日没

第83話

 空から降り注ぐ日差しが弱まり、あと一時間もすれば世界が赤に染まる、そんな時間帯に。

『――――!』

 鋼の獅子が砂漠を駆けていた。

 巨大なからだを激しく動かし、砂漠を勇ましく駆けるその姿には威厳のようなものさえ感じられたが――――様子が少しおかしいようにも見えた。

『――――!』

 鋼の獅子の周辺には敵どころか障害物さえ存在していないというのに、いきなり跳躍したかと思えば、急に動きを止め、そしてまたすぐに駆け出したりと鋼の獅子はまるで自分の躯を試すように動いていたが……。

 試していたのは鋼の獅子ではなく。

「――――fire」

 鋼の獅子の背に乗る一人のJDであった。

 その小さな体躯とほぼ同サイズの長大な狙撃銃を構えたJD、カロンは狙撃銃のスコープを覗き込むことはせず、その紫の瞳で遥か遠くを見つめながら静かに銃のトリガーを引いた。

「……」

 そう、カロンは今、確かに銃のトリガーを引いた。となれば当然、銃から弾が発射される筈なのだが、狙撃銃から弾が発射されることはなかった。

「……」

 銃のトリガーを引いても弾が発射されないという異常事態。普通ならば銃の故障などを疑うべき状況だというのに、カロンは顔色一つ変えずに、すぐに銃を構え直した。

「――――fire」

 そして、激しく揺れる鋼の獅子の上でカロンは弾が発射されない狙撃銃のトリガーを何度も何度も引き。

「……」

 暫くして銃を構えることをやめたカロンは、鋼の獅子の背中に口を付けるぐらいに顔を近づけ。

「ア、アイリス、ちゃん。終わった、よー……」

 カロンは鋼の獅子を操縦しているアイリスに自分の用が済んだことを報告した。

『え? もういいの?』

 すると鋼の獅子に取り付けられているスピーカーからアイリスの声が響き、激しく動き回っていた鋼の獅子は徐々に速度を落とし、数秒後には完全に動きを止めた。

「アイリス、ちゃん。急な、お願い、聞いてくれて、ありがとう」

『どういたしましてー。ただ、ちょっと気になることがあるんだけど、聞いて良いかな? 確かこれって動くこの子の上で狙撃ができるかを試してみるっていう話だったと思うんだけど……、カロンちゃん、銃、撃ってなかったよね?』 

「う、うん。的を、用意して、こなかったから、仮想イメージで、やってた、の」

『あ、そうなんだ。それなら納得。それで、その結果は良い感じだった?』

「うん、良い感じ、だった」

 実戦でも、やれそう。と、この新たな試みに確かな手応えを感じたカロンは口元を少し緩めた。

 今から十分ほど前、基地周辺の警戒任務交替のためにこの場所に来たカロンが唐突に鋼の獅子の背中に乗った状態で狙撃ができるかを試してみたいと言い出し、その要望を快く受け入れたアイリスは、カロンが望むように鋼の獅子を動かしていた。

「サンちゃんが、乗ってみたい、って言ってたから、どんな、感じなのかな、と思って、乗ってみたけど、大型兵器も、悪く、ない」

『うん、それは良かった。ちゃんとしたJDのカロンちゃんにも褒められてこの子もきっと喜んでいるよ』

「……この子が、喜ぶ……? この、大型兵器、人格データ、入ってる、の……?」

『ううん、入ってないよ。でも、ずっと一緒に戦っていたら、何か意思みたいのを感じるようになったんだ。それこそ、わたしが自分の事をJDと思い込んでいる時から……ああ、もしかしたらこれは、この子の意思というよりも、作り手の思いなのかな』

「……?」  

 そして、その戦闘訓練も終わり、二人が雑談をしていると。

『……あれ? そういえば、カロンちゃんと二人だけで話すのって凄く久し振りなような……』

 会話が途切れたタイミングでアイリスがカロンと二人きりのこの状況がとても珍しいことに気づき、声を上げた。

『……というか、もしかして、初めて? わたしとカロンちゃんがこうやって二人だけで話すのって』

「ううん、二度、目。一ヶ月前に、バルちゃんが、花火で悪戯をしようとしてたら、トキヤさんに見つかって、みんなで、花火大会をすることに、なって、二人で、バケツに水を汲みに行った。その時に、少しだけ、話した」

