第212話 傭兵家業

1591年 天正十九年 初夏 館山


 「私は……私は国を追われ、妻と娘の三人、そして、そんな私たちを慕って付いて来てくれた一族の者達を受け入れてくれた伊藤家への恩を未だ返しきれておりません。……そのような身で己の意見などと……」


 獅子丸は、そう辛そうに声を絞り出した。


 なんとも義理堅い男だ。

 当家に仕えてくれたこの三十年程で、とてつもなく多くの物を、俺達は獅子丸を初め、十文字一族から貰っている。

 航海技術、造船技術、水兵の鍛錬に海戦のいろは……今生の俺は妻まで貰っているわけだしな。


 そのように考え込まず、己の望みを言ってくれても良いとは思うけど……と、まぁ、いきなり率直過ぎる望みを言われても困っちゃうんだけどね。


 「獅子丸……お主には長い間世話になった。様々な知恵と技術で当家の水軍を鍛えてくれたし、その人脈を使って交易の橋渡しも行ってくれた。お主が居らねば、ここまで、この館山の湊も発展することは出来なかったであろう」

 「……勿体ないお言葉です」

 「これは本心だよ……義父上……未だ年若い俺がこういうことを言うのもおかしなことかも知れんが、娘の、沙良のことは俺に任せてくれ。必ず幸せにする……」

 「……」


 もうちょい?


 「当家がアメリカ連合国の全てをどうこう出来るとは思わんが、多少なりとも力になれる物は持っているつもりだ。……これは、俺一人の意見ではない。姉上……大御所様も想いは同じだ」

 「勿体無きお言葉です……確かに、私は太郎丸様が仰られるよう、向うにいる一族の手助けをしたい。そのことに偽りは有りませぬ……ですが、こうも思うのです。仮に私がアメリカに入ることが、本当に彼の地の安寧に向かう道筋となるのかどうかと……」

 「……それは?」


 一応、獅子丸の個人的な思いは聞かせてもらった。

 次は彼が抱いている懸念とやらを聞かせて貰おう……果たして、すぐに回答が用意できるとは思わないが、ここは聞いておくということだけでも大事なことだと思う。


 「私は所詮、十文字一族……サンタクルスの家に匿われた水軍傭兵の一家の当主に過ぎません。政治的な……ヨーロッパでの支配者階級のどうこう、貴族的な血がどうこうというものを持っているわけではありません」


 そういえば、獅子丸達の一家?一族?は、元は水軍傭兵みたいな生業とか言ってたっけ?


 「ルベンは表立っては言っておりませんが、彼が真に欲するのは妻マリア・ルイーサの……ハプスブルグの血なのでしょう……。メキシコの現地貴族やメスティーソ達を納得させるには、初手こそ、武力やスペイン王家に対する名分が威力を発揮しましょう。……ですが、恒久的な支配を考えると、どうしても血に因る説明が必要になると考え付いたのでしょう」

 「う~ん、その考えを、俺も批判する気はないが……だが、結局のところ、それではヨーロッパ貴族によるメキシコ副王領時代の統治とまったく同一の理論になってしまうのではないか?つまりは、頭を変えるだけでヨーロッパの宗主国からの支配時代の構造と変わらないだろう。……金を上納しなくて済むようにはなるのであろうが、アメリカ大陸に住まう者の意思による統治ではない。……数十年程度は持つであろうが、そのうちに周辺で独立した現地勢力が国を建てたとしたら、民衆は一気にそちらに靡いてしまうと思うぞ?」


 ヨーロッパの大国による支配といえど、戦いでさえ勝てば覆せるのだ、と、いみじくも十文字一族が大いに示してしまったわけだしな。


 特に、連鎖反応的に独立を宣言したペルー副王領辺りはそのうちに領域を統治しきれずに分裂を始めるだろう。

 これまで、アメリカ大陸交易の要の部分はメキシコ副王領が管轄していたわけで、ペルー副王領はどちらかと言えば生産に特化していたはずだ。

 簡単に言えば中央による管理部門の強さがメキシコ副王領とは違う。

 また、ブラジルのように、一応の名義がポルトガルという他国だったわけではなく、スペインだったわけだしな。


 そんな現地勢力による独立の動きは、絶対に連鎖する。

 これは、俺の全前世の歴史の知識でもそうだし、前世や今生の日ノ本でも同じことだ。


 「そう……ですね……ああ、太郎丸様の仰る通りだ……私の考えは浅かったか……」


 うなだれる獅子丸君。

 そういう、一部好事家が狂喜する、イケメンの落ち込み顔とかは止めなさい。


 「これはまだ話を聞いたばかりの俺が思いつく、そう、単なる思い付きではあるが、二案、解決策は思いついた」

 「……聞かせて頂いても?」

 「勿論だ」


 本当に思い付きではあるんだけど、他の考えが浮かばないのも事実だからなぁ。


 「まず一つ目だ。それは、亡きエストレージャ卿や獅子丸を慕う十文字一族のすべてがアメリカ大陸を離れ、日ノ本にやってくることだ。幸いにして、当家の領地はそれなりの大きさがあるからな。数百、数千人ならば受け入れはなんてことないし、最悪数万、数十万となってもどうにかなるだろう……たぶん。だが、これは……」

