第69話
「――――」
トキヤは今、これ以上ないほどに混乱していた。
ユイセと会話をしている最中にトキヤは左手に痛みを感じ、何となく視線を左手に向けると。
「……は?」
何故か、アイリスと同じ髪の色の少女が左手に噛みついていたのだ。
その少女が近づいてくる気配を感じ取れなかったトキヤにしてみれば、知らない女の子がいつの間にか自分の手を噛んでいるのだ。これで混乱しないわけがない。
だが、いつまでも混乱しているトキヤではなかった。トキヤはある理由からすぐに冷静さを取り戻し、この状況への対応を始めた。
トキヤがすぐに冷静さを取り戻した理由。それは――――
……ああ、これは――――普通に痛い。
激痛と言っても過言では無い、とんでもない痛みがトキヤを襲っていたからである。
甘噛みでも何でもなく、がっつり噛みついているこの少女を早く引き剥がさなければ、左手を持っていかれる。そんな嫌な想像がトキヤの頭にへばり付き、その嫌すぎる妄念を振り払うためにもトキヤは迅速かつ冷静に行動を始めた。
「……くっ」
そして、トキヤは左腕を動かし、少女を左手から引き剥がそうと試みたが、少女はより一層強く噛みつくことでトキヤのその行動に抵抗し、その結果、左手の痛みが更に激しくなったことでトキヤの口から僅かに苦悶の声が漏れ。
「――――!?」
そのトキヤの声にあるJDが反応した。
「――――トキヤ様……!?」
トキヤの苦悶の声を聞き、その時に初めて、敵JDを警戒し続けていたシオンが横目でトキヤの様子を窺い、トキヤの手にアイリスに似た正体不明の少女が噛みついている、そんな訳のわからない状況をシオンは認識した。
「――――っ……!」
そして、シオンはその状況に混乱しながらも、トキヤを守るために、少女への攻撃を行うとしたが――――
「待て、シオン……!」
トキヤが声を張り上げると、シオンの動きはピタリと止まり、シオンが少女に攻撃を仕掛けることはなかった。
「……大丈夫だ。こっちは何の問題もない」
トキヤにもアイリスと同じ髪の色をしたその少女が何者であるかはわかっていなかったが、肉に沈む歯の感触がJDのモノとは違っていたため、その少女が人間なのは間違いないと思っていたトキヤは、シオンにこの少女の相手をさせるわけにはいかないと考え。
「だから、シオン。お前は引き続き、あのJDを……」
トキヤはシオンに最大の脅威であるブルーレースの警戒を続けて欲しいと指示を出し、その指示を受けたシオンは悩みはしたものの、トキヤの手に噛みついている少女とアイリスを交互に見てから、静かに頷き、ブルーレースに視線を戻した。
「……ふぅ」
そして、取り敢えず、シオンの攻撃によって赤髪の少女が大変なことになるような事態は避けられたと、トキヤは安堵の息を吐いたが、依然として左手は痛み続けていたので、こうなったら少女の顔を右手で掴んで引き剥がすしかないか。と、その少し乱暴な方法に抵抗感を抱きつつも、トキヤが覚悟を決め、赤髪の少女に再び視線を向けると。
「――――」
青い瞳がトキヤを真っ直ぐに見つめていた。
「――――っ」
アイリスや愛したJDと同じ色の瞳に見つめられ、様々な感情が渦巻き、トキヤが身を固くすると、明るい赤色の髪の少女は、少し不思議そうな顔をしてから。
「あなた達、仲いいね」
そう言って、優しく微笑んだ。
「まるで、わたしとジャスパーみたい」
「っ……!」
そして、少女が言葉を発した事により、左手が解放されたトキヤはすぐにその少女から離れ、少し離れた場所からその少女を観察した。
明るい赤色の髪に透き通った青色の瞳を持つ、その少女は、十二歳ぐらいの子供だった。
髪と瞳の色はアイリスとまったく同じであったが、年齢や体格の違いもあり、その少女はアイリスにそっくりだ、と言えるほどには似ていなかった。しかし、年の離れた姉妹と言われたら納得できるぐらいには似ており、突然現れたこのアイリス似の少女は誰だ? と、トキヤは疑問を抱いたが。
『アイリスよ。先の質問の答えだが……、貴様に会わせたい、正確に言えば、貴様を会わせたい人物は、――――貴様によく似た構造をした人間だ』
「――――」
トキヤはこの場所に来る途中に聞いたジャスパーの言葉を思い出し、その疑問を解決した。
目の前にいる、アイリスに似た幼い少女、その正体は――――
……この少女がジャスパーのパートナーか……!
