第170話 観音寺騒動

天正十五年 雨水 伏見 浪江秀吉


 「えいやー!えいさー!」

 「「えいやー!えいさー!」」

 「ほれ!もっと腹から声を出さんかい!えいさー!」

 「「えいさー!」」


 いやー、流石に冬の現場仕事は声でも出しながらでないとやってられんのぉ。


 春の声はまだ感じない伏見の晩冬、今日は普請の進捗具合を見に来たんじゃが……。

 ただ見ているだけでは寒くて溜らんからな。

 ちょいとだけ二の丸の土台の石運びを手伝っておる。


 「よーし!第二班はそこまで!縄をほどけぇ!」

 「「おおぉーい!」」


 さて、身体もあったまったので、儂はここで失礼するか。


 「はっはっは!いやぁ、年寄りには中々に堪える仕事じゃったな!皆はまだ仕事があるのだな。うむ、ご苦労!ご苦労!」

 「ご城主様もお手伝いありがとうございました。おかげで、人足の若い衆たちも今日は気合が入ったようですので、予定よりも今日の作業は進みそうです」

 「そうか、そうか。それは何よりじゃな」


 世辞もあるだろうが、普請事務方の若い衆にそう言われるのは嬉しいもんじゃ。

 奥州ではしょっちゅう現場に出てたもんだけに、この伏見で高みの見物を決め込むのは性に合わんからのぉ。


 「ご城主様……急ぎ本丸へお戻りを。瑠璃様がお呼びです」

 「む?瑠璃様が本丸に……それは急がねばな」


 汗ばんだ身体を拭っていると、城の小姓がそう言って儂に声を掛けてきおった。


 なんじゃろうな?

 瑠璃様の御気性ならここに降りてこられると思うのだが……急ぎの要件ではないのか、または……。


 これはちんたらは出来んかも知れぬな。

 儂は急いで手拭いを使い、本丸に向けて小走りをしながら上着を整える。


 本丸は北側の一番高くなっているところに建っており、二の丸の現場は宇治川寄り、南側の斜面を造成しているところじゃ。


 ……


 ふぅ。

 緩い坂とはいえ、傾斜のある道を走るのはきついのぉ。


 本丸の大広間前、儂は一つ大きく深呼吸をして、様子を整える。


 「瑠璃様、お待たせしてしまい申し訳ございません」

 「気にしないで。こちらこそ、呼び出してしまってごめんなさいね。本当なら私がそっちに行くのだけど、話が話だったもので……」


 ……やはり、危急の案件か。


 「秀吉殿も来ましたので、長政殿……報告を」

 「ははっ!」


 黒田長政……信長様が尾張屋から手を引いた後に、尾張屋の看板を手に入れた黒田孝高の嫡男。

 二十そこそこの男ながら、冷静沈着な振る舞いと冷静な情報分析を買われて、畿内方面の諜報を担当しておる。

 武士として伊藤家に引き抜いたのは信長様じゃ。


 「今朝がた京を回って伏見に入ったなじみの商人からの情報なのですが、どうやら観音寺城にて異変があったという噂でございます」

 「異変とな?」


 観音寺城、六角家の本城……確か当主は義治よしはる殿……じゃったかな?

 古河の新年を祝う席で何度かは見かけた記憶があるな。

 どうにも形ばかりの当主で、実権は七十近い実父の義賢よしたか殿とその妹の二人にあるということじゃが……。


 ふむ、六角家の者達は当家に降ってからは特段問題を起こしてはおらぬし、畿内討伐軍にも積極的に参加した。

 領内には先年の大地震による痛手もあったので、そのあたりの世話で手一杯との話ではあったが……。


 「はっ。観音寺城は一つの山の峰を丸々使った巨大な山城でございます。この観音寺城は、三方の山裾にある城下町の屋敷群とは自由に行き来が出来る作りになっており、馴染みの商人であれば、気軽に城へと物を売りに行くことが出来るのです。ですが、その観音寺城の城門が数日前より閉じられたまま、一切の通行が禁じられているとの話でございます」

