第93話
「……!」
シオンが一人残った戦場に後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、バルは迷いを振り切るように全速力で砂漠を駆けていた。
「……!」
戦闘前に脱ぎ捨てた走行装備の存在も忘れ、自分の足で砂漠を走り続けるバルの表情に余裕はまったく無かったが、それでもバルは時折、視線を落とし。
「……もう少し、もう少しですからね、サン」
人格データが収まっていた胸部が破壊され、ピクリとも動かないサンに語りかけていた。
「……」
バルは怪我をした子供を安心させるように穏やかな微笑みを作って、自分が抱えているサンに話しかけたが、サンが返事をすることはなかった。
そして――――
「……っ」
サンのうつろな瞳が、先日、
基本的にJDは己が消失することに恐怖を抱かない。人間のように死を恐れるということがないのだ。
存在しているうちは全力で頑張るが、消えるのなら、まあ、それはそれで悪くない。というようなさっぱりとした死生観を持つ者が多く、基地の仲間達もそういった考えを持つJDばかりであったことを彼女たちと
そう、バルはそうやって、冷静に、心乱すことなく、仲間との別れを済ませてきたのだ。
「……っ!」
だが、今のバルはどうだろうか。
必死の形相で砂漠を走るバルの表情に冷静さは全く感じられない。バルはサンが破壊されたことにこれ以上無いほど動揺し、そして、サンの死に全力で抗おうとしている。それは何故か。
――――サンが他のJDとは違い、死を極端に怖がるJDだから。という事実はない。サンは自分がいなくなった後のことを考えると心配で少し不安になるとバルに話したことはあったが、自身の消失自体は特に恐れていなかった。
――――サンがバルにとって妹のような存在で、とても大事なJDだから。ということはあるだろう。サンはバルがこの地で目覚めたときから一緒にいる一番付き合いの長いJDであり、妹のような存在であるサンのことを特に大事に思っていたのだから、どうにかして助けたいと思うのは当然だ。
だが。
「……ぃ」
バルの身体を動かすのは、その思いだけではなかった。バルの心は今、サンを思う気持ちと――――負の感情に支配されていた。
「……ゃ」
バルがバルになる前に極東の島国で負った心の傷が、今のバルの心を犯していた。
バルは、何もできないことを、自分が無能であるという現実を突き付けられることを何よりも恐れていた。
ジャスパー戦の時は、自分一人だけ戦果をあげられなかったが、誰一人失うことなく作戦が成功したため、結果よければ全てよし。と、ある程度は自分を誤魔化せた。
だが、今回は誤魔化せなかった。サンは手を伸ばせば届く距離で戦っていた。一緒に戦っていたのだ。そんな彼女を助けられなかった。それを無能と言わず何と言う。
「――――」
助けられたはずの大事な存在を助けられなかった。バルがもっとも畏怖するその事実を自覚したことがトリガーとなり、バルの記憶が暴走し、極東での出来事が蘇る。
――――着せ替え人形
――――開かない扉
――――投函された■■
――――■■■■を救えない、無能なJD
「――――っ」
フラッシュバックする幾つもの過去の出来事を直視したバルは人間のように
もしバルが人間だったら、砂漠に吐瀉物を撒き散らし、心理的負荷に耐えきれず、その場に倒れていたかもしれない。
「っ……!」
だが、JDであり、
「……!」
……
そして、サンを助けるという思いを支えにしたバルは倒れることなく、そのまま砂漠を走り続けた。
「……大丈夫、大丈夫です。技術屋さんなら、何とかしてくれます。だって、技術屋さんはあの国出身なんですから、チートで、最強で、だから……」
それからバルはサンに語りかけるというよりも、自分自身の心を落ち着かせるための言葉を呟きながら走り続け。
「――――サン! バル!」
その声を聞いた。
「――――技術屋さん……!」
戦場の映像を司令室で見ていたトキヤは、サンの胸部が貫かれた次の瞬間には司令室を出て、戦場に向かって車を走らせた。そして、戦場に着く前にサンを抱えたバルの姿を見つけたトキヤは車を止め、二人に駆け寄った。
「バル、ドローンの映像からだと、……サンは胸部を貫かれたように見えたが、それは間違いないか?」
「は、はい。でも、技術屋さんにすぐ見て貰えば、直るかもしれないとシオンが……」
「……シオンがそんなことを? ……いや、待て、そもそもシオンは今……っ、兎に角、今はサンを。バル、サンをこのシートの上におろしてくれるか。ゆっくり、優しくな」
「は、はい。わかりました」
そして、トキヤが敷いたシートの上にサンをおろしたバルはトキヤの邪魔にならないように一歩後ろに下がった。
「……」
そして、バルは、サンの身体の状態を調べ始めたトキヤの必死の形相と後悔を滲ませた瞳を見つめ続け、指示があればすぐに動けるようにしていたが……。
「……技術屋、さん……?」
暫くすると、トキヤはサンの身体の上で顔を伏せたまま動かなくなった。
「……?」
顔も見えず、トキヤが何をしているのかが全くわからなくなり不安を覚えたバルは、トキヤに近づいて、顔を覗き込み――――
「――――」
バルは、この時のトキヤの顔を、トキヤが浮かべた絶望の表情を一生忘れることはないだろう。
そして――――
……ああ、やっぱり、
ひび割れていたバルの心が、完全に砕け散った。
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