技術の果てた世界で
第9話
「それじゃあ、アランさん、俺は先に戻ってます」
そう言って一人の青年が金髪の男性に軽く頭を下げてから巨大な扉を開け、長い通路を歩き始めた。
「……」
通路に響く重機が動き回っているような大きな駆動音や建物が揺れる程の振動を特に気にすることもなく、その青年は歩きながら、腕に巻いているウェアラブルデバイスに目を遣り、『ようこそ、羽野時矢』という文字が表示されたデバイスを見て、僅かに顔を顰めた。
「この支給品、毎回名前が表示されるせいで操作可能になるまで長いんだよな……」
そして、そのデバイスの起動の遅さに愚痴を零してから、黒髪の青年、トキヤはデバイスを操作し始めた。
「よし、これで俺が担当したところは確認終……って、なんだこのふざけた提出データ。……本隊の連中も三馬鹿に負けず劣らず、だな」
今のトキヤは砂漠にいたときに被っていたマントは既に脱いでおり、黒のTシャツに深緑のカーゴパンツという格好をしていた。ぱっと見なら、軍人のようにも見える格好だが、トキヤの少女のような手足の細さを見れば、軍人であるかどうか以前に肉体労働もまともにできない、ひ弱な男であるということは誰の目にも明らかであった。
「……まあ、何にせよ、これで本隊の点検整備は完了だ。……しかし、相も変わらず、ワスプのやつは口が悪かったな。バルのおふざけとは比べ物にならん。もし、女に免疫のない学生の頃に出会ってたら、間違いなく俺は泣かされている」
やれやれ、と、少し疲れた表情を浮かべたながらトキヤが通路を左に曲がると、巨大なシャッターが道を閉ざしていたが、トキヤがデバイスをかざすとシャッターが開き、その先には。
「……ふう」
上場企業のオフィスとしか思えないような立派な部屋が存在しており、幾つかあるデスクの中から、トキヤは迷うことなく一つのデスクへと向かい、椅子に深々と腰掛けた。
「……砂漠は、熱い」
そして、それから暫くの間、トキヤは空調の程よい冷気に身を委ね、身体から力を抜いてだらりとしていたが。
「……し、仕事をしなければ」
今日の業務はまだ終わっていないと、トキヤは姿勢を整え、デスクに置かれている端末に目を向けたが。
「……やる気が出ない」
と、仕事用の端末を前に無気力症候群を発症してしまったトキヤは、どうにかして気力を出そうと自分が持ち込んだ小型の端末を起動し、一つの画像を表示した。
「……」
その画像には、一人の少女が写っていた。
発色の良い赤の髪に、青色の透き通った瞳を持つその少女は、継ぎ接ぎだらけの獅子の中から現れた少女、アイリス、のように見えた。
だが、どこかの家の玄関先で撮られたと思われるその画像に写っている少女は、髪の長さなど幾つかの点がアイリスと異なっており、何よりもその少女が浮かべている表情がアイリスの表情とは全くの別物であった。
アイリスは無邪気な子供のような表情をしていたが、その画像に写っているアイリスに瓜二つの少女はとても穏やかな、淑女が浮かべる表情をしていた。
「……」
そんな、母性すら感じられる少女の写った画像を見て、少し元気が出たトキヤが、やるか。と、呟いた瞬間に。
「はい、緑茶。淹れ立てだから熱いよ」
と、声を掛けられ、トキヤは自分のデスクに緑茶が置かれたことに気がついた。
「――――」
そして、それからのトキヤの行動は、気持ち悪いぐらいに早かった。
「……!!」
トキヤは驚きのあまり跳ね上がるように立ち上がってしまったが、反射的に行った自らのその動作を利用し、トキヤは踊るように身体を動かしながらさりげなく、自然に、小型端末の電源を落とした。
「……は?」
そして、そんなトキヤの不自然すぎる行動を白衣を着た二十代後半と思われる茶髪の女性が目を点にして見ており。
「……え、何? まさか業務中にエロ画像でも見てたの?」
それはちょっと引くんだけど。と、緑茶をずずずと吸うように飲みながら、白衣の女性はトキヤに軽蔑の眼差しを向けた。
「……確かに思春期男子の緊急時の動きにモーションが似ていたのは、大変遺憾ですが認めます。けど、そういう目的のために画像を開いていたわけではありません」
「じゃあ、エロくない画像を見ていたと」
「そう……とは言えませんが、心の平静を保つための画像なんです」
