第71話

 その空間は静謐が支配していた。

 数分前までの喧騒が嘘のように静まり返った教会内には。

「――――」

 最強のJDを超える力を持つというJD、ブルーレースと。

「……」

 反政府のトップ、カムラユイセの姿があった。 

 政府と反政府の会談という名目でトキヤを呼び出したまではよかったものの、本当の目的であるトキヤのスカウトに失敗したユイセは、憑き物が落ちたような顔で、ぼんやりとステンドグラスを眺めていたが。

「……あ」

 帰路に就いたトキヤ達は既に施設内におらず、ジャスパーもイオンのいる庭園に行き、教会の中には自分達以外は誰もいないという今の状況を思い出したユイセは、穏やかな表情のまま、ブルーレースへと視線を向けたが。

「――――」

 いつの間にか、目を瞑り、ホログラムのフェイスベールで再び顔を隠したブルーレースがそこにおり。

「……ああ、そうか」

 顔を隠しているブルーレースを見て、何かを悟ったユイセは、一瞬で先程までトキヤ達に見せていた、生意気な表情を

「――――おい! どうせ何処かにいるんだろ、サーペンティン! オレの前に出てこい!」

 教会内の静寂を吹き飛ばす大声を出した。

 そして、ユイセの怒声に近い叫び声を聞き。


 そのJDが姿を現した。

 

 緑の塗装の上を黒い蛇が這うような特殊な迷彩模様の装甲を身に纏ったそのJDは、シオンが壊した壁の外に着地し、教会の中に入ることなく、その場で片膝をつき、動きを止めた。

「……ケッ」

 そして、俯いたまま一言も喋らないそのJDを見て、気に入らないというように口をへの字に曲げたユイセは、己の失敗を認める言葉を声にした。

「トキヤとの交渉は決裂した! だから、今まで通り、あの化物の手綱はオマエがしっかり握ってろとオマエのご主人様に伝えろ!」

 わかったか! と、ユイセがそのJDを怒鳴りつけると、そのJDは小さく頷いてから、大きく跳躍し、姿を消した。

「……」

 そして、そのJDがいなくなったことで、再び教会が静寂に包まれ、ユイセがもう一度、ブルーレースに視線を向けると。

「――――」

 ブルーレースはホログラムのフェイスベールを消し、満月のように煌々と輝く金色の瞳をユイセに向けていた。

 指示を出さない限り、自分達以外の誰かがいる時は顔を隠し続けているブルーレースが顔を露わにしているということが、近くに誰もいないという証明であることを理解していたユイセは、軽く息を吐いてから。

「――――ブルーレース。、今日もちゃんとカムラユイセだったかな?」

 にへら、と、トキヤ達と会話をしていた時とは別人のような笑みを見せた。

「――――」

 そのユイセの優しいを通り越し、情けなさすら感じてしまうような笑みを見たブルーレースは。

「――――そんなこと、私が知るわけないでしょう」

 表情を一切変えることなく、よく響く凛とした声を発した。

 そして、ブルーレースは表情こそ変えなかったものの、明らかに苛ついている口調で言葉を続けた。

「それよりも、ユイセ。貴方という人間モノの持ち主であるこの私が、お遊戯会に付き合っただけでなく、面倒事の塊でしかない、この顔を衆愚に晒したのよ? 何よりも先に感謝を表すのが、貴方の所有者に対する礼儀ではないの?」 

「え? ボクはいつもどんな時でもキミに感謝してるよ?」

「……ユイセ。もしかして、貴方、何か勘違いしていない? 私と貴方は、ジャスパーとイオン・キケロのような関係性ではないのよ。貴方は人間モノ。所有物としてなら、持っていても良いと思っただけで、私達は阿吽の呼吸だの、言葉にしなくてもわかり合えるだとか、そういう事をする関係ではないの」

「ええっと……、つまり……?」

「感謝の気持ちを言葉にしなさいと言ってるの」

「ああ、そういうこと。――――ありがとう、ブルーレース。今日だけじゃない、ボクはいつもキミに感謝してる。キミがいてくれたから、キミがボクの所有者になってくれたから、ボクはこうしてここにいられるんだからね。本当にありがとう、ブルーレース」 

「……そう」

 それでいいのよ。と、真っ直ぐな感謝の言葉を受け取ったブルーレースはユイセに顔を見られないようにするために、後ろを向いた。

「……」

 そして、ブルーレースが表情を隠している間にユイセは、トキヤ達相手に無言を突き通した、あの超然とした態度はいったい何だったのかというぐらいによく喋るブルーレースのことを、外で旦那さんが適当なことを言っても隣で笑ってるだけなのに、家に帰った途端に延々と小言を言う奥さんみたいだなあ。と、思ったが、そんなことを口にしたら大惨事になる事が確定しているので。