 「ふむ……何ぞ六角家に訃報があって喪に服しているとかではないのだな?」

 「可能性としては一番それがあるとは思うのですが、城下には一切の知らせは出ておらず、また当家へも……」

 「飯盛山の上様や大御所様の下にも、何の連絡は来てないようね」

 「それは、なんとも面倒事の匂いがしますな」


 先代も七十ともなれば、いつ病気を拗らせるかわからぬものだが、義賢殿辺りが亡くなられたのであれば、城下や主家である伊藤家に黙ったままというのは理解できん。


 「……代替わりとか、六角家の誰それが亡くなったというのならば、常識として飯盛山には使いを走らすよね?」


 瑠璃様も同じ懸念を抱かれておるか……。


 「長政殿、先ほどは噂話と言うておったが、何ぞそれっぽい話でも耳に入ったのか?」

 「はい……まだ、裏が取れた話ではないという前提でお聞きください」

 「うむ」

 「まず、現当主の義治殿ですが、このお方はあまり良い評判がございませぬ。しいて上げれば弓が上手だということではありますが、四十を越えたというのにどうにも落ち着きがない性格であり、万事冷静な先代の義賢殿とはそりが合わぬと家中でも公然の話となっております」


 家中の評価が主家に駄々漏れとは、よほどそりが合わぬ親子なのかのぉ。


 「ただ、そりが合わぬだけなら良かったのですが、近年には少々危険な状態になっていたとの話も伝え聞きます」

 「……詳しく」


 む?

 儂も着任したてとはいえ、聞いておらぬし、瑠璃様もそのような話は初耳のようじゃな。


 「はっ。……まず、近江国は足利家の下で少々面倒な形で統治されておりました。一国を南北に区切り、北を京極家、南を六角家とで分割統治していたのです。最近では、南の六角家はそのままに代を重ね、伊藤家に臣従しており、北の京極家は家臣筋の浅井家に乗っ取られた挙句に長尾家の軍門に降りました。して、その浅井家の家臣団ですが、彼らは近江より別の場所で個別に領地を与えられ、旧浅井家としての結束はほぼなくなっております」


 ふむ。

 そのあたりは、去年の末に出会った茶々姫と大谷殿の会話からうかがい知ることが出来たな。

 立場は上の家の姫として扱ってはいたが、微妙に……そう、忠誠をもって応対している感じではなかったからの。


 「で、その京極家なのですが、浅井家は彼らを殺す形での乗っ取りは行わず、血縁を結ぶことにて大義名分を握りつつ、北近江の支配を行なっておりました。そんな中で、長尾家による仕置きです。家柄と名分を必要としていた浅井家は京極家を庇護していましたが、長尾家にとって京極家は何の意味も……といっては言い過ぎでしょうが、特別に抱える必要性を感じなかったようでして、扶持を特別に与えることはなく、浅井家に任せっぱなしでした。当初は浅井賢政殿が己の血縁ということで面倒を見ていたようですが、有岡城の城主を命じられ、北摂津の統治を任せられたあたりで、面倒を見切れなくなったのか、京極高吉きょうごくたかよし殿は六角家を頼り、本領の近江へと帰還したようです」

 「ふむ……まぁ、今では浅井家も長尾家の一家臣。旧来の感情を捨てて、六角家を頼って故郷に帰りたがるのはわからんでもないのぉ。その高吉殿も年なのであろう?」


 儂もいい年をして故郷のかかぁに、小一郎が蝦夷地で作っておる帆立の貝柱なんぞを送ってみたばかりだしな。

 人間、年も取れば故郷を懐かしむ心が出てくるのは自然という物だろうさな。


 「はい、数年前に八十を迎え、安らかに息を引き取ったと伝え聞いております」


 なるほど、波乱万丈の人生ではあったが最後は故郷の畳の上で死ねたのか……因縁相手の六角家の城でではあろうがな。


 「ん?ちょっと待って?八十で死んだ?って、長政殿。その高吉殿が浅井家の姫を迎えたんじゃなかったっけ?ん?なんか年齢に違和感を感じるのだけれど?」

 「はぁ……そのなんと言いましょうか。高吉殿が妻に迎えた浅井家の姫は賢政殿の姉でして……その、ですな……年の差は四十ほどかと……」

 「「はぁ?!!!何よそれ!!」」


 瑠璃様の隣で黙りこくっておった彩芽様まで大声を上げよった……まぁ、そりゃそうじゃな。

 儂は男なので、この場合は何じゃが、女子おなごの姫様達は自分が四十も年上の爺に嫁ぐと想像なされば、そうも反応しようさな。


 「そのような無体もあり、賢政殿は姉一家の面倒を見ていたのでしょうが、どうやら有岡城に移った辺りで、その姉を亡くされたようでして……」

 「ちょっとぐらいは賢政殿を薄情者だとも思ったけれど、そのような夫婦、きっと外の私たちには窺い知れない何かがあったのでしょうね……まぁ、良いわ、だいぶ脱線させちゃった気もするけど話の続きをお願い」