「ふーん……? ……ま、これ以上は追及しないであげましょう。羽野君は他国からやってきて、こんな僻地に居座っているんだもの。人に言えない秘密の一つや二つは抱えててもおかしくないものね」
そもそも、あたしがそうだし。と、この件に関してはこれ以上の追及はしないと白衣の女性が言ってくれたことにトキヤは安堵の息を零し、一度大きく深呼吸をして心を落ち着かせてから、トキヤは自分から白衣の女性に話し掛けた。
「それで、あの、レタさんは何故、ここに? 首都の方に十日間の出張で、帰ってくるのは確か、明日でしたよね?」
「お偉いさんにもう戻っていいよーって言われたから帰ってきたの。あそこにはこの基地に来るまで五年ぐらい住んでたから、観光したい場所もなかったしね」
そして、トキヤは誰もいないと思っていたオフィスに同僚のレタがいる理由を知り。
「あ、そうそう、はい、羽野君。お土産」
トキヤは、レタから手渡された紙袋を見て、首を捻った。
「レタさん、これは……?」
「ピスタチオ入りのクッキーよ。首都名物ってわけじゃないけど、あたしが首都に住んでた頃、よく食べてたお菓子で結構イケるのよ。あ、それとも他のみんなみたいにお酒が良かった? 羽野君って確か、もうお酒飲める年よね? 君の祖国の法的にも」
「あ、はい。半年前に20になりました。けど、あんまり酒は飲まないので、俺はこっちの方がありがたいです」
後で頂きます、ありがとうございました。と、トキヤはレタにお土産の御礼を言い、仕事に戻ろうとしたが。
「レタさん、どうかしましたか?」
一向に自分のデスクに戻らないレタの様子を疑問に思い、トキヤが再びレタに視線を向けると、レタは少し申し訳なさそうに頬を掻き。
「……えっと、ちょっと時間良い? あのさ、あたしがいなかった間のこと、特に戦闘関係のことを教えてくれない? データを見ればいいことなんだけど、人の視点から見たJD達のことを聞きたいの」
レタは自分が留守の間にあった出来事を教えて欲しいとトキヤに頼み、特に断る理由もなかったため、トキヤは頷き、了承した。
「わかりました。といっても、レタさんがいなかった間にこの基地からJD達が出撃したのは、今日を含めても三回だけです。一回は敵重要拠点への攻撃参加で後の二回は、お馴染みの砂上戦ですから特に変わったことはありませんでした」
「JD達の被害はどうだったの?」
「……それは、まあ、互いに重火器を持って戦ってますから、毎回誰かしらは損傷して帰ってきます。けれども、全損して他の身体にライリスから人格データを納れなければいけないようなことは一度もありませんでした。ちなみに今日の戦闘でのこちらの被害は大破が0、損傷が7で、反政府側は、ダーティネイキッドが殆どですが戦場に出て来た190体が全て大破しました」
「……それって、敵を全滅させたってことよね?」
「はい」
「……サッカーのアンダー12とプロチームの親善試合の結果よりも凄まじいわね。……前々から思ってたんだけどさ、この基地のJDって、標準よりたいぶ強いわよね?」
「ええ、ペルフェクシオン、ワスプ、リースの三人がかなり強力で目立ってますが、それ以外のJDも全て高水準だと思います」
「それは、全員がワスプちゃん達に引っ張られるように強くなってるってことよね。やっぱりそれってライリス内でのデータ共有が……」
「上手くいっている証拠ですね。うちのJD達はそこら中でよく揉め事を起こしてますけど、……何だかんだで仲良いんですよ、あいつら」
「羽野君がそういうのなら、そうなんだろうね。あたし達の中で一番、JDの本質をわかってそうだし」
「俺は近いところでずっと見てきただけです。あいつらのことなんて、何も理解できてませんよ。買い被りすぎです」
「そんなことはないと思うけどな。……それで、その、羽野君。あたしがいない間の、人的被害はどうだったのかしら?」
「皆無です。今までと変わらず、この基地からは一人も死者は出ていません」
「……そう。……戦争をしているっていうのに、人が死なないって本当にありがたいことよね」
「はい。こればかりは
そして、そこまで話すと二人は自然と言葉が紡げなくなり、トキヤは、人の代わりに戦争をしてくれているこの国のJD達について考え始めた。
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