ジャスパーが愛してやまない人間の少女であると、トキヤは推測した。
そして、この少女がジャスパーのパートナーならば、ジャスパーがアイリスに拘っていたのもわかると、トキヤは無意識のうちに小さく頷いた。
……どう見ても、アイリスとこの少女には、血の繋がりがあるとしか思えないからな。
きっと、ジャスパーはアイリスとこの少女の関係性を知りたかったんだとトキヤは思い、自分もアイリスを長い眠りから目覚めさせた人間として二人の関係性を知りたいと、トキヤはアイリスに似たその少女に声を掛けようとした。
だが。
「……おい、何でここにきた。一番奥の庭でお絵描きしてたんじゃねえのかよ、お嬢様」
トキヤよりも早く反政府のトップ、カムラユイセが少女に声を掛けた。
少女がこの場に現れたことが気に入らないのか、不機嫌な表情を隠しもせず、少女を威嚇するようにユイセは低い声を出したが、少女はそんなユイセの威圧的な態度を一切気にすることなく、ユイセを横目で見ながら、淡々と、自分がここに来た理由の説明を始めた。
「五月蠅くて、集中が途切れた。それでイラついたから、ここにきたけど……、――――噛みついたら、少しスッキリした」
そして、非常に簡潔な説明を終えた少女は、ユイセへ向けていた意識をすぐにトキヤへと戻し、少女は笑顔で。
「思ってたよりも、良い感触だった。あなた、敵ながら、わたし好みの肉付きをしてる」
歯ごたえがとても良かった、と、トキヤを賛辞した。
「に、肉付き……?」
そして、その少女の独特すぎる褒められ方にトキヤが戸惑っていると、その間に少女はトキヤへの興味を失ったのか、トキヤから離れ、少女の登場にトキヤ以上に困惑しているアイリスと向き合い。
「わたしの名前は、イオン。イオン・キケロ。男みたいな名前だけど、性別は、女。年齢は十一歳」
少女は唐突に自分の名を語った。
「……え? ――――あ」
そして、少女が自己紹介をしていることに気づいたアイリスが、どうするべきかとトキヤに指示を求めると、トキヤが小さく頷いたため、アイリスも自己紹介をすることにした。
「えっと、わたしの名前は、アイリス。性別は、女。年齢は……ちょっとわからないんだ。わたし、冷凍睡眠っていうのでずっと眠ってたみたいで、昔の記憶が何もなくて……」
「……冷凍睡眠」
アイリスの自己紹介にあったその少々特殊なワードを聞き、少女、イオンは、へー、と声で驚きを表現した。
「顔、さわっていい?」
だが、イオンにとって冷凍睡眠は興味深い話ではなかったようで、少し驚いたようなリアクションをした次の瞬間には両手をアイリスの顔に近づけ、自分の欲求を言葉にしていた。
「え? あ、ど、どうぞ……?」
そして、イオンの何とも言えない迫力に押され、アイリスが頷くと、イオンはありがとうと、しっかりお礼を言ってから、アイリスの顔に触れた。
「……」
「……」
それからイオンは暫くの間、無言でアイリスの顔をペタペタと触ったり、モニュモニュと優しく揉んだりしていたが。
「あ、この辺り、わたしとそっくり」
イオンはアイリスの額が気に入ったらしく、アイリスの額の骨をコリコリと触って上機嫌になったイオンは、とても嬉しそうにアイリスに話し掛けた。
「アイリス、わたしは、あなたのことを知らない。けど、血筋は一緒だと思う。おでこがそう囁いている……。だから、少し、話したいと思わなくもないけど……」
そんな雰囲気じゃなさそう。と、イオンは、睨み合っているシオンとブルーレースにチラリと視線を向け、ため息を吐いた。
「残念だけど、お話はまた今度。それにわたしは、今、猛烈に――――絵が描きたくなってる。それも風景画じゃなくて、人物画。刺激、とても大事。モチベーション完全復活」
そして、アイリスの顔を触りまくり機嫌が良くなったイオンは突然、絵を描きたいと言い出し、教会から出ようと足を動かしたが。
「……」
その途中で、ジャスパーがユイセと敵対しているような立ち位置にいることに気づき。
「カムラ」
イオンは足を止め、反政府のトップであるカムラユイセと向き合った。
「あ? なんだよ」
「……敵であるそっちの人がジャスパーを倒したのは納得できてたから、噛みつくだけでやめた」
そして、イオンは。
「けど、一応は仲間である、あなたがジャスパーを破壊したら……、謝罪し、平伏するまで幾らでも――――肉を、噛み千切るから。やるなら、覚悟してね」
ジャスパーに攻撃をしたら、その身を引き千切ると宣言した。
「――――」
トキヤのいる位置からでは、その狂気の言葉を放った時のイオンの表情は見えなかったが、反政府の長である筈のユイセが。
「……ッチ」
舌打ちと共にイオンから視線を逸らした瞬間をトキヤは目にした。
「じゃ、わたしは絵を描きに戻るから。また、後でね、ジャスパー」
そして、飛び回る蝶のように自由な少女、イオンは、ジャスパーに小さく手を振ってから、一人、花咲く庭園へと去って行った。
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