第175話 銀貨の活用

1587年 天正十五年 晩春 勿来


 いやいやいや、いやいやいやいや。


 なんでしょうね。

 どうして阮小六相手に凄んだの?俺……。


 だってさ、商人の常識として、為替の違いがあるならああするよね。


 まだ小六は資本と労働の概念を理解しているわけでは無さそうだけど、純粋に貿易理論に当てはめても、明で高品質低価格の茶を購入し、当家からは高品質高価格を買ってブレンド。そうすることによって生まれる新ブランドで商売をすることはおかしなことじゃない。

 領地経営の観点からも、実は経済余剰創出の面から考えれば、むしろ歓迎すべき事柄だ。


 だけど、だけどもだ。


 やっぱり今の明の銀不足は由々しき所までになっているんじゃないか?

 行き過ぎた為替格差ってやつは、すぐに経済問題に発展するからね。

 そりゃ、この時代はそこまで為替問題の同時性は産まれないだろうけど、いずれは不均衡な財の移動から、経済理由……食う物に困ってとか、口減らしのための戦争がはじまりかねない。

 そんなことは、ご勘弁だよね。


 なんといっても、昼にあった小六は正確ではないにしろ、たとえ話の中で日ノ本と明では五倍の銀相場格差があると言っていた。

 日ノ本から明に銀を運べば、それだけで五倍?


 ちょっとありえない数値だから、相当に割り引いて考える必要もあるし、銀を財と考えた場合の貨幣を茶にしていたところも差し引かないとな。

 そもそもの経済規模や要素賦存比率も二国では違うだろうし……って、それを言えば当家の領内と小六が本拠を置く大友家でもだいぶ違うだろうし……。


 「あー!あー!あー!わからん!!わからんもんはわからんぞ!」

 「……何を急に喚いておるのだ?太郎丸よ。折角、今日は漁師たちが脂の乗った鰹を持ち寄ってくれたのだ。そのように刺身を睨みつけるのではなく、醤油とわさびに付けて食え!ほれ!」


 と言って、大きく口を開けて絶品の上り鰹を頬張る吉法師。

 ……俺は脂の乗りというのならば戻り鰹の方が好きだぞ?

 まったく……この時代の者達は必要以上に脂が苦手なのが納得できん……って、そうじゃないよね。


 「すまん、すまん。どうにも昼間のことで考え込んでしまってな」

 「で、あるか……だが、それでどうなのだ?お主は今も「わからん!」などと絶叫しておったが……俺が考えるに、銀の価値が日ノ本と明でそれほどまでに違いが産まれてしまっている状況、これは単純に危険なことだと思うぞ?船を両国に行き来させれば、それだけで暴利が出るということではないか?」

 「そうなんだよね……ただ、そうは行っても日ノ本で銀を仕入れるためには物を売らなきゃならないし、明で銀を売る……って、銀の貨幣は銀子が中心だから、銀を別の物に交換しなくちゃいけないわけで、実際の利益を得るためには、その明で交換した品を、もう一度、他所で売らなきゃいけない。……誰が、その商品代金を銀で払うかも重要だ。明での仕入れ値が知られているならば、買う側はそれほど高価な値では買わないだろうし……」

 「……だからこそ、当家の茶と混ぜて新しい物に仕立て上げて売るわけか」

 「そうそう、品質は違っても、日ノ本の茶商人が葉と茎を混ぜて利ざやを稼ぐの同じことだよ」


 もっきゅ、もっきゅ、もっきゅ。


 やっぱり、俺としては上り鰹は薬味たっぷりポン酢で頂くのが一番だな。

 さっぱりとした肉味には、薬味の香りと柑橘の酸が良く似合う。

 山葵醤油派の吉法師には悪いが、ここは譲れないところだ。


 「……茶商人で考えれば、ということならばだ。茎茶ばかりを売る商人は結局のところ安物商人としてしか見られず、結果として売値は安くなり、全体での利は減る、そういうものだぞ?上質な物を出来る限り高く売る。これが利をもっとも大きくする骨であると俺は思うがな」


 流石は高級品のぼったくり価格商売を得意としてきた吉法師さん!