 「ははっ!……で、その葬儀の席にですな、高吉殿の子息……」

 「「四十も年上のジジイが子供まで作らせたの????!!!!」」


 瑠璃様と彩芽様は大激怒じゃな。

 ……これは、太郎丸様が姫様達の輿入れを諦めるのも納得じゃわい。

 ただ、立場を入れ替えてみると……儂も四十も年上の女子を妻に迎えるのはちと……数年もしたら百歳のおばば様じゃもんな。


 「た、確かに痛ましいことではありますが!この婚姻は血族に因る支配を目的としたものですので……」

 「……まぁ、意味はわかるわよ?意味はね……ただ、そんな話を私に持って来たら、兄上だろうが父上だろうが涙を流して謝るまで木刀で扱いてやるわ!」

 「うん……瑠璃姉に完全同意!」


 はぁ……太郎丸様のお子は姫様達の方が剣の腕は上ですからなぁ……一丸様も中丸様も、また上様も大変で御座いましょうなぁ。


 「は、話を戻しますと!」


 長政殿も大変じゃ、報告の任務も一苦労じゃな。


 「その葬儀に出席した三人のお子は上から高次たかつぐ殿、竜子たつこ殿、高知たかとも殿の三名。三名共に母親の浅井政子あさいまさこ殿に似て大層な美形だとか……」


 確かに浅井家の茶々姫も大層な美しさであったからな。

 浅井家は美形の血筋なのかのぉ?


 「……なんか嫌な予感がするわね……」

 「は、はぁ……どうにも、その……男子を含めた三名共に義治殿が懸想をして、城に閉じ込めたと……」


 がたっ!


 「藤吉郎!父上と兄上に連絡して!観音寺城を攻め滅ぼすわよ!」

 「ま、待って下され!瑠璃様!!」


 その……冗談であって下されよ?瑠璃様……。


天正十五年 啓蟄 飯盛山 伊藤景基


 その、なんだ。

 瑠璃たちが畿内に送られてきたのは私の手助けをするようにとのことだった気がするのだが、どうしてこうなったのだろうか?


 私は目の前に置かれた首桶を眺めて、つづく不思議なものだと思い首を傾げる。


 届けられた首の名は、六角義治。

 つい先日までは当家に臣従していた六角家の当主で、南近江と伊賀に勢力を張っていた中々の大身の当主だったはずだ……。


 「この度は当家当主義治が愚行を事前に止めることが出来ず、将軍家並びに長尾家の皆様方に不快な思いをさせてしまったこと、誠に申し訳ございませぬ。ここにすべての元凶である義治が首を届けさせていただきますれば、何卒、領内に残っておる家臣・領民には寛大なるご処置を賜りたく!伏して、伏してお願い申し上げまする!」


 あと、当家のことを指して「将軍家」と呼ぶのも止めて頂きたいですね。

 別に当家は源氏の後継というわけでも有りませんし、王家からどうこうされたわけでもないので……。


 必死の形相で我らの許しを得ようと声を張り上げる六角家家臣の……横山真令よこやまさねのり殿と石田正継いしだまさつぐ殿であったかな。


 声を張り上げている横山殿は四十がらみ、石田殿は五十を越えたあたりと見受けられるが……うむ、申し訳ないが今までは見知っていなかった。

 六角家からの訪問客と言えば、義賢殿、義治殿に後藤殿と進藤殿と相場が決まっていたからな。


 「当家は無駄に血を流すことを良しとはしない。家臣・領民に関して無益な心配をせず、詳らかに事の経緯を説明せよ」

 「は、ははっ!」


 今日は、冬に飯盛山に来て以来、堺近くの住吉大社脇に水軍用の兵舎と簡単な屋敷を建て、そこに滞在している信長殿が聞き手役として対応している。

 これまでは、大御所様、上様と同席する場合には私がすることの多かった役回りだが、この数か月は一門衆ではなく評定衆からということで、信長殿が対応される場合が殆どだ。


 「その……まずは当家の前当主義治の暴挙から始まりまして……」


 ……

 …………


 横山殿は義治一人に混乱の責任をかぶせるような話し方をしているので、多少は割り引くことも必要であろうが……。


 要は京極兄弟の美しさに欲望を滾らせた義治殿が無理やりに、騙し、脅し、貞操を奪ったことが発端であったようだな。

 竜子殿は単に人質として利用されたようだというのが……なんであろうな。どうにもこの男が男を寝所に引き込むという考え方は理解できん。

 戦場で男相手に欲望を満たす蛮行を正当化させるために、一部の蛮族共が巧みに言葉を作り出したものだと思っていたが……まぁ、中にはおなごが好きでは無い男がいても良いか。