「……私が少し目を離してる間に、何か楽しげな事を考えていたようね、ユイセ?」

「ううん、別に変なことは考えてないよ。ただ、ちょっとトキヤさんの事を考えてたんだ」

 ユイセはトキヤの話題を出して、その思いを誤魔化すことにした。

「ハノトキヤさん。やっぱり、凄い人だったなあ……。ジャスパーさんとの戦いの映像を見て、何かを乗り越えた人だってのはわかっていたけど……強い人だった。……あの人が仲間になってくれたらどれだけ頼りになっただろう。正直、残念だよ」

「……未練は?」

「……ない、かな。あそこまで拒絶されたんだ。これでも引き時は弁えているつもりだよ」

「……そう。最初から脈がないと思っていたけど、世界征服を目的にしているということを肯定したのが致命的だったわね。……何故、否定しなかったの?」

「あー、うん、トキヤさん、ドン引きしてたよね。けど、ボクは結果的に世界征服のようなことをすることになるかも知れないんだ。否定できないよ。それに、ボクの本当の目的だって、世界征服と比べても大差が無いくらい幼稚なことだし」

 仕方ないよ。と、ユイセが自分の目的は幼稚なものであると語り、笑いながらブルーレースに視線を向けると。 

「――――ユイセ」

 一切笑っていないブルーレースの金の瞳がユイセを待っていた。

「貴方は、貴方の持ち主である私を巻き込み、自らの命を賭けると決めた願いを、自分で幼稚と言い切る気? もし、そうだというのなら……」

 ――――捨てるわよ。と、ブルーレースは冷え切った瞳をユイセに向け、先程の発言の訂正を求めたが。 

「そうだね、言い切るよ、幼稚だって」

 ユイセは、ブルーレースの怒りに染まった瞳に臆することなく、自分の言葉意思を貫いた。

「だってさ、カムラユイセが見放され、棄てられたのは、この世界に適応できない幼稚な存在だったからなんだよ。それをちゃんと認識しなくちゃ――――ボクはカムラユイセの復讐を果たせない」

 自分が幼稚である必要はないけど、幼稚なことをしようとしている自覚は必要だ。と、堂々と己の考えを語る、そのユイセの頑なな態度を見て、ブルーレースは。

「……あまりにも馬鹿らしくて、捨てる気力さえ失せてしまったわ」

 呆れながらも、自らの発言を撤回した。

「……」

 そして、それからブルーレースはユイセに顔を見られないようにステンドグラスを眺める振りをしながら、その金の瞳に異質な光を奔らせ、声を発することなく、統合知能ライリス内で他のJDとの会話を始めた。

『――――サーペンティン。今すぐ施設に戻って来なさい。貴方にユイセの護衛を命じます。……この後、パートナーに言われた任務がある? ……もしかして、貴方、この私の与える指示義務と貴方のパートナーが言う任務些事。どちらが優先すべきことかわからないの? もしそうなら、母に代わって私が貴方を教育……よろしい。では、ユイセにバレないように明日の朝まで護衛をしていなさい』

 そして、統合知能ライリス内で仲間との会話を終えたブルーレースは。

「ユイセ、私はそろそろ出掛けるわ。護衛は調達できなかったから、貴方は隠れ家に戻って、私が帰ってくるまでおとなしくしていなさい」

 すぐに此処を発つとユイセに語った。

「え?」

「ああ、食事がいつものレーションなのが嫌だというのなら、貴方が歓迎会用にと用意した料理を、持ち帰り用の容器に入れて……」

「あ、いや、そうじゃなくて、ブルーレース。出掛けるって、彼女に会いに行くことを言っているんだよね?」

「強奪した基地の視察が主な目的ではあるけれど、そうね。ちなみに、彼女を刺激しないためにも貴方を連れて行くことはできないわ」

「あ、うん、ボク、彼女に凄く嫌われているからね、それはわかってる。ただ、会いに行くのは夜だって言ってた気がしたから……」

「少し用事ができたのよ」

「用事?」

「ええ、本当に大したことのない用事。ちょっとしたゴミ掃除よ」

 。そう語ったとき、ブルーレースの視線はユイセの顔ではなく、ユイセの左手に向けられていた。

 ブルーレースが見つめるユイセの左手の甲は、――――薄らと赤くなっていた。

 ユイセの手が赤くなっている理由、それはシオンが教会の壁を壊した際に飛んだ破片が当たったからである。

 とはいっても、ユイセの手の甲に当たった破片は本当に小さなもので、ユイセは痛みを感じるどころか、自分の手に破片が当たったことにすら気づいておらず、赤みも徐々に引いており、後、数分もすれば赤みは完全に消え、ユイセは自分の手が赤くなっていたことを知ることもない。

 そんな、本当に大したことのないユイセの左手の傷を、ブルーレースは。

「――――」 

 狂気の宿った瞳で見つめ続けていた。

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