 ……って、ぼったくりは言い過ぎか。


 でも、以前の日ノ本みたいに、銭を持っている層が限られ、貧富の差が激しい場合には、最も有効な商売のやり方だと俺も思う。

 けど、今の当家の領内みたいに、それなりに領民たちの間にも銭が行き渡り、商人でもない人間の消費活動が比率的に大きくなった地域では大衆商品は需要があると思うんだよな……。


 って、あれ?


 「なぁ、今ちょっとだけ思いついたんだが、小六が販売している茶って東国の領民相手中心に販売してるんじゃないか?「赤城凍頂茶を使用した配合茶」なんて言ったらそこそこ人気が出そうじゃないか?」

 「ぬ?……言われてみれば、最近の博多商人達は勿来での仕入れよりも、是非とも内陸の大きな城下町に店を建てさせてくれと願い出てきている者が多いな……ちっ!あいつらめ。中々にやってくれる……ここは見せしめの一つや二つを……」

 「まぁまぁ、そこまでしなくても良いよ!」


 吉法師さんが急に第六天魔王モードに入りそうになったので、慌てて止める俺。


 「伊藤家で東国を治めて数十年、領民の中には一代だけではなく、二代、三代と当家から渡される給金で生活している者達もいる。……そういった者達はそれなりの量の銭を溜めていることだろう?」

 「で、あろうな。俺が把握している城でも、多くの領民が土地の購入をして、自分の飯屋なり旅籠なりを経営していたりするからな。勿来や湯本などの領民は、大きな湊が有るから、当然のように日々の暮らしに必要なものは店で購入しているしな……ふむ、つまり領民の銭の使いどころを増やすのは有りということか?」

 「そういうこと。三國通宝も、基本的には領民に配布……まぁ、ほとんどの場合は日当とか給金扱いだけど、配ることが目的で造っているわけだからさ。なんといっても、通貨、貨幣は流通してこその物ってことさ」


 この辺りの考えは、前世の頃から、俺がしょっちゅうしゃべる内容だよな。

 そのおかげか、「流通」とか「配布」だとか、そんな単語も普通に使えるようになってしまった。

 考えてみれば、かなり前々世の言葉を使い込んでるよね。

 う~ん、いつから使いだしているのか、記憶にないからわからないけど……忠平辺りは初めの頃には相当に面食らったことだろうね。

 俺も、前世では子供の振りは極力してきたつもりだけど、自分の生活環境改善や、伊藤家が滅ぼされないために、と結構頑張ってたし……。

 うん。キニシナイ、キニシナイ。


 「そう考えると、博多の商人だけでなく、エウロパやら明の商人が欲しておる、湊の外での店舗経営もある程度は認めるか……」

 「え?そんな要望も出てたの?」


 太郎丸さん初耳である。

 所詮は元服前の身だからな、仕事の報告というか、領内の政に関する話題は吉法師やら息子たちから齎されるものだけなわけだし、俺が知らない課題の方が多いのは当たり前か。


 「そうだな。今のところ、領内では、その土地の商人というか、近隣の領民だけが城下町の土地を購入して商売が出来るようになっている。これは、税の集め易さという側面もあるので、どうしても人別帖で管理している城と紐付いたもので許可を出しているのだ。……そう、商人への税は人別帖を規準にして行っているので、外の商人達への徴税方法はどうすれば効率が良いのかの答えが中々に出なくてな。その事もあって、外の商人達には船の入港時の積荷明細の提出を、一般的な市の管理と同じものとして扱うことで管理しているのが実情だ」