 「ええ、有難い話ではありますが、現実的ではありません。一度に移動できる人数は限られていますし、私も一族の人数を全て把握しているわけでもありません。……多くの者達はアメリカ大陸に渡ってスペインと戦いましたが、それでもかなりの数の者達はヨーロッパにも残っているでしょうし、姉上がヌエバ・エスパーニャを動かしていた数十年の間には現地から離れられぬ縁を築いた者達も多いでしょう」


 でしょうね。

 なのでのもう一案。


 「そして、次が本命の案なのだが……ここは棚倉に居を移した当家のやりようを真似てみるのはどうだろうかと思うんだ」

 「んんっ?……それはどういう?」

 「それは外交の力さ。強国が共に在ると思えば、多少は情勢を落ち着かせることが出来るんじゃないか?」


 棚倉の小さい館一つから始まった伊藤家。

 初めはその弱小さこそが緩衝地帯としての役割を果たしていたが、父景虎は越後守護代・越中分郡守護代長尾家の娘を妻に迎えたし、祖父景元も妻の実家である佐竹家との繋がりを強めていった。

 そして、三代目にあたる俺は伊達家の姫を妻に迎えたわけだ。

 そりゃ、色々と後背の憂いなく物事を推し進められるよねっていう。

 はっきりと聞き取り調査をしたわけじゃないけれど、当家の領民にしたって、領主さまが大身と縁戚関係だってのは心強かったはずさ。


天正十九年 夏 飯盛山 伊藤元清


 春先の評定で、ある程度の体制の確認が出来、一丸兄上は博多、中丸兄上は鎌倉、私は飯盛山という形に落ち着いたと思ったのだが……。


 「……太郎丸よ。……お前は多少は腰を据えて物事を推し進めるというのが嫌いなのか?」

 「いえいえ、そのようなことは有りませんよ!父上!これは私がどうこうというのではなく、世界が大きく動いているということなのです!」


 む?

 私もつい、「太郎丸」と息子呼びをしてしまったが、太郎丸も「父上」と父親呼びをしたな……。


 ……そういえば、二人だけで今生は語り合ったことも……と、太郎丸の前世、義父上とも二人だけで語り合ったことなど無かったか……。


 「……ん?どうかしましたか?父上?」

 「いや、なんでもない!」


 いかんな、ついニヤついてしまったので、必要以上に強い語調になってしまったか。


 「……で、もう一度説明をしてくれ。ヌエバ・エスパーニャの独立から、どうして当家が傭兵稼業なんぞをしなければならんのだ?」

 「はい、何度でも!父上もご記憶がありましょう?シモン・ボリーバルを専攻していたのならば、アメリカ大陸における独立運動に動くインディオやメスティーソやサンボ達の機微を!」


 うむ、そのあたりのことは知識として私の頭の中にはある。


 ……だが、前から思っていたのだが、太郎丸は、いわゆる「前世の記憶持ち」の存在を全て自分と同じものとして認識しているのではないか?

 何度か説明したと思うが、私の場合は、ただ七十過ぎの老人の記憶を情報として持っているだけだ。

 太郎丸のように……なんだ、魂に刻まれた何かを引き継いでいる存在とは根本的に違う。

 どちらかと言えば、私のこの記憶は十五の眼を持つと表現した徳川殿に近い物のように感じるのだが……こればっかりは口で言っても理解は難しいだろう。

 なにせ、私自身も、この私の頭の中が理解できていないのだから。


 「ボリーバルが独立を志したのは、ヨーロッパ留学中に啓蒙思想に深く接することが出来たことが始まりだ。……つまり、揺らぎを持っていた植民地の支配者層のアイデンティティが確立され、一つの方向性を持つにいたったことが彼の独立運動の原点となったわけだ」

 「そうです。この十六世紀末はロックやルソーが生まれる前のことですし、経緯もアメリカ独立革命とは違うものですが、現実としてアメリカ大陸のスペイン植民地の現地支配者層が本国に喧嘩を吹っ掛け独立を勝ち取ったのです。この動きは確実に隣国へ普及します!」


 太郎丸の言うことは、私の頭の中では「理解」できる。


 「実際にペルー副王領もブラジルもニューアムステルダムも独立を宣言しました。ついで、ラプラタも分離独立するでしょうし、オランダがアメリカで動いたことを知れば、イギリスもフランスも動き出すでしょう。この世界では、未だフランスの王朝はヴァロワ朝ですが、そこの所はあまり関係ないでしょうね。……重商主義から帝国主義への動きは、我々が思った以上の速度で訪れるように思います」