 私とは思考そのものが違う人物もいると言うことだな。

 そう、私は勿来の浜で獲れた魚を浜焼きにするのが一番好きだが、那須の牧場から送られてくる牛肉を否定する気にはなれない。更に言えば、羊の骨付きあばら肉を勿来塩と香草、椿油を使って焼き上げたロサの一皿には感動すら覚えてしまうのだから!


 ……ともあれ、非道な方法による男色に耽った義治殿を義賢殿は叱責した。

 重臣、一門の悉くも非難した。

 そして、その叱責とともに京極兄弟と引き裂かれたことに怒りを覚えた義治殿は積もりに積もった思いを行動に移した。

 ……兵を集め、父の義賢殿、叔母の麗殿、重臣である後藤殿、進藤殿を居城で討った。


 それゆえの観音寺城の封鎖であったと言うことだな。


 「ことは観音寺城の本丸、奥の丸内にて行われた凶行故、城の外にいた我らには手出しできぬ物でした……様子がおかしいとは思いつつも、お恥ずかしながら、事の次第に気付けたのは瑠璃様より六角家の諸城に詰問状が送られてからでした。……勿論のこと、その詰問状は観音寺城にも届き、一連の内容を知った……この石田を初めとする志ある家臣たちの手によって義治を捕らえる次第となりました」


 言葉は飾ってますが、瑠璃の出した詰問状……勿論、詰問状には義治殿の行動を嗜め、非難する内容が書かれていましたが、彼らを真に動かしたのは信長殿が軍を用意する構えを見せたからでしょう。


 上様と私は即座に軍を使うことには少々消極的でしたが、最終的には文にて届けられた大御所様の御意思と妹達の判断を尊重し、信長殿に準備を命じました。


 信長殿は、畿内に滞在する兵のみでなく、勿来からも増援を呼び、線条銃を装備した水軍兵だけで一万、更には淀川、宇治川、瀬田川を遡行出来る軍船の調査もするとして、大小さまざまな船も持ち寄った……船の基準は大砲を積めて放てることという……。

 私は、瀬田川を流通路として活用するには難しいと思うのだが、信長殿はその可能性を探りたいと言われて準備を進めました。

 ……この辺りの可能性を常に探る精神、私が父上や信長殿に劣る点ですね。

 うむ。これからも精進していかねば。


 ともあれ、六角征伐やむなしの構えを見せられた六角家臣は大いに慌て、こうして義治の首を持参することで話を纏めようとしたのであろう。


 まぁ、どちらにしろ、義治殿の行動の経緯が経緯だ。

 遠からず、凶状を咎とする切腹を申し付けることになったことに間違いはない。


 「……両名の話はわかった。更に詮議を続けることにはなろうが、この事で六角家の家臣を必要以上に罰することは無かろう。領民に至っては言うまでもない。……ただ、六角家は残念ながら取り潰しの扱いにせざるを得ぬのは理解してくれるな?」

 「ははっ!家臣、領民へのご配慮を上様自らお言葉にしてくださり、誠に有難うございます」

 「では、急ぎ国元へ戻り領内の混乱を収めよ。後に領地巡撫の為に兵を送ることにはなろうが安心せい。領民には一切の危害を加えぬ事を徹底させる。このこと、この元清の名で約束しよう」

 「「は、ははっぁ!ありがたき幸せ!」」


 義治殿には確か子がいませんでしたからね。

 縁者の面倒は見ることになりはしましょうが、領主としての六角家は残念ながら残せません。


 六角領に関しては、当家の他地域と同じく治めて行くことになりそうですが、近江、伊賀は地侍の地縁が強いと言われています。

 此度の観音寺騒動で、どれだけ彼らの当主が被害をうけたり、義治殿に連座しているのかはわかりませんが、中々に骨が折れる仕事となりそうですね。

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