 「市の管理ね……すると、基本的には棚倉の都都古和氣つつこわけ神社の市の管理の時代からはそう離れてはいないわけだ」

 「俺も、その走りの頃までは詳しく知らんが……多少は尾張屋で都都古和氣神社の市に参加したこともあるからな。……うむ、基本的に変わりはないな。まずは市に持ち込む売り物を報告して、扱う商品ごとの座に振り分けられる。座に対しては、運び込む物の一割を納めるか、利の三割を渡す……商いの報告が出来る程度に人数がいる者達は、大抵、利の三割の方を選んでおったな。まぁ、そっちの方が色々と調整が出来て支払いは少なくて済むからな」


 いつの時代も外形標準課税より、見た目の税率は高くても、控除込みの税務申告をした方がお得ということね。


 「俺達は基本的に古着と茶に器を奥州では売っていたな……本来であれば、伊藤家が座長ざおさを兼ねていた塩、酒、鉄、米なんぞを扱ってもみたかったが……そのあたりはどうにも厳しかったからなぁ。今でも思い出すわ、伊織様がいつも厳しく目を光らせておったので、伊藤家の座に対してだけは鼻薬の効きが鈍かったわ!」


 ……鈍かっただけで、効かなかったわけじゃないのね。


 「話がずれてしまったな、そういう座のような形で、外からの商人達はある程度の出身地域で纏まらせ、座を組ませている。で、湊での税はその座から徴収する形だな。ざっくりと見回っているところでは、大っぴらな不正は行われておらんし、税のちょろまかしもおおむね許容範囲の内であろうさ。……まぁ、多少目に余る奴らには矢銭の催促を随時飛ばすので、奴らもあまり羽目は外しておらんな」

 「そりゃ、有難い限りだよ。吉法師が認めている範囲ってことは、当家の事務方も大っぴらには袖の下を要求していないってことだね」

 「はっはっは!そりゃ、当家の湊と言えば北から室蘭、勿来、館山、鎌倉・林、駿府と言ったところであろう。何処も、湊の責任者、城主は一門に連なる人物か、評定衆に連なる人物だからな。自分の首が胴から離れることを恐れずに蓄財に励むような事務方は伊藤家にはおらんさ。……大きな声では言えぬが、そのあたりは景文院様の組織が目を光らせておる」


 ……母上と姉上の「組織」ってそんなところまで面倒を見ているのね。

 一応は城中の管理の内……ということなのかね?


 「むぅ……しかし、いかんな。どうしても太郎丸と話しておると話が逸れて行ってしまう。事の問題は明との銀の価値の格差だな。……こいつはいかんとするのだ?幾ら当家が銀を大量に保有しておるからといっても、あの広大な明の需要を引き受けられるようなものでは有るまい?」

 「そりゃそうさ。……詳しい数はわからないけれど、ざっとみて今の日ノ本の二倍から三倍の人が明には住んでいるだろう?明が冊封している李朝なんかを加えれば、周辺国を足すと五倍、六倍……下手をしたら十倍近くになるかも知れない。それらの国々が明よりも多くの銭や銀子を持ってるとは考えられないからね。日ノ本の半分程度の規模の当家一国で管理するのは到底無理という物だよ」

 「で、あれば如何する?」


 さらさら、ず、ずっ。


 飯の締めにと、魚の雑多煮汁の残りを米に掛けて掻き込む吉法師。


 「何段階かの方策に分けられるとは思うんだけど、先ずは日ノ本の当家を代表する各家が商いを許される商館を明の湊に建てさせてもらう。次いで、銀の交換所の設立、銀貨を明で流通させる許可に鋳造所設立の許可と……」

 「まてまてまて!銀貨の流通だと?なんで、ただで俺達が明の面倒を見ねばならんのだ?」

 「ああ、ごめんごめん。先走っちゃったね。伊藤家の貨幣で明を征服するのはだいぶ先の話。まずは商館と……いや、居留地、租界を造らせてもらう方が良いな……」


 別に中国大陸を征服する気はないけれど、伊藤家を頂点とする東アジアの経済秩序は構築しておきたいところだし……。

 黙っていたらポルトガルの商人辺りが好き放題に始めちゃいそうだしね。


 「だから待てと言うておろうが!」


 きーんっ!