 「……それでは、この世界での世界大戦勃発が早まったようにしか感じられんぞ」


 ヒライスルバクゲキキ。

 ニゲマドウオトナタチ。

 オトウトガミチニトビダス。

 オレハオトウトヲカバウ。

 キジュウデコロサレルカチクタチ。


 ……い、いかんな。

 どうしてもこの情報を頭から引っ張り出すと身体が動かなくなる……。


 「なんとか……なんとしても、その道にだけは進みたくはありません。が……かといって我々だけで、地球の人類史を一足飛びに進めさせることなどは出来るはずもありませんからね」

 「それはそうであろう……」


 私個人のことでもそうだ。

 私の頭の中には二十一世紀の情報がある。

 だが、私自身は十六世紀の日本に生を受けた人間だ。

 家族、領民を守るためには刀を取っての戦も厭わないし、皇族……と、この時代では王家か……大和朝廷、王家に対する想いなどに特別な物は何もない。

 そもそも、神道などというものは地域々々、家々の管轄で、神社も寺も同じ敷地内に共存しているのが当たり前だ。


 「なので、こう考えたわけです。せめて、関税同盟、軍事同盟の輪を広げ、抑止力をチラつかせながら、少しでも早く重商主義から自由主義への変遷を目指す。さっきも言いましたが、世界をどうこうという気などは有りませんが、多少は大規模戦争が起きない方向に進む努力はしようと思っています」

 「……前にも言ったであろう。私の知識は、太郎丸よりも狭い。特に経済分野では……」

 「はぁ……」


 私には、太郎丸の言の理解は出来ても、理論を新しく構築することなどは出来ないのだ。

 書物を読み、注釈を入れることも出来よう、だが新しく書を書き下ろすことは出来ない。


 「太郎丸が先のことを考えて動こうとしているというのは理解した。また、それが独善的な、利己の損得でないというのも理解した。ならば、私は伊藤家の当主として、私が守るべきものを守るべく努めるというだけだ」

 「ということは……?」

 「お前の好きなようにしてみなさい。息子の尻拭いぐらいは俺でも出来るさ、父親を舐めるな」


 ぎゅっ。


 「ありがとう、親父」


 ぎゅっ。


 ふむ、「親父」という呼び方はこの時代にはそぐわないが、私は嫌いではないな。


天正十九年 夏 江戸 前田利益


 いやいや、話には聞いていたが、これが江戸の街か……。

 なんとも、このような時間であれ、人で溢れ返っておるではないか。


 お役目にかこつけて日ノ本は全て回ってみたし、ひと昔前にはノエバ・エスパーニャにも行ってみたもんだが……これは、今日の江戸が一番活気があるのではないか?

 まぁ、つい先ほどまでは伏見こそが一番活気がある街だと信じておったがな!


 「あいや、やだよ?お坊様。女と部屋に上がっておいてほったらかしなんて……」

 「だはっはっは!これはすまんな。なにぶん拙僧は尾張産まれの田舎者でな。このように煌びやかな色町はついぞ見たことが無くてな!だはっはっは!」

 「どこが煌びやかなもんかい!江戸は人が多いから、あたしらみたいに色を売る女が多いだけ、そんであたしらみたいな女が多いから船宿が多いだけさ!」

 「ほう?そうか?しかし、この新川沿いの船宿の提灯が水面に照り輝く様なぞは、中々に幽玄な風情があるぞ」


 新川の上野側の岸は、数え切れぬほどの船宿が並び、二階、三階部分の個室から溢れる提灯の灯り、これは他に比べられるようなものではあるまい。


 「そうかい?あたしゃお江戸のここいらしか色町は知らないからねぇ。お坊様みたいなことを言われてもちんぷんかんぷんってやつさ」

 「ちんぷんかんぷん??」

 「ありゃ?本当にお江戸の人じゃないんだねぇ、お坊様は……ようするに「難しいことはわからない」ってことさね」

 「なるほどなぁ」


 わからんことがわかった……というやつだな。

 ……だが、その語幹からして、きっとまたぞろ、太郎丸様が言った何気ない一言が流行っているのであろうさ。


 「ねぇ、そんなことよりも、お坊様さぁ……やることをやるために部屋に上げてくれたんだろぉ?これでも肌の張りには自信があるんだぁ……ねぇ?」


 さわっさわり……。


 う~む、長い間、姫様達と諸国を回ってばかりだったので、こういう機会はとんとご無沙汰であったからな。

 今は、こういう露骨なまでの商売っ気が非常に好ましいわ。


 「そうだな、明日からまた遠くに行かねばならぬ身だからな。……かっかっか!今日は寝かせぬぞ?」

 「きゃ~ぁ!あ~れ~ぃ!」


 俺は部屋の灯りを消して衣服を脱ぎ捨てた。

 そう、明日から……というわけではないが、近々、懐かしの九律波に乗り込んで海の彼方にまで行かねばならんらしいからな。

 今晩ぐらいは羽を伸ばさせてもらっても罰は当たるまい。

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