――――……!』
自分を叩き潰そうとする巨大な尾びれの攻撃をギリギリのところで回避した。
「……」
今のは少し危なかった。と、サーペンティンは、鋼のクジラが一瞬だけ動きを止めた隙に距離を詰めたが、鋼のクジラのその行動は今のような攻撃をこちらに当てるための罠であったと推測し、警戒を強めたが……。
『……!』
――――おねーさん、サイテー……!
「……」
頭の中に響き渡る仲間の絶叫を聞いて、あ、さっきの推測、違うな。と、サーペンティンは直感で理解した。
そして、そのサーペンティンの直感が正しいということを証明するかのように、鋼のクジラが先程までの猫撫で声の懇願とは全く違う、ヒステリックな叫び声を上げ始めた。
それは女の子に言っちゃいけない台詞でしょ……! 信じられない! ひどい! 女の敵! おねーさんのバカ! おねーさんがそんなだから、パートナーさんがいつも寂しそうにしてるんだよ! バーカ! バーカ! おねーさんのバーカ! と、鋼のクジラはサーペンティンに向かってIQ低めの罵詈雑言を並べ。
「…………」
仕事だからと答えただけで、何故、ここまで責められなくてはいけないのだろうかと強い不満を抱いたサーペンティンは、色々と面倒くさくなり。
――――もう終わらせる、と決めた。
『――――っ!?』
そして、サーペンティンの雰囲気が変わった事に気づいた鋼のクジラは喋ることを止め、すぐに速度を上げたが、それはあまりにも遅すぎる行動だった。
「――――」
サーペンティンの瞳孔が蛇のように縦に細くなり、両手に持つ長銃の銃身がぐにゃぐにゃと曲がり、その形を変えていく。
『――――ひっ』
化物と呼ばれている鋼のクジラよりもよっぽど化物然とした存在に変貌しつつあるサーペンティンの姿を確認した鋼のクジラは、悲鳴を零しながら何か対抗手段はないかと必死に考えたが、可変機能が復帰していない今の状態では打つ手がないと絶望し、自分の旅が此処で終わってしまうということを理解した。
だが。
『――――!』
理解はできても、そんなことは絶対に認めたくない……! と、鋼のクジラの中で桜色の髪を持つJDは小さな口を大きく開き。
――――あたしは、絶対に、絶対に、あの国に を見つけに行くの……!!
そう絶叫した。
それは断末魔の叫びのように聞こえた。サーペンティンが次に放つ攻撃が鋼のクジラの装甲を確実に貫くことを理解していたそのJDは、数秒後に、自分の旅が終わる瞬間が来ることを予測し、目を強く瞑った。
『……』
だが、その瞬間はいつまで経っても訪れず、そのJDが恐る恐る目を開け、鋼のクジラのサブカメラから、サーペンティンの姿を確認すると。
「――――」
サーペンティンは攻撃を放つ直前の姿勢のまま、動きを止めていた。
「……を見つけに」
桜色の髪のJDの叫びを通信で聞き、彼女の目的を理解したサーペンティンは、彼女が見つけようとしている形なきモノを想像していた。
すると、どういうわけか、サーペンティンの頭には己がこの世で一番恐怖するブルーレースと、ブルーレースのプロトタイプであるアゲートが談笑している光景が浮かび、その光景と対比するように自分とパートナーの日常の光景も浮かび上がった。
「――――」
そして、頭に浮かんだその二つの光景から、自分がブルーレースを恐れている本当の理由をサーペンティンが掴みかけた、その瞬間。
『――――おい! 何、ボサッとしてやがるサーペンティン……!』
反政府軍のトップであるカムラユイセに怒鳴られ、我に返ったサーペンティンは。
「――――!」
眼前に迫る数発のミサイルを何とか撃ち落とした。
「――――っ」
だが、かなりの至近距離で迎撃したため、ミサイルの爆風に巻き込まれ、右手に持つ長銃と脚部のオプションパーツが損傷し。
『……おい、サーペンティン。その状態で追えるのか?』
「……追跡、不可能です」
鋼のクジラを追うことができなくなったという事実をサーペンティンはユイセに伝えた。
『――――はー……!? ふざけんなよ、オマエ……! あの化物は前からずっと極東に行きたいとかほざいてたんだぞ! あの国でアイツが暴れて、人が幾ら死のうがオレはどうでもいいが、それをヨシとしねえヤツがスポンサーにいんだよ……! あー……! どうしてくれんだよ! 今はまだあの連中とも揉めたくねえってのに……!』
何やってんだよオマエは……! と、叫び続けるユイセの声を聞きながら、流石に自分一人のせいで作戦が失敗したことを悪いと思ったサーペンティンは。
「……暴れはしないでしょう」
『……あ?』
「彼女は――――愛を見つけに行くと、そう言ってました」
ユイセに、鋼のクジラを操るJDが日の昇る国に向かった理由を伝えた。
『……は? 愛……?』
そして、ユイセがサーペンティンの語った言葉の意味を理解するために考え込んでいると。
「……」
サーペンティンは、美しい朝焼けの中、とても穏やかな表情を浮かべ。
「……見つけられるといいな、モルガン」
旅路についた友人の無事を祈るように、静かに目を瞑った。
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