 うっわ、うるさ!


 大人の大音量を子供の間近でやっちゃ駄目ですよ?

 数え十二の俺の耳はとっても繊細なのだからねっ!


 「太郎丸よ……お主、明を乗っ取るつもりなのか?」

 「……ん?」


 おや?

 言ってなかったっけ?


 「乗っ取るつもり……になるのかな?どうだろ?……でも何十年も前から吉法師には言ってるじゃないか?」

 「……何をだ?」

 「世界相手に喧嘩をしようって……純粋武力での喧嘩にはどうしても大量の死人が出ちゃうからね。ここは一つ平和的に商いを通じて喧嘩をしましょうってことさ!」


 いやぁ、これでも、平和主義者の俺としては、三十年以上前の吉法師との約束をどういう風に叶えるかで頭を悩ませたんだよ?

 その答えとして、東アジアの基軸通貨を三國通宝で賄ってしまえと言う考えに至ったわけですよ。

 ね?平和的でしょ?


天正十五年 晩春 xxxx xxxx


 「大老殿……お主の申すこと、誠であろうな?」

 「はっはっは!某、座主様に嘘偽りなど申したことなどありませんぞ?」

 「そうであるか……ならば、許すまじは伊藤家であるな!……儂を……儂を蔑ろにしおってからに!」

 「左様、なんとも遺憾なことでございます。高貴なお生まれの座主様に対するかような仕打ち……某も大老職を拝命はしておりますが、尊王の志を捨ててはおりませぬ故、こうしてお耳に入れた次第でございます……ついては……」

 「ああ!心配するでないわ!儂は仕えてくれる者を冷遇するような忘恩の徒ではないぞ!」

 「おお!その言葉を頂ければ、こうした席を用意した甲斐もありますもの……」

 「任せておけ!ことが成功した暁には、お主の不手際で失くしてしまったという宮中への伝手、儂の力で戻してやろうともな!」」

 「は、ははぁっ!ありがたき幸せ!」

 「うむ!儂に任せておれ!はっはっはっは!」

 「それは、それは……では、座主様からのお言葉も頂戴できたということで……どうぞ別室の方で膳の用意などもしておりますれば……」

 「……膳……どのような膳だ?」

 「左様、南蛮豆腐に般若湯を蓮っ葉に添えまして……」

 「か~かっかっか!わかっておるではないか!流石は大老ということか!」

 「恐れ入りましてございます……」


 ……

 …………


 「座主は如何した?」

 「なんでしょうな?座主様も、大したお年故、下の物も役に立たぬでありましょうに……気に入ったおなごを三名ほど寝所に連れて行きましたぞ」

 「はっはっは!なんとも好色で気持ち悪い爺じゃな。儂も好色ではあるが、あそこまで見境無しではないぞ?」

 「あ、はぁ……」

 「なんじゃ、その気の抜けた返事は……まぁ、良い。しかし、これで大津から先は荒れるな?」

 「それは間違いなく……しかし、本当に座主は王家も巻き込みますかな?」

 「巻き込むであろう。あの男の因る術はそこにしかないのだからな。折角、伊藤家が目こぼしを与えておるのだ。今まで同様に、京周辺での金貸し業程度で満足していれば命永らえたであろうのにな」

 「殿も散々に焚き付けておいて……ともあれ、ここまで動かすことが必要でしたかな?」

 「どうであろうかな?儂の眼も正確には見通せてはおらぬわ。ただ、猿は無駄に有能じゃからのぉ。暴走しない、綱と首輪に繋がれた猿は有能すぎる。このままでは、せっかく蒔いた種が芽吹く前に整理された田畑を造られてしまうわい……それで言えば、太郎丸様の娘たちが、ああまでも見事な猿回しであったとは意外であったのぉ」

 「太郎丸様?」

 「ん?ああ、景藤様じゃな。……さて、今度の太郎丸様はなんという名で元服されることやら……」

 「は、はぁ……」

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