『あー……。……あったね、そんなことも』

 懐かしいなあ。と、たった一月前だというのに、遠い昔のことのように感じられる奪われた基地での日常を思い出しながらアイリスは、丁度良い機会だし、もう少しカロンちゃんと話してから基地に戻ることにしよう、と考えたが。


「あ、ミサイル」


 そのカロンの一言で、アイリスの計画は御破算となった。

『え、何? みさ――――ミサイル!?』

 飛んでいる鳥を見つけたというぐらいの軽い口調でミサイルを発見したと言ったカロンの声を聞き、アイリスは慌てて鋼の獅子の頭部を動かし。

「……ホントだ」

 鋼の獅子のコックピットの中でモニターに映るそのミサイルを見つめた。

 何処か遠くに飛んでいったそのミサイルは、アイリス達が根城にしている基地から発射されたモノであり、操作ミスや練習でないのなら。

「敵が来たってこと……?」

 それは敵に向けての攻撃を意味するものであった。

「……!」

 敵がすぐそこまで迫っている。その事実を理解したアイリスは、僅かな緊張と大好きな戦闘ができることへの期待を胸に抱きながら、トキヤとの通信を試みた。

『……俺だ。どうかしたか、アイリス』

 するとすぐに浮かない顔をしたトキヤがモニターに映し出され。

「トキヤくん、今、ミサイルの発射を確認したけど、敵が来たの? もしそうなら、わたし、すぐに戦場に向かうよ!」

 アイリスはトキヤに敵と戦いたいという意思を示した。

『……』

 そんなアイリスの活力に溢れる様子を見たトキヤは一度、強く目を瞑ってから。

『……確かに今、この基地に敵JDと思わしき者が接近している』

 嘘を言うことなく、現在の状況をアイリスに説明した。

 だが。

『しかし、アイリス。お前をそのまま戦場に行かせるつもりはない。アイリス、カロンと一緒に基地に戻れ。これは命令だ』

 トキヤはアイリスに基地に戻るように指示を出し。

「――――っ……!」

 そのトキヤの言葉を聞いたアイリスは、怒りに限りなく近い感情を抱きながら。

「トキヤくん……! まさか、また、わたしに戦うなっていうの……!?」

 アイリスは顔を真っ赤にし、叫び声を上げた。

 トキヤは自分が戦うことを快く思ってはいなかったが、ジャスパー戦の際に戦うことを認めてくれたと、アイリスはそう思っていた。

 だが、今のトキヤの言葉を聞く限り、トキヤはアイリスを戦わせまいとしているように感じられ、その事にアイリスは憤慨したが。

『ああ、言うさ。お前が戦場に向かうことを俺は許さない』

 トキヤは激昂するアイリスを見ても動揺することなく、至って冷静に。

『――――、な』

 アイリスの勘違いを正すための言葉を口にした。

「……今は、って、どういうこと?」

『言葉通りの意味だ。さっきから言っているだろう、戦場には行かせないと。アイリス、今、お前が乗っている鋼の獅子は午前の出撃も合わせると既に六時間以上稼働している。駆動系の限界が近いんだ。……ここまで話せばもうわかるだろ、アイリス』

「……っ。け、けど……!」

『……わかった。なら、最後まで言わせて貰う。――――アイリス、鋼の獅子は今、基地でメンテナンスをしない限り、本来の力を発揮できない状態になっている。そんな不完全な状態で出撃し、周りに――――仲間達に迷惑を掛けるつもりか』

「――――っ」

 仲間達に迷惑を掛けるつもりか。その言葉が、決め手となった。

 話の途中からトキヤが正論を言っている事にアイリスは気づいていたが、それでも戦いたいという一心で食い下がっていたものの、仲間に迷惑を掛ける事を嫌だと思ったアイリスは、了解、と小さく頷いた。

『――――!』

 そして、咆哮する鋼の獅子はカロンを背中に乗せたまま、戦場ではなく、基地に向かって駆け出した。

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